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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
2章 魔法実戦実習編

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36.After the Vinci(few years ago) 


 --ヴィンチ村の惨劇より数ヶ月後--


 書類仕事が終わらない。

 好戦的な隣国が仕掛けてきた一月前のちょっかいを退けて賠償責任の問題で徹夜が三日続きだが、それも不機嫌な理由ではない。


 ディアンは、先程耳に入れた情報に、不機嫌を通り越し不気味だと言われるほどの静けさと無表情を顔に貼り付け、同時に殺意と同意義である魔力を部屋中に満たしながら、この王の私的空間で部屋の主を見定めていた。


「だから、私に殺意を向けるのは間違えていると思うよ、ディアン」

「へえ? アンタを半殺しにしておけば、もう少しマシな結果になっていたと常々俺は思っているんだがな」


 棒読みのような淡々とした声に、王は訴える。


「君の部下に対して評議会が持ちかけた取り引きは、私も遺憾だと思うよ、誠に。知っていれば、なんとしてでも止めたさ」

「アンタの力不足を是正するには、アンタを引きずり落とすのが手っ取り早いな」

「――だが、僕よりもマシな人材がいるかい?」

「いっそ役立たずな王政を崩壊させてもいいが?」


 ディアンの冷たい眼差しに、若い、まだ四十代前半の男――王は、苦笑いをした。


 魔法師団は王の直属の機関なのだから、自分に逆らえるはずがないのに、ここの団長共は曲者揃いで言うことをきいたことがない。どころか、対等な、時には自分より偉いのではないかという態度で接してくる。


 だが、王は気に入っていた。彼等は期待以上の成果をあげてくれるし、連盟内外の情報をすべて掌握し、適度な助言をしてくるのだ。

 

 そしてこの自分よりも若い、息子とよぶには早いが、若いくせに得体のしれない人間以上の存在である第一師団の団長を、特に王は気に入っていた。

 だがディアン自身にはそれほど好かれていないのも知っていた。


「今回は手遅れになる前に、君に知らせることができて僥倖だよ」

「アンタから聞く前に、既に耳に入ってきていたが?」


 ディアンの既知のリディア・ハーネストという魔法師が、色々な思惑の上で全部責任をひっかぶって姿をくらましたことで、彼の機嫌はこの数ヶ月よくなることがなかった。


 彼女は未成年ということで、特級魔法師グランマスターであっても、その名を公表されることもなく、公式行事にもでたことがないから、王自身は見たことがない。


 ただ、ディアンがかなり気にかけている様子から、そのうちいつか見てやると思っていたのに、いなくなってしまったのは残念だった。


「うん、まあシルビスのベッソーネ公はかなりの社交界好きで有名でね。彼女のことを吹聴しているから、君の耳に入るとは思っていたよ」

「俺を呼んだ理由は?」

「顔を見たいのじゃないかと思ってね」


 ディアンの顔は続きを促していた、だがその顔が既に戦闘モードになっているのを見て、王は複雑そうな顔をした。

 彼女が失踪したせめてもの償いと思い呼んだのだが、余計な嵐になりそうだ。


「ベッソーネ公の叔父が最近亡くなったのだが、我が国に領地をもっていてね。跡取りのいないその叔父の領地の所有権について、彼が訴えたいと来ているよ」

「そんな都合のいい話があるか」


 適当な理由をつけて問題の人物を呼び出したのは本当だ。

 だが、ディアンがそのまま部屋から出ていこうとするのを見て、王は慌てて止める。


「待ちたまえ。彼は控えの間にいる。いきなり殴りつけるのではなく、証拠を押さえるんだ」

「汚物を垂れ流す口をさっさと封じたほうがマシだ」

「何をどう誰に話したのか、後処理に必要だろう?」



 ディアンは、後を追いかけてくるグレイスランド王――退屈しのぎで楽しみだけで今回の余興を催した彼を意識しつつも、無礼とも言える態度で丸無視をしながら緞帳の影から、目を眇める。


