番外編10【月を見ながら】
笹が風に吹かれて葉擦れの音をたてる。夕暮れにさしかかろうかというほどに日が傾き、空は薄暗くなってきていた。
竹が幾つも生えた山の中に一つの屋敷があった。かつては一人の少女を垣間見ようと人が日夜問わず訪れていた屋敷ではあるが、今ではすっかり静かなものだった。
その中をかき分けるようにして二人の従者を連れた男がやってきていた。山の中にしては随分と身なりの良い、上質な着物に身を包んでいた。
「何者だ」
男の背後に突然黒い装束の男がやってきていた。刃物こそ持ってはいるがつきつけるまではしていない。
従者の二人は自らが遅れをとったことに衝撃を受けた。これでも護衛として訓練を欠かすことのない精鋭であり、その自負があったからこその動揺だった。慢心も油断もしたつもりはなかったはずなのに、完全に背後をとられたどころか自らが仕える主をおさえられてしまったのだ。しかしこの直後、さらに驚かされることになる。
「やめとかんか」
従者の背後をとったその男の、そのまた背後より一人の刀を腰に差した男が現れた。白髪の混じった頭髪にシワのできた顔、その年齢を感じさせる容貌とは裏腹に鋭い雰囲気をまとっている。
黒装束の男は彼を見るなり警戒を解いた。
「これは剣聖殿」
黒装束に背後をとられても平然としている従者の主は老人に呼びかけた。
「元、じゃよ……そやつは帝じゃ」
黒装束の男は帝、と聞くと一歩距離を置いて手に持っていた短刀を懐にしまう。
「これは、帝様でしたか」
そっと丁寧な挨拶をするが、そこに心からの敬意は見られない。帝は形式だけの礼儀に苦笑いしながら従者を止める。
「剣聖殿、こやつらは?」
「そやつらはあれじゃ、カグヤと共に行った男の家の者じゃ」
「ああ……」
帝はあの時の大立ち回りを今でもよく覚えている。その時、隣にいた若いのに真っ白な髪を持つ男のことは忘れようにも忘れられない。
「今日は何の用じゃ」
「なに、人生の先達に話を聞きにきただけよ」
◇
帝、というものは神聖化されがちだ。その方が権力者としては都合が良いのだが、そればかりでは真実が見えなくなることもある。決して臣下に悪意があるわけではない。帝の耳に入れることではない、と情報の取捨選択と讒言が偏ってしまうのだ。
そういう意味では元は剣聖であったこの老人は帝にとって数少ない正直な意見を聞くことのできる人間だった。
帝は屋敷に招き入れられた。木と草の匂いが支配する部屋を背に縁側に腰をかけた。石と苔が鮮やかに庭を飾っていた。
「お主はいつまで経っても小僧じゃな」
「父の代から有事の時に颯爽と助けてくれたこの国最強の其方に言われれば返す言葉もない」
「……祭典に呼ばれた話かのう?」
「知っていたのか」
「まあ……ちらほら、とは耳に入ってきとる」
「今我が国は保守派が大半を占める。古き伝統を守り、帝を神聖化することで権力を確固たるものとしようとする動きが。新しく朝廷に入る若い者もそれに感化されてしまっていつまで経っても革新派の力はつかない」
「じゃろうな」
国王が存在し、それに従うような国は数多く存在する。
翁は今のヤマトに危機感を抱いてはいなかった。しかしそれは今の帝が彼だからだ。いつか遠い未来、救いようもない醜悪な精神性の持ち主が帝となってしまえばこの国は窮地に立たされることだろう。その時はまたその時の変化があるだろうと勝手に予想してなにも言わないのだった。
「この話を受けたいと思っている」
「それはのう……」
翁の心にある葛藤が浮かんだ。
正直に言うならばその意見を否定したかった。しかしそこに自分の中のある懸念が影響している可能性があったからだ。それはかつて帝と結婚することを拒み、幼馴染の青年と結ばれるためだけに口から出まかせを言って国から逃げた愛娘のことだ。あの二人は名誉欲こそないが、おとなしくしているような人間でもない。何らかの形で名を上げてしまっている可能性も考えられる。そうなった時、帝を国の外へと行かせてしまって気づかれてしまえば。
そんな心配があったからこそ、帝の言うことを否定するのが自分の都合によるものではないかという罪悪感があった。
「ああ……かぐや姫のことか」
「わしも齢を重ねておるのじゃがな。そんなにわかりやすいか?」
「いや、私と其方の間に感情的になって躊躇うことがあるとすればその一点だろうと思ってな。気にしていない。だから正直に申してくれ」
帝のその口調に、翁は帝がとっくにかぐやの嘘を見抜いてしまっているのだと察してしまう。
それを受けて翁は正直に意見を告げた。今帝が国を離れることは他国と友好を結ぶことや新しい世界を知ることの利益よりも危険な部分が大きいのではないか、と。自国内が完全に安定しているわけではないのに国の外から獅子身中の虫を御することができるのか、と。もともと結界や帝といった国の性質から他国との交流を断っていたヤマトだ。今更一度新興の小国の招待を断ったところで何か悪くなるようなこともないだろう、と。
それを聞いて帝は保守派がただ交流を断つために止めていたわけではないことを理解した。そして自分がそうした伝統に反抗的になって焦っていたと自覚した。
