64.密約
碧の石の上に、光が注がれている。
美しい、ああこれは浄化だ。
その上にハラハラと降り積もるのは白い花びら。
――翠の愛しい子。
我が君の声がする。
(ああ、よかった)
無事だったのね。
リディアは駆け寄ろうとして動きを止める。
動けない。
――君に力を貸そう。
我が君?
――君が世界に帰れるように。
どうしたの? 何があったの?
リディアは喉を押さえる。声がでない。
そして見下ろす腕。黒い痣が一面に広がってる。
「あ」
胸元に伸ばした手、掴むのは馴染んだ石じゃない。
いつものハート形の温もり、つるりとした碧い光ではない。
金属の感触。馴染みのない形、じゃらりと鎖がなる。
腕から広がる黒い痣、それが深く濃く、胸元、そして腹部、指先まで広がる。
「呪いが――」
――けれど、約束だ
「白木蓮!!」
リディアの叫びは届かない。呼び声は、聞こえない。
――私の、正体をさぐってはいけないよ。
「白木蓮。お願い応えて!! 何が――」
呪いのせいなの?
見限られたと思っていた。けれど違うの?
――けして、私を探してはいけない。
――それが、やくそくだ。
「白木蓮!!」
リディアは叫び声とともに、はっと目を覚ました。
慌てて腕を見下ろす、そこには変わらぬディアンの魔法術式が、ほの暗く青く光る。
袖をめくり肩を見て、それから胸元を見る。
呪いは――広がっていない。
(大丈夫。ディアン先輩の魔法は絶対だ)
そう何度も自分に言い聞かせた。
今もそうして、心に教え込んで、深呼吸をする。
彼の魔法の効果は信じられる。
だからこそ、心の拠り所として生きていけた。
恐怖を抑え込んできた。
今、胸元で暗く煌めくのは蒼い石。月に護られる石。
なぜ、眉根を寄せたのか。リディアは胸騒ぎを覚えて身体を抱え込む。
窓を開けると、差し込む月の光。
――白木蓮。リディアの主。
ずっと、彼とのその約束を守ってきた。
呪詛を受けて、彼の存在を感じなくなったのは、彼に見限られたのだと思っていた。
けれど――。
『――もう持たぬ』
黒睡蓮の言葉。
あれは、リディアの主が影響を受けているということ。
――愛しい子。
――私を探してはいけない。正体を探ってはいけない。
でも。
(ディアン先輩なら――)
反応のない端末。
いつまでも、応えのない彼。
(先輩なら、白木蓮のことを知っている)
でも彼が言わないのは、理由があるから。
それは、リディアには負いきれない時。または世界の魔力構成に影響がある時。
――そして、白木蓮に口止めされている時。
***
師団基地の転移陣から足を下ろしたところで、ディアンは振動に気が付いて胸ポケットに手をやる。
そろそろだろうと予想していた。
応えをして、相手の言い分を聞く。それは相談でも提案でもない。ただ可能かどうか、そしてあの時の状況の確認。
「――お前は、あいつの過去を侮るのか?」
ディアンのは問いかけではなかった。
そうすることで、リディアが生きてきた、組み立ててきた人生をなかったことにする、それを指摘しただけ。
『――それでも、彼女の本質は変わらない』
揺るぎない声、何度も考え、そして至った結論なのだろう。
ヤツにしかできない、自分にはできない方法。
そして気づかされる。
『確かに、彼女は大学には来ないかもしれない。教員にはならずにいまでもそちらにいるかもしれない。それでも、彼女の――リディアの本質は変わらないでしょう。そして――俺はどんなことをしても彼女に会いに来ます。また、――好きになります』
強くて、まっすぐで。かつての自分に、いまでもない性質。
素直に好きだと、そう告げられない己を突き付けられる。
『あの日のあの時刻、現場状況が詳細であるほど戻りやすくなります。あなたならば、リディア以上に詳細に覚えているでしょう。だからあなたの記憶に潜らせていただきます』
一つ、ピースが欠け、一つ別のピースがはまる。
ヤツ――キーファ・コリンズが上位存在と契約をしたことで、またひとつ歯車が動き出す。それは誰が組み立てているのだろうか。
掌で転がされるのは面白くない。それが運命だというものであれば納得もいくのだろうか。
少なくとも神と呼ばれる存在であれば――ぶっ潰してやる。
『可能ならば――あなたならば、彼女の呪いをすでに解いているはず。それがいまだに叶えていられないのは――』
そういうことですよね、と向こうで指摘する声。
方法を探した。ずっと、何度も。そして今も探し続けている。
『当時の呪詛版、その証拠が紛失していることも調べさせていただきました。何らかの、どこからかの介入があるのでしょう?』
当時、ディアンを含め周囲も負傷していたせいもあるが、それは致命的ともいえる失態だった。
いや、言い訳などどうでもいい。失態であり、猛烈な痛手だ。
「――お前の言い分はわかった」
情報収集能力も、その交渉の仕方も。
「だが――もう少し待て」
沈黙する相手。
ディアン自身もリミットが近いのはわかっている。それでも――。
「それは、最終手段だ。その時が来たら――必要ならやってもらう」




