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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その5『メルヘンの夜』
24/29


 翌日。


「ファル。今日も寄っていくか?」

「はい、もちろんです!」


 コンサート帰りの寄り道は最近ずっと続いている。


 昨日の雨は朝のうちに上がって、道ばたに小さな水たまりを残す程度。


 少し涼しく、過ごしやすい1日だった。


「よぉ、お嬢ちゃん。今日も来てくれたのか」


 これだけ連続で通っていると、露店の人間にも顔を覚えられる。


「あ、はい! よろしくお願いします!」


 そう言ってペコッと頭を下げるファル。


 ……なにをお願いするんだか。


「で? お前はいつまで俺を冷やかし客のままにしておくつもりなんだ?」

「え。そ、そー言われましても」


 こいつはただ単に歩き回ることが楽しいらしいが、俺としてはいい加減なにか見つけて欲しいところだった。


 なにしろ、タイムリミットまではあと1日しかない。


 昨日の夜。

 例の学長と話をして、明日の夜、こいつを引き渡すことが決まっていた。


 レベッカの動きを考えれば早ければ早いほどいい。


 本当は今日でもいいぐらいだったのだが、さすがに突然すぎるだろうと思い明日引き渡すことに決めたのだ。


 おそらくファルは、まだ4日あると思っている。


 とすれば、今のうちにそのことを話しておいた方がいいのかもしれない。じゃなきゃ、こいつはきっと今日もなにも選ばずに終わってしまうだろう。


 出会ったあの日から約1年が経った。

 それだけの期間を一緒に過ごしてきて、別れぎわに何もなしっていうんじゃあんまりだ。


(……よし)


