浮薄と怨嗟の魔王:シルガ・ハーブラッド
ネネは帰るなり、闘技大会を見に行くなりしたら良いものを、何故か俺の後ろに立ったまま何処かに行くような様子はない。
「……ネネ、四代目ギルドマスターは引き受けないんだよな」
「当たり前。……シルガのことを気に病んで辞めたがっているのに、トドメを刺して殺した私がギルドマスターになるのはおかしい」
「いや、殺したのは俺だけどな」
ネネの拳が俺に振り下ろされる。いちいち殴るなよ……と思いながら、盛り上がっている闘技大会の方に目を向ける。
いつまでもこうしているわけにもいかないか。……とりあえず、異空間倉庫にしまって……迷宮の魔物にでも食わせて隠すか。
まんま悪党なことをしているが……元々大した奴でもない。
……一応は、珍しい同族だから……そんな最期は気が向かないが、仕方ない。祈るぐらいはしてやろう。
そう思いながらシルガに手を伸ばして遺体を回収しようとして──。
それが回収出来ないことに気がつく。異空間倉庫に入れられないものは二つ、速く動いているものと……生きているもの。
「──っネネ! コイツ、まだ生きている!」
「……えっ?」
シルガはピクリと指先を動かし、右腕を引き抜いて、続けて頭の短剣を引き抜く。
「あー、こういう、魔力の供給源を経つ魔道具なんかあるんだな。いや、イユリが作ったのか」
「なんで、治癒魔法も魔力もなしに生きて」
「言っただろ。俺は不死身だってな。生きる分には魔力はいらねえのよ。ただ、治るのが遅いから魔法で回復させているだけで」
魔力すらなくとも生きるなど、あまりにも……理屈から離れている。理不尽が過ぎる。
そんな生き物がいるはずがない。
俺は張り付けになったままのシルガに再び剣を釘のように使って壁へと貼り付け、シルガの手に握られていたイユリの短剣を奪って、シルガの眼孔に突き刺した。
突き刺しておけば、迷宮からの魔力が使えなくなるのは間違いないのだ。時間稼ぎにしかならないかもしれないが、イユリの短剣は充分に効果がある。
「あー、違うんだ。分かってねえな。もう解析は終わったんだ。人の魔法の術式を弄る術式、それを弄る術式を作った。それはもう、俺には効かねえよ」
平然と……平然と、当たり前のことのように、シルガは新たな高度な魔法を組み上げたと口にする。
死なない。何をやっても殺せない不死身。
それに加えて無限の魔力を持ち、こちらの手に応じて新たな魔法を組み上げてくる。
勝てるのか? ……倒す方法があるのか?
「何か勘違いしてると思うんだが、俺は大した奴じゃねえんだよ。才能はねえし、クソみたいな環境で育った、そこら辺のボンクラだ。それこそ、一桁の年齢のガキに負けるぐらいの雑魚だ」
ヘラヘラと笑う。それは俺を挑発しているのではないことに気がつく。ただ単純に、面白いのだろう。
世界が自分の思う通りになっていくことが。
パキリ、と空から音が響く。幾つもの扉が迷宮国の空の上に浮かび上がり、それがゆっくりと開いていく。
それを見上げたネネはポツリと口を開いた。
「……これ、は。あの時、迷宮の中に突然出来たのと同じ」
……そう。それは大きさの違いこそあれど、イユリのドアノブの魔道具によって発生した扉と同じものだ。
迷宮とコチラを繋ぐ扉……。黒い点が扉から落ちてくる。
シルガはそれを見て、牙を見せるように笑う。
「俺は大したことのない、よくいる小悪党だ。深い思慮もねえし、マトモな教養もねえ。精神的にはただのチンピラと変わりないだろうよ」
「……シルガ、お前……!」
爆弾ではなかった。闘技大会の日を狙ったのは、一気に仕留めるためではなく、その逆……迷宮国全域を魔物に襲わせるのに、探索者が散っていては守られやすいから、探索者が多く集まり、闘技大会の会場から離れた場所が守りにくくなる状況を狙ったんだ。
