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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
4章 大学放逐編

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37.neverending dreams

 それは、リディアがグレイスランドに戻った日のことだった。

 

 メディカルセンターの個室で、何回目かの眠りから目覚めたときのこと。気絶するように眠りに落ちたようだったが、緊張が強く夢を見ては目が覚める。


 時計を見上げれば、寝ていたのはほんの数分。

 シルビスにいるのではないかと怯え、身体は疲れて眠りを求めるのに、心は警戒している。

 

 睡眠剤を処方してもらったが、それでも何度も目が覚める。朝が来ない。

 

 気がつけば、ディアンがいた――ような気がする。

 次に目を覚ましたときも彼がいた。何をしているの、と聞こうとした。

 

 忙しいはず、ただ寝ている自分の側にいるなんて、そんなの時間の無駄だ。


 (ああ、そうだ、呪い――)


 兄につけられたすべてのアクセサリーに見立てた魔法具は外されていた。

 包帯は巻かれていたので、呪いがどこまで進んだのかは、わからない。


 けれどきっと、ディアンはその処置の状態を見に来たのだと思った。


「せ……ぱ」


 喉がカラカラで、声がうまく出ない。咳き込みながら少し半身を起こすと、彼が背を撫でる。その感触が不思議だ。


 告げようとしても、うまく声が出ない。


「ごめ……なさ……。のろい……」


 うまく伝えられない。ペットボトルから水を入れたコップを差し出してくれて、リディアはようやく起き上がろうとして――倒れた。


 半身がベッドから転げ落ちる前に、ディアンの腕がリディアを支えた。


 プラスティックのコップが床に転がる音がした。


 僅かに水の湿り気、たぶんこぼれたのだろう。そちらを見ようとしたが、動けなかった。


 ディアンの腕の中に抱きすくめられている。顔は、彼の肩口。


 いつもの彼の魔力の匂い、ジェニパーベリーの苦い香りと爽やかな甘めのシトラス。

 だからディアンだと思うのだけど、暗くてよくわからない。


「呪いは、気にしなくていい。進行は止めてある、だが――」


 彼の声だ。やっぱりディアンなのだ。


「もう――蘇生魔法は使うな」


 内容はいつもの命令口調。なのに、声は、懇願のようだった。


 安静を優先とした作りの個室は、静かで、夜でも虫の鳴き声も聞こえてこない。


 頼む――。そう言っているようだった。


 リディアは彼の胸の中で黙っていた。


 彼も知っている。必要があれば、使わざるを得ない状況もあることを。


(せっかく。先輩が、呪いを止めてくれたのに……)


 兄のいうことは、当たっている。呪いは――自分のせいだ。

 呪いは自分の心に巣食っている。それが消えないのは――自分の――。


「――リディ」


 彼が、名を呼んだ。

 リディアは息を呑んだ。


 静かな空間で、その名前だけが響いた。息を吸うと、彼の匂いが鼻腔を掠める。夢じゃない。


 ずるい。


 ――そう思った。


 なんで、こんなときに、そんな呼び方をするのか。


 ため息のような、囁くような、何かの思いがもった声。言い聞かせるわけでもない、命じるわけでもない。彼の心はわからないのに、彼の心からの声のような気がした。


「お前は、本来はシルビスの人間だ」


 その言葉に、全てが止まる。息も時間も、空間も、動きも。彼の声には迷いがあった、苦しげで告げるのにためらいがあった。


「だが、育ったのはグレイスランドだ。お前は、この国のものを食べ、この国で育ち、この国で物事を見てきた。だから、お前の中には両方の価値観がある」


 ディアンの腕は逞しかった。リディアの身体を強く抱きしめている。わずかに触れ合うときでさえ、最小限の人なのに。


 今、彼の腕がリディアの背を強く引き寄せている。


「グレイスランドでは、恋愛結婚も婚前交渉も当たり前だ。親の承諾がなくても、本人たちの意思で婚姻もセックスもできる。お前もそれは知っている、でもお前の中にはシルビスの価値観も根付いている」


 彼の声は静かで。

 でも、僅かな熱があった。互いに顔を見つめあっていないのに、触れ合う何かがあった。


 でもそれがつかめない。


「生まれた地、家庭、国での価値観や考え方は逃れようとしてもできない。そのあとどこでどんな人生を送ろうとしても、それに縛られる。俺は、いろいろな国や地方の奴らと出会い、それを感じてきた」


 リディアは、わずかに触れていた彼の背に指をそわせる。いつものジャケットだ。


「それを、否定しなくていい。お前はシルビスの人間だ。お前の国では、家長を通して婚姻を結び、婚姻後に――初夜を迎えるんだろ?」


 何を、言われているのか、何を言いたいのか。


「お前の中にある価値観を否定するな。肯定もしなくてもいい。でもグレイスランドでの周りに惑わされなくてもいい。お前がシルビスでの慣習に従おうとするのは、お前の中ではそれが善だからだ。無理をすると、お前の中でそれは罪になる」


 彼が、一息入れる。


「それをした時に、お前に自分を責める感情を持ってほしくない」

「な、に……?」


 それ、それ、って何なのだ。

 ようやく声が出た。


 わずかにディアンにためらいが生じる、言いよどむ。まるで己に苦笑しているような。


「無理に男と付き合うなってことだよ」

「え……?」

「どう思おうとしても、お前の中ではシルビスでの手順を踏むのが正しいんだろ」

「……」


 よくわからない。

 なんの、話なのだろう。ここにいるのは、本当に彼なのか。


「アイツの、お前の兄の干渉は面倒だが何とかする。だから、焦るな。気に病むな」

「先輩、なんの……話?」


 本当にわからなかった。


 兄は、諦めないだろう。リディアに執着しているというよりも、自分の獲物を取られて我慢できる性格じゃない。執拗なしつこさで、ディアンに報復に出るだろう。


 だから、リディアがどう逃げ切れるかとか、どう兄と対抗するか、とかじゃなくて。


 ディアンはリディアをようやく腕から放して、顔を見つめてくる。


 ――闇夜に慣れた目では、彼がじっとリディアを見ていた。両頬に手が触れる。


「痛かったな。――遅くなって悪かった」


 顔が近づいてくる。嘘だ、と思うのに動けない。


「お前の価値観に背かないように、お前が罪悪感を持たないように進めるから」


 リディアは目を閉じた。ギュッと。

 見ていることができなくて、これは夢だと思った。


「もう少し待たせる。今度は間に合わせるから――」


 わずかに間が空く。目を閉じたリディアが迷うほどに。

 でも彼はそこにいて、気配はまだ残っている。


 何を言われたのか、何の意味なのか。


「――待ってろ」


 彼が頬を支えていて、これからの行為も、言葉も疑うほどに長く感じられて。


 目を開けようとした瞬間に、唇が、触れた。


 額に、ほんの一瞬だった。


neverending dreams

(果てのない夢)

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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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