怖いならやめましょう
席に着くと、カルアは甘えるように俺の手をギュッと握る。なんとなく俺もホッとしてしまって気が抜ける。
……もしかして、今朝のことをまだ引きずっているのがバレていたのだろうか。
カルアは何故か席を立ったかと思うと俺の膝の上にポスリと座る。
「……カルア」
「なんですか、ランドロスさん」
「……流石にそれはおかしくないか?」
「おかしくないです。恐怖で震えているか弱いカルアさんに何を言ってんですか」
間違いなく恐怖で震えているような人物のセリフではない。……が、まぁ身体が冷たくなっているのは間違いなく、諦めてそのまま膝の上に乗っていてもらう。
「こっちの手はこうで、こっちの手はこう。……よし」
カルアに手の位置を指示されて、まるで馬鹿な恋人達が人目も気にせずにイチャイチャするような格好になる。
指示された通りにふとももとお腹を温める手から伝わるカルアの感触。
「……休憩が終わったら、ひとまず一人で行くな」
「そんなに気を使っていただかなくて大丈夫ですよ?」
「……いや、無理をさせたくない。やっぱりカルアと一緒にいくのは迷宮の街の中だけにする」
思い返すと、シルガの時、カルアは怯えていたのかもしれない。いや、それもあるが……。
俺の上に乗っている軽い感触をギュッと抱き寄せる。冷えた体温は俺の熱が篭ってゆっくりと暖かいものに変わっていく。
「カルアお前さ、初代を連れ戻しに行ったとき、俺を追いかけて扉を潜っただろ」
「えっ、あ、はい」
「……ありがとう」
「えっ、い、いえ、あの時は役に立っていませんし……」
「カルアは未知の物には臆病なのに……俺のこと、そんなに好きだったのか?」
カルアは俺の手を上からキュッと握りしめて、脚を少し絡ませる。
とんだバカップルみたいなことをしてしまっていて、シャルと掃除をしていた子供達がジッとこちらを見ている。
「す、好きなのは、何度も言ってます」
「……そうか。……目立っているから、降りてくれ」
「やですー。怖い思いをした分いい思いをしないと割に合わないです」
「……後でな。シャルに怒られるだろ」
「ん、怒られてもいいです」
「カルア、お前な……。今から行かないとダメだから」
俺がカルアに言うと、カルアはギュッと俺の手を握る。既に恐怖は収まっていたようだが、けれど不思議と俺のことを離さない。
「……迷宮探索、やめますか。ランドロスさんも」
「…………は、はあ?」
「よし、忘れちゃいましょう。あとは商人さんを回収して終わりにしましょう」
「いや、いやいやいや……シルガの書物を探すんだろ」
「別に必須のものではないですよ。……というか、別にだいたいのことは必須ではないです。ランドロスさんがいて、私がいて、シャルさんやマスターさんやみんながいる。……それで充分と言えば充分ですから。私はランドロスさんに無理をさせてまでどうのこうの、だなんて思いませんよ。これで、おしまいにしましょう」
「えっ、い、いや……大丈夫……なのか?」
大丈夫なのか、なんて、俺はなんてことを聞いているのだろうか。まるで攻略することが嫌だったかのようで……。……嫌だったのか? 俺は。
いや、どうなんだろうか。そりゃ三人とイチャイチャしている方が好きで幸せなのは間違いないが、だからと言って迷宮探索しないのは……いや、問題ないのか?
結局、俺が迷宮の攻略をしていたのはカルアが頼んできたからでその依頼主のカルアが「必要ない」と言ったら必要ない気が……。
「私が稼ぐので安心してヒモ男になっていいですよ」
「……いや、迷宮の管理者に会うのは時間制限があるんじゃ……」
「そちらの方がいいですけど、街を見たところ悪意はなさそうだったのでいいことにします」
「……いや、でも……しかしな……急にというのは……」
何人にも協力してもらっていたことなのに……。
「とりあえず、一週間ほどのお休みをいただくぐらいは問題ないでしょう。休んで落ち着いてから考えましょうよ」
「……いや、そもそもなんでやめようなんて言い出したんだ」
カルアは俺の方を見てあっけからんとして言い放つ。
「そんなの、ランドロスさんが辛そうに見えたのと、ギルドに戻ってきたら安心した表情をしてたからですよ」
一瞬だけ、何を言っているのかが分からずに言葉が止まってしまい、それからカルアに言う。
「……それだけ、か?」
「それだけですよ。というか、ランドロスさんが逆の立場だったら、普通に止めるでしょう。救世主じゃなくて救ランドロス主になってあげると言いましたよね」
「……いや、まぁ……そうなんだが……」
「街や牧場や畑は気になるのでまたデートがてら行くとしても、ね?」
いいのか? と思うが……。
カルアの考えはあまりにも当然すぎる。好きな奴が辛そうにしていたら止めるのも当然のことで、その辛いことをするのが自分だったら尚更だ。
俺としてもカルアの意思を踏みにじってまでカルアの最初の頼みを聞く必要はないわけで……。
金がなくなったら適当に低階層で稼げばいいだけだ。
「……まぁ、少し……ずっと動き回っていたしな。よく考えたら、魔王を倒すまでも倒してからも働き詰めだ」
「すみません。思いつきでこんなことを言って」
「……いや、まぁ……それは、別に」
なんとなく心が軽くなってくる。……あの得体のしれない街や、どこからともなく増えている生物、勇者や魔王、迷宮の秘密。
それらから逃げ出して……三人とイチャイチャするだけで過ごすというのは……とても、とてもいい。
「あ、その代わり、わんぱくな元勇者さんを助けに行きたいとかダメですよ。色々と背負い込もうとするのは辞めましょう。そもそも迷宮探索なんて、普通の人は週に一度ぐらいしかしないものなんですよ」
「……そうなのか?」
「メレクさんを見習ってください。ランドロスさんが誘ってるとき以外は基本寝ているか。お酒を飲んでいるかですよ」
「……それは見習うべきなのか?」
「それが嫌ならミエナさんみたいに子供に勉強を教えたり、そうじゃなくてもやれることはいっぱいあります」
……まぁ、そう……なのだろうか。
よく分からなくなってきたが……そちらの方が楽しい気がするのは確かだ。
「やりたいことはないんですか?」
「やりたいこと……結婚式……というか、披露宴あげたいな。ほら、孤児院の子たちに見せるのとは分けてやる必要があるだろ」
「そういうことじゃなくて日常の話ですけど、ん、まぁいいです。孤児院ではなく、ギルドの方であげるシャルさんの披露宴ですね」
「いや、カルアとも……」
カルアは顔を赤くしながら頷く。
「ん、んんっ、了解です」
カルアはいつもの調子に戻ってくる。…….カルアが怯えていたのは……もしかして、俺が怯えていたから、そのせいなのか?
ただ怖い夢を見ただけなのに……迷宮の攻略を中断して、いいのだろうか。……他の人にも相談してみるか。




