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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
3章 課外活動編

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13.教師の仕事

俯いたままキーファが、躊躇うように口を開く。


「あの、手を……」

「あ、ごめんなさい」

「嫌なわけではないのですが、抑えが効かなくなりそうで」

「ううん、勝手にごめんなさい」

「そういう意味ではないのですが」


 リディアは気を使ってくれるキーファに、再度謝罪する。やっぱりボデイタッチは下手だ。距離感がわからない。自然に安心させるように触れるのはどうしたらいいのだろう。


「気にしていたのね、話してくれてありがとう」

「――いいえ」

「こうやって、少しずつ――原因を探しましょう。何か気にしていることがあったら言って」

「……少しずつ」


 リディアがいうと、キーファは顔をあげて呟いて、なぜか眉をひそめる。


「――何?」

「いいえ。俺のことではなくて……」


 何か言いたそうで、言えなさそう。”俺のこと”ではなく、はリディアのことだろうか。

 彼のことばかり聞いてしまっている。

 でも自分のことで、大した話はない。


 「ごめんなさい、触れるわね」と彼の袖ごしに腕を強引に引いて歩きながら、リディアは考える。


「私にも兄がいたけれど、キーファがお兄さんだったら、たぶん、ううん、とても嬉しいと思う」

「俺が、ですか?」

「ええ。頼りになるし、なんでも相談していたかもしれない。私は兄とはあまり関係がよくなくて」

「リディアのお兄さんは、いくつなんですか?」


(あ、名前?)


 ”リディア”と呼ぶようになった彼、自分への壁が、低くなった気がした。

 接し方を間違えると、更に壁を作られるかもしれないと思ったが、今の所なんとかなっている。


「五つ上。いつも……無視されていたから」

「無視? お兄さんにとっては大事な存在だったのに、不器用でそれを伝えられなかっただけでは?」


 リディアは笑う、少し空虚な笑いになってしまう。キーファがそうだったのかもしれない。可愛いのに、そう伝えられない、みたいな。


「絶対に違うわ」


 恥さらし、役立たず、すれ違いざまの小さな罵倒が耳に残る。同じテーブルで向かいに座る兄には、よく足を蹴られていた。食事のスープに虫を入れられていたこともある。

 仲の悪い兄妹なんてそんなものかもしれないけれど、リディアは未だに兄が――怖い。

 

 師団は男ばかりで、最初は男性そのものに怯えていたのは、兄や父の影響が大きかったせいかもしれない。男性恐怖症は克服したけれど、師団を辞めて帰省した際に兄に会って、兄恐怖症は全然克服できていないと思い知った。

 心身に教え込まれたヒエラルキーは、消えることがなかった。


 キーファの不審げな顔を笑って誤魔化す。墓穴だ、話題を作って、自分で落ち込んでいる。

 気持ちを切り替える、キーファのことを優先しなくちゃ。


 そしてリディアは不意に立ち止まる。

 何もない空間だが、彼は戸惑うように「行き止まり、ですか?」と、リディアを振り返る。


「そう、ここが目的地。先に進めないでしょう?」

「この先はなんですか?」

「あなたの魔力の秘密が隠されている場所」


 キーファは、驚きはしなかったようだが、問うようにリディアを見つめ返す。


「俺の?」

「そう、ここはもうあなたの心の中。というか、最初からあなたの心の中よ」


 リディアは驚くキーファに、いたずらを仕掛けた子供のように小さく笑う。普通は、自分の心の中に入れと言われても、入れないだろう。けれどリディアが「一緒に私の心の中に入りましょう」といえば、そういうものかと入り込めやすいのではないかと思ったのだ。 


 そして、彼は眼鏡の下の目を緩めて、ふっと苦笑した。


「ありがとうございます」


 キーファは「騙された」、なんて怒らなかった。リディアの意図まで読んでしまうのだから、先生としての立場が無くて、少し恥ずかしくなる。


「――さて。これから会う方には、一人で対面よ」

「会う?」

「そう、さてキーファ。あなたの心の中には、見えない壁とその向こうに何かがいます。それが、この六属性よりも上の方。あなたの心に門を構えているのが存在の証拠。あなたはその方と会い、結びを得るの。あとは、どうやってこの中に入るかだけど――」

