掃き溜めの歌
酒場の少女と出会った、次の日の夜。
「……! ……!」
酒場は相変わらずだった。
後ろを振り向けば、昨日と似たような顔がそこにある。
実際、そこにいたのはまったく同じ連中だろう。
もしかしたらひとりぐらい入れ替わっているのかもしれないが、俺には見分けられない。
そして俺も、やはり昨日と同じようにカウンターに腰を落ち着けていた。
(まさか、またこの店に来ることになるとは)
1杯目の麦酒をゆっくりと口にしながら苦笑がもれる。
酒は決して美味くはない。
店のオヤジは相変わらず陰気くさいし客は最悪。
いくら呑もうとも白けてしまうような、ひとりで酒を楽しむには最低の店だ。
普通ならこんな店に何度も来たりはしないし、そもそもこの村自体、今日の早朝にはおサラバする予定だった。
そんな俺をここに縫い止めたのは、言うまでもない。
昨日の、あの少女だった。
店の思惑通りだったかどうかはともかく、あの少女が俺の興味を引きつけたのだ。
昨晩聴かされた少女の歌は、期待通りのものだった。
ズバ抜けて上手いというわけじゃなかったが、耳ざわりの良い歌声で、ひとりで酒を呑みながら聞くには最適だった。
そしてそれ以上に。
(……あいつはもしかすると、掘り出し物かもな)
そう思ったから。
今、俺の視線の先、若干おぼつかない足取りで椅子に腰掛けようとしている少女は、格好こそみすぼらしいが顔の作りは整っているように見えたし、髪をきちんと整え、汚れを落としてそれなりの服を着せてやれば、おそらく美少女と言って差し支えないものになるだろう。
俺の目が正しければ、そのはずだ。
そこで今日は、その身辺を探ることに時間を費やすことになった。
保護者がいるのかどうか、知人は多いのか、どうやって生活しているのか。
特に保護者、つまり身寄りがあるのかどうかは、人さらいをやらない小悪党の俺にとっては非常に重要なファクターだった。
だが、それについては難なくクリア。
少女が住んでいたのは村の一角、土手にある小さな洞穴。
そこでひとり風雨をしのぎ、この酒場からわずかな金銭をもらって、それで食いつないでいる生活だった。
誰かと接触するような気配もまったくなかったし、あるいはもともとこの村の人間ではないのかもしれない。
そうなれば、事は非常に簡単だ。
(あと1日だけ様子を見て、それで大丈夫なようだったら、やるか)
俺はそう決意を固めていた。
期限を考えると合わせて3日のロスは致命的だ。
もしここがダメだったら、今回の仕事は成果無しとなる可能性が高い。
ただ、俺にはかなりの自信があった。
将来性もさることながら、今でも、磨きさえすればあの少女は必ず化けるはずだ、と。
「ファル」
俺が見つめていることを悟って、店のオヤジが昨日と同じように少女に合図を出した。
「あ、はい」
俺のことを覚えていたのか、こっちを向いて歌い始める。
ただ、少女は決して俺と視線を合わせようとはしなかった。
気の弱そうな少女だから俺のことを怖がっているのか、あるいは歌うことに集中して自分の世界に入り込んでいるのかもしれない。
(最後の最後で、とてつもない拾い物かもな……)
早くもある種の達成感を覚えながら麦酒を傾け、俺はじっと少女の歌を聴いた。
「~……」
どこかで耳にしたことのあるメロディー。
タイトルなんてものはまったくわからないが、どこか懐かしさを感じさせる歌だった。
(郷愁、か)
自分の考えに思わず笑いがこぼれた。
郷愁の念なんて、この俺が感じるはずはないのに、と。
そんなことを思いつつ。
俺が1杯目の麦酒を飲み干した、そのときだった。
唐突に、甲高い破裂音。
「!」
俺の視線の先で、何かが弾け飛んでいた。
少女の歌が止む。
弾けたのは麦酒のジョッキ。
どこかから飛んできたそれが少女の足下で砕け散ったのだ。
「うるっせえぞ、こらぁっ!」
誰が投げつけたのかは考えるまでもない。大声で騒いでいた一団の中のひとり。
