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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
4章 大学放逐編

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34.縋りつく望み、置いていく不安

 空気を切り裂く音がリディアの身体をかすめる。

 そしてガッと石畳を砕く音がして、真横に長剣が刺さる。


 同時に展開していた青い光が消滅し、転移陣が余韻も残さず瞬時に消える。


「茶番は飽きた」


 兄の腰から放たれたのは、シルビス製の鋼の剣。魔法属性さえも帯びていない。


 一度発動した魔法陣を――転移陣を破る。術者の息の根を止めない限り不可能だ。

なのに、兄はそれを行った。ただの剣一本で。


 光の消えた場に残されたのは、横たわる重傷のマーレンと、地面にへたり込んだ魔法の使えない自分。


 リディアに地面に倒されたヤンが立ち上がる。いつもの余裕の顔ではなく、少し目元を悔し気に歪ませた後、皮肉気に笑う。


 バルディア兵士たちが、再度リディアたちに向けて長銃を構える。

 そして、兄が歩んでくる。


 リディアは震える身体を奮い立たせ、マーレンの前に構える。


(――なんとしても、庇わなきゃ)


 何と取引しよう。

 兄にどう言えばいい? ヤンは兄に一目置いている。

 兄に何を差し出せば、マーレンを見逃してもらえる?


 わからない。わからない。


 何を言っても空回り、余計に事態を悪くする。



「――ならば、茶番ではないものを見せてやる」


 ――低く、凄みのある力のある声が響く。


 同時に、ふっとリディア全体に重しのように圧し掛かっていた何かがなくなった気がした。


 その声は背後からだった。


 マーレンではない。


 聞きなれたその偉そうな言い回し、人々を震撼させるよく通る声。兄とは全く違う魔力の波動は、同じくらい場を圧倒するほどの力。


 なのに、リディアは安堵で泣きそうになった。


 ヤンはあきらかにぎょっとして手の中の短銃をそちらに向ける。 

 一度消えたはずの転移陣が、今度は赤い光を放ち、逆回転をして出現をする。それは、リディアもマーレンも内包し、先ほどより倍以上も大きな円を描いていた。


「――ディアン・マクウェルか」


 兄の声が響くが、彼は応じる声を発しなかった。


 リディアは両ひざを地面にぺたりとついたままの姿勢で振り返り、途方に暮れた子どものように、出現した人物達を見上げた。


「キーファと……ディアン先輩……?」


 名を呼ぶ声に、どうして、と問う言葉も混ぜる。


 ディアンはほんの一瞬、わずかに眼差しに苛立ちを込めて細めた。

 こちらを見ないが、明らかにリディアの声にだ。


 なんで? 

 もしかして、キーファの名を先に呼んだせいじゃないよね。


 ディアンの背後にいたキーファが、兄もヤンも無視して歩み寄り、リディアの前に身をかがめる。


「リディア、大丈夫ですか? 怪我は?」


 首を振ると、彼は早速マーレンの脈をとり、そのあと心拍と呼吸を確かめる。頷いた後、キーファは瞳をリディアに向けた。


 闇に紛れていても、彼の水色の瞳は澄んでいる。

 それを見て気が抜けそうになって、泣きたくなったのを堪える。


「……マーレンは?」

「心拍は戻ってます。昏睡状態ですが」


 彼は大丈夫です、とキーファに暗に告げられて、リディアは肩の力を抜いた。

 まだ状況がつかめていない。


 キーファは案じる瞳で、リディアの横に片膝をついて、肩に強く触れた。


(これは……幻じゃない、の?)


