表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その6『傾く天秤』
27/29

あの日の夜空


「カール!?」

「くっ……うぐっ……はぁ……っ!!」


 頭痛。

 吐き気。


 いや、俺は実際に吐いていたのかもしれない。

 誰かが俺の背中をさすっている。


 激しい頭痛。

 頭の中でドラが鳴り響いているかのようだ。


 ……晴れ渡った夜空。

 ……ぽっかりと浮かぶ月。

 ……パチパチという火の爆ぜる音と、赤く染まる空。


「ぅぁ……くぅっ……!!」


 ……晴れ渡った夜空。

 ……ぽっかりと浮かぶ月。

 ……パチパチという火の爆ぜる音と、赤く染まる空。


 あいつを背負った俺は……走って、走って――


 何度も、何度も。

 同じ記憶が頭の中を駆け巡る。


 ……晴れ渡った夜空。

 ……ぽっかりと浮かぶ月。

 ……パチパチという火の爆ぜる音と、赤く染まる空。


 走って、走って。

 そして。


 そして、あいつは――


「っ……!!」


 ……ああ。


 俺は。

 俺は。


 俺は――


「カール……」

「……レ……ベッカ……」


 指の隙間から見える地面には、やはり俺の胃の中の汚物が広がっていた。そこから異臭がただよってくる。


 そんな俺をのぞき込むレベッカの顔は、いつもでは考えられないほどに心配そうで。


「平気か、カール?」

「ぁ……ああ……」


 少し気分が落ち着いてきた。


「大丈夫……大丈夫だ……」


 ……晴れ渡った夜空。

 ……ぽっかりと浮かぶ月。

 ……パチパチという火の爆ぜる音と、赤く染まる空。


 走って、走って。


 ……そう。


 赤く染まる空。

 黒い煙がそれをおおって。

 背中にあいつを背負って。


 はだしのまま、走って、走って。

 泣きながら、走って、走って。


 そして。


 そして――


「……あいつは……」


 本当はわかっていた。

 とっくの昔に理解していた。


「あいつはもう……冷たくなっていて……」

「……カール?」


 目の奥が熱い。


「あいつ、昔よりやせてたのに、背負ってみたら昔よりもずっと重くて――」


 レベッカが驚きに目を見開いている。


「まさか、思い出したのか……?」

「あいつは……」


 あふれ出した液体が、ほほから指の隙間を伝っていった。


「あいつは……もう、いないんだ……」


 わかっていた。

 あの日、すでに気付いていたんだ。


 息をしてないことだって。

 鼓動が伝わってこないことだって。


 本当はわかってた。


 だけど。


「……けど、俺にはあいつしかいなかったから……!」

「カール……」

「あいつがいなきゃ俺が生きる意味もなかったからッ!」


 すべてだった。


 産まれてから途切れることなく続いた暗闇の中で。


 唯一与えられた温もり。

 唯一信じることのできた安らぎ。


 ……すべてだった。


 あいつは俺が存在する上で、なくてはならないものだった。

 無くしてはならないものだった。


 だから、俺は。


「……それで、君は」


 ゆっくりと、あたたかい手が背中を撫でている。

 それが、びっくりするほどに俺の心を落ち着かせた。


「それで、遺体と手紙を診療所の前に置いていったのか」

「お前……」


 どうしてそこまで知っているんだ、と、そう尋ねようとしたが、レベッカはそれに先んじて答える。


「私は情報屋だ。そのぐらいのことを調べるのはたやすい」

「……」


 それは可能なだけであって、なぜそんなことを調べたのかということに対する答えではなく。


 だが、あえてそう答えたのであれば、追及したところでこいつはそれ以上の回答をすることはないだろう。


「君の弟は、診療所の人が丁寧に埋葬してくれたそうだよ。君から毎月送られる金の一部を使って、墓も建ててくれたらしい」

「……そうか」


 頭痛もいつしかおさまって。

 吐き気も消えている。


 体は相変わらず重かったが、これもそのうち良くなるだろう。


「……約束だった」


 足に力を込め、地面を確かめるようにゆっくり立ち上がると、レベッカが俺から少し離れた。


「医者に見せて、元気になって、そして一緒に幸せに暮らすんだって……」


 そうしながらレベッカに向き直ると、向こうもまっすぐにこっちを見ていた。


 ……いつもの表情のようだったが、少しだけ瞳が揺れているようにも見える。


「けど……俺はその約束を守ってやれなかった。だから」

「それは仕方ない」


 レベッカは小さく首を振った。


「君は子供だった。結論からいうと、それはどうやっても実現のできない約束だったと思う」


 そうなのだろうか。


 いや……それは今さら言っても仕方のないこと。


「君のせいじゃないさ。……いや、もしも君に罪があったとするなら」


 レベッカはそう言いながら、ピッと人差し指を立てる。


「叶えられない約束をしてしまったこと。そのことぐらいかな」

「……そう、なのかもな」

「たとえるなら」

「……?」


 俺の疑問の視線に、レベッカは小さくうなずいて言った。


「プロポーズのときに『この世で一番幸せにしてやる』とか言ってしまう痛い男と同じだな」

「……は?」


 一瞬、なんの話だか理解できなかった。


「だって、この世で一番とかどう考えても嘘じゃないか。それをエサに結婚を迫るのはある意味サギのようなものだし、それにあっさりうなずく女も女だよ。そう思わないかい?」


