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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

おっさんのごった煮短編集

大竜公は恐妻家

掲載日:2025/12/07



 大陸一の国力、領土、人口を誇るウェズンディナール王国、この国において最も権勢を誇り、建国より続く歴史をも併せ持つ筆頭公爵家が、リリナンブナーシュ家である。

 

 公爵家の当主アーガムは、幼少期は麒麟児と将来を嘱望された天才であり、公爵家当主を移譲された現在、国軍を実質的に統べる大将軍であり、財務、法務を兼任する文官の長でもある。

 余人なら、忙しさと、専門性の高い業務を掛け持つことの無理難題さに、早晩、過労か心労に倒れるところであるが、アーガムはこれを難なく熟す怪物であった。

 それに加えて、軍才が飛び抜けており、周辺諸国との戦争において、巧みな指揮と、本人の武勇によって大勝をおさめており、英雄として凱旋もしている。


 これにより、アーガムには軍神、戦鬼、千里眼、賢公、と様々な異名があり、ついにドラゴンが人の姿をとって産まれたと、大竜公(ドラクル)との異名までが巷間に轟き、国の内外を問わず畏敬を集めている。

 いるのだが、……そんなアーガムには一つ、あまり似付かわしくない異名がある。


 幸せな(ハッピー)恐妻家(ヘンペクト)


 ドラクルの異名を気に入り、アーガム・ドラクルと名のることで自他ともに大竜公と呼び称されるアーガムは、事実として恐妻家でもあったのだ。




 王宮で行われる高位貴族を集めた夜会、そこにアーガムの姿があった。

 長身で筋骨隆々とした体躯、燃えるような赤髪を後ろで撫で付け、軽く日に焼けた僅かに浅黒い肌に、精悍で甘いマスクは歳を経て色気を増し、柔和に微笑む表情の中にあって、光の差し加減で黒く見える程に濃い紫水晶(アメジスト)色の瞳は眼光鋭く力強い光を放っている。


 立っているだけで様になり、オーラを幻視して人々は自然、脇に避けるほどの圧がある。


 今年で四十二となった男盛りの公爵は、ドラゴンの擬人化と呼ばれるに相応しい風格を漂わせていた。


 「あなたー、今日のネックレス、思ったより重いの、肩が凝ってしまうわー」


 公爵夫人の、良くわからん発言が飛び出すまでは。



 次の瞬間、公爵夫人アデルの首元を飾っていた、大粒のダイヤがあしらわれた豪華なネックレスは瞬きの内に取り払われ、何事もなかったかのように、細身の細工の美しい彫金のチェーンと、小振りだが品のあるサファイアのあしらわれたネックレスに変わっていた。

 恐ろしいのは早業もさることながら、ドレスに合わせて作られたであろうダイヤのネックレスだったが、サファイアのネックレスもドレスとのコーディネートを損なわないどころか、始めから合わせていたように違和感がなかった。


 「あっ、とても軽くなったわ! それにこれも可愛くていいわね」


 夫人は喜んではしゃいでおり、その横で満足そうなアーガムはうんうんと頷きながら。


 「アデリーには何でも似合うよ。それにアデリーの肩が凝ったら大変だ。こんなこともあろうかと、用意しておいて良かった。まぁ、アデリーがマッサージを所望するなら、一晩中でもやってあげるけれどね」


 こんなこともあろうかと? 周囲の気持ちがひとつになる。そんな想定は普通は絶対にできないと。

 卑猥な雰囲気は一切なく、本気でマッサージを一晩中しそうな公爵の様子に、嬉しそうに微笑む夫人は。


 「まぁ、嬉しいわ。でも、それではダーリンが腕を痛めてしまうわ」


 そのあと、少し悲しそうに公爵の腕を擦りながら、困ったわーとゆる~い感じに宣った。


 「そうしたら、アデリーが腕を擦ってくれたら、私はそれで幸せだよ。今みたいにね」


 その瞬間、夫人は顔を赤くして、ヤダーと公爵の胸を叩いて、そうして二人で微笑みあって愛を紡いでいる。


 因みに、夜会の真っ最中である。

 決して夫婦の寝室で、夜の夜会? の真っ最中では決してない。

 

