74.挨拶
第三師団は、守りに定評がある。
特に王宮の警備と国境線に多くの団員を回している。彼らの本部は、王宮を囲む不可侵の壁と呼ばれる峻嶺にある。
王宮へは貴族や大商人は専用竜車、一般人は乗り合い獣車で一時間から二時間ほど(込み具合による)。王宮を訪ねる場合は、第三師団本部の眼前を通る必要があり、ちょっとした検問になっている。
とにかく、リディアとディアンは第三師団への私的な訪問だったので、竜車か獣車を使うのかと思えば(王城への自動車の乗り入れは禁止されている)、団長の専用通路である転移陣を使い到着した。
数百年前から続く石造りの建物特有の、湿り気のある石の匂いと、肌寒い空気。
魔法陣の青い燐光が残渣をくゆらせながら、ふっと消える。
間もなく、連絡がいれてあったのだろう、アーチ形の出入口の左右に控える衛員の間から、颯爽と一人の青年が歩み寄る。
「第一師団ディアン・マクウェルだ。貴団の団長に取り次いでいただきたい」
「お待ちしておりました」
緩めのウェーブを描く淡い金髪、青い瞳は一見優しげな眼差しだが、目はどこか挑戦的な色を宿す。
第三師団の戦略担当のハイディーだ。
なぜ、こんな使い走りのようなことを、と思えばリディアに面白そうに目を向けてきたから察知した。
つまりみんな――好奇心旺盛なのだ。
彼が背中でひらりと揺れるケープを翻し、ついてくるように促す。
案内される必要はないが、ここでは客だ。大人しくついていくと、行く先々でディアンに対し軽い敬礼が示される。
リディアは彼の一歩後ろを歩く。
が、彼よりもリディアのほうが凝視されている気がする。
知っている顔も、知らない顔も、みんなが見ている。笑顔はない、どこか硬い顔。それに緊張が増してくる。力み、手をギュッと握りしめていることに気がついて、リディアは胸を張り、顔をあげる。
「団長、お連れしました」
「――入れ」
第三師団の本部は、第一師団以上に年季の入った建物で、およそ五百年前の龍王の城だったと言われている。
そのためか、天井は異様に高く、主要な部屋は舞踏室のように広い。とはいっても、龍が住むにしては、やはり狭いだろう。
その龍王とやらは、小柄だったのか姿を小さく変えられたのかは、わからない。
だが彼の性格なのか昔の技術なのか、城は石造りの質実剛健、無骨というのが相応しい造りだ。装飾の欠片も見当たらない。
そして、それこそが第三師団の気質そのものだった。
ただ、非常に古めかしい外観にもかかわらず、内部の防衛システムは最新であり、団員が無駄なく動けるよう動線もシステムも配備してあるため、働く上で不満はなかった。
そして団長の部屋は、城の最奥の主寝室であった場所を改造してあるため、広すぎも狭過ぎもないちょうどよい空間だった。
大きなドレープをえがく重たげな緞帳は、程よく入るよう光を調節し、やや肌寒い今日のような日は、暖炉で薪を燃やしている。
魔法じゃない光源と熱源は、リディアには落ち着きをもたらす。
数人が紙片やタブレッドを片手に団長の机を取り囲み、魔法師見習いが入口付近で作業をしている。
だが日常の仕事場という雰囲気を一掃させたのは、入ってきたディアンの存在。他の団長であっても、まず警戒と脅しの威圧的な気配を向けるのは、先頭集団の男たちの性なんだろうか。
対するディアンは、受けて立つわけでもなく、余裕で流している。
かなり重くてきつい魔力を浴びせられても、なんにも感じていないし、やっても無駄と思わされるのだろう。彼らはついと後ろのリディアを見て、おやと目を見開く。
「――久しぶりだな、マクウェル団長」
「ああ。遅くなって悪かった。やっとこいつを、連れて来た」
そして、リディアは「こいつ」の言葉と共に前に押し出される。
「全員、――席を外せ」
唸る様な声は部屋の主のもの。
誰も異を唱えなかった。無言で全員が、部屋をあとにする。ただ一人微動をしなかったのが、ディアンだ。
「俺は全員、と言ったが?」
「それに、俺は入らない」
淡々とディアンは答えているが、すでに戦闘モードだ。対する第三師団ワレリー・ヴァンゲル団長は、更に一回り大きくなったような気がする。
子どものときと比べて大人になって久々に再開すると、そのスケールは過大評価だったとも思いがちだが、彼は違った。
肩幅はより広く胸はより厚く、戦車がグレードアップしたようだ。
「さて。――覚悟はいいか?」
彼がリディアの前に立つ、こぶしを振り上げる。リディアは直立不動でその時を待ち構える。普段怒らない人が怒るときは逆らわない。そうされる理由がリディアにはある。
そして、彼が大きく振りかぶると同時に、頭頂部に多大なる衝撃が振り下ろされる。
(いったーい!)
