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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
3章 課外活動編

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4.迷走しちゃってます

 ……どうして、訊いちゃったんだろう。


 リディアはPP(個人端末)を握りしめたまま、しばし呆けていた。


 ――彼女、いますか?


 頭から血の気が引いていく。

 馬鹿なことをきいた。


 いつも、その影を、見ないようにしていたのに。 


 答えが聞きたくなくて、慌てて言葉を繋げた。


(――いないわけ、ない)


 よぎる考えに、胸がつくんと痛んだ。

 

頭をふる、あんな質問をした馬鹿な自分を忘れたい。

 知る必要、なんてない。


 『いる』ことにしてしまえばいい。


 目をつぶる。あの低くそっけない声で、『いる』と言う返事を想像する。

 胸に手を当てる。


(痛くない、何も……感じない)


 そう思っていればいいのだ。――そうすれば慣れる。

 大きく息をつく。


 ――なんで、お前が俺の好みを知っているんだ。


(……知ってるよ。知ってる)


 不機嫌な彼の声。

 怖くはなかった、ただ虚しさが胸に広がる。


 ――ディアンに対して、女性の好みに口出ししたことはない。


 リディアは同等ではなかった、そんな会話をできる立場になかった。


(……ちがう、訊くのが怖かったからだ)


 思い直す。


 ……訊けるようになったのは……事実と向き合うことが、できるようになったからかもしれない。


(こうやって、少しずつ……)


 自分は彼のタイプじゃない、意識などされていない、それらを彼に知っていると告げる。「そうだ」といわれて、共通の認識だと互いに確かめる。


 そうやって自分の身に、頭に、染み込ませていけば――いいのだ。


 ――リディアは、じっと固まったままPP(端末)を眺めていた。



 不意にドアが開いて、サイーダが入ってくる。リディアは慌てて手をおろして、そそくさとMPに向き直る。


 じゃなくて、足でドアを支えながら印刷物を大量に持っているサイーダを見て、慌てて立ち上がり、ドアを手で押さえる。


「ああ、ありがとう」

「凄く大量ですね」

「ええ、生徒百人分。ところで、なんか顔怖いわよ」


 彼女はリディアの顔を見て、首を傾げた。


「そうですか?」


 慌てて何でもないように顔をそむける。無理に口角をあげて笑みを作る。

 後から入ってきたフィービーが、心配そうにリディアに目を向ける。


「ところですみません。ディアン・マクウェル団長は、合コンに参加しないと思います。訊いてみましたが……返事がなくて」

「あ、―――そう?」

「すみません」

 

リディアが謝罪をすると、案外サイーダは気にした様子もなく、自分の椅子に座って背を向けて、MPを立ち上げていた。


「まあ何人かで集まってもね。来年実習先にお願いしてみるから、メッセージのやり取りするしね。自分で食事に誘ってみるわ」

「え!」

「あなたのところの実習受けたんだもの、うちも受けてくれてもいいわよねー」

「実習。ええと、そうですね」


 実習、確かにリディアの実習を第一師団は受けたのだ。

 断る理由はないだろう。うん、実習は――。


「ところで大学広報委員会で、疫学と哲学の先生と仲良くなったのね。来週日曜に、BBQ。タヌア湖畔に十一時ね」

「え、あ? ばーべー? きゅー?」


 何の話? なにそれ? え?


「野外で肉を食べるの。あ、テントは持ってきてもらうから」

「テント?」

「キャンプ用品で売ってるでしょ? テント張って過ごすのよ。日焼けするし、着替えたりするから」

 

 リディアは用語にも、展開にもついていけない。サイーダから与えられる情報を整理するため、自分の経験と当てはめる。


(野外、キャンプ?)


 敵国のヘリからのサーチライトに身を小さくして隠して縮こまった夜。

 魔獣と敵の襲撃を警戒しながら手足を丸めて、極寒の地で雑嚢を頭にして仮眠をとった夜。火が使えないから、固くて紐のような干し肉を唾液で必死で柔らかくなるようにしゃぶったけれど、水分補給が足りて無くてカラカラの口からは唾液が出てこなくて、辛いだけだった。

あんな肉はもう食べたくない。


「野外キャンプは、いい思い出がないのですけど」

「キャンプはしないわ。テントも準備も全部あっちにしてもらうし」


 サイーダは軽くいなしてしまう。


「サイーダ、最初から話さないと。リディアが混乱しているわ」


 フィービーがたしなめる。

 サイーダの話はわからないわけではない、たぶん自分の認識が一般の人と違うのだろう。


「私、今年広報委員なの。大学のキャッチコピーを募集して、大賞を決めたり。ポスターも作ったのよ。グッズも注文したり」

「そういうのもやるんですね」

「そうそう、あっちのキャンパスにも何回も行ったわよ!」


 本キャンパスは、郊外のはずれにあるマンモスキャンパス。このキャンパスから列車で一時間かかる。お疲れ様です、とリディアはねぎらう。


「多分来年はあなたが委員よ」

「本当ですか?」

「そう。新任がやらされるもの。月に何回か会議もあるし、勘弁してほしいわよね」

「……心しておきます」


 また仕事が増えるのかー!!


