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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
3章 課外活動編

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52.親と子

 チャスがリディアに向けるものは、好奇の眼差しではなかった。


「うん。状態確認して……当時のお詫びかな。まずは訪ねてみる」

「土下座とかすんの?」

「――」


 チャスは、はーぅと息を吐いた。仕方ないなーと。


「あのさ、女に土下座させて嬉しい男なんていないの」

「……」

「あのさ、頼られて嬉しい男のほうが多いの! 『申し訳ありません』って悲壮な感じじゃなくてさ、美人が腕絡めてきて『久しぶりー。無事で良かったー』ってニッコリしたら男はチャラにしちゃうの!」

「……それ」


 男代表として言っちゃう?

 でも、とチャスはリディアをまじまじと見る。


「センセに無理っぽそ」

「うん」

「まあ、する方がそれで気が晴れるならいいけど。……相手がそれされて、ウレシーのかはわかんなくても」

「チャス?」


「――俺さ、片親なんだ。つか、父親が出てったんだけど」


 不意の話題転換。しかも重い話題だ。


 けれどリディアは、なんでもない顔でチャスを見返す。

 ――チャスの本意が見えない。でも、これから何かを話そうとしている。その言葉だけに集中する。


「で。母親に好かれてない、てか嫌われてる」


 チャスが椅子の背を掴んで、その背を前にしてまたがるように椅子に座る。リディアと向き合い、くつろいでいるようなのに、まるで一つバリケードをつくっているかのよう。


「だから離れたんだ」


 椅子の背にかけるチャスの手がわずかに震えている。リディアはそれを視界の端に止めて、チャスの目をまっすぐに見た。


「あの人だって苦労してるのは知ってる。女手おんなで一つで子ども育ててたしさ。だからちょっと金も送ってる。でも、どう思ってるかはわからない。――突っ返されたこともないけど」


 リディアは口をわずかに開いたまま、彼の言葉に耳を傾ける。


「好いてない相手――自分が追い出した奴から金貰うのってどう思うのかな。これって嫌がらせ?」


 そんなことない。そう伝えていいのかわからない。チャスの母親の気持ちは、リディアにはわからない。

 

 チャスはリディアを試すようにじっと見つめて黙る。だからリディアもチャスを見返す。

 もっと話してもいい、聞きたい、という思いが伝わったかはわからない。ただ、チャスはわずかに唇を震わせたあと、口を開いた。


「『息子なんていらなかった』、『どうしても男のアンタが可愛く思えない』って言われたんだよ、それ聞いたらどうしようもないよな。そして――妹は溺愛されてた」

 

 向かい合い座るリディアの、そろえた膝先が震えそうになる。


「『息子でごめん』って母親に言ったよ。小さい頃は何度も『男に生まれてごめん』ってさ」

「チャス。……抱きしめてもいい?」


 リディアは立ち上がり、彼との距離を詰める。震える声で尋ねる。

 どう答えたらいいのかわからない。でも、触れずにはいられない。


「ん? いーよ」


 彼が両手を伸ばす。その間に入り、リディアは立ったまま彼の頭を抱きしめる。椅子の背、一枚を挟んだ二人の距離。二人の関係はそんな感じだ。


「まだ父親が出ていく前。妹と両親がまだそろっていた頃。俺だけ施設に入れられていたんだ」


 彼の声は抑揚がなく淡々としている。


「わけわかんなかったよ。家族全員いるし、みんな仲いいし、でも俺だけ外なんだ。その中に入れてもらえねーの。なんで俺だけって」

「これまで……誰かに相談した?」

「施設の職員にはね。『妖精族は、情が薄いから』ってさ苦し紛れに答えてたよ、俺の母親は人間なのにな。――妖精なのは、父親の方」


 でも、そうなのかもな、とチャスは呟く。父親は家、出てっちゃったし。


「別にあの人、オンナが好きってわけじゃなくて。ただ、息子が受けつけなかった。それって仕方ねーじゃん。俺のせいでもないし、あの人のせいでもない、誰のせいでもない」


 チャスの声がわずかに揺れた。


「そういう時はさ、離れるしかない」


 彼は泣いていない、声はカラリとしていた。けれど、あまりにもあっけらかんとしている。


「――やっぱ妖精は情が薄いのかもな。俺も、あんま執着しないし」


 抱きしめているのに、彼の顔はリディアの胸から離れている。浮いた空間。遠慮がちの距離。リディアは思い切って抱きしめる。彼の肩がこわばって、それから力が抜ける。


「でも――いつか、もっと金稼いで送ってやるって思うんだ。そしたらどんな反応するのかって思うのって、ちょっとアレだろ。離れたのに存在示したい、みたいな。迷惑だろ、でも俺を見ろよって……」


 チャスが言葉を切る。


「何かするのに相手がどう思ってるかなんてわかんないじゃん。だからさ、俺はしたいからそうする。センセもしたいならすればいい。それで気が晴れるかは、してみないと分かんねーケド」



 ――チャスの言っていることは矛盾している。執着心が薄いといいながら、執着している。でも、彼もそれは気づいているのだろう。気づいたうえで、彼はそう言っているのだ。


「そう」



(……傷つく)


