ねねねーね
肩が揺らされる感覚に目を覚ますと、シャルが仕方なさそうな表情でネネを見ていた。
「……昼食の準備が出来た」
「……ん? あれ、ネネか……随分熟睡してしまっていた……というか、昼食?」
俺の異空間倉庫にだいたい荷物を入れているのに……そりゃ多少の荷物ぐらいミエナも持っているだろうから作れなくはないだろうけど、無駄に手間を取っているだろう。
そんなに俺を起こしたくなかったのだろうか。
ネネの膝から起き上がってボリボリと頬を掻く。……早朝に出発してから割とすぐに寝たのにもう昼か……最近では一番長い間寝てしまったかもしれない。仮眠のつもりだったのに居心地が良すぎた。
「おはよう」
「……ああ、おはよう」
馬車の中に残っているのは俺とネネだけで、馬車の外から昼食の準備をしている音が聞こえた。
「……起こしてくれって言ったのに、脚とか痺れただろ?」
「痺れてない」
ならまぁいいかと思って立ち上がるも、ネネは座ったままで動こうとしない。……やっぱりと思って脚をンと突くと、ネネは「んっ……」と何かを堪えるような声を出して、ジロリと俺を睨む。
「脚痺れてるだろ?」
「痺れてない」
ネネの手を握って立たせると、少し立ったあと耐えきれないようにへにゃへにゃ〜と地面に倒れ込み、少し潤んだ瞳で俺を睨む。
「……ちょっと悦んでないか?」
「悦んでない」
しゃがみこんでツンツンと脚を突くと、突くたびにネネはピクッと体を跳ねさせて「っ……」だったり「んっ……」だったり「あぅ……」だったりと可愛らしい声をあげる。
……可愛いな。と思って脚をベタベタと触っていると馬車の扉が開いてミエナの顔が見える。
「ご飯出来てるよ? …………あ、ごめん」
馬車の扉がパタンと閉じて、扉越しにミエナの声が聞こえてくる。
「……あの、急に開けた私も悪いと思うけど、昼間からそういうことをするのはよくないと思うよ?」
「ち、ちがっ……んっ……ぁ……や、やめろバカっ! ぁ……」
「の、脳が壊れる……。初めて会った時はあんなにかわいかったネネが……」
「何年前の話をして……んっ……いい加減、触るのをやめろっ、バカランドロス!」
スコーンと頭を叩かれて、ネネはヨタヨタとしながら服を直して馬車から出て行く。
俺も慌てて追いかけると、ネネはギロリと恨みの篭った視線を俺に向けてから言い訳するようにミエナに言う。
「違うからな。変なことをしていたわけではなく、私が脚が痺れているのをいいことに突いて反応を見て遊んでいただけだ」
「……あ、うん。そっか、うん……シャルちゃんの前でしたらダメだよ?」
「信じてないな。本当だからな。悪いのは全部あのバカだから」
「……うん、分かってるよ。みんなには秘密にするから」
「分かってないっ!」
ミエナの理解ある反応にネネは怒り、再び俺を睨んで恨み言を口にする。
「全部ランドロスが悪い」
「いや、でもネネも悦んでたよな」
「悦んでない」
「……やっぱりネネ、虐められたりするの好きだよな?」
「好きじゃない」
「もうしない方がいいか?」
俺がそう尋ねるとネネの握り拳が俺の腹にドンと当たって、ぷんすかと怒った表情で焚き火の方に向かっていく。
「……返事なかったけど、どっちなんだ……?」
「うるさい」
……どっちなんだ?