 このままでは夫人を椅子に座らせ、本当にマッサージを初めてしまいかねないアーガムの勢いに、周囲は気圧されて、微動だに出来ないでいる。

 ニコニコと微笑むアデル夫人もまた、異彩を放つ人物である。御年四十であるが、知らぬ者が見れば二十の半ばを超えた程度に見える程に若々しく、絹のように柔らかく光沢を放つ髪は蜂蜜をかけたように甘やかな色合いで、光を透過するほどに透き通った翡翠色の瞳、大粒の宝石のように輝く目を長く美しい睫毛が縁取っている。

 ビスクドールのように滑らかな肌の整った(かんばせ)ながら、高めの身長とスラリと伸びた手足、大きめな胸がバランスよく混在している。

 かつては社交界にて妖精王女(フェアリープリンセス)と呼び称された現国王陛下の末の王女だが、その美貌は陰るどころか、妖艶さすら纏い、更に増している。今や妖精女王(フェアリークイーン)とまで呼ばれる夜会の女帝なのだ。


 そんな目立つ見た目の二人が会場のほぼ中央でやらかしている訳で、なのだが、我儘クイーンとなった夫人に下僕と化したドラクル公はニコニコ顔で従っている。


 「いい加減、こっちの世界に戻って来てくれないか、友に妹よ」


 そんな二人に声をかけたのは王太子殿下であるアルバウスである。アーガムと同い年であり、幼少より無二の親友として仲の良く、当然だが夫人の兄でもある。

 アーガムには劣るが優秀であり、中性的な涼やかな面差しと才色兼備なのであるが、アーガムが凄すぎて、若干影が薄い不憫な人物でもある。

 中天の太陽と、王権の象徴にあわせて、優秀さや、臣下であるアーガムの有能さから、将来の治世が明るいことが確定視されているために呼ばれているが、裏では「に差す影」とも呼ばれている。

 合わせると、中天の太陽に差す影となり、アーガムが眩しすぎて影が薄い、もしくは影すら無いと口さがない者たちから揶揄されてもいる。


 まぁ、そんな王太子殿下だが、アーガムを唯一止め嗜めることの出来る猛獣使いとも言われてもいるのだ。


 「んっ、おーアル、元気だったかー? 」

 「あら、お兄様、疲れた顔してらっしゃいますけれど、大丈夫ですの? 」


 ちゃんと認識してくれたようで何よりと、王太子殿下は思ったが。


 「ドラクル卿、今は公の場だよ。いつもはちゃんとしてるのに、妹が横にいるとポンコツになる仕様はどうにかならないのかな? 」


 そう言われて、ふと周りを見渡したアーガムは、あぁと思い出し。


 「あー、申し訳ありませんな、王太子殿下、妻は神の化身かと思う程に魅力的なもので、ついつい魅了されてしまうのです。流石は殿下の妹君でもありますな」


 やれやれと肩を竦めつつも、然程も悪びれる様子もなく謝罪するアーガムにアルバウスは呆れ気味に笑うが、何だかんだ二人のことが好きな殿下は今日も幸せそうで良かったと、そう喜んでいるのだった。



 〜〜〜〜



 旦那がいるとポンコツになるアデル夫人であるが、第三王女殿下として、非常に優秀であり、聡明で慈愛に満ち、そして時に苛烈で正義感の強い人物として、淑女の鑑とされている。


 成婚前の王女殿下時代の話となるが、今も続けている奉仕活動や、慈善事業への支援活動はアデル夫人がハイティーンに差し掛かる頃からのフィールドワークである。

 そんな支援活動において、良く目にしていた令嬢がいた。

 トビト子爵家の令嬢であり、名をマリアローザといった。マリアローザは教会や孤児院の奉仕活動や支援活動に良く赴いており、熱心に活動していたため、アデル王女殿下は話しかけ、良好な関係を築きたいと思っていたが、身分の遥かに上な自分が話しかけ、いらぬ諍いに巻き込んではいけないと、遠慮していた。