 キーファの手の重みに、近い瞳の眼差しの強さに、まだ慣れない。


 これは兄の手管。彼らは幻で消えるのではないかと思う。リディアの希望を打ち砕くためだけのもので、心が信じるなと言ってくる。


「差し上げたものに、仕掛けをさせてもらいました。こういう時に備えて」

「……仕掛け?」

「たぶん、あなたは自分以外を助けるために使うから、多重の発動にさせました」


 カシェットの印章は、アンティークに散見されているが、本来の意味はまだ不明で、効果がないとされている。アクセサリーに彫られていても、魔法効果があるとは思われない。


 カシェットが彫られていても、誰も気にしない。だから見逃されたのだろう。


「転移陣に見せかけての転送陣か」


 兄のアレクシスは淡々と言い当てた。


 キーファからもらったペンダントには、カシェットに隠されて魔法陣が仕込んであった。それは転移陣ではなく、転送陣であった、ということはわかる。


 ――でも。


 兄は、リディアのペンダントの存在を知っていたのだろう。知ったうえでリディアが用いてマーレンを逃がそうとすることまで見越して、そのままにしていた。


 ただ、それが転移ではなく転送陣であったということまでは気づかなかった、ので当たっているのだろうか。


 携帯式転送陣は、まだ実現化されていなかったはず。


 転移は非常に危険な行為だ。

 転移元、転移先、結ぶ双方の条件が熟知され整っていないと、死を招く。

 ましてや携帯式なんて。

 携帯者がどんな場所、どんな状況にいるのか不明な場所に人を転送する陣など、よく実現させたものだと思う。


「少しは楽しめた茶番だろう?」

「道化が変わっただけで何の意味もない」


 ディアンと兄の二人は、会話を淡々と続けている。

 一応、会話が成り立っていることに驚く。


「せっかくの登場ですが、ここがどこか忘れているのでは? いくらあなたが人外の存在だとしても、ここ(バルディア)で暴れるつもりですか」

 

 ヤンが短銃を構えたまま尋ねる。バルディア兵士たちも、リディアたちを包んだままの転送陣に向けて放射上に銃を構えている。魔法師らしき法衣を着た者たちの姿もみえる。

 何よりも、ディアンに匹敵するほどの魔力を持つ兄がいるのだ。


 だが、ヤンの言葉も向けられている銃も丸無視のディアンだ。キーファも気にしている様子もない。


(ちょっと二人とも、そんな煽るような態度……)


 ディアンはいつもだけど、キーファもだんだん好戦的な態度がディアンに似てきている気がする。


 ディアンは悠然とリディアの前に出て、視界を遮るように立つ。

 対魔、防雪防火仕様の重くて硬い強化素材ブーツで軽々と立ちはだかる足から上を、リディアは見上げるばかりだ。


「アンタの、こいつ()に対する仕打ちは、不快だ」


 ディアンの語気が強まる。


「――返してもらう」


 ほんのわずかに、兄の瞳が伏せられる。

 初めてだった、兄に黙考させる者がいるなど。


「そこのそれは、貴様の団員ではない。グレイスランドに職がない以上、在留許可も認められていない。たとえ、どんなに役立たずのゴミでも、私の所有物であることには変わりない」


 その言葉を聞いても、リディアの胸には何の感情もわかなかった。


 ただ、そうなのだろうと当たり前のように受け止めただけ。


 けれど、リディアの肩に置かれたキーファの手が、堪えるかのようにぎゅっと一度、力が込められた後に、何かを我慢するかのように外される。


 その握り締めた拳が震えていた。

 そして彼は体を動かし、ディアンの斜め背後に、リディアの前に身体を動かす。

 ディアンと同じく、まるで兄からの視線を遮るかのようだ。


 リディアは遠い世界の出来事のように、ぼんやりとその動きを見る。

 兄からの物言いはいつもと同じで、何も感じないのに。


 ――兄の言葉は当たっている。


 グレイスランドにいられたのは、大学に在職していたからだ。

 解雇が決定したわけではないが、兄がそう告げるからにはすでに裏をとっているのだろう。または、手を回しているか。


 その場合、リディアは帰属するシルビスに強制送還されることになる。そして、シルビスのすべての女性は、男系の家長の所有物になるのだ。


「――その物言いは、俺も納得できません。例え、彼女があなたの兄であったとしても。いや、誰であっても許せません」


 キーファの存在を兄は無視していた。けれど強い気迫と断固とした言葉は目を向けさせる力があった。


「許さなければどうする」


 兄から向けられる魔力が強まる。魔法陣の中にいるはずなのに、ディアンの魔力の中にいるのに、リディアもその向けられる圧に胸を押さえる。


「今はまだ彼女を庇うしかできません。だがあなたは彼女にとって毒にしかならない。連れ戻させて頂きます」


 それは不可能、リディアは思った。

 ヤンも呆れたのか、わずかに鼻を鳴らす、お行儀のいい彼は全くの仮面だったようだ。


(あれ……?)


