くーかー
人生で一番恐ろしいと感じたのはいつだったか。
母が死んだとき、飢えで死に近づいたとき、魔王と相対した時、勇者に裏切られて何も為せずに死にかけたとき、シャルに浮気がバレて髪を切られたとき、シルガに追い詰められたとき……。
そして今、それに並ぶ恐怖が俺に迫っていた。
俺はたしかにシャルを抱きしめて寝ていた筈だ。俺はシャルのことが大好きで、ネネは俺と交代で見張りをしているため一緒に寝ることが出来ないからだ。
ネネがおらず、隣で寝ている愛する妻がシャルひとりなら当然めっちゃくちゃ抱きしめるのは当然と言える。
……暗かったが「んぅ……そんなにぎゅっとしたらダメですよ。みんなもいるのに」と叱られたので間違いなく抱きしめていたのはシャルだった。そもそも身体の大きさ的に間違えようもない。
……と、言う何だ。俺は確かにシャルを抱きしめて寝ていたはずだと言うのに……何故か腕の中にいるのは多分クウカである。
顔は見えていないが、シャルよりも小さく、ネネほど筋肉があるわけでもないのと、ミエナは独特なエルフ臭……イユリと同じような香水の匂いがするのでミエナでもない。
残るはクウカしかいない。……声は出ていないし動きもないが……これ、多分起きてるな。動きがなさすぎるというか……身体がガチガチに硬直している。
おそらくその様子を見るにわざと抱きしめられたのではなく、俺が間違えて抱きしめていたのだろうと分かる。今日のところはミエナと寝てもらうことになっていたのに、こっちのベッドで寝ているのは何故なのか……と言いたい気持ちもあるが、シャルにばれるまえに離さないとまずい。
ゆっくり、ゆっくりとクウカの体から腕を離し、反対側のシャルを抱きしめて安心する。……よかった。これで浮気者と怒られずに済む……。
と、シャルにバレる心配がなくなったのでクウカに声をかける。
「……あー、まず、悪いな。寝ぼけていたみたいだ。いつも嫁に囲まれてるから」
「う、ううん。ベッドに忍び込んだ私が悪いし」
「……何で潜り込んだんだ。そういう色恋沙汰でもめるようなことは……」
そう口にすると、クウカの手が震えながら俺の背中の服をぎゅっと握る。
「ごめん……その、怖い夢を見ちゃって……捕まっちゃう夢」
「……そう言われると責めにくいけど、決めたことはちゃんと守れよ。ただでさえ、そういうバランスが良くないパーティなんだから」
「ごめんなさい……」
「半分は俺のせいだから謝らなくていい。まぁ、シャルが起きる前にはミエナの方に戻ってくれよ」
「ロスくんのせいではないよ。……私が勝手にしたことだから」
それはそうだな。と納得してクウカに意識を割くのをやめてシャルの髪を触る。ふにゃふにゃと細く柔らかい子供の髪である。
あまり触りすぎたら起こしてしまうだろうな、と思いながら撫でていると、クウカはもぞりと起き上がってベッドの縁に座った。
「……ロスくんって、綺麗な目をしてるよね。炎みたいに、キラキラで」
「魔族ならみんなこんな目だろ」
「いや、目つきが鋭い人が多いから、ちょっと違って見えるの」
クウカはミエナの方のベッドに移りながら「……やっぱり、好きだなぁ」なんて言葉を口にしてからコテリと寝転がる。
「……悪趣味だな」
「目のこと? ロスくんのこと?」
「どっちもだ。……俺の力になりたいって言ってたな」
「うん。えっと、何か頼みがあるの? 何でもするよ」
「少し聞きたいだけなんだ。……人を殺した罪は、どうやったら雪がれると思う?」
クウカは一瞬「へ?」と口にしてから俺の方を見る。
「……ロスくんの話? それとも、別の人の?」
「俺は特に気にしていない。仕方ないことだったと割り切っているし、罪がどうとか考えるほど真面目でもないしな」
「……じゃあ、ネネさん?」
「……まぁ、そうだな」
「好きだね。ネネさんのこと、なんで好きになったの? ロスくんの好きなタイプとは違いそうだけど」
ロリコンじゃないからな。と言おうとしたが、まぁもうロリコンでもいいか……いや、シャル達が成長しても好きだろうから関係ないが。
「……別に、なんでもいいだろ」
「参考までに教えてよ」
「参考って……クウカ……まぁいいけども」
何で好きになったのか……と考えて、意識し始めたのは……胸を見てからな気がする。いや、別に性欲によって好きになったわけではないが。
……なんだろうな。難しいというか……そもそもネネに関しては恋愛感情という感じではない。
同族意識と同情、それに異性への希求心と弱々しい者への保護欲。他にも色々な感情がない交ぜになっている。それを一言でまとめるなら……。
「……俺がいないとダメだからかな」
それに尽きる。ネネはとても弱く壊れてしまいそうだから、俺が一番近くで守ってやらないとダメだろう。
クウカは少し寂しそうに「んー」と口にしてから困ったように話す。
「私もロスくんがいないとダメかも……」
「クウカは何とでもなるだろ。それで、罪を感じなくするにはどうするべきだと思う?」
「……んー、私って結構裕福な家で甘やかされて育ったからなぁ。何かズレたこと言っちゃいそうで」
「俺もネネも、迷宮鼠のみんなも、全員世間ズレしてるから、普通の子の意見を聞きたい」
「……今はどうしてるの? ネネさん」
「どうしようもないと思ってるから、ゆっくりと一緒に過ごしてるな。……無駄なことを考えなくて済むようにわざとはしゃいだりもしてるけど」
クウカの方に目を向けると、ミエナに抱きつかれそうになって回避しながらニコリと笑う。
「それでいいんじゃないかな。理屈とか論理とかは、後付けだよ。めちゃくちゃ正しいことを言ってネネさんを庇っても、納得はしにくいんじゃないかな」
「……後付けか?」
「もちろん。例えばネネさんみたいに私がなったら、私のことを好きになってくれる? シャルちゃんみたいに小さければどう?」
「……まぁ、好きになるとは思わないが」
「自分で言ってて悲しくなったけど、そういうものだよ。まず好きって気持ちがあって、それから理由を見つける。好きな条件に合う人がいても、別に好きになれるわけでもないしね。それと一緒で、まず前提としてネネさんには自罰意識と罪悪感があって、後付けでそれを肯定してるだけ」
「……そんなものか」
クウカは寝ぼけたミエナに抱きしめられながら満足そうに頷く。
「だから、ロスくんが正しいよ、気持ちの話だから寄り添ってあげるしかない……と、私は思うな」
「……そうか」
年下の女の子に相談するようなことじゃないかと思ったが、なんか腑に落ちた気がする。
「……夜の見張り、ネネさんと交代してこようかな」
「見えるのか?」
「んー、無理そうだったら諦める。火を付けたら魔物が寄ってくるかもしれないからね」
クウカはミエナを引っ剥がしてパジャマ姿のまま外に出ていく。……気を遣わせてるな。