 そんな折、マリアローザがありもしない風評を立てられ、貶められていると知ったアデル王女殿下は、彼女と噂を流した令嬢数名を、パーティーを主催して呼び出した。


 マリアローザを囲み、でっち上げた噂で花を咲かせていた令嬢たちの元に、アデル王女殿下は赴き。


 「わたくしの友人を捏造した話で貶めているのは、どういうことなのかしら」


 そう告げたのだ。


 噂を流していた令嬢たちは顔を青くしたが、固まって黙してしまった彼女たちよりも先、マリアローザが口を開いた。


 「トビト子爵家が次女、マリアローザと申します。御目通り叶いましたこと、光栄で御座いますが、直言をお許しください。王女殿下は彼女たちに捏造で人を貶めるなと申しましたが、わたくしと王女殿下が友であると言う事実は畏れながら御座いません。それを持って彼女たちを責めるのであれば、王女殿下も虚言で人を愚弄していることになりはしませんか? 」


 マリアローザはアデル王女殿下が自分を助けようとしてくれているとはわかったが、だとして、虚言を使い、人を嵌めるようなことをするべきでは無いと諫言し。


 「ご配慮にたいし、無礼な物言いは理解しております。如何様に処罰されても文句はいいません」


 そう、膝を折り、深く腰を落とした。


 アデル王女殿下は驚いたが、同時にその清廉潔白さに感心し、かつ喝采を呼んだ。


 「処罰などいたしませんわ。非難を向ける相手と同じことをしては、その資格を失うのは当然のこと、わたくしの浅慮に貴女を巻き込むところでした。ですが、言い訳をさせて頂けるなら、わたくし、ずっと貴女とお友達になりたかったの」


 この言葉を受け、畏れ多いと平伏したマリアローザであったが、結局は二人は友となり、彼女を貶めていた者たちに申し開きがあれば訊くとアデル王女殿下は問うたものの、謝罪をし、許しを乞うたために、マリアローザは、所詮は子供の仕出かした悪戯程度のものと、寛大に許したため、アデルも彼女たちを許した。


 この一件は二人を友人関係としただけでなく、マリアローザの社交界の評価と価値を押し上げた。


 それを快く思わない者もおり、ザハル侯爵閣下は非難したマリアローザの発言は不敬であると吹聴した。


 この事にキレたアデル王女殿下は夜会の席でザハル侯爵閣下を責め立てた。


 「自らが益を得られる状況で、道理を説いて、処罰を覚悟で諫言するなど、真の忠臣と言えるでしょう。閣下は耳に心地よい佞臣ばかりを王族は尊べというのですか? そんな者ばかり重用すれば、早晩国は崩壊するでしょう」


 王女殿下に対する不敬だと吹聴していた本人が、王女自らに直接的に佞臣だと断罪されたのだ。その事は大変な衝撃を持って国の内外に拘らず、広く知れ渡った。

 

 その事で立場を失うかと思われたザハル侯爵であったが、助け船を出したのはアデル王女殿下であった。


 「閣下の言は、確かに不用意なもので、わたくしも感情に任せて非難してしまいましたが、友人となった令嬢が真に信頼できるのかを危惧されたもの、二心ない忠義の言葉であったと思います。あまり責め立てることの無いように」


 ザハル侯爵は国の要職に関わる優秀な人物で、実務能力は非常に高い、ただ、王族と親密な関係を結ぶほどに交流は無かったために、奉仕活動で知己を得るという形で王女と友誼を結んだ令嬢に嫉妬した、まさしく二心はあったのだが。

 アデル王女殿下はそれをわかった上で、人間的な心の弱さ、現状の働きに対する待遇、評価の不均衡への不満を理解し、事が大きくなり、侯爵閣下の立場が揺らぐことのないように取り計らったのだ。


 これに気づいたザハル侯爵は自らの不明を恥じた。


 それ以降、アデル夫人が公爵夫人となった現在まで、ザハル侯爵は夫人の後援者の一人であり、アーガムとも良好な関係を築いている。



 〜〜〜〜〜



 普段は王都のタウンハウスに住む二人だが、年に数度は領内の視察のため、自領へと赴く。領政は信頼する代官に任せてはいるが、それでも漏れ溢れることもあるであろうし、何より自身の耳目を使い、領民の事を理解すべき、そう二人は思っているのも事実であるがゆえ、領内視察は大切な公務であった。



