11.心と魔法
問題はいくつかある。
まず、この場で魔法を発動させていいのかということ。ただ、結界内だから他の魔法具に影響を与える可能性は少ないかもしれない。
そして二つ目。
リディアの呪いを進行させること。これは、チャスの状態を考えると仕方がないと思う。リディアの呪いを見せてしまうのも、たいしたことではない。
「キーファ・コリンズ、あなたに頼みたいの。私がローに魔法をかける間、人形を見張っていて」
リディアの呼びかけに何かを感じたのだろう、キーファは硬い表情で見返してくる。
「それは六系統に含まれない上位魔法ですよね。先生は――使えないと言っていた」
キーファは、リディアの話をこの場で漏らすのを一度ためらい、それでもあえて口にしたようだった。
「ええ。上位の治癒魔法よ」
「――それを使うのは、先生の身体に無理をさせるのですよね?」
本当に聡い。リディアはごまかそうとしたが、チャスの様子を見て諦める。ここで話を長引かせたくない。
「最優先なのはローの命。だからするの」
「では俺にさせてください」
彼の言葉は迷いなく、そして決意に満ちていた。さすがにリディアは絶句する。
ここでそれを申し出る。キーファの性格上、ただ試したいだけでこんなことを言うわけではないだろう。
「でも――」
「俺が試したのは六系統の魔法だけです。先日発動したのは、六系統とはまったく違う魔法ですよね、試して見る価値はあります。先生が導いてください」
リディアはキーファの言葉に頷けるものがあった。確かに、彼の魔法ならば打開策になるかもしれない。けれど、ここでキーファの魔法の発現を試している時間はない。
「そうね、でもそれは次回にしましょう。今は私が魔法を使うから」
「先生」
「今すぐローを治癒させる、それを優先させるの」
キーファが悔しげに何かを言いかけて黙る。
キーファは理知的で、冷静な性格だ。だから彼は感情に流されない、それは随分勝手な思い込みだった。
彼は他者に対して情が深く、時に理屈よりもそれを優先する。だからこそ皆に信頼され、慕われるのだろう。
「あなたの気持ちはありがたいけれど、私は一番最善で、でリスクが低い選択肢を選ぶのよ」
「先生――」
「あのさ、二人で盛り上がってるとこ悪いけど、俺を――外に出してよ」
突然、目を閉じたままチャスが途切れ途切れに言う。リディアは眉をひそめる。出血は止血した袖に滲むほど多いが、意識がせん妄するほどではないはずだ。
「アイツが狙ってるの俺だろ。俺を外に出そうって思わないの?」
「チャス、お前! そんなこと思うわけないだろ!」
キーファが顔を歪めて怒る。リディアは、チャスをおもむろに眺めて、頭を撫でる。
「あなたも――結構可愛いのね」
「は?」
チャスが目を見開く。
「ほら、意識を保って! せん妄状態なんて止めてよ、まだセクハラ発言のほうがマシ」
「違うって!――その、俺は――」
チャスは少し迷って、それから口を開く。
「俺の魔法で、人形の魔法を消滅させりゃいいんだろう」
キーファがハッとリディアのほうを見てくる。一方でリディアは、チャスの提案から呼び起こされた一つの案を検討する。
「――呪いは魔法では解けない。あなたの魔法が特殊でも難しいかもしれないし、そんな危険は犯せない」
「じゃあどうすんだよ。回復したって、俺が呪われたのは変わんないだろ」
「いいえ。怪我を治せれば、こちらの選択肢が増えるわ。そして」
リディアは一つ息をついて、キーファを見る。
「キーファ・コリンズ」
「はい」
「前言撤回するわ。傷の治癒ではなく、あなたならば、呪いを無効にできるかもしれない」
キーファが目を見開く。
そう、キーファは聖樹にかけられていた呪いを解いたのだ。あれから彼の魔法は発現できておらず、まだ魔法師団でも試しの段階。
けれどこの能力を開放させ自在に扱えるようになれば、この状況の打破になるかもしれない。
「呪いによる事象を解決することが不可能なのは、結果だから。呪いをかけられた物体の邪念を祓う聖職者もいるけれど、既に呪いによって起こされた結果は変えられないの。でもあなたは聖樹にかけられた容貌変化を解いた」
例えば触れたものが死ぬ、という呪われた人形がある。聖職者はその人形の呪い――邪念を祓い人形を無害なものにすることができる。けれど、既に死んでしまったものは生き返らない。結果をなかったことにはできないのだ。
頷くキーファの背後から、人形の頭部がリディアに向かいジャンプをする。透明なドームのような魔法陣の結界が作動して、首は弾かれて落ちる。
「聖樹の容貌変化は、結果よ。けれどあなたは呪いを祓い、元の状態にもどせた。あなたは怪我は治せないけれど、人形の呪いを解くことが、できるかもしれない」
