闘技大会決戦前夜、あるいは混ざり者の時間
不審なものはない。しばらくここで待機して、定期的に魔力の回復を待ちながら、完全に回復をするたびに見回っていこう。
……あの男、シルガは強かったが……攻撃手段も剣と薬瓶の爆発だったことを思うと、仕込みを無くして会場を吹き飛ばすなんてことは出来ないだろう。
闘技大会の会場。屋外に階段のように並べられたベンチに座っていると、ざりっと音が聞こえた。
聞き覚えの薄い足音。……あるいは聞き馴染みのある、俺の足音に似ていると感じる。
「……シルガ・ハーブラッド」
「目の前でバラバラになったってのに、よく生きているって分かったな」
足音の主はフードを外しながら俺の隣に座り、闘技大会の会場を見つめていた。
魔族らしいツノには根元から切り落とそうとしたような古傷が付いていて、ローブの中に見える手は目に見えて皮が厚く、足の裏の質感に似たようなものになっている。
……ああ、マスターの言葉が理解出来る。傷を持っているのだろう。心に、深く深く。
「……まぁ、目を見れば分かる」
「そんなものかね。……まぁ、そういうものなんだろうな。俺には到底分からないけどな。目を見ても、声を聞いても、人の考えなんて分かりはしねえよ」
何故シルガは邪魔をしようとしている俺の元に姿を表したのか。どうせ見つかって不意を突かれるぐらいなら先に接触をしようという算段だろうか。
「……お前、名前は?」
「ランドロス・ヨグ・ウムルテルア・マテリアト・アブソルト・ネル・ソトース・フォート・ネスボイド・ルィウタ・マリス」
「長いな。魔族の方の名前か。……赤い眼ってことは、父が魔族か。……父親に育てられたのか?」
他愛もない世間話。こんなことをしている場合ではないと分かっているが、時間を稼げるのは悪い話ではないし……何より、ただ敵だと斬り捨てていいのかの判断に迷っていた。
……甘い考えだと、自分でも分かっている。
シルガは俺の方に目を向けることもない。
ベンチの上に片膝を立ててそこに組んだ両手を乗せて、気怠そうにあくびをしていた。
「……いや、母親だな」
「人間に育てられたのに、魔族の名を名乗っているのか」
「……母親がそう望んでいたからな」
「あー、戦争のドサクサで生まれたわけじゃないのか。……珍しいな。俺はありがちにそっちで生まれたからなぁ」
夜だというのに今日は嫌に暑い。湿気も、温度も、汗が出てきて、それを服の袖で拭った。
「……お前は、人間らしい家名を名乗っているな」
「ん? いや、これは適当に自分で考えたんだよ。シルガもハーブラッドも。名前なんて親からもらってないからな。ないと不便だから付けたんだ。家名は必要ないけど、あった方がマトモっぽいだろ」
「……さあ、どうだろうな。……シルガ、お前、なんで闘技大会を狙ったんだ? 人が集まる機会なんて他にもあるだろう」
俺の問いにシルガは答える。
「何でって言っても、大した理由じゃないぞ。後から追われた時に俺より強い奴をひとりでも減らせた方が得だろ」
「……まあ、そうか。あと、一つ聞きたいことがあってな」
月明かりが雲に隠れて消える。より暗闇が増して、手元すらほとんど見えない状況になるが、それでもシルガが隣に座っていることは熱や振動で伝わっている。
「……お前さ、二年前に同じことをしようとした時に、何ですぐに逃げなかったんだ? ……仕掛けを終えたら、成功するにせよ、失敗するにせよ、迷宮国に留まっている必要はなかっただろ。警備が厳しくなり、衛兵に追われて、逃げ出しにくくなっただけだろう。仕掛けを終えた夜に逃げておくべきだ」
隣にいたシルガはゆっくりと立ち上がり、軽く身体を解してから、腰に下げた剣を抜く。もう片方の手には薬瓶が握られており、臨戦態勢に移っていた。
「……ランドロス。お前さ、寝小便垂れたことはあるか?」
俺はベンチから立って、異空間倉庫から剣を取り出す。
突然何の話だと思っていると、シルガの言葉が続く。
「人前で情けなく泣き出したことは? 惚れた女を抱こうとして逃げられたことは? ウケると思ったギャグが駄々滑りしたことは? ……まぁ、そんなところだ。俺のただのバカな失敗だ」
「……迷宮鼠が気に入っていたんじゃないのか。たった数時間でも、一緒にいたいと思っていたからじゃ……」
俺の方へと薬瓶が放り投げられ、目の前で爆ぜる。
「人の恥をほじくり返してんじゃねえよ。ああ、やっぱり、お前ってどうしようもなくムカつくな」
ぶっ殺す。そのシルガの言葉を引き金に、俺とシルガの剣がぶつかり合う。
人ひとりとしていない静かな夜には不釣り合いな剣戟の音が鳴り響く。
純粋な剣技だったら俺が上回っており、やはり、すぐに若干ずつ俺の剣がシルガの身体を傷つけていく。
シルガの剣を弾き飛ばしながら、異空間倉庫から足先に槍を出して、それを蹴り飛ばすようにしてシルガの胸を突き刺す。
一瞬動きが止まった隙にシルガのローブを異空間倉庫に仕舞い込む。
ローブのなくなったシルガの身体には大量の薬瓶が紐で巻きつけるようにして身に付けられていた。
「仕方ない。お前を殺して仕切り直すか。俺も回復には時間がかかるが──」
俺はシルガの言葉を遮るように、剣を構え、もう片手に槍を握る。
「悪いが、圧倒する」
剣と槍を同時に振るいながらシルガの足元を異空間倉庫に片付け、空中で身動きが取れないシルガに槍を突き刺して剣を握っている腕を斬り飛ばす。
落とし穴のようになっている穴に落ちたシルガに、地面に出して置いた幾つもの槍が突き刺さり、空から降ってきた大剣が胴体を両断する。油を取り出して穴に放り、割れた音を聞きながら、火の魔石を穴へと放り投げる。
人の肉が焼ける音、血の匂い、髪の毛が焼ける異臭。
とてもでは堪え難いそれの中、バキリ、とガラスが割れる音がして落とし穴の中で何かが爆ぜる。
「は、はは、あー容赦がねえな。まぁ、あるわけないよな」
火達磨の男が穴から這い出てきて、燃えながら、ヘラヘラと笑う。普通の人間であれば即死であるはずの攻撃の連続だったというのに……シルガは余裕そうに、自身の身体に突き刺さった剣や、半ばから折れた槍を引っこ抜く。
「あれ、ビビらないのか。面白くないな。反応がつまらない。お前、女にモテないだろ」
油が燃え尽きたからか、徐々に火が収まり、ボロボロながらも……二足で立って自身の身体から引き抜いた剣を構えているシルガが不快そうに笑い、俺を見ていた。
「じゃあ、やるか。まぁ……俺は絶対に死なないから、いつかは俺が勝つ戦いだがな」
……不死身。いや、まさかな。ブラフだろう。
治癒魔法が何かを利用しているのだろう。……何にせよ、この不可解な不死身さは魔力が関係している筈だ。だったら……殺し続ければ、いつかは魔力が切れて殺せるようになるはずだ。
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