貧乳
男の驚きの声色に混じっているのは憎しみや怒りではない。喉の奥が震えてつっかえているような発声は、恐怖によるものだろうことが見て取れてしまう。
明らかに恐れられている。しかも抵抗をすることどころか、逃げることすら諦めたような瞳の色。
何をしても自分では敵わないと理解したその表情に、俺は恐れを抱いた。
魔族の男が怖いのではない。
こんな大男に、それほどまで恐れられていることをシャルに知られてしまったら……シャルからの俺の印象が変わってしまうのではないかという恐怖だ。
「何故……こんなところに、まさか……残党狩り……か」
男は狩りで仕留めてきたのであろう鹿から手を離し、全てを諦めたかのような恐怖に歪んだ笑みを浮かべる。
これならむしろ襲い掛かられて制圧した方がシャルからの印象は遥かにマシだろう。
……何を言うべきだ。何を言ったら男を安心させて、シャルに「怖い人」と思われずに済むんだ。
脳味噌から必死に今までの人生経験を振り絞り、恐怖に身をすくめている大男に向かって口を開く。
「っ…………。貧乳の女の子って、興奮するよな」
空気が死んだ。
……言い訳をしたい。今までの人生の中、好みの女の子の話をした後はなんやかんや和やかな空気になっていた。
だから、今回もそれでいけるのではないかと考えた。……それだけなんだ。
魔族の男はゆっくりと、俺の言葉の真意を探るように尋ねる。
「……つまり、男みたいな胸が好み、と?」
喧嘩売ってるのかコイツ。男の胸部と女の子の小さい胸が一緒なわけないだろ。戦争の引き金になりかねない発言だぞ。
むっと眉を寄せると魔族の男は自分の身体を守るように抱えて俺を睨む。
「っ……殺すなら殺せ! 辱めを受けるぐらいなら……!」
「意味の分からない勘違いはやめろ。……場が和むかと思って口にしただけだ。戦うつもりはないから安心してくれ。……ん、お前……どこかで見たことがあるな」
男の顔をじっと見ると、怯えたように口を開く。
「……勇者パーティを恐れて、敵前逃亡をした」
「ああ、なるほど。……謝りはしないが、今から敵対しようとは思っていない。襲われたら別だが」
まぁ、立ち向かって来られたら倒していただろうし逃げたのは結果的には正解だろう。
男は本当に怯えているだけで向かってくる様子はない。まぁ……ミュートのように死ぬのがわかって突っ込んでくる方が珍しいか。
「……ミュートという魔族の女と道中に会った。仲間なのだったら、迎えに行ってやれ。もう動いているだろうが、あっちの方角だ」
「殺さないのか?」
「無闇矢鱈にはな。戦争も終わってしばらく経つ。血生臭いのは勘弁だ」
男は意外そうな瞳を俺へと向けたあと、緊張で上がっていた肩を緩めて深く息を吐く。
「……そう言えば、あのとき逃げても追いかけてこなかったな」
「……記憶にないな」
男は微かな笑みを浮かべると、小さく頭を下げる。
「ハグれて困っていたんだ。……助かる」
礼を言われる筋合いはないが軽く頷く。
「……話したくなければ話さなくてもいいが、何人この近くにいるんだ。仲間」
「……助けてくれるのか? お前は人間側だろ」
「……別に、助けるとも言ってない。人間も好きではないから味方というわけでもない」
「魔族の味方をするのか?」
「そっちも興味はない。……そっちが敵対せず、暇があれば探してやる程度は構わないが」
俺の言葉を聞いた魔族の男は深く頭を下げる。
「助かる。お前がいたら百人力だ。五人で行動していた。多分あっちの方にいると思うんだが……」
「探すのを手伝うとも言ってないだろ。……俺に人数を言ってもいいのかよ。残党狩りじゃないかと疑っていたんじゃ……」
俺が呆れながら言うと、魔族の男は後ろを指差す。振り返ると、仕方なさそうな表情をしたシャルと嬉しそうなクウカの顔が見えた。
……ああ、なるほど。
「子供連れで争うような見境のないやつには見えないし、お前が「何人いるんだ」と聞いて来たときに嬉しそうな顔をしていたからな」
「……お前、いつか騙されて痛い目に遭いそうだな」
俺が呆れながらそう言うと、男はヘラリと笑う。
怯えたり、笑ったりと豊かな表情は魔族らしくないな。
……まぁ、変わり者なんかどこにでもいるか。
「もう何度も遭ってるぞ。俺はヤドウだ。【弱虫】のヤドウ」
「……それ、蔑称であって自分で名乗る物じゃないだろ。……【ロリコンクソ野郎】のランドロスだ」
俺がそう言うと俺の隣にぴょんと跳ねてやってきたミエナが楽しそうに名乗る。
「じゃあ、私は【黙ってろとよく言われる】ミエナだよ。よろしくね」
「あ、え、えっと……【ちんちくりんのお節介焼き】のシャル・ウムルテルアです」
「ん、何この流れ……【勘違いストーカー】のクウカだよ」
最後にネネの方へと目を向けると彼女は物陰に隠れていた。人見知りだもんな。
「ところでなんだけど、何でお前半袖半ズボンなんだ? 寒くないか?」
会った時からずっと気になっていたことをヤドウに尋ねると、彼はこくりと頷く。
「俺な、この里でショタとして生きていこうと思ってるんだ」
…………何を、言っているんだ…………? この魔族は。
「あのな、俺は38歳だ」
「……ああ」
「そこで遊んでいる子供、40歳とかだ」
「つまり、俺も子供だって……気がついてな」
「……その理屈はおかしい」
「子供として綺麗な年上のお姉さんに甘やかされるの最高だって……気がついてな」
「……何を言ってるのか分からないけど、お前が間違っていることだけは分かる。可愛い年下の女の子に甘やかされる方がいいだろ。仲間と再会したとき、仲間が泣くぞ? 目を覚ませ」
俺の言葉にミエナが「そうだそうだ!」と同意する。
「……まぁ仲間を探しに行くし、ちゃんとした格好にはしておくか。鹿を渡したら探しに行く。ありがとう」
そう言ってからヤドウは鹿のツノを持って引きずっていく。
……男って歳を取ったら全員変になる物なのだろうか。まともなおっさん、アブソルトぐらいしか知らないぞ。




