あー、ようこそ、ラビリンスラットへ
立ち去るべきか、否かを考える。
面倒ごとを避けるなら今すぐ立ち去った方がいいが、どう収集を付けるのかが気にならないわけではない。
俺が立ち止まっていると、メイタークは再び俺に笑いかける。
…….失せろ。という意味だろう。
素直に従うような義理はないが……と思っていると、メイタークは懐から何かを取り出して俺に手渡す。
「こ、これは……」
クルルの写真……! と思って喜んで帰ろうとしたが、少し不思議なことに気がついて脚が止まる。
丁寧に扱っていたのか汚くはないが、写真は随分と古く、それに加えて身長がクルルより少し高く、全体的に体が丸みを帯びていて女性らしさを感じる。
灰色の髪と瞳、それに穏やかで安心する表情と仕草……とても良く似てはいるが……少しだけ体型と耳の形に違いがある。
「……誰だ。これ」
メイタークを見て尋ねると、彼はニコリと笑って口を開く。
「僕の姉だよ。とても別嬪さんだろう。喜ぶかと思ってね」
「……いや、色々と突っ込みたいんだが……そうだな。まず、説明なしに姉の写真を渡すな」
「美人だろう?」
「まぁそれは否定しないが……。クルルに似ていて可愛らしいな。……いや、それはそれとして意図が分からない」
「嬉しいだろう?」
「義理の母の写真もらって喜ぶ男がいると思うか?」
「美人だろう?」
「話ループしてないか? ……まぁ、いつかクルルに渡すか」
「あ、クルルも持ってると思うよ?」
「なんで渡した……?」
流石に捨てるのは悪い気がするのでしまいつつ、ため息を吐いて足を再び動かそうとして、メイタークに止められる。
「あ、食料とか備品は何人を何日分ぐらい? 保存食じゃなくても大丈夫だよね」
「備品は予備も合わせて四人分でいいが、食料はあるだけ寄越せ。帰ってくるときのため、大量に必要だ」
総勢百人以上が一月以上の旅をするとなると、途中でなんとか補充するにせよどうやっても足りないのは間違いない。ミエナとカルアがいれば果物や野菜などは作れるだろうが、それも魔力に限りはあるしな。
「あー、今は食料もかなり相場が上がってるから、あんまりは……」
「……まぁ、別のところからも貰ってくるから用意出来る分だけでいい。……一週間で用意しろ」
あまり頼りすぎたくはないが、足りない分はトウノボリに言って食料を分けてもらおう。
……真面目に、受けた恩を返す方法を考えた方がいいな。……まぁ、昨日言ったとおり世界を救う手伝いをするぐらいしかやってやれることはないが。
とりあえず、しばらく歩いて尾行がなければ塔に帰るか。
そう考えていると全身が血塗れになっていることに気がつく。
シャルに会う前に流していきたいが……今、どこか宿に入ったりなどの無駄遣いをしている場合でもないので、シャルのいる部屋に入る前に風呂に行けばいいか。
目視と空間把握で近くに人がいないことを確認し、路地裏に入ってから扉を塔の居住区に繋げて、ゆっくりと開いて近くに人がいないことを確認してから中に入る。
さっさと風呂に入って、それから報告をして旅に出るメンバーを相談する……と考えながら昨日と同じ男湯に入る。
一人で入るにはあまりに広すぎる浴室、ミエナが寂しい気持ちになって一緒に入る人を探していたのも分かるものだと思いながら、頭から湯を被った瞬間、パシャリと別の場所から水音が聞こえた気がする。
……隣の女湯の方で誰かが汗を流しているのだろうかと考えながらもう一度湯を被ってから、音がした気がする方に目を向けると、女性らしい柔らかそうな曲線の肌が見え、思いっきり咳き込む。
誰だ!? 辛い髪色からしてネネかと思ったが後ろ姿に尻尾がなく、尻があまり筋肉質に見えない。
「…….ト、トウノボリ?」
「ん、あれ? 戻ってきてたんだ」
「……あー、ここ男湯だよな? その、もしかして間違えていたか?」
