21.ご主人様
「コリンズ、よくやったわ」
キーファとは呼ばなかった。違和感と白々しさ。
距離をわざとあけた感じだ。誰もが無言の空間に、リディアの声が響く。
「え、俺? どうなったの?」
チャスが起き上がり、首をきょろきょろ回して、それから首を見て、自分の指も見る。
「すっげ!! 棘も消えた! キーファ、すげえ」
「“先生”」
キーファのリディアへの呼びかけに、どきりとする。わざとだ。意識してそう呼んだ、それを言外に告げている。
だが振り仰いだキーファは、リディアに安心させるように穏やかに瞳を向けていた。困るリディアにそれでいいと、余裕を見せてくれているのだ。
「キーファ。回復魔法じゃん、すげえ」
「そうだな」
「もっと喜べよ!! つーか、サンキューな」
「いや。俺こそ使わせてもらってありがとう」
「硬いな! もっと自慢しろよって……言わねー方がいい?」
「そうだな。自分で皆に言うよ」
チャスは、はしゃいで場を盛り上げている割に、気遣いを見せる。リディアはチャスに見えないぎりぎりの動作でキーファに目線で告げる。
「そうね。まだいろいろ確かめなくちゃいけないから、周りには言わないほうがいいわ。コリンズ、後で話しましょう」
キーファに首をかすかに振って、言わなくていいと合図をする。
――回復魔法ではなく、時を戻したことなど――。たとえ同級生でも、友人でも、安易に漏らすものではない。
(だって、これは――知られていない魔法)
「えーと。ところで、見てみなさい」
リディアは話を変えるように、二人の生徒に促す。
人形の首と手は、結界陣の外に転がっていた。動かないどころか、容姿もただの人形に戻っていた。不気味な鋸歯も、底光りする目も、海藻のように踊る髪もない。
「ええ!? なんで!? キーファ、なんかしたのかよ?」
「傷が治ったから、呪いがなかったことになったのよ」
正しくは、呪いを受ける前にチャスの状態が戻ったので、呪いも受けていないことになるのだ。
リディアは結界陣を出て、首を手にする。目玉はないままだけど、覗き込むと裏の呪詛と手首の呪詛が見える。
個人端末を手にして、その箇所を撮影する。
「センセ、どうすんの?」
「研究機関があれば、分析を頼みたいけど、ないのよね」
未使用のガーゼで、その呪詛をふき取りインクを採取する。それから、聖水で綺麗に呪詛を消して清める。
(新しい。つい最近書かれたものだ)
「悪さをしては困るから、消しちゃうましょう」
そして、頭と手首をつないで本来の姿に戻す。目玉はない。ごめんねと謝る。
「ロー。人形の心臓に手を当てて」
チャスを見上げて呼びかける。
「何すん?」
「魔力を注いで」
「え、ちょっと怖い」
「大丈夫よ。もう呪いはないから」
髪も丁寧に撫でつける。いろいろとぼろぼろだけど、不思議な愛嬌がある。
「センセ、俺も手、握ってよ。キーファん時はやっただろ」
「チャス、俺は――」
「――コリンズの時にそうしたのは、コントロールが難しい術だからよ」
珍しくキーファが言葉を失っている。不本意そうに何かを言いかけるが、チャスがずるいーと口を尖らすと返答に迷っているようだ。
大体、手を握ったぐらいでずるいとか、なんなのだ。そんなに羨ましいもの?
(でも……不安よね)
時間の経過がなかったとはいえ、チャスを一人で残していたのは事実だし、彼は怪我をしたあとだし。
リディアはなおも言いつのろうとしたチャスの方に手を伸ばし、人形に触れている彼の手の上に、自分のを重ねる。
キーファよりも小柄だが、やっぱり男性だ。リディアよりも大きい手だ。
チャスの顔が驚いたようにリディアを見てくる。そしてバッといきなり顔を逸らす。
「やっぱいい!!」
「?」
「あのな! そういうの真に受けんな!」
「先生、だそうなので」
キーファに促される。それどころか、わざわざキーファはリディアの腕を手をかけ、外させる。
――してほしいっていうのに、男の子は難しい。
チャスはわざと怒ったようなふて腐れた顔をしていたが、人形に集中して魔力を注ぐうちに目に真剣みが帯びてくる。大気に彼の魔力が満ちる。
すると人形の残された片方の目がぐるりと回転して、目が開かれる。
意外にかわいい。もう片方は、虚ろだけれど。
『ご主人様。――お帰りなさいませ』
(――おかえり、なさいませ?)
