23.甦生と復活
――熱が来た。
体の表面を業火が舐めたような一瞬の熱。叫ぶどころか、反応することさえもできなかった。そのあと、身体の血液が沸騰したかのような内部からの熱さ、これも息を止めることしかできない。
そして、最後は全身を貫いた痛みにひくっと喉がけいれんして、心が叫んで、そしてリディアは目を覚ました。
「リディア……」
ディアンが顔を覗き込んでいた。彼の額には汗が滲み、前髪も濡れていた。彼は息を乱し、上げ下げする肩を堪えて呼吸を整えようとしていた。
疲労の色が濃い、そこまで彼が消耗しているのを見たのは、初めてだ。
「ふざけんな……。こっちは最小限で手加減してんのに、喰ってくし、感応系魔法師とかってタチ悪すぎんだよ……」
何が何やらわからないが、荒い息を漏らし悪態を呟いた後、舌打ちしてそのあと抱きしめてきた。
「せ……」
声がでない。喉が渇きすぎて、なのに無理に筋肉を動かしたせいで咳込みそうになり、息を詰まらせた。
反射的に体を折り曲げて、息をしようとひくひくと喘ぐのに、喉がひきつるだけ。
「……っ」
ディアンは目を見開いた後、迷いなくいきなり顔を近づけた。
(な……)
なぜか、口が塞がれていた。彼の口から息を吹き込まれて喉が開いて、今度こそ本当に咳込む瞬間、彼が顔を離した。
「ごほっ、ごほっ……っ」
横を向いて咳込むと、彼がリディアの身体を支えながら背中を叩いてくる。ちょっと乱暴すぎるんですけど。
背中を擦られて、ようやく人心地つくけど、一体何なの?
涙で滲んだ目で喘いでいると、キーファがディアンと同じように膝をついてリディアの顔を覗き込んで、口にボトルの水を近づけてくる。
「口に含むだけにしてください。――まだ飲まないで」
言いつけに従い、まず口に含む。
「少しだけ喉に流してください、いきなりは飲まないで」
ゆっくりと唾液を飲み込むように、喉に水分を染み渡らせる。
「キ……ファ、あなた……たすかった、の、ね」
声を絞り出したら、ディアンが何とも言えない怒気を顔に滲ませて、それから浅く息を吐いて、顔を手で押さえた。
キーファも顔を歪ませていた。わずかに目が泣きそうに歪んでいたが、まるで意思で堪えて作ったかのように、リディアに睨んでくる。
「死にそうになったあなたに今は言うべきことじゃありませんが……。もうわかりましたから」
「ごめ……こほっ、ごほっ」
助けられた、迷惑かけた、心配かけた。
ディアンはほぼ魔力を消耗しているし、キーファも死にかけたのに、リディアを介抱してくれている。
「マクウェル団長はあなたに好きに行動させた後、助けるみたいですが、俺はもうあなたの行動を全力で阻止します」
「……おい」
ディアンが低い声で突っ込んでいるけど、キーファの妙に据わった目はリディアしか見ていない。
「覚悟してください。俺はあなたの意思は無視します」
後悔を滲ませた感情が伝わってくる。
「何度も、こんな思いをさせないでください!! と言っても……無理なんでしょうね」
そしてキーファは息をつく。
「こいつに言っても無駄だ。リディア、あとで覚えとけ」
ディアンからもきつい言葉が投げかけられる。いつもなら全力で叱られているところだけど、どうやら彼も消耗が激しいみたいだ。
「――なあ、俺いつまで結界張ってればいいのさ」
すごく不満を滲ませた声が不意にかかる。
リディアがそちらに目を向けると、ウィルがリディアに目を向けた。何か言いたげで泣きそうな顔で、睨みながら笑いかけてくる。
ああ、みんなに迷惑をかけたんだ。そう思うけど、全然身体が動かない。
ディアンの魔力を流されたのだ。おそらく自分の魔力は焼き尽くされた。
フルマラソンをしたよりも、ひどい消耗だ。
周囲に展開されているのは、炎の壁――結界だ。ウィルはこんなこともできるようになったのか。
「ああ、解除していい――」
ディアンがそう言いかけ、顔を強張らせた。
彼が見せたのは驚愕、そして無表情になる。そんな顔は、はじめてみた。
怒りでも焦りでもない、ただ何も言わずにネットワーク回線を開いた。ディアンの魔力だけで構築する師団幹部が参加するそれは、リディアにも開かれていた。
同時にリディアも異様な感覚に気づいていた。
(なに、これ――)
魔力を――感じない。六属性が沈黙している、そして自分の魔力が感じられない。まるで水の中にいるように五感すべてが鈍く、伝えたり動かしたりすることが困難なおかしさ。
そんな異様な感覚に異常を感じ、危機感がより高まるより早く、ディアンが個人端末に切り替えて、首に挟んで口早にまくしたてる。
(魔力波ネットワークが作動しない……!?)