ネネは素直じゃないので分かりにくい。二回も聞いてちゃんと答えなかったということは、恥ずかしいから答えたくないだけで嫌ではなかったのだろうか。
遅れて焚き火をしているところに行ってシャルの隣に座り、ミエナの方に目を向けると俺とネネを交互に見て顔を赤くしていた。……完全に誤解されてるな。まぁいいけども。
そう思っていると、御者の男が温めていたスープを口にしてニコニコと笑う。
「いやぁ、悪いですね。御相伴にあずかりまして」
「こっちもお世話になってるんだから気にしなくてもいいよ。御者さんも干し肉と乾パンと干し葡萄だけだと味気ないでしょ」
「いえいえ、こんな別嬪さんに囲まれていたら干し肉もステーキみたいなものですよ」
「あはは、お上手だね」
外行きモードのミエナのやりとりにいつもと違うことへの違和感を覚えつつ、クウカに目を向ける。
「今どの辺りか分かるか?」
「えっ……あ、ごめん、私地図読めなくて……」
「あー、そうか。迷宮国から出たことないんだったな。仕方ないか」
後でミエナに聞こうと思っていると御者の男が自分の持っている使い込まれた地図を俺に見せて指差す。
「この辺りですね」
「結構早いペースだな。夕方には街に着くだろうから、飯を終えて少ししたら馬車を降りさせてもらうか」
「ああ、亜人の方がいらっしゃるから街には入らないんですね。大変ですね、旦那も。そう言えば何のご予定で? 新婚旅行か何かですか?」
「人を迎えにいくだけだ。新婚旅行に見えるのか……?」
「別嬪さんを引き連れて羨ましいなぁと」
まぁ俺の嫁は最高に可愛いが。
「街の近くで離れるから大丈夫だと思うけど、さっきみたいに野盗がくるかもしれないから気をつけてな」
「うん」
えらく素直だな、このおっさん。
食事を終えると、ミエナがにこりと笑みを浮かべて俺に尋ねる。
「美味しかった?」
「ん、ああ、なかなか美味かった。正直、食事はあまり期待していなかったから美味いものを作ってもらえるのは助かるな」
ミエナが野営の料理が出来るというのは少し驚きだ。雑そうだからな。色々。
「そっか、よかったね、クウカちゃん」
「あ、えへへ、いや……うん」
ミエナがクウカに向かってそう言い、クウカは少し気恥ずかしそうに頷く。……作ったのクウカか。
「……えっと、私の作ったのは食べるの嫌だった?」
「いや、別に気にしない。なかなか美味かったから、また頼む」
「よかった……。私だけやる仕事が全然なかったから……」
クウカが嬉しそうにそう言うのを見ていると、シャルが俺の服の袖を摘んでくいくいと引っ張る。
「……ランドロスさんのご飯は僕が作りたいです」
「焚き火は危ないからなぁ。俺はシャルの料理が一番好きなんだけど、怪我はさせたくないしな……」
「僕もお仕事ほしいです」
「……気持ちは分かるんだが、これから歩くだけで一苦労だろ?」
「じゃあ、お洗濯とかします」
「いや、川沿いは人の往来が多いからあまり通らないし、井戸もないからな。水を出すことは出来るが、あんまり使いすぎると枯渇する。何日かに一度いっぺんにするつもりだけど、その時は全員で一斉にするだろうからな。シャル一人だと流石に時間がかかる」
シャルは悲しそうに目を伏せて「やれること、ないですか?」と俺に尋ねる。
助けを求めるようにネネに目を向けると、ネネは仕方なさそうに口を開く。
「……ランドロスは先生に一緒に来てほしがっていた」
「ああ、そうだけど」
「それは何で?」
「そりゃ、ひとりで置いていくのは不安だし……一緒にいたいからな」
ネネはシャルに目を向けて「だ、そうだ」と口にする。
「先生も、ランドロスとは一緒にいれるだけで嬉しいように、ランドロスも先生と一緒に入れるだけでいいんだ。何かをしたいというのは当然だけど、無理をせずにいたらいい。どうせバカなランドロスとバカなミエナとバカなストーカーと、バカばっかりなんだからいずれうまくいかなくなるときがくるから、そのときに手を貸してやるのがいい」
シャルはパチパチと瞬きをしてネネを見る。
「頼んでいい?」
「は、はい」
珍しく、ちょっとだけお姉さんぶるネネを見て苦笑する。
それからまた馬車で少し移動してから、街道を逸れて徒歩で歩き始める。日暮れまでに人里から可能な限り離れた場所までいかないとな。