 少しだけ周囲に注意を払う。

 まさかこのタイミングで誰かが聞き耳を立てているとも思えないが、念には念を入れて。


「ファル」

「……はい?」


 不思議そうに俺を見上げたファル。


 俺の声色、あるいはタイミング的に何か感じたのか。

 その表情は緊張しているようにも見えた。


「実は、な……」


 そして切り出した。

 手短に、要点だけ。


 まずは幸運にもきちんとした引き渡し先が見つかったことから。


 借金については本当のことを話すわけにはいかなかったので、まだもう少し待ってもらえることになった、と誤魔化しておく。


 そして明日の夜、その人物の元へ連れていくこと。

 今日はそのための餞別をどうしても選んで欲しいこと。


 できるだけ湿っぽくならないように、淡々と伝えることにした。


「……」


 すべてを話し終えた後。


 ひゅぅ、と。

 風が俺たちの間を吹き抜けていく程度の空白があって。


「……そうですか」


 返ってきた反応は予想の範囲内だった。

 良い環境の元へ行けることを喜ぶなんてことはやっぱりなくて。


 ただその後、少しだけうつむいたファルは、


「……ありがとうございます、カーライルさん」


 ゆっくりと顔を上げて。

 そこに浮かんでいたのは、笑顔だった。


「私、本当は諦めてました。きっと、ものすごくヒドイところに行かなきゃいけないんだろうな、って」

「……ああ」


 満面の笑み。


 ちょっとだけ面食らった。


 確かに喜ぶべきことだとは思うが、こいつのことだし、予定よりも近くなった別れの方を惜しむかと思っていたのだ。


 だけど。


「あ、あのっ……」


 すぐに、ギュッと俺のそでをつかむ手に力が入って。


 一瞬、言葉に詰まる。

 ……やはり無理しているようだった。


「え、えっと……その、カーライルさんと離れ離れになるのは嫌なんですけど!」


 顔を上げる。

 少しだけ唇を噛んで。


「同じ町ですし……きっとまた……また、お会いできますよね?」


 そう言って、無理矢理浮かべようとした笑み。


 泣き笑い。

 まだ涙は流れてない。


 新しい環境で新しい生活が始まれば、そのまばゆいばかりの光に覆われて、俺の記憶など薄れてしまうに違いない。


 それなら。

 今、ここで悲しませる必要なんてないはずだ。


「ああ」


 うなずいて。

 こいつのためだと思って答えた、真っ赤な嘘。


「会えるだろ。まあ……お前がそっちできちんと落ち着いたら」

「……っ!」


 小さな唇が震えた。


「会いに行ってやる。ヒマなときに、な」

「う……っ……!」


 俺の言葉と同時に、せきを切ったように涙があふれた。


「……カーライルさんっ!」


 そのまま抱き付いてきた小さな体に対し、抱き締める以外のことができるはずもなく。


「カーライルさんっ……カーライルさんっ……!!」


 ぎゅぅっとしがみついて。

 何度も何度も俺の名前を呼んで。


「大袈裟な奴だな」


 俺は苦笑して。


 また嘘をつく。


「すぐ会えるって言ってるだろ」


 それもやっぱりこいつをなぐさめるためのウソで。


 いつから俺は、こんなセリフを平気で口にできるようになったのだろうか。


「はい……! はいっ……!!」


 答えるファルはそれでも泣きやまなくて。

 それどころかさらに激しく泣き続けていた。


 ずっと俺にしがみついたままで。


 ……でも、俺は別におかしいとは思わなかったのだ。


 こいつはただ、ひとときの別れを悲しんでいるだけなのだと。

 そう信じて疑わなかった。


 だからやっぱりおおげさな奴だと。

 そう思っていた。


 だから、


「私……私、カーライルさんと出会えて幸せでした! ですから……カーライルさんのことは一生忘れないです! 絶対……絶対に……!」


 二度と会えないことをこいつが知っていたなんて、そのときの俺は想像もしていなくて――


 ……その日、ファルが選んだのは小さな、なんの変哲もない目立たない髪留めだった。




 その夜。


「カーライルさん、もうお休みになられました?」

「いいや」


 いつもはあるはずもない光景。


 薄暗い部屋。

 窓からかすかに射し込む月明かりで、ベッドに横になったファルの姿がかろうじて確認できる。


 俺は床の上に腰を下ろし、毛布だけかぶっている状態だ。


「珍しいですよね。レベッカさんがこんな夜中に出掛けるなんて」

「ああ、そうだな」


 そういうわけだ。


 あいつの突然の用事とやらで、俺は今日こうして家にいなければならないハメになっていた。


「で、でも、そのおかげでこうして最後の夜を一緒に過ごせるわけで!」

「ま、そういうことか」


 その辺は偶然に感謝というところかもしれない。


「……」

「……」


 訪れる沈黙。


 考えてみると、こうして同じ時間に布団に入っていることも数えるほどしかないが、その中でレベッカがいない状況ってのはほとんど記憶にない。


(話すことはいくらでもあるはずなんだが、な)


 最後の夜。


 これでも1年間をともに過ごしてきて。

 本当なら思い出話でもするべきところなのかもしれない。


 けど、ファルが望んだのは別のことだった。


「あ……あのっ!」


 どこかそわそわした様子で。


「お、お願いがあるのですがっ!」

「……なんだ?」


 尋ねると、


「わ、私、その……ひとつだけ、どーしても叶えたい夢がありまして!」

「夢?」


 なんとなく、予感はしていた。

 この焦りようだし。


「その……」


 上半身を起こしたこいつの、顔を真っ赤にする様子が薄暗闇の中でもはっきり捉えることができた。


 グッと体に力が入って。

 決心したように顔を上げて、


 そして、言った。


「さっ、最後はぜひともカーライルさんの胸の中で眠らせてくださいっ!」

「……もう少し言葉選べよ」


 そのままうっかり永眠してもおかしくないセリフだ。


「いっ、いかがでしょうか!?」


 だが、当の本人は俺のツッコミも耳に入ってないらしい。

 よほどの決心だったのだろう。


「……それは」


 仕方なく、俺も真面目に返してやることにした。


「どういう意味で言ってんだ? ただ単に添い寝して欲しいってことか?」

「そっ、それはもう! カーライルさんのお好きなようになさってください!」

「……」


 そんなんでいいのか。


(……やれやれ)


 結局、こいつは最後の最後までこのままだ。


(こんなんでこの先やっていけるのか、こいつ……)