 だが、その断言にリディアの中の違和感が強まる。

 ディアンやキーファははったりで、そこまで断言する性格ではない。


 そして、自分たちを包む魔法陣だ。

 転移が終わったのに相変わらずそれは赤い光を放ち、リディアとマーレンを包み込んでいる。


(これは……なに?)


「アンタの許可は必要ない、そもそもこいつは、こっちものだ」


 ディアンは何を言っているのだろう。

 そう思い、リディアは目をわずかに見開いた。


(陣が消えていない。まだ発動中?)


 そこで、ようやくリディアは術式が変化していることに気が付いた。

 

 ――これは、グレイスランドに戻る転移陣だ。


 そしてそれが展開され、リディア達を内包している意味を知る。


 リディア達は今、ディアンの魔法陣――転移陣の中にいる。


 そして転移陣の内部の領有権は、陣を作ったもの。つまりこの内部はディアンの領内だ。


 もちろん、魔法陣の作り手が内部にいる人間の所有権を主張することはできない。だが、繋がっている先は恐らく師団、グレイスランド。


 転移陣が発動している場合、その内部の領有権は、結合先になる。


 ここは――グレイスランド領になる。


 ヤンがあからさまに顔をしかめる。


「なるほど。亡命を請け負いましたか」


 マーレンを助けることは、バルディアの内乱に手を貸すことになる。

 リディアがそれを願っていても、師団や国に願い出るわけにはいかない。


 なのに。


「グレイスランドはすでにマーレン・ハーイェク・バルディアの亡命を受理している。そして、リディア・ハーネストだが、二十歳でグレイスランド国籍取得申請をしている。それもつい最近、正式に承認ずみだ」


 ディアンが空中にホログラムの書面を浮かびあがらせて、それを弾くようにアレクシスに流す。


 リディアは呆然としていた。一体、何が起こっているのだろう。


 兄がそれを一瞥し、顔をあげた。ディアンに向ける視線が、その際わずかにリディアに向けられて、リディアはひるむ。


 こんな時でさえも、兄に向き合えない自分の弱さを情けなく思う。


「ゴミでしかない存在だが、それでも連れていくか」

「言ったはずだ。うちのものだと。それに、――大事な存在だ」


 たとえ、グレイスランド領内でもリディアは家長である兄のものだ。

 でもグレイスランド国籍があれば違う。


 だが、リディアは申請していない。


 ――グレイスランド魔法師団に、他国から優秀な魔法師が所属を望むのは訳がある。ここに所属し十年以上の在籍および業績次第で、グレイスランドの国籍が得られるのだ。 

 

 そして未成年者の場合、成人とされる二十歳時において、その前に五年以上の在籍があれば、申請ができる。リディアの場合、その前に除籍処分となったので申請はできなかった。申請した覚えもない、受理通知を受け取った覚えもない。


 リディアはただ座り込んで呆然としていた。

 赤い魔法陣の中、彼らの会話がリディアを置いてきぼりにして進んでいく。


「――いいだろう。連れていけ」


 兄のアレクシスが感情のこもらない声で告げ、ヤンが銃を構える兵士を抑える。


「両者とも連れて行っても、火種にしかなりませんよ」


「――ヤン。本当にこれが君の望んだ道か?」


 キーファの問いにヤンは黙ったまま答えない。

 ヤンはこの道を選んだ、そのまま進むしかない。敵対するマーレンを助けたリディアたちは、マーレンを擁護する。


 輸送陣ならぬ転移陣が揺らいで、景色が歪む。転移が始まる。


「ディアン・マクウェル。――そいつは、シルビスに自ら戻る。お前を選ばない」


 言い放った兄を見据えたままのディアン。そしてリディアをかばうかのように立ちはだかるキーファ。


 リディアは、意識のないマーレンの肩に励ますように手を添えて、バルディアを脱出した。


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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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