そいつは椅子から立ち上がり、ジョッキを投げつけた体勢のまま少女を威嚇するようににらみ付けていた。
「っ……」
少女は脅えて、
「ごっ、ごめんなさい……!」
「ごめんなさいじゃねえんだよ、このクソがッ!」
男がドンッと足を大きく踏み鳴らす。
「っ!」
少女が耳を押さえて体を震わせると、後ろの一団から笑い声が上がった。
どうやら少女の歌が気にさわったというわけではなく、ただ彼女の脅えるさまを見て楽しんでいるだけのようだ。
(……ちっ)
少女は助けを求めるように店のオヤジを見たが、オヤジはまったくの知らんぷりで助け船を出す様子はない。
トラブルはゴメンだってことなのだろう。
「おい、どーするよー。そいつ、お前のへたくそな歌のせいで、ぶち切れちまったみたいだぜー?」
一団から笑いとともにはやし立てる声が飛ぶ。
「あ……え、えっと……あの……」
少女は泣きそうな顔をしながら、オロオロと周りを見回して、
「ご……ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
体を震わせながら何度も何度も謝った。
それが無駄なことはわかっている。が、少女にはそうすることしか出来なかったのだろう。
(仕方ない……)
俺は席を立った。
正直なところ俺もトラブルは避けたかったが、昨日と今日に関しては俺が歌うことを要求したのだから、ここは助け船を出してやるべきだろう。
そう考え、俺は男たちのところへ向かった。
「……?」
その視線がこちらを向くなり、俺は口を開く。
「悪かった。俺がそいつに歌うよう要求したんだ」
「はぁ?」
案の定、男たちは一斉に怪訝そうな顔をした。
当然だ。連中にしてみれば少女がどうして歌い始めたのかなど、まったく興味のないことだったのだろうから。
だが、俺は間髪入れずに言葉を続けた。
「詫びとして全員に1杯ずつ奢らせてくれ。……オヤジ! ここの全員に麦酒を頼む!」
注文してからもう一度、
「ホントにすまなかった」
そう言って頭を下げる。
「……」
白けた空気が流れ、やがて店のオヤジが麦酒を運んでくると、男たちは自分の席に戻って再び馬鹿騒ぎを始めた。
しょせんこいつらもセコい小悪党。麦酒1杯で大人しくなるのだから安いものだ。
俺は席に戻るなり、オヤジに金を払って店を出ることにした。
「あ、あのっ」
後ろから少女の呼び止める声が聞こえたが、足は止めなかった。
あそこで少女に礼を言わせると、再び男たちが因縁をつけてくる可能性が高かったし、何より、これから商品として見ようとしている少女に恩を売ったような形になるのも嫌だった。
そしてまた次の日。
今度は昼間のうちに偶然を装って少女と話すことにした。
少女の住んでいるところは昨日のうちに調べがついていたし、ほとんど出歩かないらしいこともわかっている。
土手にある小さな洞穴。奥行きはせいぜい4、5メートルぐらいだろう。
川のすぐそばだから大雨が降れば水も来るだろうし、そうでなくとも土に水が染みてベチャベチャになるはずだ。
入り口には穴の開いたむしろのようなものが掛けられていて、一応、風をやわらげる役目は果たしているようだったが、家と称するにはあまりにも粗末で、衛生的とはとても言えない。
俺がそこを訪れたとき、少女はちょうど川で洗濯をしているところだった。
「よう」
「?」
声をかけると、少女はびっくりしたように振り返った。
そして俺の顔を見るなり、
「あ、えっと……もしかして、昨日の……?」
はっきりとは覚えてなかったのか、少し怪訝そうに眉をひそめていた。
イエスと答えると礼を言われそうな雰囲気だったのでそれには答えず、
「洗濯か」
「あ、はい」
それでも少女は俺が昨日店に来ていた人間だと確信したのか、少しだけ笑顔を浮かべた。
(……間違いない)
それを見て確信する。
この少女はやはり今回の依頼にピッタリの素材だ、と。
