38.About his reason
公爵の成れの果てが運び出された後で、王は青ざめた顔で、ディアンに小言を繰り出す。
「僕の王宮で、ひどいことはやめてくれよ、外交問題になりかねないよ」
「どうせ治癒魔法をすぐ受ける。そしたら阿呆の遺伝子がまた作られる」
ディアンは、冷たい目で見据える。王は慌てて機嫌を取るべく口を重ねる。
「シルビス国では、女性には純潔を求める一方、男性は純潔を奪うことが男の勲章だと、もてはやされる。あの風潮は狂ってるよ。婚約者の純潔を奪い、処女じゃなかったと婚約破棄をして莫大な慰謝料までも請求する行為が、シルビスではずっと前から密かな社会問題になっているらしいね。リディア嬢も同じような被害者となったのは、不幸なことだよ」
「アイツは、あの男とは何もない」
していたら、こんなものじゃ済まさない。
そこまで言外に含ませるディアンに王は苦く笑う。
「破断となった本当の理由について伏せられたのは、君のとこが脅しをかけたわけじゃないだろう」
「――何を、言っている」
ディアンのちらりと王に向ける眼差し、そこに見えた昏い影に王は口を歪ませ、額に滲んだ汗を拭う。
――踏み込みすぎた。
王でさえも、ほぼ知らされていないヴィンチの惨劇の顛末。
内偵の報告では、リディアという女性が“何らかの被害”を受けて目を覚ますまで、この第一師団の団長は、まさに“人が変わったようだった”という。
何がどう変わっていたのかは、皆が口を閉ざし詳しいことはわからない。
「わ、悪かったよ。ただ、彼女の兄君が家督をついだとかなんとか。公爵への示談金には応じたのに、彼女の評判を落とす肝心な噂はそのままだったなんて、気になるじゃないか」
ディアンは、何も答えない。
だからこそ、王は知りたいのだ。彼女は、おそらく唯一彼が顔色を変える相手だからだ。
「あの貞淑処置は国際社会でもかなり問題だよ。不感症どころか、ベッドの中で痛み悶える妻を抱いて何が楽しいのか。快楽回路を遮断し、痛み刺激へと変換するチップを脳に埋め込むなんて。あの子が受けてなくてよかったねぇ」
シルビスは自国の女は自国の男のもの、その意識が強い。
成人であっても女性は夫か父親の庇護下にあり、人生のあらゆる選択権はない。国外にいても、シルビス女性が受けるあらゆる処置や制約を受けるように通達が山程送られてくるのだ。
いくら魔法師団の保護下にあったとはいえ、彼女があらゆる干渉を免れていたのは、奇跡に近い。
ただ無表情で、彫像の様な顔しか見せないこの男に、王は態とらしく踏み込む。
「君のところの保護下から抜けた彼女は、今後どうなるんだろうねぇ?」
ディアンは、王をまるっと無視した。
「あの公爵、もっと再生不能にするかと思ったよ。君、硬派で売ってるくせにあの子のことになると、ぶっ飛んじゃうから」
ディアンは腹立たしげに大きく息を吐き、顔を歪ませた。
「まだ片はつけていない」
「まだ?」
「あくまでも、俺は口止めをしただけだ。報復をするかどうかは――、聞かなきゃならない」
「ああ」と王は言って「そうだね」と続けた。
「僕から言うかい?」
「いや、もう知ってるさ。あとは俺から確認しとく」
ディアンは、話は終わりだと背を向けた。
王には借りを一つ作ったが、ほぼ貸しばかりだから困ることはない。リディアのこともアレコレ詮索しても、何もできないはずだ。
王宮の外に出てディアンは執務室である私室に戻る。壁には、真鍮製の聖獣アロガンスを貫く聖剣の意匠が飾られている。
それを見上げながら通信機を立ち上げ、相手にかける。
「俺だ。聞いてるだろうが――どうする?」
ディアンは壁にもたれる。先程聞かされた腐食した言葉。腐臭を放ち、いつまでもそれが頭を離れない。
あれが、あの国での通常。故郷でアイツが下された評価。
すべてひっかぶり、誰の手も取らずに全部背負い込んで、傷ついた身体と心で向かった故郷で受けた仕打ち。
癒やされるはずの場所で、ただ傷を増やしただけ。アイツが親からも兄からもぶつけられた言葉は、ディアンの耳にすべて入ってきていた。
(なんで――帰ってこない)
通信機を握りしめる。
(なんで、こっちに、もどって来ない――)
『――余計なことを』
冬眠を無理やり起こされた空腹の熊のような声に、思考を戻される。
「悪かったな、気が済まなかったんだよ」
『これ以上は手出し無用。――アレは、うちの“娘”だ!』
ほんの数十秒で終えた会話は、一方的な宣告だった。
切れた通信装置を、ディアンは無表情で見下ろした。
「わかってるよ、ワレリー・ヴァンゲル団長」
リディアの所属する第三師団、シールドの団長。
リディアがそこの“娘”だということは、ディアンは痛いほど思い知らされていた。
肝心なときに、ディアンは手を出せない。そして今も、個人的な制裁しかできなかった。
――娘を傷つけられて黙っている親父じゃない。あれは、ディアン以上の報復に出るだろう。
ディアンは、何もない空間を睨んで、それから深く息を吐いた。
リディアがいなくなった事実と、その裏の事情。
体面と体裁を繕うために、この機関は傷ついた彼女に全てを負わせて追い出した。そして彼女の行く先々でも、誰も彼女に対しては優しくない。追い打ちをかける仕打ちばかりを与える。
あの公爵はタイミングが悪かった。
自分が最も機嫌が最悪のときに、最悪の方法で関わってきたのだ。運も悪いが、調子に乗って汚物を垂れ流したのだ、戒めとしては足りないぐらいだ。
本来ぶつけたい怒り、その元凶達への報復処置は既に成された。それでも、この思いはとどまることを知らない。
あの時の、呪いを受けて刻々と死にゆく彼女の変わり果てた姿が、今でもディアンの脳裏に焼き付いている。
――彼女を失う。
その現実が突きつけられた時、ディアンの胸に飛来したもの――それは恐怖だった。