 控えの間は、王との謁見を待つ者たちの社交の場。


 グレイスランドの特産品である金細工を扉や燭台や時計などあちこちにあしらい、彼の国の芸術の腕をさり気なく披露する。

 また、シルビス産の最高級クリスタルのシャンデリアを、天井一面に飾り、壁には見事な銀細工の縁取りの鏡を飾り、部屋を広く、また落ち着かない気分にさせるのに役立っている。


 ここを訪れたものは、王を待つ間に外交の縁を繋ごうと、同じ客人同士で情報の交換をする。それは、彼らに利をもたらすが、グレイスランドにとっても僅かばかりの情報源となることには間違いない。

 

 その部屋には二人の男がいた。

 

 一人は今回の事の顛末の元凶の男、シルビスのベッソーネ公と呼ばれる男。

 放蕩公爵という噂のとおり、いかにも享楽的で浮薄さ、貴族的な高慢さを滲ませる男だった。

 

 ディアンは、リディア・ハーネストの縁談の相手であり、婚約者であった男を眺めた。


 表情は変えなかった。ただ、周囲に漏れる魔力をいっそう冷ややかなものに変えただけ。


 ――四十歳半ば、といったところか。

 リディアの国では、経済力のある年上男性の所に嫁ぐ娘が幸せとされているから、年齢としてはちょうどいいらしい。

 

 ディアン自身としては――それが何だと言いたい。


 左右を固めた髪、黒髪の生え際に白いものが混じり始めている。笑みをたたえた顔は自分とはかけ離れている。


 このシルビスのベッソーネ公爵という男は、ここグレイスランド国の王の再従兄弟の嫁の弟という近いのか遠いのかわからない縁戚にいる男だった。

 

 若い妻を幾人も娶りながらも、社交界好きであちこちで浮名を流す放蕩公爵が、今度は自国シルビスで大臣の娘を五番目の妻とすべく婚約した、というのは、かの国の社交界では、ちょっとした噂になったらしい。



 ――その控えの間には、ベッソーネ卿の他に、謁見を待つ一人の初老の待ち人が居た。


 呼び出しを待つ間に、ブランデーをグラスに注いだ卿は、そこで知り合った初老の男に、アルコールの力を借りて、舌をよく回らせはじめた。


「――ぜひ私の社交クラブにもいらして頂きたい。そう、貴国にも伝わっていましたか、いや私の名をご存知とは――そう、少々不快な目にあいましてね。お耳汚しをして申し訳ない」


 会話に応じる相手の声はよく聞こえない。


 公爵は先に物事を口にし、そうやって自分を正当化して、先手を打つタイプらしい。


「お恥ずかしいことですがね、私としたことが――騙されたのですよ」


 あまり表情に出さないのが紳士とされているのだろう、口調は淡々として冷静に事実を述べているように聞こえるから、聞かされる側は真実だと思いがちだ。


「リディア嬢、といいましてね。ハーネスト卿の娘だから身持ちも確かかと思っておりました。彼は大臣でもありますしね、ご存じない? 固い男ですよ。頭も性格もね、わかるでしょう、姑にするには少し問題だ。ですが娘は美人だった」


 そこで彼は静かに笑う。アルコールが利いた口元が緩んだ下卑た笑みだ。


「彼女の事は知っていますかな? 貴国の魔法師団にいたそうですよ。いやいや、そんな要職にはついていないでしょう、茶を汲むか机を拭くか、マスコットには最適かもしれませんな。我が国では女は要職にはつけないのですよ、わかりますか? 女はろくに仕事もできない。そして事実、彼女はその典型だったのでしょう、残念ながら」


 ディアンは、腕をなんとなく伸ばした。

 それを見て王が、ぎょっとして口先でやめてくれ、と言う。


「男をたてることができない。会話でもそうでしたよ、食事の席で私を賛辞することもできない、振り向いた時に、控えめに微笑むこともできない。私のつま先が汚れた時に跪いて拭くことも、鼻をかむハンカチーフをタイミングよく差し出すことも、ステッキを丁度いい位置に渡すこともできない、愚鈍で頭の鈍い顔だけの娘でした。卿は娘の教育を間違えたのですよ。その上驚いたことにですよ、彼女は貞淑手術を受けていなかった」


