番外編11【狂気よどうか水面に映れ―下】
上があります
◇
そして精霊の儀がやってきた。
大岩の周囲には何百と精霊が集まっている。その中で今回、精霊の儀を受けるのは僅か十七の精霊。色とりどり鮮やかな光をまくように飛び回っている。ウタは候補者の中にかつて自らを嘲った主犯の精霊を見つけた。
上座には今回の儀を取り仕切り、一人前と認めるかの審議や担当の場所を決めたりする役割の精霊たちが勢ぞろいしている。その中にはウェンディーネの姿もあった。
「静かに」
その声をきっかけとして辺りは水を打ったようにしんとなる。
ずらりと並ぶ精霊、その最後尾でウタはその目の奥に強い炎を宿していた。水という穏やかな属性に苛烈な一面を併せ持つ、当時のウタはそんな妖精であった。
候補者は一様にして緊張感を張り詰めさせていた。
そして最初の一人がその査定のために一歩前に出た。
「風の妖精、ケツァルだ」
名乗りをあげると右の手のひらを上にして魔力を使いはじめる。手の上に小さな旋風が巻き起こる。そしてそれはやがて大きくなり、人の身長の二倍ほどにまでに達した。
「おお……さすがはあの大災害の申し子」
「気性は少し荒いが、将来が楽しみですな」
上座にいた精霊たちが感嘆と共に褒めそやす。賛辞を受けてケツァルは口の端を上げた。
「まだまだだ!」
ただ発生しただけの旋風をそのまま自分の周囲を回るようにして操作する。その下に落ちていた木っ端や草を巻き込み吹き散らす。
「まだまだ荒削りだが素晴らしい」
「担当地は全ての演舞が終わってからになるが、一人前と認めよう」
判定が下ると拍手が鳴った。ケツァルはちらりとウタを一瞥するとまたもや侮蔑を滲ませる。
「あいつ……」
ウタは何もなければ普通にしてようと思っていたがさすがにこれには苛立ちを覚える。だがまだだ、まだ何もしていない、と言い聞かせてその苛立ちを覆い隠す。
そのあとの候補者の演目は全くといっていいほどにウタには届かない。ウタの思考はある一つの事柄によって埋め尽くされていた。
「ではこれが最後になる。ウタよ」
名前を呼ばれてウタはふわふわと舞台に上がる。
巨大な岩を背に客と上座の方へと向かう。巨大な岩とウタの間には演目を終えた候補者たちが並んで待機している。
ウタはふっ、と息を吐いた。
「偉大なるウタ様の魔法を見るがいい!」
そしておどける。道化としてのウタが、お調子者としてのウタの態度が完成したのは思えばこの時であったのかもしれない。そこぬけに明るく、傲岸不遜さを笑い事にできるような軽さで高らかに宣言した。
上座の精霊は呆れ、そして候補者たちは笑いをこらえた。なんだよあいつ、と観客から声が飛ぶ。
その全てを意にも介さずウタは魔法を行使した。魔力が集まったのは一瞬、それにより発生させられたのは水の竜巻であった。それは先ほどケツァルが作り上げた風の旋風、それを水で再現したものであった。それをケツァルよりも予備動作なしに、ケツァルよりも早く作ってみせた。それだけでもケツァルの完全に上位互換を示すには十分だったのだが。
「先ほどのあれよりも大きい、か……」
「無駄が一切ない……だと……?」
ウタの作った竜巻は先ほどの旋風のように周囲を一切巻き込むことはなかった。静かに、滑るようにその場で回り続ける。その大きさはケツァルの約二倍。ウタが手を軽く振ると竜巻はぐるりと観客ギリギリまで動き、ウタのところまで戻る。そして戻った竜巻が一瞬膨らむと二つに分かれた。そして二本の竜巻をまるで手足のように自由自在に操る。
「これほどまでとは……」
驚愕により観客は静まる。ウタはそこに一本の木の棒を投げ入れる。すると綺麗に木の棒は四つに切断された。
最後は水の魔法を使ったことなどなかったかのように水ごと綺麗に消えてしまった。今見たものが幻だと言われた方が納得のいく話であった。
「ではウタを一人前として認め――」
上座にいた代表がウタを認めようとしたその時、それを遮るものがいた。
「ちょっと待てよ!」
ケツァルであった。
多くの人がケツァルが止めたことに疑問はなかった。ウタの演目は明らかに後者であるウタによって彼のものを意識したことがわかる。後出しで自分の魔法を真似られてそのままはいそうですかと引き下がれるような性分ではない。