思わずしゃがみこんで、頭を押さえる。
それでもかなりの手加減だろう、リディアは立ち上がり涙目でワレリー団長を見返す。
「リディア・ハーネスト。団長に告げます! 挨拶及び謝罪が遅れて申し訳ありませんでした!」
リディアは大きく叫んで、頭を下げる。足のつま先にまで頭が着きそうな勢いで、目を閉じる。
「頭を上げろ」
低い声で言われて、顔をあげた先には険しいワレリー団長の顔。
「何に対しての謝罪だ」
胸をはり、正面を見据える。
「はい。団長に失態を報告もせず退団したことです。申し訳ありませんでした!」
「挨拶とは」
「はい。このたび、グレイスランド王立大学魔法学科の助教に着任いたしました。その報告に参りました」
団長はリディアをじっと見つめた後、息をつく。いきなり空気が緩んだ気がした。
「リディア。お前はもう俺の部下じゃない、楽にしていい」
「……はい」
それでも、それが。少しだけさびしくて、胸が痛くなるのはどうしてだろう。
「今の仕事はどうだ?」
「……まだ胸を張って報告できるほどの成果はあげていません」
一生懸命やっています、そんな言葉は甘えだ。一回一回の任務と違い、成否が出るものではないから、どこにゴールがあるのかも見えない。
「それでも喰らいついていけ。それがお前だ」
「……はい」
頭に伸ばされる手。
大きな掌が頭に置かれて、暖かい魔力が流れてくる。こんな風に最後に触れてもらえたのは、最後はいつだろう。どうして、胸のほうが熱くなるのだろう。
「それでも、お前が戻りたくなったら、こちらのほうがいいと思えば、いつでも戻って来い。俺はまだお前に教えていないことが、たくさんある」
返事が出来なくなる。肩があがる、しゃくりあげるように息を漏らして。昨日から涙腺が弱いのだ。泣きたくはないのに。
大きな大きな胸に引き寄せられる。ずっと、この人は、リディアの父親代わりだった。
「ここは、お前の家だ――まだ」
まだ。その言葉にこめられた意味を考える前に、ワレリーの声音が変わる。
「何か言いたげな顔だな」
リディアがワレリーから離れると、リディアのずっと高い頭越しに彼はディアンと睨みあっていた。
「別に何も」
リディアはそっと、彼らから離れて壁による。
もうなんというか二人の間に漂う空気が怖いと言うよりも、魔力がぐるぐる渦を巻き、いやな予感がひしひしして、嵐が起きそうな気がする。
「さて。覚悟は出来ているんだろうな。ディアン・マクウェル!!」
ごうっと風がうねる、ワレリーの豪腕がディアンに放たれる。
はっきり言ってリディアに向けたこぶしとは全然違う。獅子を殴り一発で気絶をさせた時と同じだ。
ガツンという“硬い”音が響いて、ディアンがその拳を止める。
「なぜ防ぐ!」
「うるせー、身体が動いたんだよ!」
もう片方の拳も止めて、二人が組み手をして向き直る。
「謝罪にきた態度とは、到底思えんな」
「謝りに来たんじゃ……ねえ!」
空中に舞ったのは、熊ではなく、ワレリーの巨体。
床に叩きつけられて、建物を揺るがす振動が響き渡る。
(戦車が……投げ飛ばされた……)
片足さえも地面についたことがないのに。
大理石の床が、蜘蛛の巣のように放射状にひび割れている。
しかし、ワレリーは即座に跳ね起きると、ディアンの腰を掴んで壁へと降り飛ばす。
吹っ飛ぶディアンが壁にぶち当たり、本棚の本が音を立てて床に落ちる。
リディアは腰を抜かした。
(人外の戦いだ)
あわあわと、壁伝いに逃げようとしたが、腰が抜けて足が震える。
「じゃあ何しに来た」
「筋を通しに来たんだよ!」
ディアンの腹に、ワレリーの拳が叩きつけられる、その拳を握り首筋に強烈な蹴りを入れるディアン。揺らぐワレリーなんてはじめてみた。
「筋とはなんだ、まさか“挨拶”ともで言うんじゃないだろうな!」
「まさか。“今”じゃねえよ」
騒ぎに気づいて部下たちが部屋を覗き込み、家具を運び出す。
「“怒れる戦車”と“人間最終兵器の”戦いだ!!」
わああああと恐怖ではなく歓声があがり、興奮の声がこだまする。
皆が集まり、または駆け出す。
「さあどっちに賭ける!?」
「我らが団長”怒れる戦車“か? それとも第一師団の”最終兵器“か!? 一口一万だ!」
「ソードに実況をつなげ! リアルタイムで映像中継だ、あいつら見逃したらあとで文句言ってくんぜ」
(……怒れる戦車? 人間最終兵器?)