はやる気持ちを抑えながら世間話を続ける。
「洗ってもあまり綺麗になってないようだが」
ボロボロの服を見てそう言うと、少女はちょっとだけ苦い笑いを浮かべた。
「あはは、はっきり言うんですねー」
「遠回しな物言いは苦手なんだ」
「それでも」
少女はすぐ明るい笑顔に戻って、
「これでも実は女の子だったりするので、少しは身だしなみにも気を遣うわけです」
「そうか」
声の印象と同じで明るい性格のようだった。
その境遇を考えれば、意外なほどに、という枕詞を付けてやってもいいぐらいだ。
「……」
「……」
それから少し無言が続いたが、今度は少女の方から口を開いた。
「あ、あの……えっと」
「カーライル」
名前を聞かれるのだろうと予測してそう答えると、
「えっと……それじゃあカールさん、ですね」
少女はニコニコしながらそう言った。
俺はそんな少女に少しあからさまな不快の表情を向ける。
「カーライル、だ」
口調を強くしてそう言うと、
「ぁ……」
少女は言葉に詰まって視線を落とす。
「ご、ごめんなさい……」
「いや」
すぐに口調を戻したが、少女がそう呼ぶことを許すつもりはなかった。
これはビジネスだ。
会話を交わす必要はあったが、不必要に親しくなるつもりはない。
「……カーライルさんはこの村の人ではないですよね?」
少女はためらいがちな口調になったが、それでも話しをするのはやめなかった。
もしかすると話し相手に飢えていたのかもしれない。
それは俺にとっても好都合なことだった。
「そういうお前はどうしてこんなところでひとりで生活してるんだ? 親はどうした」
わかりきったことだが、一応聞いておかなきゃならない。
案の定、少女はちょっとだけ表情をくもらせつつ、
「いないです」
それでも明るい声で、あっさりとそう言った。
多少強がっているのがわかる言い方ではあったが。
「そうか」
そんな彼女の態度に、俺は少しだけ好感を持つ。
こういう子供ってのは何か恵んでもらうために同情を買おうとする態度の者が多い。
それは決して悪いことじゃなく彼らにとって必要なことだし、そうして生きていこうとするのは当たり前のことで、その点、この少女はあまり賢くないとも言える。
ただ、それでも。
俺としては、ギリギリまで他人に頼ろうとしないその姿勢に好感を持つのだ。たとえそれが賢くない行動なのだとしても。
「さて」
これで俺の用は終わった。
保護者がいないのは確かで、知人もどうやらほとんどいない。酒場で歌うことで日当を稼いではいるが、昨日の様子を見ると、店のオヤジともそれほど強い関係はないようだ。
これなら少女がある日突然いなくなっても、行方を必死に探そうとする者はいないだろうし、この生活だったら俺についてくることはこの少女にとっても悪いことではないはず。
悪事の言いわけではなく、それがおそらく事実だ。
(決まり、だな)
今日はひとまず宿に戻り、段取りを考えなくてはならない。
「あ……あの」
立ち去ろうとしたところへ、少女が慌てたように声を掛けてきた。
「なんだ?」
足を止めると、少女は俺の顔を見上げて、
「私、まだ名乗ってませんでした。ファリーナです。酒場のオヤジさんにはファルって呼ばれてます」
「ああ」
ファルという呼び名の方は知っていたが、本当の名の方は知らなかった。
「ファリーナか」
「あの、ファルって呼んでいただければ……」
言ってから、少女は思い出したように慌てて、
「あ、あの! 別に愛称で呼んでくださいとかそういうのじゃなくて、ただそっちの方が呼びやすいみたいですから!」
「……ああ」
その慌てぶりに、俺は思わず笑ってしまった。
俺が愛称で呼ばれることを拒んだ理由を、こいつなりに察したのだろう。
「わかった。なら、俺はお前のことをそう呼ばせてもらう」
「あ……はい!」
少女――ファルはホッとしたような顔をした。
印象的な、明るい笑顔だった。