 行われた行政上の施策や、その結果などを現地に赴いて確認し、今後、対応を検討している場所や早急に対応をしなければいけない問題について話を聞き、領民からの陳情を受ける。

 また、領内の医療施設、福祉施設へと、合間を縫って慰問する。


 出納帳を確認し、代官の保管する書類と照らし、不備が無いかを確認する中で、夫人は施設利用者などに一人ひとり語りかけ、目線をあわせて微笑んでいる。


 本日、最後の視察はラッカ聖堂孤児院であった。


 アデル夫人はここでも、孤児たちの目線に合わせるため、座り込んで背を丸め、お年はいくつ? と笑顔で訊いている。

 その様子を微笑ましく見ていたアーガムだったが、帳簿のたぐいの説明を受けながら、代官の保管する書類と孤児院側の領収書などを見ていくに違和感を覚える。帳尻はあっており、不備もない。

 しかし、無さすぎる。支援のための物資、領収からの助成金、そして、アーガム、アデル夫人の個人資産からの寄付、そうした収入にたいして、運営にかかる様々な支出が綺麗に整っている。

 いくら何でも、全くズレが無いというのは考えにくい。いや、担当している人物が数字や書類ごとに強く、また、支援されたものを十全に活かしきっているというのなら、問題無いのだが。

 夫人に視線を送るアーガムは、アデル夫人もまた、違和感を覚えているようだと感じとった。




 その日の夜。領都の邸宅の中、二人は話していた。代官に任ぜられ、視察の案内をしていたヤナム・トルナット士爵も同席している。

 代々、リリナンブナーシュに仕える従者階級の家に産まれた士爵は領都の代官としてすでに三十年を勤め上げたベテランである。

 

 「今日は良い視察だった。明日も頼むよ、ヤナム」


 幼少期よりよく知っている士爵にたいして、アーガムは砕けた様子で語りかける。初老をすこし超えた士爵は恭しく頭を下げ、畏まりましたと、脇に控えている。


 「アデリー、ヤナム、ラッカ聖堂孤児院のことなんだけれど」


 アーガムは二人へとラッカ聖堂孤児院に感じた違和感について話しはじめる。

 領内の孤児院には十分な金銭的支援、そして物資による支援も行っている。それは十分な食料と学習環境を整えることで、自領への忠誠と郷土愛を育み、健全な肉体と高い専門性を持つ人材を育成することを目的としたもので、慈善だけでなく、実利的な目的もあってのこと。

 といって、健康的な肉体を育てるため、十分な教育を受けさせるためとの大義を持って、領主夫妻は子供たちに他領では考えられぬ程の支援をしているのだ。

 であるから、往々にして予算は余る。余ったものも、独り立ちする孤児たちの出立のさいに祝い金として使われたり、傷病を患った孤児のために使われたりと意味がある。

 しかし、ラッカ聖堂孤児院の予算はきっちりと使い切られていた。

 必要な出費であったことは添付された書類と、それに付随する領収書などでわかるが、綺麗に使い切られているのは逆に不自然だ。


 そうした話にヤナムは真剣に聞き入り。


 「管理する者たちに任せて、注意が怠っていたやもしれません。書類上問題ないことで、実態把握を怠り申し訳ありません」


 そう、即座に謝罪したのだが、アーガムとしては、忙しく領内の様々な事柄に対応する代官たちの長が、そこまで目端のきくものではないと、ヤナムに告げる。


 「たしかに、あそこの子供たちはすこし可哀想だったわ。背丈や体格も他の孤児院の子供たちより小柄で痩せていたし、なにより、怯えていたわ」


 領主の夫人、慣れない大人に緊張で固くなることはあるかもしれない。であるが、領内の孤児院では領主夫妻のおかげで、十分な食料も教育も整った環境もあると聞かされて育つゆえに、孤児たちも領主夫妻に感謝し、屈託ない笑顔でありがとうございますと、会えたことを喜ぶ子供が多いのだが、ラッカ聖堂孤児院の孤児たちは感謝は述べるものの、どこか強制されている感じが否めなかった。