「俺の心次第、ですか?」

「自分の心を自分で知るのは、難しいのよね」


 彼の心の問題だ。彼がなんとかするしかない。

 リディアが一歩下がると、キーファは一歩前に出る。そして眼鏡を外して胸ポケットに入れる。


 彼は黙って目を閉じて手を伸ばす、まるで見えない壁に触れているかのよう。  

 彼は魔力を放出しているのだろうか。魔力計測のときのようの佇まいだ。


 そして見えない壁であったはずのものが、彼の触れる箇所から色が浮かび上がり、やがて精緻な細工が施された青銅の門が出現した。


「すごい。……よく、門を出現させたわね」


 自分で促しておいて言うのもなんだけど、彼の飲み込みの早さとその対応能力に舌を巻く。


「自分の心の奥底まで来て何もできないなんて、恥ずかしいですし。しかもそこに――大事な人を連れてきておいて」

「え、っと? ……あの?」

「ここまで来て、誤魔化すつもりもないです。リディアのおかげです」

「ええと、あの……私は何もしていないけど」


 大事な人、それってどういう意味? これって何か答えないと――。


「流してくれていいですよ。ところで、この六角形は、魔法の相関図ですか?」


(ええ? 流せと言われても――いいの?)


 とはいえ、キーファの大人っぷりと言うか、余裕に助けられる。いや掌に転がされているような、よくわからない。とりあえず言葉に甘えて流すことにして、リディアは彼の“門”を眺める。


 黒い錆に侵された円陣。よくみるとその印章は魔法の相関図だ。

 立派な扉にそこだけが異物のように描かれているが、劣化し途切れ途切れでよく見えない。


「この図をみると、まるで意図して消滅させらているみたいですね、だから使えないのでしょうか?」

「そうみたいだけど……」


 リディアは、じっとその図を眺める。そして門を改めて見上げる。

 立派な門だ、そして門があるということは、キーファの主は彼を拒絶していない。でも、これだと、リディアの予想だと――。


「キーファ。もう一度確認する。あなた、魔法が使えるようになりたい?」

「――はい。以前は諦めていました、けれど使いたい。そう思っています」


 キーファの瞳は熱を帯びている。リディアには直視できない。


「だったら、諦めてもらうしかない」

「……」


 キーファは黙っている。


「あなたには、火も水も風も起こせない、皆と同じような魔法師にはなれない」

「わかりました」


 そして続ける。


「でも、諦めてはいません。六系統以外の魔法が、まだあるはずです。そういうことでしょう?」


 リディアは、キーファを見上げる。彼は背が高い、薄青の瞳は、暗闇の中で綺麗に光っていた。この暗闇での唯一の光だ。


 その瞳は、諦めもなく、穏やかな決意。彼はリディアの意図を理解したようだ。


「この封じられた六属性。それは、俺に使うなということでしょうか」

「恐らく――。あなたがこれらの魔法を諦めて捨てたとき。ここの主はあなたに違う魔法を授けるわ」


 リディアは門を改めて見上げる。とても強い主なのだろう。


「すごく、個性的だと思う。他の系統を許さないなんて、独占欲が強いにも程がある。あまりおすすめできないけれど」


 リディアは心配だ。でもキーファの瞳は切望を帯びていた。


「あなたが決めたのならば、行ってらっしゃい」


 キーファはリディアを見下ろす。そして離していた手を彼の方から握りしめる。


「キーファ!?」

「置いていきません」

「――あなたの魔法の根源――主との対面よ! 許されるはずがない」


 何を言うの? 彼はもっと理知的な人のはずなのに。


「他者の心の中、魔力の源泉に入り込むのは危険だと文献で読みました。特に奥底ほど抜けられなくなる可能性があると。あなたを一人で残すのはかなり危険なのでしょう?」

「そ、れは――」


 本当に、優等生で秀才だ。授業でまったくやっていないのに、沢山文献を読んでいる。


「俺の中で行方不明になられたら困ります」

「そう、だけど。なるわけないから」

「主も俺の一部です。連れて行ってもあなたを問題視はしません。あなたは俺が守ります」


 ――すっかり。ほだされている。

 でも他者が入り込んで、契約が履行されなくなる可能性もある。


「先生はその何者かとの契約がされているのですよね。だったら通った道です。――いてくれると心強いです」


(ああもう、上手すぎる)


 リディアは、目を閉じて深呼吸をする。


 人は、自分が教わったようにしか教えられない。

 リディアは――、経験しているのだ。ちゃんと導いてもらった。


 ならば。

 自分ならば――キーファに伝えられるのではないか。


「わかりました。行きましょう、キーファ」

「はい」


 彼の手が強く握りしめてくる。彼の手は大きくてリディアの手をすっぽりと包み込んでしまって、驚いた。

 思わず凝視してしまう。


「俺は、魔法師になります。――そしてあなたと、肩を並べたい」


 リディアも前を見つめる。そう彼が願うのであれば、それを叶えるのが教師だ。


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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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