32.立ち回りには見栄えが必要です
ガラスの砕ける音が響く。
窓枠の周囲の破片を払い、リディアはギリギリの枠内に身体を通して、地面を見据える。
風魔法は今のリディアには使えない。落下速度の調整はできない。
師団時代に培った己の身体能力を信じるしかない。
――できる、はず。
タイミングを見計らい、リディアは馬車の後ろの騎馬隊の最後尾の一人に飛びつく。騎乗する兵を潰すように下手くそな着地をしたせいで、馬がいなないて暴れる。
慌てた男をリディアは馬上から蹴落とし、代わりに手綱をつかむ。
「どうどう。落ち着いて。――行って」
リディアが囁くと、馬はおとなしくなる。
動物とのコミュニケーションは昔から得意だった、大抵は言葉が通じる。いい子だ。
命じた通り、リディアを乗せた馬は馬車へと突進する。
まだ隊列は混乱したままだ、リディアは彼らを蹴散らし、蹴落としついでに男の腰から拝借した短銃のオートロックを解除し、馬車の蝶番へ狙いを定める。
半身を馬に密着させるように伏せる、既に騎馬兵たちも銃を構え、リディアに狙いを定めている。
リディアの射撃の腕は、いまひとつ。三発目で当たり、馬車の扉が大きく開かれる。
同時に馬も打たれ、リディアも下へと振り落とされる。
素早く受け身を取り、身体を起こし、手をあげる。降参の意味だ。
――兵たちの背後に展開するのは高い城壁だ。たしか二重壁だったはず、よじ登り超えるのは不可能。
城壁に沿い進めば裏門だ。
だが、馬を奪いマーレンを乗せて逃げてもすぐに捕まるだろう。やはり、転移させるしかない。
(どうにかしてマーレンと接触しないと)
一連の騒ぎで、隊列はリディアを囲んで止まっていた。放射状にリディアを囲み、長銃を向けられている。この中で魔法が使える兵は、どのくらいいるのだろうか。
「銃を捨てろ!」
構えられた長銃を見据えながら、命じられるまま腰をかがめ銃を地面に置く。
「両手を頭の後ろで組め!」
シルビス製の根性で耐えるちっちゃな靴はすでに脱ぎ捨てていた。雨に濡れた石畳の上で足をやや広げ立ち、両手を頭の後ろで組むと、馬上の兵士の誰かが口笛を吹いた。
このヤロウ。
兄の意地悪で、リディアは着替えを用意してもらっていない。
リディアが纏うのは、マーレンの長上衣のみ。かろうじて大事な部分は隠れているけど、太ももはむき出しだ。
――シルビスの男性は、お尻が大きい女性を好まない。お尻が大きい女性は、性格も図太いという独特な観念だ。
なのでシルビスの女性は腰を膨らませるパニエは着用しない。むしろガードルで腰を締めヒップを小さく見せる。もしくは、ひざ下丈のドロワーズ。
でも、それらはリディアの主義に反する。あんなもっさりゆるゆるのドロワーズは嫌。ガードルの体型維持的、色気のなさも嫌。
ブラジャー代わりのコルセットは耐えたが、パンティを覆い隠すガードルは我慢できない。
リディアの好みは、生地は最小限で、繊細な刺繍やレースで飾られているパンティ。
だからドレスを着せられた後、バスルームでこっそりガードルを脱いでしまった。
――ただいまの格好は、黒レースのTバックのパンティに、黒のガーターストッキング。
かろうじてパンティは隠れているけど、はやし立てられると羞恥心が湧いてくる。
(かぼちゃパンツのドロワーズ姿で立ち回りをするよりは、マシだけどね)
緊迫感漂う場面だから相手も気にしないと思っていたけど、バルディア兵士はけっこうというか、相当不真面目みたい。
ヒューヒューとへたくそな口笛を吹き、なんか嬉しがってるみたいなんだけど!?
(そういえば、バルディアの男性って女好きで、すぐに口説くって聞いたことがある)
空軍が弱いのは、すぐに持ち場を離れて女性を口説いたり、逃げちゃったりいい加減だからと聞いたことがあるが、陸軍も同じようだ。
女好きな性は国民性。
部族間抗争が盛んな歴史のある国だから、目にした女はとりあえず手をつけとけ、という意識が根底にあるとか。そんなことを思い出す。
そういや、師団の時も共闘すると、バルディア軍には手を焼いた。
すぐ怠ける、すぐ口説く、真面目に働け! と当時は思っていたんだった。
――リディアは眦をつりあげ、喜ぶ不謹慎な兵士を無視して、馬車だけを見据える。
――動きがない、人違いか。
じっと見ていると、扉からゆっくりと長靴が覗き、人影が姿を現す。
拘束されている様子はない。
実に優雅な所作で下りてきたのは――ヤンだった。
「やはり、最後まであがくと思っていましたよ」
リディアを誘き出す陽動だったのか。
その可能性も、考えていなかったわけじゃない。
――気配を感じて振り返ると、ほの暗い光を伴いながら歩んできたのは、兄だった。近づくにつれて、光が強まる。
まるで暗闇に降臨した、光の主のようだ。夜の闇でも、彼の髪は光を放ち周囲を照らす。
いつものように体がこわばる。
彼がふっと顎をあげると、雨がゆっくりと止む。
リディアもつられたように顔をあげる。黒くて厚い雲に覆われていて月は見えない。
(天候も操れるの……!?)
「……」
兄の魔力は、強大だ。おそらく、ディアンに匹敵するほど。
「よそ見をしている場合ですか」
ヤンの言葉まで警戒を怠っていたわけじゃない。
ゆっくり彼を見据える。
兄とヤンが協力して、リディアを誘い出した理由はなぜか。
理由は明白だ、ここにいないマーレンを処分するため。
マーレンはどこだ。
彼の魔力を必死で辿る、探索を行おうとして、また喉に痛みが走る。こんなささやかな行為でも、魔力封じの石はリディアを痛めつけようとする。
(かまうな、探せ――どこ?)
雨雲が流れたのかわずかに月明かりが覗く、視界が明るくなる。ふっと、細い糸のようなマーレンの魔力を掴んだ。
城壁に目を向け、一定間隔で置かれた円筒状の物見棟に目を凝らす。
その狭間で人影が揺れている。一人……二人、三人まで視認した、その瞬間だった。
棟の端に人影が突き出される、両手両足は拘束されている。顔立ちはよく見えないが、魔力はマーレンのものだ。
「マーレン!!」
間に合わない。彼は嫌がる様に暴れていたが、あまりにもあっけなく、突き落とされる。
まるで、荷物のように勢いよく重い頭を下にして落下をした。




