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君よ

 多くの人に囲まれて、あまりの騒がしさのせいか院長の目が小さく開く。


「……シャル、さん? それに皆さんも……まったく、こんな朝から……集まって……。お勉強、ちゃんとしましたか? 部屋のお掃除は……」


 院長がそんなことを口にしてから、みんなの表情を見て誤魔化せないことを察したのだろう。少し寂しそうな笑みをかすかに浮かべて、口を開く。


「……私は、もうお迎えが来るようです。……数日もないでしょう。数刻か、もっと短いか。……最後に少しでも話したいので……皆さん出ていたただいて、ひとりずつ、入ってきていただきたく思います」

「か、体は……大丈夫なんですか?」

「大丈夫では、ありません。なので……ですよ、シャルさん」


 俺は離れようとしないシャルの肩を掴み、振り向いたシャルに向けて首を横に振る。


「で、でも……いざというとき……」

「……もう、そのいざという時は終わったんだ。……最期なんだ、言うことを聞いてやれ」


 ずるい言い方をしている。憎まれても仕方ないと思うが、けれども……少し強引にシャルを連れて部屋を出る。


「……みんなで、少しでも長く一緒にいたらいいんじゃないですか」

「院長はそうしたいだろうけどな。……最期に残してやる言葉を、他の人に聞かれないようにしてやるという配慮だろうな。「あなたはこういう悪癖があるから改めなさい」みたいなことを話すのに、周りに大勢いるのは良くないだろ」

「……でも、今はそんなときでは……」

「そんなときなんだよ。そんなときだ。最期に残す言葉は、それぐらい重い」


 シャルは俺を見て、ギュッと俺の服を握る。


「僕は……そんなのどうでもいいから、一緒にいてあげたいです」

「……並び順は、早い方がいい」


 廊下に人がまばらに立っているが、なんとなく部屋に近い順番で入っていく雰囲気になっていた。心構えが出来た人や、あるいはまだ院長の死に実感が湧いていない子供が先に並んでいる。


 覚悟が出来ていない人は、並んでいるとは言えないような位置にいた。


 ……並び順は早い方がいい。そう言ったのは……最後まで保つかどうかも分からないからだ。

 回復薬の魔力を利用した治癒魔法はかけるつもりではあるが、焼け石に水でしかない。


「……はい」

「……悪い」

「いえ、ランドロスさんが、正しいのだと思います」

「正しいことなんかを押しつけて……ごめん」


 シャルはその言葉に返すことはなく、寄る辺を探すように俺の手を握る。

 時間が経っていき、部屋の中に人が入って出てと繰り返していく。そこら中から聞こえる啜り泣く声の中、シャルは部屋に入っていく。


 話の内容は分からないが、他の人よりも長いように感じるのは気のせいではないだろう。院長はシャルには特に厳しく接していたようだ。

 一番孤児院が厳しい時に年長でしっかり者だったからこそ……そうせざるを得なかったからだろう。


 俺の母である娘にも似ているのだから、特別に思うところもあるのかもしれない。もしくは、シャルが駄々をこねているか。


 しばらくして、シャルは手に何かを持って出てくる。

 鈍い金属光沢のあるアクセサリー……いや、違うな、ロザリオか。

 ……聖職者の祈るための用具か。


 シャルは俺の隣に来て、俺は最後に入るためにシャルを連れて一番後ろに並ぶ。


「……愛されていたんだな」

「……僕が受け取るべきものでは、ありません」

「院長がシャルに渡したんだろ。自分の大切な物を愛する娘に」


 シャルは首を横に振る。


「これは……ランドロスさんの、お母さんのものだそうです」

「母さんの? ああ、追放されたときに、置いていったのか」

「……院長先生のロザリオは、とても立派なものだったのですが……いつのまにか、パンに変わりました。……でも、これだけは売れなかったそうです」


 見てみるとかなり安っぽい物な上に錆びていて傷も多く、ぼろぼろだ。売ってもその重さ分の金属としての価値しかなさそうで、安いパンひとつ買うのがせいぜいぐらいだろうか。


 ……けれど、そのパンがあれば、院長ももう少し長生き出来たかもしれないのにな。……いや、子供に食わせていただけか。


「……ランドロスさんに、返します」

「受け取れない。それはシャルが持つべきだ。……汚いからいらないと言うのなら、捨てればいい」


 シャルはふるふると首を横に振って胸に抱え込む。

 ……大切なら、そんなことを言わなければ良かったのに。


「……俺の母が、ここに置いていったものだ。俺と暮らしていた家にはなかったものだから……これは俺の物じゃない。母さんは、俺の前だと教会もその教えも話題に出さなかった。……な?」


 シャルの手に握り込ませると、シャルはぼろぼろと涙を溢して受け取る。


「……院長が大切にしていたものだ。……僅かにでも金にできる物は、全部金に変えていたが、それだけは残していた」


 こくり、こくりと、シャルは頷く。シャルの手に握られているそれをそっと取って、白く細い首に掛ける。

 ……似合っている、という言葉が正しいのかは分からない装飾品ではなく祈りのための用具なのだから、それが個人の見た目と合っているかどうかなど重要ではないだろう。


 けれども、似合っている。

 シャルの清廉さや純潔を感じさせる雰囲気と、その精神に合ったような……飾り気がなく、けれども不思議と神秘的な美しさを感じさせる。


 ……まぁ、このロザリオも教えも何もかも、管理者が作ったものなのだろうが。

 ……いや、多分、元になった物はあるか。管理者の専門は生物やその環境などのようだし、得意分野でないものはほとんどそのまま流用してる可能性は高いだろう。


 何にせよ、シャルは神秘的で美しい。

 人のために泣いているのだから、美しいのも当然なのかもしれない。


 シャルを軽く抱き寄せていると、ついに俺の番がやってきた。

 ……途中で亡くなってしまう可能性も考えて思い出の少ない俺は一番後にしたが……俺の祖母は随分と根性があるようだ。


「……入るぞ」

「……はい」


 シャルと部屋の前で別れて、扉を開ける。

 先程からほんの少しの時間しか経っていないのに、先程よりも遥かに弱って見えた。


 内臓がもうダメなのだろう。生気が感じられず、グッタリとしていて声が小さい。


「……ランドロスさんとは、もっと長く話していたかったです」

「別に、孫だからと特別扱いする必要はない。……子供ならたくさんいるんだしな」

「そうでなくとも……貴方は、貴方と商人さんは、私の恩人ですから」

「そんな大それたもんじゃない。シャルに一目惚れをして、それで言い寄っただけだからな」

「……その割に、シャルさんが貴方について行かなくても孤児院に支援していただけましたが」

「惚れた女の子に飢え死になんかされたくないだろ」

「……そういう露悪的なところは、商人さんに似てますね。なのに優しいところも」

「……アレと一緒にするなよ」

「……素敵な人ですよ?」

「そんなこと、よく知っている」


 誰が連れてきたと思っているんだ。本当にクソ野郎なら、孤児たちを任せられるか。

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