すぐに理解した。
自分の魔力が繋げない。繋ごうとしてぷつりと途切れてしまう。何かの妨害があるかのように。
「――どこまで突破された」
ディアンの鋭い声が場に響いた。
リディアもすかさずPPを師団回路につなげる。限られたものだけ、ディアンとその幹部だけが参加できる私用回路だ。
『――オール・オーヴァードシールドはナノ秒消滅、第三層まで侵入された。現在第二シールド全展開。国安防衛網は全滅、復旧目処どころか不通だ、原因は追求中』
「国安は無視していい。侵入者には疑似ネットワークへ誘導。アウダクスを出せ、領空に虫一匹入らせるな」
ディックの報告を聞きながら、ディアンは指で無数の術式を描いては転送していく。描いては消え、描いては消えていく術式。
まるで空気に溶け込むかのようだ。
リディアはすかさず、生徒たちを見る。キーファ、ウィルは硬い表情で会話から状況を把握しようとしている。口を挟んで邪魔をしない、不安だらけだろうに、さすがだ。
キーファの顔に、リディアは答える。
「師団のグレイスランドを護るシールドが無効化された。即座に第二防衛網が作動したけど、別ルートの国安――国土安全保障省の防衛網は突破されてしまった。非常事態よ、構内のシェルターに避難して」
キーファもウィルも此処で聞き返すほど馬鹿じゃない。だがキーファはリディアを見据えたままだ。
「俺たち魔法師学生も非常時は招集、応戦義務があるはずです」
リディアはうなずく。
「大学に国安から連絡がいくのはタイムロスがある。学内に戻り、師団のメンバーまたは魔法省の人間の指示をあおいで。彼らと協力して、生徒へのシェルター誘導を――」
不意に、キーファが胸を押さえる。顔が蒼白だ。
「――黒睡蓮、……まさか」
キーファの主のことだ。彼は空中を見つめ、別次元のものと会話をしている。
「彼女が――」
『――マクウェル。侵入された、このグレイスランド大学地下だ!』
ディアンの首元で振動があり、彼が僅かに口元を固くして指で何かをタップする。突如、聞こえたのはワレリーの声だった。
第一師団のネットワークではない、おそらく団長同士の通信網だ。
『地下を護る全魔法が消滅させられた。復旧作業中だが、中では呪詛らしきものが展開している』
「ニンフィアに何かが起こっています。彼女がおかしい」
蒼白のキーファがリディアに告げてくる。
「この地下には――月の君の欠片――お前の主が、眠っている」
ディアンがキーファに答え、キーファが息を呑む。
事態が急速に進んでいく、一体何が起こっているのか。
ワレリーの通信に割り込んできたのは、第三師団のハイディーだった。
『――団長、何らかの術を施された魔獣が侵入。呪詛ではない。書かれているのは、神秘的文言。神を讃え、蘇りを願うものです。月の君の欠片を捧げ、かの君の蘇りを願うものです!!』
キーファは必死で、彼の主と繋がろうとしているが、難しいようだ。
そして、リディアも立ち尽くして思い返す。
領域にあった巣箱はいくつ? ケイが従えていた魔獣は二匹。それぞれの巣箱で、生き残った魔獣――虫がいたとしたら――本当の狙いはそちら?
わからない。
倒れたままのケイを振り返る。彼は、何をしたの。いいや、何をさせられたの?