「みんな知らないフリをして、そこらのガキでも気が付いていることだ。……『この世界なんて滅んでしまえ』程度のこと、考える奴は珍しくもなくいるんだよ。お前らだって、それぐらい考えたことぐらいあるだろうよ」
雨が降るように、魔物が扉から落ちてくる。悲鳴の声が上がる。
シルガはそんな状況を意に返すこともせず、ヘラヘラと俺に語る。
「ただ、滅ぼしたいなんて思っても、誰もそんな力を持っていない。だから、この世界は都合よく成り立っている」
シルガは強くない。狂ってもいない。ただ、ただひたすらに……普通の男のように、俺にはそう見えた。
「弱い奴が弱いから、苦しい奴が苦しいから、辛い奴が辛いから、この世界は成り立っているんだ。そこいらで行き倒れているガキに、世界を滅ぼす力を与えれば、今にでも世界は滅びるだろうよ」
シルガは胃から薬瓶を吐き出して口の中に出す。この時のために、腹の中に隠していたらしい。
そのままシルガは薬瓶を歯に咥える。
「ッ! ネネ、伏せろ!」
ガリッと薬瓶が噛み砕かれ、ガラスの割れる音が響く。
次の瞬間にシルガの体が吹き飛ばされる。そのことにより、張り付けになっていたシルガの身体が解放されてしまい、爆発によって発生した怪我も一瞬で治る。
「俺の言っている言葉の意味が分かるか? 分からないか? なら、教えてやる」
俺は地面にネネを押し倒しながらもシルガを睨む。
シルガの問いには答えない。答えられない。
『滅びてしまえ、滅びてしまえ、滅びてしまえ』なんて……シャルと出会う以前に、何度思ったことか、何度願ったことか、何度口に出してきたことか。
そして今、シルガはその願いを持ったままに、その願いを果たせる力を得たのだろう。
「今、世界は滅びる」
シルガは、何の気負った様子もなく、世間話のような軽い口調で……そう、宣言をした。
「ッッッ! シルガッ! シルガ・ハーブラッドォオオオオ!!」
「は? 誰だよそいつ。そんな名前、もういらないんだよ。俺の名前なんて、もう必要ない世界に変わるんだよ」
俺の剣をシルガは身体で受けながらも、ヘラヘラと笑う。
「俺に名前を付けなかった魔族の女も死ぬ。ガキの俺に死ねと石を投げつけた人間も死ぬ。俺が必死に狩ってきた獲物を奪ったやつも死ぬ、町から追い出した奴も死ぬ。はは、はははは! いい日だ! いい日だ! 今日は!」
「ふっざけんな! お前の故郷じゃねえだろうが、ここは!」
「何でもいいんだよ。俺は、もう、どうでもいいんだ! ほら、楽しもうぜ! まずはこの国からだ! 新たな魔王として! 真なる迷宮の主として! 俺は! この世界を滅ぼす! ガキが砂山を崩すように、アリの巣を踏みつぶすように、大した努力もなく、決意や覚悟もなく、大義も罪悪感もなく、小悪党のまま、こんな路地裏でゴミのように転がったまま──殺し尽くしてやるよ!!」
ふざけたことを、言いやがって!
俺は大剣を振るって、破壊された家屋ごとシルガを吹き飛ばす。幾らでも方法を試してやる。殺して、殺して、この暴挙を止める。
「ッ! お前のために泣く奴まで、殺そうとしてんじゃねえよッ! クソ馬鹿がよッッッ!!」
大剣を横薙ぎに振るって、シルガの上半身と下半身が分かれるが、彼は気にした様子もなく笑い続ける。
路地から出れば、街中だというのに魔物が見える。
早く、早く……この男を止めなければ、そう思っていると、不意に小さな少女の声が聞こえた。
……聞こえてしまった。
「ら、ランドロスっ、だ、大丈夫!? えっ……あ、そ、その人…………シルガ?」
今、一番会いたくない人物が……そこに立っていた。