 「あれは、孤児院の大人たちに言わされてますわ。いつも、出しているといって用意した食事を遠巻きに見て、釘付けになっている子供もおりましたし」


 十分な食事を与えられている子供が、毎日食べているメニューを並べただけの食事に、あそこまで羨望の眼差しを向けるのはおかしいとアデル夫人はいい、各孤児院の子供たちとの体格差は食事を与えられていないためではと推測した。


 「だとすれば、帳簿に書かれた内容や、視察で紹介された食事内容は虚偽だとなる」


 アーガムの目が鋭くなる。


 「早急に調査し、改善させる。もし、物資の横流しや、金銭の横領があれば私の名を持って罪人は死罪とし、財産を没収するように」


 ヤナムは短く了承の意を伝えると、即座に手の者を動かした。領内視察の終わる頃、ラッカ聖堂孤児院の責任者とそれに与した職員は全て入れ替えられ、財の横領と物資の横流しに関わった全ての者が処罰された。

 特にラッカ聖堂の司祭一人と、その娘、さらに孤児院の経理を担当した職員は磔刑となった。


 

 〜〜〜〜


 王都のタウンハウスに戻った二人はデレデレとイチャついていた。

 息子たち二人が成人を迎えたこと、娘も嫁に出て、婚家の夫も有能なことで、王宮でのアーガムの仕事は彼等にも割り振られ、いずれはアーガムの後をとることになる。そのためにアーガムは前に比べ休みをとる猶予ができたのだ。


 夕刻、子息の一人、長子のマルガンが帰ってくる。次男は領地のない伯爵位を賜って、王都に自身のタウンハウスを持っており、そこに住んでいる。

 長男であり、継子であるマルガンだけが、公爵邸でともにすごしていた。

 

 マルガンに嫁いだ次期公爵夫人のセレナと孫息子で、まだ5歳のレンドルフも揃って、皆で食卓を囲む。


 「おじーさま、また、おウマにのりたいのです」


 アーガムによく似た赤髪に、透けるように煌めく紫水晶(アメジスト)色に輝く大きな瞳、まだまだ丸っこいお顔でほっぺたを真っ赤にして大好物のハンバーグをパクつく小公子レンドルフは両手に持ったナイフとフォークをブンブンしながら、嬉しそうにアーガムに言った。

 だいぶお行儀が悪いため、父であるマルガンと母のセレナは叱ったが、お爺ちゃんは自慢の馬にまた乗りたいという孫の申し出に昇天して、良い良いと2人を窘めた。


 「まだ、幼い子供のする事だ、そんなに目くじら立てちゃいかん。なー、レンや。スレイプニルに乗りたいのかー。いいぞー、また相乗りしてカッポカッポしようなー。おじーちゃん、レンのためなら、おウマさんになってもいいぞー」


 お爺ちゃんと言っても、まだ四十代なのだが、結婚も出産も早いのが当たり前の世界である。そして、初孫が可愛すぎるアーガムはすっかりお爺ちゃんムーブしている。

 やったーと喜ぶ孫が可愛すぎて、ホントに昇天しそうなアーガムをどうにかして貰おうと父母2人はアデルを見たが。


 「良かったわねー、レン。おじーちゃん、おウマになってくれるって、ねぇ、わたしも乗ってみたいわ、ダーリン。おウマさんになってくれるの? 」


 止めるどころではなく、追い打ちかけて、更に爆弾投下する母親に息子夫婦は驚愕する。いくら頑健な父といえ、母親と孫を乗せておウマさんは酷すぎると思ったのだが。


 「それは素晴らしいな。良かったなーレン、おばーちゃんといっしょにカッポカッポしようなー」


 なぜか、天啓でも受けたかのように礼賛して、喜んでしまった。おばーちゃんといっしょーと喜んでいる我が子を見ながら、自分たちは厳しく躾けないとと心を共にする夫妻であった。


 夕食が終わると、まだまだ5歳のレンドルフは湯浴みのあと、寝るだけだ。お昼には色々とお稽古やらお勉強をしているが、まだまだ幼子なレンドルフはそろそろおネムな時間である。