 ディアンは、相手の歪んだ口元を眺めて、指先を見下ろした。


「知らない? 我が国の伝統ですよ、貞淑な妻には教育が必要だ。女に快楽など必要ない、それを覚えたらとんでもない世の中になってしまうでしょう。ですからわが国では、快楽を感じない、それを遮断する手術を女児に行うのですよ。愚かな他国の情勢に流れて、十年前にそれは禁止されてしまいましたがね、私はそれの復活を求める憂国の徒です。閨においても妻は夫に奉仕をすべきだ、自らが楽しむなどとんでもない。そうは思いませんか? なのにハーネスト卿は娘にそれを施していなかった。非常に怠慢です」


 ガシャッッ、と小さくはない不吉な謎の音がした。

 二人の紳士は、わずかに顔を見合わせたが、首を傾げ会話に戻る。


 王は振り返り、控えの間と謁見の間を繋ぐこの私室の全ての窓が、蜘蛛の巣状にひび割れているのを見た。


 おそらく、謁見を待つ二人の客人の控えの間もそうだろう。


 全ての破片がその時に、目指す場所へ一斉に飛んでいく光景を見ることができるだろう。その予測軌道上にはいたくないものだと、王はわずかに身を横にずらした。


「ああ失礼。私もそのようなことだけでは、縁談を断りませんよ。むしろ彼女を教育してあげるのが、私の義務でしょう。矯正は私の得意とするところです、これまでも妻の教育には随分と力を注いできましたからね。リディア嬢という気の毒な婦人を、今からでも矯正できる、そう自信はありました。それに――美人だ。クラバットを毎日結ばせるのは、美形のほうがいい。わかっていただけますか?」


 静かな笑いが起きた。いやあの男だけが笑っているようだ。


「手術を受けたか、そう尋ねた時、彼女は目を見開いて顔を赤くして、気の毒に俯いてしまいました。己を恥じていた、そう私は思いましたよ。彼女には試練が与えられ、私には神から義務が与えられた、そうまでも思いました。哀れな彼女には、私からの躾が必要だとね。ハーネスト卿からは些か多すぎるくらいの持参金を提示されていました、きっとそのための費用でしょう。しかし――悲劇が起こりました、手術を受けなかった、そのせいでしょう。彼女はあちらの方面で奔放だった」


 僅かに困ったように控えめに笑う男。


「面会の後、ですよ。驚いたことに、彼女は私の寝室に忍んで来たのです」


 ディアンは口内で、詠唱を初めた。


 普段は詠唱などしない、詠唱を必要とするのは上級以上の特級魔法だけ。特别選んだわけではないが、唱えたのは魔界に住む豪炎を吐く公爵を呼ぶ召喚魔法だった。普通であれば魔法師が十人がかりで、三日かけて召喚陣をかきあげるものだが、ディアンの詠唱で急激に魔法が組み立てあげられる。


 王が囁く。


「――王宮を壊すのはやめてくれ」


 ディアンは王を一瞥で黙らせた。


「まさか、大臣のご令嬢でしょう?」

「そこが、魔法師団。やはり男達が多数の集団でしょう、そのような所で雑用をしていたとはいえ、色々あったのでしょう。気の毒に。しかし彼女がそこで能力を発揮していたのか、それとも慰めものになっていたのか。しかし、私が見た限りは、あの奔放さは彼女の意思でしょう。とにかくまあ――驚きました。そして、私がどうしたかは、お聞きになりたいでしょうか?」


「――ぜひとも、聞かせてもらいたいね」


 突然話会話に入り込み、静かに歩み寄ってきた黒い衣装の男に、公爵もその場に居た紳士も目を見張る。

 ディアンは、彼等の気まずそうな雰囲気に、笑みを浮かべた。リディアに「悪魔を惨殺しながら愉悦に浸っているような笑顔」と言われたそれだった。



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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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