 ついついそんなことまで心配になってくるが、それは俺にはもうどうにもできないことだった。


 あとは後任にすべてを託すしかない。


「わかった」


 その申し出については特に断る理由も――いや、理由はなくもなかったが、さすがに断る気にはなれなかった。


 毛布からゆっくりと体を起こし、ベッドへと向かう。


「……」


 気配を感じたのか、ファルは布団を握り締めたまま俺を見上げていた。


 緊張で顔がこわばっているようにも見える。


「言っとくが」


 勘違いされていたら困るので、先に言っておくことにした。


「お前が寝付くまでそばにいるだけだ。最後の最後にレベッカの奴に色々言われるのはゴメンだからな」

「は……」


 一瞬、ほうけたような返事をして。


「……はいっ」


 空いたスペースにもぐり込むと、生ぬるい布団の感触と心地よい空気に包まれた。


(……久々だな、こういうの)


 他人の温もりを感じながら寝るなんて、はたして何年ぶりのことだろうか。


 少なくともこの家に来てからは1度もない。


「ぅぁ……」

「お前、その体勢で寝られるのか?」


 自分から言っておきながら、いざとなるとファルは俺に背中を向け、ベッドの端っこで固まっていた。


 壁側だから落ちる心配はないが、俺の目にはかなり苦しそうに見える。


「背中向けたままでいいから、もっとこっちに寄れ」

「え、えっと、その……」


 モゾモゾと布団の中で動く感触。


「で、できれば、その、カーライルさんのお顔を眺めながら眠りたいのですが!」

「いや、見えないだろ、お前」

「そ、それはそーなのですけど――」

「というか、背を向けているのは俺じゃなくてお前の方だ」

「う……」


 撃沈。


「そ、そーなんですけど……その、まるで蛇ににらまれた井の中の蛙のような状態でして!」


 なんだそれは。


「ったく……ほら」

「ひゃぅっ!?」


 仕方なく手を貸してやると、飛び跳ねそうになった後、石のように固まった。


「……変な声を出すんじゃない」


 無視してゴロンと体を半回転させてやる。


「ぁぅ……」


 ようやく向き合うことができた。

 互いの息がかかりそうな距離で。


「……」


 月の明かりに浮かび上がるその表情は、その容姿の端麗さも相まって、ひどく幻想的にさえ思えた。


(……幻想的、か)


 いつの間に俺までメルヘンの世界に入り込んでしまったのだろうか。


 いや、入り込んだというより引きずり込まれたと言った方が正しいかもしれない。


 ……そこから視線を逸らし、仰向けになる。


(危ないな、俺)


 一瞬とはいえ。

 頭を過ぎってしまった。


 ――離したくない、と。


「カーライルさん……」


 ファルの方も向き合ったことで吹っ切れたのか、今度は積極的に体を預けてきた。


 手が俺の胸の上にピッタリと置かれて。

 髪の匂いが感じられるほどに距離が近付いて。


「その……これって、今度こそ恋人同士みたいですよね?」

「だから、ガキのお守りをしてるようにしか見えねえって」

「……くすん」


 とはいえ。

 例えばレベッカの奴に見られでもすれば、まぎれもなく言いわけのしづらい状態ではある。


「……カーライルさん」

「なんだ?」


 暗闇の中。

 見えないはずの視線が、真っ直ぐにこっちを見つめていて。


「カーライルさんも、私のこと、忘れないでいてくださいますか?」

「ああ」


 すぐに答えた。

 たぶんそれは約束しても問題ないことだった。


 たとえ二度と会えないとしても。

 それは意識しなくても守ることのできる約束だったから。


「絶対ですよ……絶対に、忘れないでください――」

「……ああ」


 胸に頬のやわらかい感触が触れて。

 ほんの少しだけ、そこが湿った。


 ……俺たちが交わした言葉はそこまで。


 窓からのぞく夜空を俺はしばらくの間、無言でながめていた。


(……懐かしいな)


 懐かしい。


 ふとそう考えて、なにが懐かしいのかと考える。


(……ああ)


 そして思い出した。


 ひとつの布団。

 体を寄せ合って。


 ……孤児院では毎晩こうして弟と眠っていたんだった。


 なにもないあの暗い部屋の中で。

 痛みさえも麻痺してしまいそうな苦しみの中で。


 ただひとつだけ、信じることができた温もり。

 ただひとつだけ、守りたかったモノ。


 それは今でも変わってなくて。


「すぅ……すぅ……」


 いつしか聞こえてきた安らかな寝息は、やっぱり懐かしさを感じさせた。


 そして俺の意識も、いつしかまどろみの中へと。


 ――すべてはまるで、あのころの再現であるかのように。 


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