 思わず絶句して、


「……どこが同じだよ。だいたいそういうのは心構えの話であって――」

「しかし、なんだ。そのプロポーズ相手が血縁の上に同性の実弟とはな。君もなかなかにぶっとんだ性癖を――」

「ぜんぜん違うッ!」


 湿った雰囲気はアッという間にブチ壊れてしまった。


 どうやら俺たちの場合、どんな雰囲気になっても行きつく先はこんなものらしい。


 ……いや、それはこいつなりに気を遣ってくれた結果なのだろうか。


 確かに今は、そんなしみじみとした雰囲気にいつまでも浸っていられる状況ではないのだ。


「……とにかく」


 手の中にはマフラーがある。


 ところどころほつれて、とても人前じゃ見せられないほど不格好な手編みのマフラー。


 思い出してみれば当たり前のこと。


 ……誕生日プレゼント。


 あいつは1年も前の、適当に受け答えた俺のウソを覚えていたのだ。


「……だったら、こっちも約束を守んなきゃ、な」

「約束?」

「絶対に忘れない。昨日、あいつとそう約束したんだ」

「ほう」


 レベッカは納得したようにうなずくと、


「君はいつの間にかロマンチストに転職していたのか」

「うるせーよ」

「で?」

「助けに行く」


 きっぱりそう言った。


 たぶん俺が記憶を取り戻したのは、あの瞬間、俺の中で絶対的だった優先順位が入れ替わったからだろう。


 あいつが――ファルが、俺の心を縛っていた鎖を外してくれた。それはつまり、俺の人生に新しい意義が加わったということ。


 だったら、あいつを取り戻しに行くことを迷うはずなんてなかった。


「しかし」


 レベッカはまるで俺を試すかのような目をして、


「さっきも言ったように、今から戻ったところであの子はもう連れ出された後だ」

「行き先、知ってんだろ?」

「ま、知ってるけど」


 ちょっととぼけた感じでそう答えてから、


「また借金増えるよ?」

「この期に及んでまだしぼり取る気か、貴様は……」


 とんでもない性悪女だった。


 ……いや、わかってたよ、そんなことぐらい。


「商売繁盛で結構なことだね」


 平然とそう言って、レベッカはポケットに手を突っ込む。


「じゃあまずはこれ」


 出てきたのは紙切れ。


「奴らの移動は馬車だが、動き出すまでもう少し時間があるから、先回りして待ち伏せることは可能だ」


 受け取った紙切れには時間帯から馬車の走るルート、待ち伏せに適した場所まで書かれていた。


 ……相変わらず恐ろしい奴だ。


「馬車は今夜中に東の港町まで行って、『荷物』は明日の船で運ばれる手はずになっている。……はい、爆竹」

「……爆竹?」

「船に乗せられたらもうどうにもできなくなるから、取り戻すチャンスはたぶん今夜しかない。……はい、ナイフ」


 カバンの中から次々に物騒なものを取り出していくレベッカ。


「あと木槌も、ほら。そこの塀の裏に隠してあるから持ってって。扉にカギついてたらぶっ壊すしかないし」

「つーかお前、いつの間にこんなもの用意して――」

「御者のほか、中にも見張りがいると思うから適当に無力化してよ。あと、あの子のほかにふたりほど、この町から運ばれる予定だから敵と間違わないようにね」


 質問のヒマも与えてくれない。


「やり方はシンプルだよ。爆竹で馬を混乱させて、相手が動きを止めたところを襲撃する。あとは力業」

「馬が暴走して止まらなかったらどうすんだ?」


 そこでレベッカはようやく俺の問いかけに答えた。


「神に祈っとこうか」

「……ふざけんな、コノヤロウ」

「いや、正直な話、厳しいな」


 そこまで淡々と進めていたレベッカが、急に眉間にしわを寄せる。


「相手も決して素人ではないからね。そう簡単じゃない」

「……だろうな」


 いくつもの町から集めて、それを船でどこかに売り飛ばそうって連中だ。そこそこの組織がバックにいるのは間違いない。


「つーかお前、ここまで用意周到だったってことは、最初から俺に協力するつもりだったんだろ?」

「ま、君が記憶を取り戻して、かつ情報料を払ってくれるならね」


 がめつい奴だ。

 まあ、それはいいとして。


「だったら、もっとこう……楽な相手を選ぶとかなかったのか?」

「ほほう」


 レベッカはわざとらしくびっくりしたような顔をして、


「君が私をだまそうとしたから、それを回避するために仕方なくああいう方法を採らざるを得なかったのだが?」

「……そりゃそうだが」


 返す言葉もなかった。


「しかも君は、あの学長の申し出がなければ、私の目を盗んでとんでもないところにあの子を引き渡そうとしていた」

「とんでもないとこ?」

「フリック=ローバック」

「……なんでそこまで知ってんだよ」


 そいつは俺が4ヵ月前、『まだいくらマシ』なファルの引き渡し先として考えた男のフルネームだった。


「しかも、あろうことか無償で」

「別に金が欲しかったわけじゃないからな。それにお前が売り渡そうとしてるようなところよりはマシだと思って」

「わかってないな、カール」


 レベッカは大げさなため息を吐き、首を横に振った。


「さっきも言った。……あの子にとって大事なことは、君と一緒にいられるかどうかだけだ。だったら君の手に金が渡る選択肢の方が、あの子にとってもよっぽど有意義な選択だと思わないか?」