さらにウタがそれをしたというのが彼には許せなかった。かつていじめていた相手。つまるところ格下だと思っていた相手に一世一代の舞台で恥をかかされたのだ。
「なにかなー? ケツァルくん」
「ここは自らの研鑽を示す場、人の真似事をしてその神聖なる儀を穢した輩を一人前と認めるのですか!?」
それはまったくといって屁理屈であった。真似事ができるだけの技量があるなら、それを評価することはできる。それにウタが認められたからといってケツァルの評価が下がるわけでもない。ケツァルはケツァルで評価はされているのだ。絶対評価のこの場において元来、得意な分野で勝負する方が有利であることは間違いない。その場で即興で自分なりの工夫を加えたその手腕は上座の者の多くが理解していた。
ただ、その二人の間にはある確執を知るウェンディーネからするとまた少し異なる感想もあった。それはつまりこれはただの喧嘩であり、どっちもどっち、両成敗といったところだ。バカなことを、と溜息をついている。ここは適当に保護者側としてウタを諌める必要もあるか、などとケツァルに目を向けた。
ケツァルは自分が苦境にあることを自覚していた。感情に任せ、言いがかりをつけたところで自分の評価が下がるだけ、そんなことはわかっていた。その気まずさ、周囲の目線に耐えかねて外向けの仮面が完全に剥がれ落ちた。
「は? どうせ何かのインチキだろ?! 落ちこぼれでグズのこいつがあんな魔法が使えるようになるわけがないんだ! どうせ誰かに頼んで違う場所からやってもらったりしてんじゃねーのか!」
言外にそれはウェンディーネのことを指していた。ウタの周囲にこの精霊の儀に関わるほど力が強く格の高い精霊などウェンディーネぐらいしかいない。
今まで黙って行く末を見守ってきた本人のこめかみには見えない青筋が浮かぶ。おどけた笑顔が急速に冷たくなる。
「ふーん、じゃあインチキかどうか試してみる? ふふ、ふふふふ」
ウタの前に二本の水でできた円錐が現れる。先ほどの回るだけの竜巻などという生易しいものではない。その先端は鋭利に尖り、濃密に凝縮された水は軋むように嫌な音を立てている。
「ひっ! なんだよ!!」
ちょん、とウタの指先が揺れると同時に二本の円錐は連なるようにしてケツァルの胸を突き抜ける。
精霊の体にはただの魔法は効かない。ウタの水槍も同じであった。一瞬、その胸を貫かれるという衝撃的な光景に観客からの悲鳴が小さく上がる。
彼の胸を通り抜けた魔法はその背後にあった大岩に一つの穴をあけて霧散した。綺麗に丸い穴からつー、と一筋の水が垂れる。そこで精霊たちはウタの魔法が大岩を穿ったのだと理解した。
水というものに硬さはない。無形で液体だからこそ、いかなるものでも速度と工夫、つまり魔法の力次第で傷つけることができる。
その威力を目の当たりにして、体感したケツァルはその場にへたり込んだ。貫かれた胸を押さえ、口をぱくぱくと動かす。ウタが本気ではなかったこと、そして魔法にケツァルを傷つける力がないことは明らかであった。だがもしもあれが生物の生き血であったら。魂がまだ宿る、新鮮なものを使っていたら。ケツァルは今頃、その体の維持ができずにきえていただろう。
生まれて初めて覚えた死の恐怖に泣きそうになる。
「ウタ!」
「なにをしているんだね!」
「神聖なる儀式だぞ!」
我にかえった精霊たちが今度はウタを責め立てる。
この精霊の儀においては他の精霊を傷つけることは堅く禁じられている。それは候補者同士においては尚更だ。
ケツァルのそれはあくまで言葉によるものであった。ゆえに実際に魔法によって攻撃を仕掛けたウタこそが今は糾弾された。それもまだしかし厳重注意にとどまっていた。それは精霊の中でただの魔法なら効き目がない、つまりまだ危害として認められるかどうかの境界線にあったからだ。
そこで彼らは気がつく。このウタを、ここまで育てた大物がここにいることを。いわば身内のこと、それをどうやって収拾をつけるのか、と。自然にその目が集まった。
「これで全ての演目が終わりました。もしよければ彼女の処遇を任せてはもらえませんか」