 でも、おじーさまのお話が聞きたくてウズウズしている。


 「おじーさま、おはなし、してください。スレイプニルのおはなしがいいです」


 愛馬スレイプニルと、戦場を駆けた英雄のお話。血腥いところは大幅に修正した英雄の活躍のお話が、レンドルフのお気に入りだ。


 アーガムはせがまれるままに、ちょっと恥ずかしくも自身の活躍を面白おかしく話してあげながら、かつての戦に想いを馳せた。



 〜〜〜〜




 アーガムの愛馬スレイプニルは通常の馬のふた回りは大きい巨躯であり、矢をも通さぬ鋼の肉体を持つ神馬と称される程の名馬だった。


 白銀に輝く芦毛と光を受け金糸のように煌めく鬣と長い尾を悠然と揺らし、精悍な顔付きのスレイプニルは、神馬と呼ばれるに相応しい威容を誇っていたが、気性が荒く、乗り手を振り落とすプライドの高い馬だった。


 そんなスレイプニルを御し、見事に愛馬としたのがアーガムであった。


 人馬一体となり、馬上槍を振るうアーガムとスレイプニルは無敵の組み合わせであり、それはそれは恐れられた。


 ある時、隣国ドンムル王国からの宣戦布告が届く。アッシム平原に挙兵し、攻め入るという隣国にアーガムは手勢の兵を率いて、王国軍と合流し向かった。


 すでにドンムル王国の戦略に関する情報を諜報に送り込んだ者より得ていたアーガムは、当時、立太子したばかりの王太子アルバウスに献策した。


 接敵し、開戦後に時を合わせて後退し、国境を巡る長城の城壁に備えられた砦へと誘導して、砦と城壁を攻略すべく攻城戦略に明け暮れる敵軍に忍ばせた伏兵を使い挟み撃ちにするのが、ドンムル王国の計画であった。


 「殿下、どうやら周辺の部族を懐柔し、連合軍を編成して、アッシム要塞の東に伏せているようです。敵は要塞に逃げ込み籠城戦をする振りをして、挟み撃ちを計っております」


 真剣に訴えるアーガムに、これが初陣であるアルバウスは緊張して若干の震えと尿意を堪えながら聞いていた。


 「し……して、どうするのだ」


 それでも余裕を見せようと背筋を伸ばし、泰然と振舞っているつもりで言葉を返すアルバウスに、アーガムは真剣に策を語りだしたが、緊張し過ぎて尿意がヤバいアルバウスは油汗を滲ませ、やや内股で無意識に腿をモジモジさせている。

 若い2人は真剣そのものだし、言うのも野暮と、周りの将たちは見て見ぬふりしたが、あー、厠に行きたいのだな、というのは明白だった。


 「はっ、開戦ののち、退却する敵を無理に追わず、時間をかけて城壁にへとむかい、夜営をして一晩を明かします。その一晩の間に、我が手勢と共に伏兵へと奇襲をかけ、見事蹴散らしますゆえ、明朝、攻城を開始して頂けますれば、後から参じた我が軍とわたしが、城門を破壊してしんぜますゆえ、ご安心めされよ」