「……」


 反論したいのは山々だったが、実際にあいつ――ファルが望んでそういう選択肢を選んでいる以上、俺が返す言葉なんてなかった。


「……それに」


 そう言うと、レベッカは急に、ほんの少しだけ申し訳なさそうにしながら目線を落とした。


「正直なところ、あの子を思いやるほどの余裕もなかったよ。……君を追い込むことだけで私も頭が一杯だったからな」

「……お前は」


 追い込むって言葉だけを聞くとイメージは悪い。

 だが、それはつまり、こいつがそれだけ俺の記憶を戻すことに真剣だったということだ。


 俺は思わず問いかけていた。


「お前は……一体なんなんだ?」

「失礼な質問だな。これでも人間らしい姿形をしていると思うよ」

「そういうことじゃない」


 あまりふざける気にはなれなかった。


「お前は――いや。お前にとって、俺の記憶を戻すことは、そんなに大事なことだったのか?」


 真剣にそう尋ねる。


 がめついとか性悪とか色々言ったが、実際のところ、こうして俺に協力することは、こいつ自身にとってとてつもないハイリスクだ。


 自分が仲介した『商品』を、別の人物に奪い返させようとしている。


 それはつまり詐欺行為であり。

 依頼人に対する重大な裏切りだ。


 その事実がおおやけになれば、俺と同じくこの界隈で暮らしていけなくなるどころか、命を狙われる危険もある。


 俺がファルのためにこいつをだまそうとしたのと同じか、あるいはそれ以上のリスクを負っているのだ。


 仕事も住む場所も、命すらも失うかもしれない。


 それなのに、こいつは。


「前に言ったじゃないか」


 だが、そんな俺の質問にもレベッカは淡々と答えた。


「私は君を愛しているんだ。だから愛する人に幸せになって欲しくてがんばっただけのこと。そうだろ?」

「……真面目に答える気はなし、か」


 肩をすくめて首を横に振ると、レベッカは少し楽しそうに、


「ふふ……でも、少なくとも嘘ではないよ。他にも色々あるんだけど、それをわざわざ君に言うつもりはない」

「そうか」


 本当に大事なことは隠してしまう。

 いかにもこいつらしい返答だと思った。


「でも、ね。正直なところ、君があの子を助けに行くのには反対なんだ。きっと無事では済まないからね」

「なんだそりゃ。言ってることがさっきまでと違うじゃないか」


 あきれてそう言うと、レベッカは真面目な顔をして、


「それはまあ、君の記憶を取り戻させるために、あの子をダシに使っただけのことだしね。あの子のことは過去のこととして、君には新しい人生に踏み出して欲しいのだけど」


 悪びれもせずにあっさりとそんなことを言う。


「そんなこと――」

「でもね」


 反論しようとした俺の言葉をさえぎった。


 ゆっくりと目を閉じて。


 ……そして数秒。


 冷たい風が俺たちの間を吹き抜けて。

 その風がレベッカの髪を小さくなびかせて。


 目を開けて。

 その場の雰囲気が、また少し変わった。


「レベッカ……?」


 それを目の当たりにした瞬間、俺は思わず言葉を失くしてしまう。


「……長かったよ」


 そこに浮かんでいたのは、やはりこれまで見たことがないような、優しい微笑みだった。


「君も私も、これでようやく自由になれたんだ。だから君は、君の進みたい道を選ぶといい。……私はただ、それを見守るだけだ」


 そう言って俺を見つめる目は優しくて、あたたかくて。


 まるで母親のような。

 俺にとっては初めての感覚。


(……どうして)