三人が一斉に黙ったのは一瞬だった。
チャスが叫ぶ。
「すっげー、しゃべった」
「いや、さっきまでも喋っていた。ですがこのセリフって――何をプログラミングされたのでしょう?」
キーファが珍しく突っ込む。
「さっきまでのは呪いね。今は本来の傀儡人形としての役目を果たしている――ハズ」
『ご主人様、御用をお申し付けくださいませ』
「ねーね、俺に言ってんの? 俺、主人? でもかわいくねー」
『ご主人様。何をお望みですか?』
「センセ、これって、もっとリアルな女の子バージョンないの?」
「ありません! ていうか、何を求めて――」
『ご主人様、私ではご不満でしょうか?』
「うーん。俺、もっと肉感的つーか、胸がおっきくて柔らかいのが好きなんだよね」
『ご主人様は、小さい胸はお嫌いですか?』
「――ちょっと、あなたも何を聞いてるの?」
『ご主人様は、この人の胸はお好きですか?』
人形はリディアを指差してくる。
な に き い て ん の?
チャスがリディアの胸を凝視するから、リディアはその首をぐりんとつかんで、横を向かせた。
「な に み て ん の?」
「ご主人様は、この人の胸も嫌いじゃないけど、もう少しでかいほうが……」
「ロー!? いい加減にしなさい」
チャスのつかんだこめかみをぐりぐりとすると、いてえいてえと叫ぶチャス。
『ご主人様は、そういうプレイがお好きですか?』
「あなた――どういうプログラムがされているの?」
リディアは、ため息混じりに漏らす。人形を作った魔法具士の性格が出やすいとはいえ、ちょっとこれ……。
『私はご主人様の奴隷です』
「うっわーーー」
チャスが叫んで、そして頭を地面に伏せる。
「もっと最新版のかわいい子に言われたかった!!」
『私はご主人様の言うことを何でも聞きます』
「--先生」
キーファが落ち着いた声で入り込むから、助かった。
「このあと、どうするんですか?」
そうだった。話がもう、ずれてずれて、反対の方向に行くところだった。リディアは人形に向き直る。
「あなたを呼び出したのは、謝るためよ」
『謝る?』
リディアは、人形の手首を握り締めてその頬に手を触れる。
「そう。ずっといままで仕舞ったままでごめんなさい。そして、傷つけてしまってごめんなさい」
『私は、人形です。何も感じません』
「そうね。だけど、今はこうやって命がある。だから、あなたも私たちと対等なのよ。誰かから不当に扱われていい存在ではない。大事な世界の一員」
年月が経ち、人工の髪の毛は手触りも悪くぼろぼろになっている。最新型のものは、もっと人に近い外見なのに。
『ご主人様。私に命令を与えてください』
「ごめんなさいね。あなたは、もう寿命がきているの」
こうやって触れれば、髪の毛が抜ける。関節のゴムも崩れている。使われずにいて、こうして終わってしまう。
「あなたは、今目覚めたけれど。もう眠らなくてはいけない」
『ご主人様、それが私への命令ですか』
チャスは、何で自分に魔力を込めさせたのか、とは訊かなかった。
リディアの横に座り、もう片方の人形の手を取って、握り締める。
「遊んでごめん。色々いじって、ごめん。えーと、アンタが眠った後は、ちゃんと仕舞うから」
『ご主人様。ご命令を』
「もう、寝ていいんだ。ありがとう、『お休み』」
人形がかくりと力なく崩れる。チャスは少し黙って、それから手を離した。
「俺、傀儡人形を動かしたの、というか、見たの初めてだ」
「昔は傀儡人形を操るカリキュラムがあったけど、今はなくなったからね」
「生きてねーのに、話しかけてくるんだ」
リディアは、チャスの肩を叩いて、「さ、もとの場所に仕舞いましょう」と促した。
「傀儡人形の破棄は年に一回。その時になったら、指定の倉庫に運ぶけど、それまではここで保管しておくから」
「――うん」
「かなり時間もたってしまったし、コリンズも力を使って疲れたでしょう? 今日はここまでにしましょう」
掃除もリスト作りも、全然終わらなかったけれどね!
「――先生。片づけは全然終わっていませんが?」
キーファは本当に気が利く。
チャスは、すでにお帰りモードだ。鞄を背負い、早速ドアに向かっている。
「これ以上はやめましょう。ところでロー? 体調は?」
「ん? ヘイキー。じゃね、センセ」
チャスは、ドアノブを回して、動く! と感動して部屋を出て行ってしまった。