「で、本キャンパスの先生たちとBBQしようって話になったのね。で、あなたを誘ったの」

「ありがとう、ございます。……ところでBBQって何ですか?」


 サイーダはうーんと首を傾げる。


「真っ昼間からビール飲むこと?」

「――サイーダ、わからないわよ。リディア、屋外でお肉や野菜をみんなで焼いて食べる交流会よ」

「ああ」


 そういうものですか。

 サイーダの省いた説明は意図的のような気もする。フィービーがサイーダを仕方ないわね、と軽く睨みながら補足してくれる。


「でも私は――」


 反射のように断りかけて、ふと思う。

 これって、合コン、じゃないよね。

 なんとなく、あの最後のディアンの命令が――よぎる。


「あなたって、先月の新任歓迎会も実習で来ていないでしょ? 他の先生と交流している?」

「いいえ」


 サイーダのツッコミに、よぎった疑問は頭の隅に追いやられる。


「来年、委員会やるでしょ。業者を決めたり、ポスターのサイズとか決めたり、そういう雑用も教員がやるのよ。多分面倒なことは全部下っ端のあなた。今年の先生に聞いといたほうがいいんじゃない?」

「そうなんですか? どうしよう!?」


 リディアは仰天して動揺する。こんな忙しさの中で、大学のポスターまでも教員が考えるの!?


「サイーダ、脅かさなくても。リディア、一応会議録もあるし、使った業者も全部記録してあるから、資料を引き継げばいいのよ。今回は楽しんでくればいいのよ」

「は、はい」


 フィービーの取り成しにもかかわらず、リディアはさらなる仕事の予感に、緊張で両肩をすくめる。

 怖い。


「ただね、私もあなたは他の先生と交流したほうがいいと思う。委員会とか、学会運営とか、係とか、一緒にやることも多いから。いきなり初めましてでメールするより知り合っておいたほうがいいわよ」

「……そうですね」

「苦手かもしれないけれど、行ってみないとわからないでしょ? 交流会も行ってみて嫌だと思えば、次からやめればいいのよ。一度も行かないで判断はできないわ」

「はい」


 フィービーの言葉にリディアは神妙に頷く。交流会なんて暇もないし、苦手だと思っていた。お酒も飲めないし。

 けれど、行きもしないで判断してはいけない。


「フィービーも行くんですか?」


 リディアが訊くと、フィービーは流暢な語りをやめて、苦笑を返す。


「私は行かないわ。親の介護をしなきゃいけなくて」

「そうだったんですか……大変ですね」

「平日は施設に預けてるんだけど、日曜日は施設がやってないから」


 現実的な理由に、リディアは神妙な表情で頷く。

 それ以上は踏み込めない、いずれは話してもらえるだろうか。


 ……自分は親と断絶しているけれど、いずれは帰らなくてはいけないのだろうか。

 それとも――親の決めた相手先に嫁ぐのだろうか。


「今のところ、二•二だけどいいわよね。うちの学科、みんな来ないのよ」

「に、に?」

「二対二」


 対戦?

 リディアは何かを言いかけて、だが口を挟む機会を失う。


「あ、水遊びもするから水着着用ね」

「水着!?」

「真っ昼間から飲むビールは最高よ!」

 

 イェーイと妙なテンションでサイーダに言われて、反射的に頷いたリディアは、フィービーの目配せに気づいた。


「サイーダは今週で学生の実技試験が終わるらしいの。溜まっているみたいだから」

「ビール、ビールのために頑張る!」


 そりゃストレスマックスですね! 

 試験を受ける学生よりも、試験をやるための準備をする教員のほうが大変なのだ。試験問題作りに日程調製、全て上の先生方のご意向を入れなければいけない。


 更に、当日のあらゆる問題にも目を配らなきゃいけない。

 電車の遅延で遅刻する学生の時間調整、鼻血を出したり吐いたりする学生の別室隔離、空調の不具合で苦情が出たり、試験監督の教授が来なくて、やきもきしたりもする。


 リディアは自分の身に置き換えて、目一杯「頑張ってください!」と小声で応援した。


 よぎる不安はひとつ。


(――水着どうしよう?)


 ……着たことない。


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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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