文字の練習
ヤンは困ったような表情を浮かべて、パンの油気の付いた指を手拭いで軽く拭ってから立ち上がる。
「あれ、それだけでいいんです?」
「ああ、まああんまり食うと訓練中に吐いてしまうしな」
「満腹でも動けるようにはしておけよ。……まぁ、それは追々だな」
あくびをしながらヤンに言い、カルアの手を取って汚れを拭いてやる。
「……なぁ、さっきから思っていたんだが、訓練中にイチャイチャとされるとすごく気が散るんだが……」
「イチャイチャなどしていないが?」
「いや、してるだろ……。距離が近すぎて見ていてなんか腹立つ……」
「戦場ではそんなの言い訳にならないぞ」
「戦場を言い訳にするな」
でもせっかく近くにいるならすぐ側にいてほしいしな……。
「それよりドロ、何かいい案はないか? 手柄を得るのに」
ヤンの問いに、一瞬だけルーナの遺体を思い出す。同盟国の貴人の暗殺の解決……それだけで祭り上げられるようなことはないだろうが、間違いなく評価はされる。
「……いや、思い浮かばないな」
「そうか。あー、地道に迷宮を登ってもキツそうなんだよな。流石に何ヶ月も一緒に登ってくれる仲間はいないしな」
「……ミエナとかなら頼めば引き受けてくれそうだけどな」
「それじゃあ引率になるだけだろ。俺の手柄にはならない」
「あー、まぁそうか。……詰んだな、どうしようもないし手頃な子で満足したらどうだ?」
「いや、だからな……流石に兄妹みたいに育った奴はなぁ……。そもそも、好きな子がいるんだからそんなこと言っても仕方ないだろ」
その好きな子ってのがよく分からないんだよな……。俺の場合シャルは優しいし人格的に尊敬出来たからメロメロになったが、ヤンは完全にただの一目惚れで知っていることなんて見た目だけだ。
俺も嫁の見た目は好きだから悪いとは言わないが……例えば見た目がカルアでも性格がルーナのような奴なら好きにはなっていなかっただろう。
まぁそれほど悪いやつではなかったし、ヤンの自由ではあるが……。
「よし、面倒くさいから気にしないことにするか」
「……本人の目の前でよく言うな。いや、あんまり踏み込まれるのより助かるが」
しばらくヤンの訓練に付き合ったあとギルドに戻ると、カルアが俺の方を見てニコリと笑みを浮かべる。
「あ、ランドロスさん、謹慎中で時間があるんでしたら、またデートしましょうよ。ね?」
「……いや、危険なことを避けろという話だったし、カルアは街を歩くのとかはそんなに好きじゃないだろ」
「えー、ランドロスさんと一緒にいたいんです。ギルドの中だとあんまりひっつけないですし」
「……それなら部屋に帰るか。俺も魔法の練習をするぐらいだしな」
イユリの話は途中で終わったが、本はもらったので今日は魔法の勉強と練習をしていればいいだろう。
あと筋肉も少し鍛えるか。鈍らないようにはしておかないと。
カルアと一緒に部屋に戻ると、カルアは俺の手を引いて寝室の方に行こうとする。
「……寝るのには早くないか?」
「ゴロゴロしたいだけですよ。あ、パジャマに着替えて着ますね」
ああ……エロいことに誘われているのではないかと勘違いしてしまった。
……普通、嫁にベッドへ行こうと誘われたらそういう想像をしてしまうだろう。
いや、もしかしたら自分でも気づかないうちに性欲が溜まり、何でもかんでも性的な方に結びつけてしまっているのかもしれない。
カルアは純粋に俺と一緒に怠惰な休日を過ごしたかっただけだと言うのに。
ひとりでベッドに転がり、本を取り出しながら自省する。カルアやシャルやクルルに「我慢しろ」と言っているくせに、俺自身はかなり性欲に惑わされている。
よし、カルアとふたりでいてもエロい目で見たりしない。そう決意していると、白いワンピース型の寝間着を着たカルアが入ってきて、膝丈よりも短いスカートの部分に目が引っ張られる。
白く細い生脚がいいな……。と思わず脚に見惚れていると、カルアがスカートの裾を摘んでひらひらと動かす。
「えへへ、どうです? クルルさんのパジャマ姿に見惚れてたので、こういうの好きなのかなって思って」
そりゃ好きだよ。好きに決まっている。
男という生き物は白いワンピースが好きなものなんだ。俺の弱い理性は一瞬たりとも先程の決意を守ることが出来ず、ふわふわとした可愛らしいカルアの姿に見惚れてしまう。
「……可愛いと思う」
「えへへ、喜んでいただいて嬉しいです。ランドロスさんって結構あざとい服好きですよね」
「……あざといというのはよく分からないが、まぁカルアはどんな服を着ていても魅力的だな」
嬉しそうに笑うカルアはベッドの上で座っている俺に寄り添うように座り本を開く。
「ランドロスさんは何を読んでるんですか?」
「師匠から勉強しろと渡された本だな。ハッキングを教えてもらうことになって、その事前準備として」
「あー、なるほどです。ちゃんと読めますか? 読み聞かせてあげましょうか?」
「大丈夫だ。読むのは遅いが、読めないわけじゃない」
カルアと生活をしていると文字を目にする機会は増えるし、読む分には問題がないぐらいにはなった。
「書く方はどうですか?」
「あー、まぁ、無理じゃないけど、不得手ではあるな」
シャルにラブレターを書いたときが最後だが、書くのが遅い上に字も汚かった。一応可能な限り丁寧に書きはしたし、それで喜んでもらえたが……。
「ん、ランドロスさんはあまり字を書く習慣もないですからね。……交換日記でもしてみます?」
「交換日記?」
「はい。毎日交互に日記を書いていくんです。まぁ文通のようなものです。昔、そういうことをして愛を深めていく恋人の話を聞いたことがあって、少し憧れていたんです」
カルアは気恥ずかしそうに言いながらもじもじと俺の手を握る。
「……まぁ、そういうことなら。……どういうことを書けばいいんだ?」
「そんな格式のあるものでもないので、とりとめのないことでいいですよ。今日は何が楽しかったとか、何が嫌だったとか」
その言葉に頷くと、カルアはいつもメモに使っている白紙の本の予備を手に取る。
「これを使いましょうか。今日は初日なので、二人とも書いてしましょうか」
「ああ。……何を書くか」
いつものようにカルアへの愛を書こうかと思ったが、初日にそれをしてしまうと毎日それをすることになってしまいそうだ。
字の練習としてはそれでもいいのだろうが……。そう考えていると、カルアは恥ずかしそうにしながら書き始める。