 全く安心できない顔になっているアルバウスにアーガムは何か策を間違えたかと不安そうにしていたが。


 「すっ、……すまん。ちょっと考えて来るっ!」


 ついに耐え切れなくなったアルバウスが光を置き去り幕舎を後にしていったのを見て、将たちは堪えきれずに爆笑し、アーガムは呆然とするより無かった。


 幕舎に戻って来たアルバウスに対し、将たちは何と声を掛けるか言いあぐねたが、アーガムは諧謔を飛ばして呆れ顔で息を吐いた。


 「飛び出した後ろ姿はスレイプニルより早かったぞ、全く驚かせてくれる」


 先程までの王太子殿下に対する臣下としての口調は何処へやらで、友人に向けて軽口を叩く姿に将たちは驚くが。


 「勘弁してくれ、悪かったとは思ってるんだ」


 情けない声で謝るアルバウスは、そうじゃないと一言返されると。


 「しかしな、折角、お前が用意してくれた策を懸命に伝えてくれているのに、ちょっと催したから待ってくれは、……さすがに言い辛かったと言うか」


 噛み締めるように苦り切った笑みで誤魔化すように、照れたように本音を言うアルバウスだったが。


 「だからと漏らしたら、威厳もクソも無いだろう。俺を不忠者にするつもりか」


 呆れつつも何処か気安く笑いかけるようにアーガムは吐露した。


 その一言に思わずと吹き出したアルバウスは。


 「主が厠に行くのを妨害し、失禁させて縊られたら、前代未聞だな。尿意によって縛り首になった唯一の男になれたぞ」


 そんな事を宣うアルバウスを冷めた目で見ていたアーガムだったが。


 「それなら、友であり、一番の臣下をお漏らしで殺した最低な君主として語り継がれたいのか? 全く」


 周囲はこの漫談のようなやり取りを笑っていいのか、止めればいいのかと困惑したが、お互いに真剣な顔で暫し見合ったあと、呼吸を合わせたように同時に笑い出した主従2人は、周囲へと謝罪した。


 「ドンムルなど、恐れずに足らずだ。我らが王太子殿下にとっては用を足すことのほうが一大事のようだからな」


 そう高らかに言ったアーガムにアルバウスは爆笑しながら。


 「そうだ、そうだとも、卑怯にも蛮族と組み、挟み撃ちをしようなどというドンムルなど、不浄に出る虫と同じだ。気味は悪いが、そんなもの怖くはない。我が軍の勇猛な兵たちの敵ではない」


 よくわからない口上ではあったが、将たちの士気は何故か上がった。

 口々に便所虫など怖くはありませんなと笑い合い、開戦の前だと言うのに、悲壮感も緊張感も吹き飛んでいた。


 年若い公子と王太子、2人の友情にある意味で感化された将たちは、意見を云いやすくなり、冗談も飛ばしあって、快活な軍議となり、初陣で固くなっていたアルバウスは緊張が解け、本来の優秀さが遺憾無く発揮されることで、指揮に狂いもない。

 アーガムもまた、友の初陣を成功させよう、華を持たせよう、さりとて、万が一にも傷の一つもつけさせるものかと、気負い過ぎていたのだが、程良く気が抜けて、いい塩梅に闘争心が高まり、肩の力を抜くことが出来ていた。


 アッシム平原はウェズンディナール王国とドンムル王国の国境の間にある広大な平原で、周辺の遊牧の民や、山脈に暮らす部族たちなど、平原を囲む者たちでその領有を長年争っている場所である。


 ただ、ウェズンディナール王国とすれば、それ程、手にしたい土地でもない。遊牧の民たちから、国境沿いの襲撃が度々あるために諍いはあるが、それまでの話であり、ドンムル王国にしても、そこまで必要な地でもない。

 安全保障の上で緩衝地帯として双方が放置し、遊牧民など周辺部族の好きにさせていた土地である。


 そんな平原を進軍し、アッシム平原奥まで進んだ所で両軍は激突した。

 事前情報どおり、わざと国境近くで戦い、逃走を装い要塞へと引き込むようだ。


 数度の激突の後、ドンムル軍は後退した。

 アルバウスは落ち着いて指揮を執り、無理な追撃は掛けずに様子を見ながら進軍し、アーガムの献策の通り、城壁のかなり手前で夜営の準備を指示した。

 工作兵に命じ、掛け梯子や、門扉を破壊する為の破城鎚を輸送した物資で作らせつつ、翌朝の決戦に備えると、高らかに宣言する。


 ドンムル王国の目的はアルバウスの失脚だった。


 立太子前から、外交使節としてのアルバウスにドンムル王国は随分と苦しめられた。このまま立太子して、次代の王などたまらない。

 周辺の部族と協調し、兵力を過小に偽って宣戦布告する。戦力差で楽勝だと踏めば、立太子したばかりのアルバウスに功績をつけるため、出征が王から命じられるやも知れない。

 ただの賭けであったが、元々、そこまで利のない戦いだ。アルバウスが出征しないとなれば、開戦を撤回すればいい。

 しかし、アルバウスは出征し、そして緒戦の勝利に気を良くして、籠城したドンムルの攻略を命じている。

 ドンムル王国側の将たちは作戦が首尾よく進んでいることに喜んだ。 

 これで、攻城を指揮するアルバウスを背後から襲い捕虜にすれば、ウェズンディナール王国からどれだけの身代金やら、アルバウスによって作られた不利な条約の撤回が出来るかと皮算用に余念がなかった。