何その名称? 『漆黒のなんとか』は、返上ですか?
手を取ってくれたのは、案内してくれた第三師団の誇る頭脳ハイディー。
「こちらへ、リディアさん」
「あの、ワレリー団長の“怒れる戦車”って」
自分が居た頃はそんな名称なかったですよね。
「あれです。リディアさんがいなくなって、王宮と魔法師団の総本部にうちの団長が乗り込んで行ったんです。まるで戦車がすべてを踏み潰した跡のようだったと。その時つけられました」
リディアは固まった。
「ちなみに、最近総本部、再建予定ですよね。あれはソードの団長のせいです」
嫌な予感しかしない。
「第七世界にあった魔法師団総本部、あれを指一本で壊滅させちゃいました」
「……」
嫌な予感、あたった。
「一応十カウントしたみたいですよ。あれで第七世界が消えちゃったので、現在十四世界に新設中です。予算は評議会のお歴々の寄付金から。新設にあたり、団員からの寄付金徴収は一切行わないという約束を取り付けてきたのだから、ありがたいものです」
なんで立て直ししているのかと思っていました……。
「あれで、腐敗貴族の上層部は一掃されましたしね。綺麗になりました」
それの起因が自分だと思いたくないです。
「リディアさんは賭けちゃだめですよ。景品ですから」
「え?」
「うそです、まだでしたね。約束は果たされてないので」
「どういう意味ですか? そもそも一体どうして……」
その時、赤い明滅する光とともに、アラームが響き渡る。
全員がはっと動きを止める。団長も例外ではない。近くにいた団員が画面を見て、叫ぶ。
「非常事態警報レベル弐!! 西の国境より武装集団が進入。防衛システム作動中」
ワレリーがディアンの襟を掴んで立たせて、ディアンがその腕を払う。そして、いきなりワレリーに向きなおる。
「二年前の案件は、俺のミスだ。ハーネストを退団に追い込んだのも俺の責任だ、すまなかった」
ディアンがすっと頭を下げる。いきなりの潔いとも言える態度に、ワレリーも度肝を抜かれたのか、わずかに絶句してそして唸る。
「この件は、もういい」
ワレリーはそうディアンに告げて、終わりだとリディアを見る。
「あとは、ハーネストと俺の間で話す。――ディアン・マクウェル団長、お前は立ち入るな」
ワレリーのピシャリとした物言いに、ディアンは無表情で黙り、だが了承したのか何も言わない。若干不機嫌で不本意そうな気配を感じるけれど。
リディアは何かを言いかけて、けれど黙る。
なんなのだ、リディアが入る隙間がない。
「――部隊を編成しろ、すぐに情報を集めろ。ハイディーはすぐに防衛策を立て直せ」
命を下すワレリーに、ディアンも念話で仲間と連絡を取りつつ、ワレリーに声をかける。
「うちは、王都の守りを固める」
「ああ、陽動かもしれん。他の国境へも、すぐに部隊を向けよう」
それぞれが今のお祭り騒ぎを強制終了して、役目に戻る。
足早に回廊を抜けようと急ぐディアンの背を、リディアも追いかける。
リディアも生徒が無事に帰宅しているか、自宅待機を命じなければと走る。
「おい、マクウェル!」
ワレリーの声は、廊下を突き抜ける。
振り返るディアンの視線は、リディアを通り越してワレリーに向けられていた。
「“本番”は、こんなもんじゃないからな!!」
ディアンはふっと笑う。珍しく、目を細めて穏やかな笑みだ。
「その時は、大人しく殴られてやるよ」
こちらで実習編が終了になります。
長い間お読みくださいまして、ありがとうございました。
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