 そうすることで、たぶん彼はもっと傷つく。たぶん、よい反応は得られない、リディアはそう思ってしまう。


「ん、わかってる」


 チャスはリディアが言わなくても、濁した言葉の続きを感じたようだ。


「センセ、人に触れんの慣れてネー。時々すんごく大胆なのに」

「大胆?」

「まあいいや、気づいてナイなら」

「ごめんね、下手で」



 ぎこちなく彼の肩を軽く抱きしめる。チャスは、わざとらしく息を吐いた。少しだけ、重荷を下ろしたような声。


「んじゃさ。そん時は、慰めてよ」

「慰める?」

「一生面倒見てくれるんでしょ? そん時来るからさ」

「ええ。――それまでに、抱きしめるの慣れておく」


 チャスはくぐもった笑い声を漏らす。


「どうやって慣れんの?」

「……そうね」

 

 練習しないと、とリディアが呟くと、チャスはコエーと呟いた。


「今の会話、キーファには内緒な。こええから」

「キーファは怒んないわよ」


 それに、今までのやり取りも、全部漏らさないわ、とリディアは約束した。


「……最初はさ、センセにさ、他の奴らばっか構われてズリーって思ってた」

「チャス」

「でもいいよ。アイツラいいやつばっかだし。俺ここでよかったよ」


 リディアは彼の薄い肩を撫でる。こうするしかできない。


 ――小さな女の子が泣いている。


 娘だから仕方がない。愛されないのは仕方ない。

 この告白はリディアの胸を揺らす。えぐって、その傷口の塞ぎ方がわからなくなる。


「それにさ。俺は女の子好きだよ。可愛いし、柔らかいし。男でよかったって今は思ってる」


 チャスは茶化してスキンシップを求めてきたけれど、もしかしたらもっと深い意味があったのかもしれない。試されている、そう感じていた時があったのに。


「俺が言いたいのは、それだけ」


 チャスが話は終わり、とばかりに強く言い切る。けれどまだ二人は抱きしめあったままだ。


 ――チャスは、リディアの事情に気づいているのかもしれない。ふと、そう思う。


 彼にしてあげられることは何だろう。彼はリディアの助力は求めていない、でも話したことを後悔させたくはない。


 けれど今、言葉一つで解決するのは難しい。


「ねえ、チャス……経済的に、その――苦しくない?」

「苦しいよ」


 彼は躊躇を微塵も見せず、あっさり答えた。


「国立だから学費は他より安いし、一応国の奨学金も出てるしさ。けど、生活費は自分持ち出し、生きてるってカネかかるじゃん」

「……そう」

「何? お金、貸してくれんの?」


 リディアは彼を離して見つめる。ラムネ瓶に入っているガラス玉のような不思議な色合いの瞳。灰色でもなく、青でもない、虹色に見える時もある色だ。


「――貸さないわ、というより、貸せない。私ができるのはそういうことじゃないし。ただ……」

「ただ?」

「すでに自分でも調べているでしょうけど、いくつかの支援団体も紹介できる。でも、紐付きは正直お勧めしない」


 魔法師団も入団しながら学べる支援制度はある。とびぬけて能力が高い場合は、学生時代からスカウトされる。ただし、そこには縛りが発生する。


 リディアの場合は、選択の余地がなかった。今でこそあそこで育ててもらえた恩義は感じているが、あれはワレリーとディアンのもとで育ったから。他の団長でも、能力を伸ばして個人としての尊厳も守ってもらえるとは限らない。


「一つ言えるのは、うまい話は――特に支援を申し出てくるような人は、避けた方がいいわ」


 チャスはリディアをじっと見つめた後、不意にニッて笑った。


「センセ。世間知らずかと思ったけど、そーでもないんだ」

「失礼ね。一応教師よ」

「センセさ、食堂行かないじゃん。外食もしてねーし。カネないんだなって思ってたし苦労してんだな」


 よく見てる。いや、見られている。お返しのようにリディアも尋ねる。


「――チャス。ご飯食べてる?」


 彼は、みんなと購買に行かない。バイトに忙しいというのもあるけど、帰りに買い食いもしていない。


「――お弁当、作ろうか?」

「マジ?」


 彼の顔がパッと上がる。リディアの顔を真剣に見つめてきて、本気で望んでいるように見える。


「俺カネねーから断んないよ、ありがたいし」


 言った後で少し焦る。大丈夫かな、安請け合いして。


「――毎日は無理だけど。一限に私の授業がない日だけよ、私の分と一緒に作るから凝ったものは期待しないで。火曜、水曜、金曜だけ」

「ん、OK。やった」

「あ、でも。彼女とか好きな子いたら――」


 まずいよね。


「んー。料理慣れてない子に作られて、うまいって言わなきゃいけないのとか、気ィ使うし。下手に彼女ぶられても面倒だし。センセならそういうの気にしなくていいじゃん?」


 え、ええ。リディアはコクコク頷く。

 あれ?


「センセの弁当うまそうだし、たまに菓子もバーナビーにあげてたろ。うまかった」


 いつ見たの? そしていつ食べたの?


「交渉成立、お返しはナシだけど」


 さっと立ち上がり風のようにいなくなった彼。いつもと変わりない飄々としたチャスだ。


 慌てて廊下を覗く。


『――チャス。旅行のお土産、お菓子かってきたよ。あとで開けるから教室来てね!』

『ドモ』


 すれ違う女の子達から声をかけられているチャス。そういえば彼はよく他の領域の女の子達から、お菓子をもらっていたのを思い出す。

 小柄で中性的な容姿で女の子達からは可愛がられているようだ、とサイーダに聞いたのを思い出す。

 

 ――あれ?

 リディアは腑に落ちないような、自分の感情だけ置いてきぼりを食らったような感覚で首を傾げた。 


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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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