六万歳という歳のためかトウノボリは気にした様子もなくペタペタと歩いて俺の方に来て、俺は全力で目を逸らしながら尋ねる。
「あ、いや、何故かみんなで鬼ごっこをして遊んでたんだけど汗かいちゃってね。ミエナとは一緒に入りたくなかったけど、汗はさっさと流したかったから。ランドロスがこんなに早く帰ってくるとは思ってなかったしね」
「あ、あー、そうか、悪いな」
「ん? いや、私の家とは言っても、男湯って書いたままだったんだからランドロスに非はないと思うよ。あっ、もしかして裸見られるの嫌だった?」
「嫌というわけではないが……」
妻でもない、恋人でもない女性の肌を見るのはダメだろうという常識的な判断だ。
もう二、三度お湯をかけて血を流したらすぐに出るか。
と、考えていると、トウノボリは近くのお湯にぽしゃりと浸かって「ふいー」と気の抜けた声を出す。
「進捗の方はどう? 手がかりは見つかった?」
「……男の前でその格好なのに、よく普通に聞けるな。早く出ていってほしいとか思わないのか?」
「まぁ、もう六万歳のおばあちゃんだからね。ランドロスも気にしないでしょ?」
いや気にするが……。見た目は普通に若いわけだしな。
まぁ、散々世話になっているのだから、なるべく気にしないようにして質問には答えるか。
「……手がかりというか、おそらく転移させられた位置は分かった。用意が済み次第向かおうと思ってる」
「えっ……早いね。随分と」
「まぁ状況のおかげと、あとは……一応コネのおかげだな」
「はー、優秀だね。用意ってのは?」
「主に食料だな。百人ほどいるから、かなり食料を持っていかないと立ち行かなくなる。幸いギルドごと飛ばされているから、狩りと備蓄してる食料でしばらくは保つだろうが、旅を出来るほどじゃないだろうからな」
意識しないようにバシャバシャとお湯をかけながら答える。
「食料持っていく? とは言っても、私が適当に食べる分しかおいてないけど」
「もらえるならかなり助かる。……今更だけど、かなり協力的だよな」
「そりゃ、カルアは私にとって有用だからね」
「……いや、それならむしろ食料を渡さない方が、二回や三回に分けて人を動かすことになるだろ。それで一回の行軍速度は人が少ない方が速くなるわけだし……カルアを早く取り返したいなら、渡さない方がいいだろ」
トウノボリの方に目を向けると、お湯の熱で赤らんでいる顔を俺の方に向けて、少しだけニコリと笑みを浮かべる。
「……ランドロス、私を殺してくれるんでしょ? そのお礼」
「……それ、礼をされるようなことか……?」
思わず苦笑してから、足を脱衣所の方に向ける。
「あれ、お風呂入っていかないの?」
「お前なぁ……落ち着いて入れるわけないだろ……」
さっさと出ようとしていると、トウノボリは機嫌良さそうに鼻歌を歌い始める。聞いたこともないメロディとリズム。
なんか妙に上機嫌だと思っていると、トウノボリは俺の背中に話しかける。
「ランドロス、ありがとね」
「……まだ礼を言われるようなことはやってないだろ。迷惑かけたことを怒られるぐらいだ」
「……優しくされたときの気持ちなんて、すっかり忘れてたよ」
「そんなことで感動してたら身がもたないぞ。うちのギルドはお節介焼きの馬鹿ばかりなんだ」
くすりと嬉しそうに笑ったトウノボリに言う。
「……あー、ようこそ、ラビリンスラットへ。歓迎する」
「まだ入るとは言ってないけどね。一つのギルドに肩入れするのは良くないかもだし」
「それは今更だろ。細かい話は後でするから、風呂から出たら食堂でいいか?」
「りょうかーい」
返事が軽いな。……もっと気難しかったり、価値観が違うものかと思っていたが……仲良くなってみると普通すぎるぐらいに普通だな、トウノボリは。
それほど普通だから……余計に同情してしまう。まともな精神で何万年も一人で生きるのは、辛かったろうな、と。