再度ジャンプする頭。
リディアは、それを見据えてすばやく本体――身体の心臓部分の木玉に垂直に短剣を突き立てる。
タン、と音がして軽くヒビが入る。
「――動かないで!」
リディアの気迫を込めた叫びに人形が円陣の外で、びくり、と動きを止める。
「私の大事な生徒に手を出したら、これであなたをぶっ壊すわ」
静まる場に、リディアは脅しを続ける。
「お前の敵は私。後で遊んで上げるから、今は大人しくしていなさい」
人形に脅しが効くのかはわからなかった。けれど魔法というのは、ある程度気迫で相手を従わせるもの。
どこまで効いたかはわからないが、人形は外から威嚇して、睨むだけになる。今のうちだ。
「先生、無茶をしますね」
キーファが無表情でリディアの手をとる。掌を剣で引っかき、人形の心臓に血を垂らしたのだが、ばれてしまったらしい。
彼は手際よくリディアの掌にハンカチを巻く。リディアのあげたブランドと同じ、青と水色の格子模様のハンカチはシワひとつなくキレイだ。
汚してしまう、と遠慮しようとしたが、きっと彼はそれを嫌がるだろう。
「ありがとう」
彼はリディアを恨みがましそうに睨む。どうやら怒らせたら怖いタイプらしい。
リディアは、笑ってごまかし、チャスの頭を自分の膝に載せる。
「え、マジ? ご褒美?」
「馬鹿。傷口見るわよ」
止血していた袖を外し、キーファに促す。
「人体の構造は覚えているわね。この箇所にある静脈、動脈、神経は? 損傷はある?」
「出血の量や様子から、動脈は損傷していないと考えます」
「そうね。筋肉の損傷だけで済んでいるわ。こことここの筋層が修復できればいいの」
人体の構造を学ぶのは、魔法師の基礎。一応キーファに教えておくが、彼は優秀で臆していることもない。
「”チャス”、触るわね」
チャスに断り、彼の頚動脈を触知する。
「頚動脈は、横を向いた際に盛り上がる胸鎖乳突筋の横にあるの。ここの拍動はわかる?」
「はい」
「私が治癒をさせる時は、このリズムに自分の拍動を同調させる、そして治癒後の状態をイメージする、大まかにはこの二つ」
「……」
「あなたの魔法の発現方法はわからない。けれど、その魔法をかけた後の状態をイメージすることが大事。あなたのそれがより具体的であるほど、成功率があがるの」
難しい顔をしているキーファに、リディアは続ける。具体的な方法はこれからだ。
「それではキーファ・コリンズ。あなた魔力の源泉へ潜れるかしら?」
彼は眉をわずかに潜める。表現の仕方が違っていただろうか。
「魔力のしまってある場所、心の中」
「心に潜る?」
ああそうか、とリディアは思う。ウィルにも伝えた時、妙にぎこちなくておかしいと思ったのだ。マーレンも感情コントロールが苦手なのは、このせいもあるのか。
(大学の課程では、自身の魔力を見つめるのは教えていない)
リディアは、初等科から入ったし、魔法師団でもかなり鍛えられた。
――子どもは、倫理観とともに感情制御を教えられる。その次に自分の魔力をしまう場所を決めて、それを自由に出力する方法を学ぶ。
けれど、大学はそういうコントロール法を教えない。魔法術式と請願詞を覚えさせる。魔法を発現させる条件や身体動作、文言、発音、それらから習得させるのだ、そして研究にとつなげて行く。勿論、大学では魔法の歴史や理論家も学ぶが、それも研究のため。
魔法って何? 自分のどこから来るの? その自分と向き合うところはすっ飛ばすのだ。
魔力をしまう場所を決めなくても、そこにしまう方法を知らなくても、魔法術式を展開させ、請願詞を唱える。それで魔法は発現できてしまう、だから省くのだ。
けれど、その方法ではうまく魔法を発現できなかったのが、リディアの領域の生徒なのだろう。
「心の中に入る……瞑想ですか? そもそも心というのがあるのかどうかも理解できないのですが」
(ちょっとキーファみたいなタイプには、難しいかな)
ウィルのような単純なタイプは割合順応が早いのだけど。
「入れるわ、心の中に。これを見て」
リディアは先ほどの自分の守り石を見せる。リディアの家族の中では唯一の味方だった祖母のお気に入りだった翠玉のブローチをネックレスにしたものだった。
「ずいぶん大きいですね。そしてハート型だ」
「ええ。私が生まれた時に、私の瞳の色と同じだと祖母がくれたの。私の守り石であり、私の心」
「心?」
リディアは「握るわね」と断って、キーファの掌に翠玉を落とす。その下からリディアの手を添える。
「この石の中、私の心に入るの。大丈夫、私が導くから」
「この中に!?」
「石をよく見て。石のきらめきの数を数えていて、だんだんと吸い込まれていくような感じになるでしょう。深く深く、そう、深く入って行く」