 言葉が出ない。

 いくつもの疑問が頭の中を渦巻いて、まとまらない。


「……それじゃあ、カール」


 そのままレベッカはゆっくりと背を向け。

 俺から離れて。


「これでサヨナラだ。成功を祈っているよ。そして、やるからには」


 それから肩越しに少しだけ振り返った。


「必ずあの子を助けてやるといい。今の君には、その資格があるはずだから」

「……」


 1歩。

 2歩。


 離れていく。


「レベッカ……」


 理由はわからない。

 わからないが、なぜかこいつにはもう二度と会えないような気がした。


 ……別れ。


 俺にとっては2回目……いや、3回目の大きな別れ。


 最初はわけもわからず一方的に与えられて。

 その次は自分の無力さに打ちのめされた。


 そして今回は。


「……レベッカ!」


 あるいはこれは、こいつがいつか俺に言ったように。


「なに?」


 成長するために。

 先に進むために必要な別れなのかもしれない。


「世話になった。……ありがとう」


 本当は他にもっと言いたいことはたくさんあった。

 ただ、こういうときに、そういう言葉が素直に口をついてくる性格でもなく。


 ただ、


「なんだ。そういうことも言えるんだ」


 明らかに言葉足らずな俺のセリフにも、レベッカは満足そうな笑みを浮かべていた。


「君が素直に礼を言うなんてね。今夜は雪かな」

「……あのな」

「礼なら形に残るもので頼むよ」


 再び視線が俺から離れて。

 それが上空――晴れ渡った夜空へと向けられた。


「ま、本当は礼を言われる立場でもないんだけど。ね」


 1歩。

 2歩。

 3歩。


 今度こそ、彼女の足は止まることなく俺から離れていった。


「……」


 俺は黙ってそれを見送って。


 残されたのは、馬車の予定が書かれた紙切れ、木槌、ナイフ、爆竹とマッチ、マフラー……地面に落ちた茶封筒。


 あとは俺が最初から身につけていたもの。


「じゃあ、元気でな……」


 聞こえるはずもなかったが、最後の別れの言葉を口の中だけでつぶやいて。


 そして俺もあいつの去った方角に背を向けた。


「……よし」


 これ以上、別れを惜しんでいる時間はない。


 せっかくあいつがおぜん立てしてくれたんだ。

 しくじるわけにはいかない。


 作戦は……あいつが考えた通りにやってみるとしよう。

 そうすればなんとなく、うまくいきそうな気がした。


(あまりに無茶すぎる作戦なんだが……)


 とはいえ、そもそもたったひとりでファルを奪還しようということ自体が無茶な話でもあるし、それでも4ヶ月で借金返すよりは少しぐらい分のいい勝負だろう。


 とすると、状況は好転していると言っていいわけか。


(いつの間にこんな楽観主義者になったんだろうな、俺は)


 ふと考えて、浮かぶのは苦笑ばかり。


 胸につっかえていたものはすべて消え失せた。

