8.重なる、すれ違う
リディアが静かに声を出すと、押さえつける彼の身体が揺れる。
「向き合って話すから」
拘束する腕から力が抜ける。リディアはウィルの正面を向く。
一瞬急所を蹴り上げようかと思ったが、それは最終手段にしておけと、師団の男性団員には言われている。トラウマになるらしい。でもやる時は、ためらうな、とも。
それに、向き合うウィルの顔は、何かを言いたそうで堪えていて、辛そうだった。
「私は本命にはなれない分類にいる女なんだって、そういわれたの、昔。ディアン先輩じゃないけど」
なるべく、なんでもない風に言うけれど、かえって投げやりにも聞こえる。
「なんだよそれ」
「さあ。でも……理解できていないから、今も成長していないのかも」
「それで好きになってもらえないって、ぐじぐじしてんのかよ?」
「今はしていない!」
「どうせあんたのことだから逃げたんだろ。忘れて、とでもアイツに言ったんだろ」
「言って、ない!」
リディアはつい反応していた。冷静にならなきゃ、相手にしちゃいけないのに。
「どーでもいい、そんなカスの言うこと真に受けて自分の中の落としどころにして、進もうとしてない」
「……!」
頭が、顔が、熱くなる。恥ずかしいとも思う、たぶんそれは当たっている。
「アンタ、影響されやすいんだよ、今だって俺の言うことに「そうかも」って思ってる」
「思って……」
ない、なんて言えない。
「だって、本当じゃない。そういう風に思うんでしょ? だからみんなしたがるんじゃない!」
男性だらけの団員の中にいたんだから、そんなからかいは日常茶飯事で。挨拶代わりだと思うようにはしても、割り切れていたのかはわからない。
「したがる?」
「……」
黙るリディアに、ウィルは何かを察したようだ。何かを言いかけて、口を一度引き結ぶ。堪えるように目が揺れて、言葉を吐き出す。
「そりゃ思うだろ。気になったら、したくなる。リディア見てたら、そうなるよ。でも思っても口に出す奴はサイテーだ!」
「もうわけわかんないからやめて!」
リディアのキャパシティを超えていた。言い返す語彙力が足りない、違う精神的な余裕がない。
「俺は本命だって言ってんの! リディアが好きなんだよ」
いきなり静寂が訪れる。リディアが黙ったからなのか、ウィルはいきなり口を閉ざす。
「あの……」
「……」
何で黙るの? これに何か答えなきゃいけないのか? 返事? 返事を待ってるの?
「あの、でも、好きじゃないって……言っていたのに」
「好きだって言ってんだろ。あんたが本命だって。そりゃ色々したいけど、大事にもしたいし、俺の特別にしたい」
「……」
どうしよう。
ちゃんと答えなきゃいけないのに、何も出てこない。違う、そうじゃない。自分は教師で、彼は生徒だ。
「ウィル。ウィル・ダーリング。あなたは生徒で、私は教師だから」
既視感に襲われる。ウィルの目が揺れる。悔しそうな悲しそうな目。
その返事はずるい、リディア自身も逃げている気になってきた。
立場じゃない、気持ちにちゃんと答えてない。
「それは、アンタの気持ちじゃないだろ。立場しか話してない」
「立場があるから、受け入れられない」
「俺を好きか、嫌いか、リディアの気持ちを聞いてんだよ!」
「気持ちは優先事項じゃないの!」
「今の関係なんて来年には終わる。そん時にはまた逃げ場を探すだろ! 嫌いなら嫌いって言えよ」
「そんな二択の単純な問題じゃない!」
嫌いじゃない、でも付き合う対象ではない。
「別に付き合えなんていってねーよ!」
「え」
「嫌いじゃないなら、好きなんだろ? それだけ聞けばいい」
「え、え?」
「俺は自分の気持ちを言った。自分がどうするかも言った。リディアは、俺のこと嫌いじゃない。ただ全然意識してない。だから、これからは俺から逃げずに俺への気持ちと向き合う。それでいいだろ?」
よくない。
なんか違う。
自分とは違う。そういう発想はない、そういう展開はリディアの理解の範疇を超える。
「なかったことに、すんなよ! アンタそうするだろ」
「それでも! 考えられない! 受け入れることはできない」
リディアが言葉を絞り出すと、彼は口を引き結んで、何かをこらえる。そして顔を近づけてくる。
「や……」
思わず顔をそむけたリディアの両頬を固定して、ドアに押さえつけるウィル。そして、かがみ込んでくるウィルの眼差しは、切ないのか、何かを堪えているのかわからない。
頬に、リディアの唇の横に、彼の口はそっと優しく触れて離れる。
抱きしめる腕に、リディアは呆然としていた。
ウィルはゆっくりと、リディアをドアの前からどかして離すと、すり抜けるように出て行った。
その目は切なげで、泣きそうだった。
向き合わないリディアに、彼は傷ついたのだ。
彼は――自分とは違う。重ねてはいけないのに、重なる。
――リディア。お前は、大事な預かりもんだ。
あの時の、ディアンの顔は、見えなかった。
リディアが見なかったからだ。ただ足元しか見ていなかった。落ち着いていて、低くて、苦悩を滲ませて堪えるような声に、ああ、と思った。
言わせてしまった。
私が言わせた。
そんな必要なかったのに。そんなこと、彼だってわざわざ言いたくなかったはずなのに。
――忘れて。
――……忘れ、て?
その声が、返ってくる言葉が、途切れがちで、明瞭ではなかったのは気のせいだろうか。
まるで、彼の動揺を示していたみたいだ。
何を言っても困らせる。
――そうごめん。今のは全部忘れて。なかったことにはできないけど、忘れて。
そして、リディアは彼を見上げた。見上げたはずなのに、その時の顔は覚えていない。
――私も、この感情は忘れるから。
ただ必死でそう告げて、そして背を向けた。
活動報告で、「恋愛バトン」にリディアが答えています。よろしかったら御覧ください。




