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台風の目、あるいは

「……ランドロスさん、どのように生きてきましたか?」

「……最期に暗い話をさせるなよ」


 院長はパチリと瞬きをする。

 部屋の中は外の雨風でうるさいはずなのに、小さなか細い呼吸音がよく聞こえた。


「幼い頃……シャルより少し幼い頃までは、ずっと母と二人で暮らしていた。優しく、色々なことを教えてくれた。だが……死んでしまった」

「……町人達に殺されたと、聞いています」

「ああ、俺の目の前で、囲まれて殴られていたよ」

「……辛い思いをしましたね。人間が、憎いですか?」

「好きにはなれないな。……そのあと、俺も似たような目に遭ったしな」


 シユウ達に囲まれて殺されかけたし、ロクな目に遭っていない。


「けど、シャルのことは好きだし、この前連れてきたカルアも好きだ。あとは世話になってるギルドのマスターのクルルも、ここの孤児達も、院長のことも好きだな。……いつの間にかさ、嫌いな人間より、好きな人間の方が増えていた。だから……今、答えるのは違う気がするんだ。……好きになっていっている、これが答えじゃダメか?」


 俺のバカな言葉に、院長は笑ったような気がする。表情は苦しそうで息は荒い。けれども……多分、笑った。


「一緒ですね。……私も、娘の死で人を恨むようになっていたのに、いつの間にか、また……」

「……そんなもんだ。それからは人間の街にはいられないから森で一人暮らしだな」

「……子供がひとりで、ですか?」

「ああ、空間魔法があれば飲み水や食物の保存には困らないしな。魔族混じりの体は動きも早いから、食事には困らない。それに……」


 母の顔を思い出しながら続ける。


「文字の読み書きとかは習わなかったが、森での生活の仕方は教わっていた。たぶん、そうなることを見越してだろうな」

「……文字が読めないのですか?」

「いや、シャルから習ったからからだいたいは大丈夫だ。……多分、母も受け入れてくれる女の子がいるとは思ってなかったんだろうな」


 実際、余程の変人か迷宮国出身かのどちらかでもなければ魔族混じりの男は受け入れられないだろう。


「その森の中で自暴自棄になっていたところでシャルに出会って一目惚れして……戦争を終わらせるため旅に出た……まぁ、そこを話すと長くなるから飛ばすが……上手くはいったよ」

「そう……ですか」


 俺の言葉が分かっているのかいないのか、どんどんと生気が失われていく。もはや咳をするなどの生理現象すら起こす余力すら無いように見えた。


「そうだな。俺はかなり良くやったと思う。俺がいなければ、戦争は十年以上長引いていた。……一応言っておくが、本当だぞ?」

「疑ってなど、いませんよ。なら……私の人生にも、価値があったのですね」

「そんなもん、あるに決まってるだろ。俺が血縁だとか、俺が旅立つのに院長の育てた子供が関わってるとか……そういう話ではなくな。単に、泣いてる子供を見れば一目瞭然だ。謙遜もほどほどにしておけ」


 そろそろ……話も終えて他の人も呼んだ方がいいかと思って立ち上がろうとすると、院長が小さく「棚に……」と掠れた声を出す。


「棚?」


 ほとんど何も置いていない棚、聖書などが置いてあること以外には目立ったものがない。


「そこに……貴方の母が残した、日記があります。……教会の知人が、娘の死を知って、届けてくれたのです」

「……日記か」

「……私は、読んでいません。きっと恨まれていると思い。怖くて、開けなかったんです」

「……そんなわけないだろ。……馬鹿だな。まぁ、別に見る必要はないけどな。天国とやらに行って直接会って話せばいいんだ」

「はい。ですので、それは……」

「ああ、もらっていく」


 ぼろぼろな本を見つけてそれを手に取る。パラパラとめくって日記の中に俺の名前が書いてあることを確かめてからそれを院長に見せる。


「……普通に俺のことが書いてあるな」

「読んでいたら、名前を聞いた時に気が付けたかもしれませんね」


 そうだとしたら……ギルドに戻らずこの孤児院で暮らしていた未来もあったかもしれないな。

 ……まぁ、ネネやクルルのいる今のギルドの方が大切だけどな。


「……じゃあ、みんなを呼んでくるな」

「……あの、最期に……おばあちゃんと呼んでいただけませんか?」

「……俺、もう二十歳の男だぞ……。そんな子供っぽい呼び方をする年齢でも……。あー、もう、おばあちゃん、みんなを呼んでくるな」

「ふふ、はい」


 扉を開けると、呼ぶまでもなく人が入ってくる。俺は部屋の隅に立ってその様子を見守る。

 誰もが別れの挨拶を済ませたからか、先程よりも少しだけ雰囲気が違う。


 ゆっくりと時間が流れていく。

 院長があまりにも落ち着いてその時を待つせいで、苦しみを隠しているせいで、今から死ぬということが嘘なのではないかと思ってしまう。

 何でもないのに周りが勝手に騒いでいるような。


 泣き疲れた子供がうとうととし始め、シャルは返事が出来なくなっている院長に感謝の言葉を言っていく。


 ふと、台風の風の音が止んだ。雨も止まって、雲の切れ間から日の光が見えた。

 何故か長らく見ていない気がした日の光に目を向けた瞬間「ぁ……」とシャルが声を漏らす。


 誰もが呆気に取られている間、商人が院長の手を握り、手首に指を当てて脈を探し、口元に手をやって息を探す。


 商人が何かを言おうとして、口元がプルプルと震えて、何も言えずに俺の方を見る。


 いつもと変わらない表情なのにその口元は震えて、いつもの馬鹿な言葉が出てくることはない。


 ……商人は、俺よりも前に院長と出会って、俺よりも長く共に過ごした。

 孤児院を経営する都合上、多くのことを話しただろうし、院長も商人のことを気遣っているのが見えていた。


 だから……そうなのだろう。大人であろうとそんなに簡単に、割り切ることは出来ないのだろう。


 それでも喉を震わせて声を出そうとする商人に目を向け、言われるであろう言葉を誰もが待つ。

 そんな時、少女のちいさな声が衣擦れと吐息の音しかない部屋に響いた。


「……亡くなりました。院長先生は、たった今」


 シャルの言ったその言葉に、商人の目から情けない大粒の涙がこぼれ落ちた。

 おいおい、商人……人が死んだ程度で泣くやつじゃないだろ、お前は。……そもそも、友人の最期を看取りに来るというのさえ違和感がある。


 だから……夢じゃないのか? これは、悪い夢なのでは。

 呆然と、ただ呆然と。分かりきっていた終わりを、まるで唐突なことかのように受け入れることが出来ず、ふらふらとシャルの方に寄って、院長の手を握る彼女の側に立つ。


 何も言えない。無理に何かを絞り出しても……きっと、この部屋の泣き声たちに掻き消されるだけだろう。


 だから、シャルが握っている手の上に自分の手を重ねる。院長に、俺がシャルを守ると示すように。

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