「――ニンフィアが答えてくれません」
ディアンが舌打ちすると、上空に轟音が走る。
「リディア!」
空を見上げてめまいがして、体勢を崩しかけたリディアをウィルが支える。
「大丈夫」
「座れよ」
「それどころじゃないから――」
「爆撃……ですか!?」
「違う」
キーファに首をふり、そして再度空を見上げた。
キーファが絶句したのは、つられて見上げた空の遥か彼方から太陽を隠す大きな影を見たからだ。飛行機どころじゃない。大いなる翼を持つ空の王が巨大な顎を開くと、光球がいくつも蒼天で炸裂した。
すでに、上空では戦闘が始まっている。相手がどこの機体かは、リディアの目では捉えられない。
耳鳴りがひどい。まるで警報機のように鳴り響き、大地の唸りと拮抗している。
「うっ……つ……」
不意にウィルが腕を抱いて、崩れ落ちる。両の手をついて、必死でこらえている。リディアはかがみ込んでウィルを介抱しながら、キーファに叫ぶ。
「キーファ、ウィルを支えて。ウィル、堪えて」
「なにが……」
「光の主が目覚めたら、聖獣は従わざるを得ない」
リディアは立ち上がろうとして、ふらついてまた膝をつく。
「無理しないでください!」
キーファに肩をささえられるが、うまく歩けない。色々なダメージが大きい。
ウィルの全身が炎に包まれる。大地の唸りはアウダクスが暴れている音。
グレイスランドを守るシールドは、四師団で六芒星を描き展開されていた。だが四獣と二神を封じその力を得ることで成り立っていた封印も、もはや様々な事情で効かなくなっている。
今は、団長たちの魔法で成り立たせていただけだ。
その中でも、大学は地下に月の君の力をもって、六芒星の一部と化していた。
だが、その欠片を収めた安息の間は、第三師団直々の強力な隠匿魔法が展開されていたはず。しかも、蘇りの仕掛け?
呪術は悪魔や死霊に願うもの。だが、その文言は神に願うものと、非常に似通っている。
呪詛とは違うが、同じように力を借りる存在を奉り、その名において、奇跡を、自分に都合の良い未来を得るように勝手なことを願う。
だがそれを願う場所、月の君の霊魂をおさめた地で彼女を捧げるということで、最も可能性が高くなってしまう。
彼女が消されてしまう、そして太陽の主に捧げられる。彼が目覚めてしまう。
「ワレリーなんとかしろ!」
『やむを得ん。人化を解く――テネクスとして抑える』
「お前、乗っ取られるなよ」
『舐めるな、若造!』
彼が吠えた途端、突然獣の唸り声のようなものが当たり一面に轟く。そして、地面が波打つような立っていられないほどの揺れに襲われる。
ワレリーが蘇る光の主を抑える、または万が一にも応対するのだろう。もはやこの国の封印はガタガタだ。
「俺にできることは――」
「ウィルについていて」
キーファは頷いた。
アウダクスは今、獣の性を取り戻しつつある。師団の完全支配下にある獣もいるが、ウィルにアウダクスを従わせることはかなり難しい。
「ウィル、アウダクスはすでにお前の支配下にある。疑うな!」
ディアンが魔法を展開させながら叫ぶ。
ウィルは言い返す余裕もなく、ただ地面に両手両足をついて、こらえるだけだ。
ウィルはキーファに任せて、リディアはめまいとふらつきを堪えて、ディアンの補助をするため駆けだす。感応系魔法師として、増幅が必要だ。
だが、そこにたどり着く前に体中に走った恐怖に足を止めた。
――ディアンがすべての魔法陣を瞬時に消し去り、閃光で空気を薙ぎ払う。そして天から降ってきた凶暴な雷光が周囲に飛び散る。
「ウィル、キーファ!!」
「無事です!」
キーファがウィルの背をかばいながら、声を張り上げる。それに安堵する間もなく、リディアは身体を硬直させた。
動けない、いや動けないと思っているのは自分だけか。
それとも本当に身体が動かないのか。硬直したまま、リディアは身体が震えるのを覚えた。
「――ほう。枯渇した魔力でも、まだそんなものを出せるか」
――声に色があるとしたら、金色と評するだろう。
聞くものすべてを魅了する響きがそこにあった。