凛として問いかけるウェンディーネに、彼らは情けをかけるつもりか、と安堵したような心持ちになった。身内の処遇を任せてほしい、となると、対外的には罰を与えたように見せかけて甘く揉みけすのだろうと。
これが人間の貴族であれば、そして容赦ない人物であれば恥をさらした身内を命をもって償わせることもあったかもしれない。だがここは精霊の集まりで、言い出したのは温厚で知られるウェンディーネであった。
上座にいた中で、ウェンディーネを快く思わぬ者たちがそれを承諾した。うまくいけば弱みを握れる、そうでなくても貸し一つ、と考えたのだろう。
ウェンディーネはその全ての予想を見事に裏切り、覆した。
「ウタを一人前として認め、オフィーリアの森第三湖の管理者として任命します」
字面だけではまるで罰ではないように思える。だが精霊の多くが知っている。その湖に生物がひどく少なく、そして精霊もそこから逃げるように減っていったことを。水の精霊が管理する場所でも次々と管理者が代わるかなりの問題の場所である、ということを。
実質上の左遷である。まだ一人前として認めない方がマシであった。それなら確かに罰には見えて、ほとぼりが冷めて努力により評判さえ戻すことができれば次の精霊の儀で再挑戦することができる。そうすれば汚名返上して一からまた担当地の決め直しができる。そうすると思っていた精霊も多くいた。
それに比べて今回の処遇は、外から見て甘く、挽回の余地も残さぬ内実最も厳しいものであった。僻地で活躍の場もなく、そして次の休暇が終われば自然と役職が消滅することさえ考えられた。
「ウェンディーネ、師匠……?」
「ウタ、どうしてあんなことをしたの?」
ウェンディーネは震える瞳で覗き込み諭すように問いかける。その奥に怯えを含ませながら。
ウェンディーネがこのような処遇にしたのは身内の恥とか、ウタの罪を咎めたなどという綺麗な理由ではなかった。恐ろしかったのだ。
ウタの力は自然を愛する精霊では異端のものだ。狙ったものだけを綺麗に削り取るような美しい破壊、その光景はウェンディーネの脳裏に鮮やかに焼きついた。だから、一人前と認めないことでこの里でまた次の儀までウタがここにいるのが怖かった。しかし放り出して彼女がフラフラと野良精霊になるのも怖かった。
ならば、鎖を、重石をつけてしまえばいい。僻地とはいえ精霊の職務、そうそう離れることはできなくなるはずだ。離れようと思えば離れられるが、ウタはどちらかというと与えられたものでも役職や名誉に縋り付く性格である。なにも理由がなければそっと黙ってその僻地で何百年と過ごすことになるだろう。
「師匠……師匠……どうして……?」
今はたとえウェンディーネを恨んでも、いじめっ子のことを憎んだとしても……ウタは負の感情をウェンディーネと過ごして自己の鍛錬に努めたように、相手からの干渉がなければ今回もひたすら自己の向上で見返すために湖に執着し、成果をあげようとするだろう。
強さ以外は不器用なウタのことだ。成果をあげようと躍起になればなるほど空回りするのが目に見えるようだ、と。
ウェンディーネはウェンディーネなりにウタを見てきた。その観察による、堕ちきれないウタの性格を利用したつもりになっていた。
ただウェンディーネは一つ見誤っていた。
ウタは確かにいじめっ子への復讐心を鍛錬に向けていた。だがそれはウェンディーネが思うほどに綺麗な理由ではない。今回の儀式での顛末こそがその全て。ずっと見返す最高の機会を窺ってきたのだ。じっと耐え、最高の場面でケツァルを追い込むために。
そして今、かろうじて残っていた「師弟愛」という枷が外れてしまった。確かにウタはそれから湖で躍起になるようにして過ごしていたかもしれない。だがそれは決して苦難に対する防衛反応としての「昇華」や「代替行為」などではない。彼女が彼女なりに幸せを掴むための一つの手段だった。
「もう。いいや……」
ウタはふわふわと笑う。信じていた師匠に裏切られた惨めな妖精。そしてここに狂気の妖精が完成する。それを深い湖の底が見通せぬように、彼女の狂気もまた見通せぬ深い底に沈む。
彼女がレイルたちと出会うまであと――




