73.託し託されるもの
ディアンは「わかった」と頷いただけだ。何か言いがかりも文句もなかった。
拍子抜けしたウィルだが、リディアが茫洋とした瞳を奥のほうに向けているのに気がついた。
「ウィル――。あなたは自分で選択しなくちゃいけない。けれど――あなたが選んだことで道に迷った時、その時はきっと力になるから」
リディアの顔は生真面目という以上に、どこか悲愴だった。案じて、そして決意しているという顔。
「リディア?」
「いつでも、相談にのるから。あなた一人で負わせないから」
ウィルは遅れて頷いた。多分、リディアは自分の契約主の予想がついているのだろう。そのことに関して、これからウィルが進む道が容易じゃないことも。
リディアに向かって屈む。その心配げというよりも自分が押したことによる責任で痛まし気に泣きそうに顔をゆがめているリディアの両頬をウィルは挟む。
「ウィル?」
「すぐ戻ってくるから待ってて」
そして額にキス――しようとして、ディアンに阻まれた。襟首を掴まれて後ろに放り投げられる。
「なんだよ!」
「やめてもいいんだな?」
ウィルは地面についた尻を叩きながら起き上がる
「ったく。でこキスぐらいいいじゃん」
口にするのは、遠慮したのに。
ディアンが口を開きかけ、ウィルは迎え撃とうと警戒するがリディアが制する。しかもディアンに向かって。
「先輩。ウィルを頼みます。――連れ帰ってね」
その最後のセリフは誰に対してか。ちょっとリディアの脅しのようで、ウィルは口を引き結んだ。
***
ディアンが、ウィルをつれて蠍の元へと行ってしまう。ディアンならば、上位の方との契約をうまく結ばせてくれるだろう――リディアにしたように。
だから、リディアがするのは、この呪いをうまく消すことだけ。
残ったバーナビーが、リディアの肩を後から支える。情けないことに、自分の力で座位を取ることさえ今は苦しいのだ。
「バーナビー、調子はどう?」
「いいよ。リディアの魔力は美味しいね」
バーナビーが後から首筋でくすりと囁く。いやらしさはない。なんと言うか素直な感想という感じで。
ただあの時の感覚を思い出すと身体が火照り、動悸が激しくなるのは、やっぱり彼の持つ魅力なんだろう。
「あなたの力って、魅了よね」
「うん、わかった?」
「ええ。魔力素を取るときに、相手の思考や痛みを麻痺させるっていうものでしょ」
「魔族の血を引いているからね」
ケイが持っていると自称していた能力の魅了は実在する。が、それを持つのは人ではない、魔族だけだ。
「ごめんね、怖い思いをさせないためだったのだけど」
「次からは、取りすぎないでね」
リディアが言うとバーナビーは僅かに黙る。困惑したあとに、背後から苦笑を漏らす。
「もう懲りたでしょ」
「でも緊急事態なら仕方ないわ」
リディアが言うと、バーナビーは後ろから覗き込んで切なげに目を細めた。
「駄目だよ。リディアは本気でそう思って実行しちゃうから」
「そうね」
リディアがはひとつ吐息を気だるげに漏らして、バーナビーに寄りかかる。彼の胸が温かい。彼が包み込んで体温を与えようとしてくれている。
「リディア?」
***
――始まった。
目の前のさそりが明滅する。ディアンがあちらから消滅させるのだろう。
リディアはバーナビーに後から呪詛板を支えてもらいながら、先ほどの文言を思い出し開放の言葉をつむぐ。
“我は解放する、我は昇華する、我は存在させる。マチルダ・エルガーの腹より生まれし娘、ベニーの呪縛は悪意の意思としてここに封じる”
開いた呪詛板の上でリディアは先ほど蠍にも投げつけた魔法陣のガラス玉をもう一つ手の中に出して、両手を打ち鳴らす。それが砕け、結晶のようにきらきらと舞い落ち呪詛版の上で魔法陣を描く。
“炎を用いて、この祝福を偉大なる光の君の代弁者たるリディア・ハーネストの名において与えん”
リディアの手の中で呪詛版を巻き込むように白い炎が巻き上がった。