 最優先にやらなきゃならないこともはっきりしている。


 だったら、ためらうことに意味なんてない。


「行くか」


 木槌を背中に背負って。

 ナイフを懐に忍ばせて。

 爆竹とマッチはポケットに。


 不格好なマフラーはちょうど背負った木槌をカムフラージュしてくれた。


 念のため、地面に落ちていた茶封筒も拾っておく。


 本当にうまく行きそうな気がしてきた。


(……堅実が俺のウリだったのにな)


 気持ちはすっきりしている。


 夜空は晴れ渡っていて。

 そこには丸い月がぽっかりと浮かんでいる。


 だけど、火の爆ぜる音は聞こえてこない。


 本当に、うまく行きそうだ。


 なんとなく。


 なんとなく――






 ――晴れ渡った夜空と、ぽっかり浮かぶ月――


 月影を追うように響く足音。

 あの日もこんな夜だった。


 手を差し伸べたくて、だけど臆病だった私にはそれすらもできなくて。


 ずっと後悔し続けた、あの日の夜。


 あれから十数年。


 ……長かった。


 あの日の悪夢をあれから何度見たことだろう。


 親としては最低だったあの人たちが、私を残して命を絶った日も、私が見たのは彼らが消えたあの夜の夢だった。


 ……結局、私がどうしようと結末は変わらなかったのかもしれない。 あるいは、今よりももっと悪くなっていたのかもしれない。


 だけど、助けを求める声は、いつまで経っても私の耳から離れてくれなくて。


 そして私は今日、ようやく長年の想いを遂げることができた。


 あの子に手を伸ばし、触れて、導くことができた。


 ……そしてこれから訪れる結末。


 これから後に私の眼前に広がるであろう景色。

 それがどんなものなのか、私にはわからない。


 過剰な期待はしていなかった。


 精一杯の努力や。

 まっすぐで一途な想い。


 あの子の言葉ではないが、それらは強固な現実の前にはひどく儚くてもろいものだ。


 でも……それが私とあの子の選んだ道だから。


 いざというときのために。もしかしたら最後になるかもしれない、あの子の願いだけは叶えてあげられるように。


 準備しておこう。

 幸い、そのための資金は十分にある。


 あの子が診療所に送り続けていた金は、10年以上の時を経て、ひとつの財産ともいえる額になっている。


 これだけあれば、なにをするにしてもしばらくは困ることもないだろう。


 できれば。

 できればあの子が自ら彼女の手を引いて欲しいとは思うけれど。


 もしそれが叶わなかったら。


 ……とにかく。


 どちらにしても今は、色々な準備をしておかなきゃならないだろう――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。



― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