政治の話が一段落ついたところでぽつりと翁が話題を変えた。
「……いつから気がついておった」
主語も目的語も抜けた説明不足の問いかけに帝はただふわりと微笑んだ。
「多分……最初から、ですかね。本当は気がついていたのに、信じたくなくて目を背けていたのですよ」
当時は本気で憤って追いかけていたのですけどね、と付け加える。
帝は長く翁と話していると幼子に戻ろうとする。かつて誰にでも丁寧な言葉を使った時のそのままの口調へと。今でこそ尊大に話す癖がついているが本来は柔らかい物腰の優男であったのだ。
「わざわざあんな茶番に付き合ったんじゃなあ」
「茶番じゃありませんよ。あれは大切なことだった。彼らにとっても、そして私にとっても」
翁にもその理屈はわかる。帝が求婚をただ断られたとあれば面目が立たない。ただでさえ神聖化された権力の象徴なのだ。そこに言い訳を足すならば月の民、というぐらいに神秘の世界を持ち出す必要があっただろう。
そしてかぐやは元剣聖の娘という下手な貴族を凌ぐ権力の持ち主で、幼馴染は暗殺家業と陰陽術師の卵であった。それまでは翁が個人的に親しくしていただけだったから見逃されてきたその関係も、かぐやの朧家への嫁入りを以って強固な繋がりとなってしまう。おそらく中央の金と権力に敏感な貴族はそれを許しはしないだろう。一度全てを捨ててしまうというのは二人が幸せになるのにちょうど良い選択であるのは否定できない。
帝はかつてカグヤに惚れていた。
最初はその容姿から、会ってみてその物珍しさから、そして最後は。
「逃げられてみて、どれだけ惚れていたか自覚してしまう、というのも辛いものであるな」
だがしかし帝は気がついてしまった。最後に幼馴染に攫われて嬉しそうに微笑むかぐやの顔に見惚れ、自分が本当の意味で恋をしたかぐやは幼馴染に恋する、今まさに駆け落ちしようとするかぐやにだったのだ。
もしも力づくで追いかけて、取り戻したとしてもかぐやの心は自分に傾くことはなく、そんな形で手に入れたとしてもその頃にはかぐやは自分の恋したかぐやではなくなってしまっていることだろう。そんな当たり前の失恋をしたことを自覚してしまった。
その時の帝はかつてのあどけない恋をした青年の顔になっていた。
すっかり日が落ちて暗くなった庭で夜空を見上げて深呼吸した。そして帝の顔を取り戻す。
「見事な月だ」
「ばあさんが作った団子じゃ」
「贈られてきた値段ばかりが高い酒だ」
翁は盃を用意して帝の出した酒を注ぐ。酒杯の中に月が映り込んで揺れていた。
「わしはかぐやさえ幸せであればよかったんじゃ」
「あの月にかぐやがいるのだな」
「思えば本当に人ではなかったのかものう。竹から産まれとるし、成長は早いのに老化は遅いと変な娘じゃった」
「逃した魚は大きかった」
「そんなお主も今は嫁を持って子供もいるじゃろうが」
「帝だからな。それが仕事でもある」
あれから十年以上が経っていた。かぐやにも子供ができているのだろうか。翁と帝は成長したかぐやを思い浮かべる。
二人とも実は結界の歪みに巻き込まれて若返り、旅立った時と見た目がほとんど変わっていないとは知らない帝と翁である。
「だからな。もしも外でかぐやに出会ったとして私はもうかぐやを責めることもなければ執着することもないだろう。其方が気に病むことはもう何もないのだよ」
「一応わしがお前さんとかぐやを引き合わせたようなもんじゃしの、それに当時はどっちに転ぶか半々じゃと思っておったから」
倫理観がなく、距離が近すぎて恋愛感情かどうかもわからぬ幼馴染と突然現れた見目よく男として多くのものを持っていた帝。女としてどちらを選んだとしても間違いなどと言える選択肢はなかった。
実際はその心は幼馴染にのみ向けられていたし、かぐやは単純でかつ独特の好みを持っていた。異形の容姿、人の道を外れた世界に生きる彼をありのままに常識も倫理も持ち合わせたまま受け入れた。
「勝ち目がなかった私は鞘当てにさえなれてやいなかったのだから」
「ままならんのう」
翁からすれば二人の男の子は同じく孫や息子のように見ていた。幼い頃から知っていて、親と知り合いで。違いといえば近くに住んでいた朧家と滅多に出かけてこれない帝の一族といったぐらいのもので、帝がかぐやに出会うことができなかったのも結局その違いである。帝のことも一応大切ではあったのだ。あくまで一番はかぐや、次に嫗でさらにその後に続くと優先度合いは低くなってしまうのは否めないが。だから一度はかぐやに帝を勧めたこともある。結婚するなら悪い相手ではないぞ、と。本当に些細なことではあるが。
もしも帝が二人の幼馴染であったなら何かが違ったのだろうか。二人の男がかぐやを取り合う様を想像すると胸が痛くなった。それでもかぐやが、帝を好きになっている様子が想像さえできなかったこともそれに拍車をかける。
どちらも幸せになる未来はなかったのだ。
なんかもっとがっつりレイルの話とかも書いた方がよいのでしょうか。
そうかコメディーの方がいいのでしょうか?
なんかシリアスなキャラ同士の絡みばっかり書いてますが。
何かリクエストっぽいのあれば




