19.彼らの事情
気がつけば、最初の真っ白い空間にいた。ただし霧がない。
もとの姿に戻ったキーファとリディアの前には、その人外の女性だけがいた。
真横のリディアが膝から崩れ落ちる。キーファは慌ててその背を支える。
「リディア!」
「キーファ……ごめんなさい。私、記憶が混同して……昔と今と……」
「顔色が悪いです、捉まってください」
大丈夫、と呟くリディアを座らせる。前かがみでキーファはその背を支える。
そして人外の存在を睨む。
“――怖い目じゃ。助けてやったのに薄情だの”
「彼女をこのような目に合わせたことは許せない」
「キーファ……まって。私の過去はこの方のせいじゃない」
庇うように言い募るリディアに、キーファは断言する。
「いいえ。追体験させる必要はなかったはずです」
キーファがきっぱり言うと、妙に人間くさく黒髪の女は肩をすくめる。
“――我の力はいらぬか”
「謝罪をして下さい。話はそれからです」
リディアがキーファの袖を注意を促すように引く。「言わなくていいから」という声を無視して、存在を見つめる。一歩も引く気はない。
“済まなかった。――これでよいか”
前半はリディアに、後半はキーファにだろうか。
リディアが戸惑うように頷いたが、キーファは反応を返さなかった。まだ完全に許したわけじゃない。
美女はフンと爪を揺らす。
“――この娘が好きか”
リディアが隣で息をのんでいた。キーファもこんなところで暴露されるつもりはなかったが、それでもはっきり頷く。
「はい。誰よりも」
“――確かに。妹よりもな”
リディアが隣でうろたえている。何かを言いかけて黙っている彼女。見下ろすその耳が赤い。
本人に直接告げる前に暴露され、悔しさと腹立たしさと、困らせたことにリディアに申し訳なさが募るが、仕方がない。今は目の前の存在に言い放つ。
「レナは助かりましたから。そして選択を迫られたら――俺は、リディアを取ります」
“――妹を助けられずとも、か”
「選択を迫られ助けようとしましたが、そもそも過去に戻ることは不可能です。起きたことは変えられない」
“――それができる機会を与えたと、言っても?”
キーファは揺るぎない瞳で答える。
「同時に選択を迫られましたが、それぞれは同時期に起きていません。どちらかしか選べない、そう思わせただけでしょう?」
ですが、とキーファは女を見据える。これだけははっきり告げておく。
「リディアに害を加えるのならば、あなたでも容赦しません。味方であっても、俺は敵だと思うことにします」
「キーファ……」
リディアが取りなすように紡ごうとした声を遮る。
「申し訳ありませんが、これには口出しをしないでください。そして俺は何があってもあなたを選びます。天秤にかけられることなど無駄です」
それでも、リディアを選ぶのだ。彼女を選ぶとそう告げておく。そう信じてもらいたい。
妹を助けられなかったとしても、その責任と後悔を負うのは、また別の問題だ。
”――そう怖い顔をするな。人の恋愛沙汰は嫌いではない“
そして女はリディアに目を向ける。
”――穢れてはおるがの“
「申し訳ありません」
“――ソナタのせいではないが、少々厄介じゃ”
リディアが何? といいかけるのを、女は手で制する。
“――循環を保て。偏りを正せ。片方が増せば片方を減らせ。邪には聖を、死には生を。その逆もしかり”
「“等しく”、は公平であれという意味でしょう? 俺は自分の意思で相手を選びます」
”――過去を利用せず、我の力を借りようとせず、とな。ならば、封じた力を解こう“
「あなたは、本当は力を貸す気などないのでしょう? 俺の魔力が使いたいだけだ」
リディアがその物言いに驚いていると、キーファはなおもリディアを制し女を見つめている。
“――我は均衡を保たねばならぬ。キーファ、ソナタもその役目を負うておる”
「俺は俺の意思で動きます。平等にも助けないし、両方は無理だと思っても傍観もしません。そのかわり俺の魔力はどうぞご自由に」
“――我に名を”
唐突に話をそらされた気がして、キーファが眉をひそめる。一方でリディアが慌てて耳を塞いでいた。
「私は聞きません。ここを出ていきます」
“――リディアとやら。ソナタも見定めよ。聞かれても我の力に影響はない”
「ですが……」
“――今回の顛末、ソナタも渦の中”
それを聞いて慌てて立ち上がろうとするリディアの手を、さり気なくキーファは握りしめて、引き上げる。
不安げに揺らす瞳をキーファは青い瞳を細めて優しく見つめ返すと、女には厳しい目を向ける。
「――『ニンフィア』」
“――ほう”
「『ニンフィア・ノワール』と。あなたは、微睡むのがお好きなようなので」
リディアが隣で肩を揺らし絶句していた。その理由を問う前に、女はくっと笑う。
”――さすが――似たもの同士じゃ“
「どういうこと、ですか?」
“――よい。ただの感想じゃ”
ところで、とキーファは続ける。
「なぜ俺が聖剣を使うのを止めたのですか」
女は顔色も表情も変えずに、淡々と告げる。
“――封印がとけかかっておる。まだ知られるわけにはいかぬ”
「どういう意味ですか?」
“――リディア。ソナタのせいじゃ”
その顔はリディアに目を向けていた。
「待ってください。どういうことですか!?」
“――あやつは動けぬ。もはや、抑えておけるやつがいない”
「あやつって、まさか」
“――さあ、去れ!!”
空間から放りだされようとしているのがわかる。
風が襲い来る、キーファがリディアを引き寄せて胸に庇う。
「お待ちを!! お願い――」
リディアが手を伸ばす、キーファはその身体を抱きしめた。