 そんな最中、アーガムと手勢の兵力が蠢き出す。

 夜営地から離れた後方にて、夜闇に目を慣らすために静寂の中を瞑想していたアーガムと公爵家の精鋭たちは号令もなく黙々と馬上に跨ると、松明に火を入れず、伏兵の潜む宿営地へと進軍を開始した。


 尖兵より、事前情報のとおり、当該地に伏せる敵兵力確認の報を受け、アーガムは吠える。


 「卑劣にも我が国の中天に輝く殿下の御身を拐かそうと企む慮外者どもを蹴散らし、蹂躙する。狼を自称する犬ころ共に思い知らせよ。我らは獅子の牙をもって、その喉を噛み切り、首を圧し折ることが出来るのだとな」


 兵を鼓舞する怒声に、屈強な精鋭たちが吠え猛て応える。


 騎馬にて駆けるアーガム軍、その蹄鉄の起こす津波の如き波状の雷鳴に物見の兵が驚き叫び、本隊より奇襲開始の要請を待っていた混成部隊は浮足立つ。


 幕舎から起き出して、飛び出した者は急ぎ馬を止める縄を解き、戦車を動かすために動く者、馬具を乗せ騎乗しようとする者、間に合わないと槍を持つ者、逃走を図る者と混乱する。

 よもや逆に奇襲されるとは想定していなかったドンムル軍の中で誰が情報を漏らしたのかと怒声が飛び、騎馬突撃に備え、急造で長槍隊が前に出る。


 だが、馬防柵も無ければ、騎馬に対応出来る長さの槍も無い。


 石突を地に押し当て、二人がかりで槍を構えても長さが足りぬ上に、揃わぬ足並みで何とか横一列に槍を構えて見たところで、意味などなかった。


 敵兵の姿を、宿営地に灯る火を確認したアーガムは一旦、我軍の足を止めさせ、松明に火を付けさせる。

 遊牧民だろう部族たちが馬を駆って、此方の出方を見ているのがわかる。ドンムルの兵たちは戦車に馬を繋ごうとして苦戦しているようだ。

 下っ端の者であろう、宿営地と此方の間で1列に槍を構えている者達がいるが。


 「なんの冗談だろうな。無駄死にさせられるだけであろうに。横に回避する必要などない。このまま一直線に駆け抜ける。征くぞーっ!」


 アーガムの号令に騎馬たちが真っ直ぐに宿営地へと駆ける。槍を構えた者達は、それでも自分たちを迂回するだろうと、震える手で必死に槍を持っていたが、怒濤の勢いで眼前に迫る白銀の巨獣と、両手に馬上槍を持ち松明を後光のように受けて迫るアーガムの威容の凄まじさに怖じ気、腰を抜かしてへたり込んだ。


 お構い無しに踏み殺して進むアーガムに遊牧の騎馬兵は短弓にて矢を射掛けたが馬上槍の一閃で全て弾き落とされ、瞬きの間に詰められた間合いで首を刎ね飛ばされる。


 松明の火が幕舎に投げ込まれ、宿営地は一瞬で火の海へと変貌していく。


 「吾はドンムルが車騎裨将軍ナザル・ゴンドラドだ。夜襲をかけるとは卑怯な、何者だっ! 」


 アーガムの前に騎馬にて現れた髭だらけの大男は、口惜しさと怒りに叫び上げてアーガムに誰何した。


 「たかだか臨時の副将程度に名乗るのも勿体ないが、俺がアーガム・リリナンブナーシュだ。覚えんでいい。どうせ必要なくなる」


 獰猛に笑ったアーガムはそのまま馬上槍で胸を貫いて振り上げ、落下した遺骸の首に槍を刺して千切るように首を刎ねると、馬上のまま槍に刺して高々と掲げた。


 「ドンムル王国が車騎裨将軍、ナザル・ゴンドラド討ち取ったり。降伏し指揮下に入るか、この場で自決するか選ぶがいい」


 あっという間の制圧劇に、生き残った者は大人しく軍門に降った。



 〜〜〜〜


 休む事なく取って返すアーガムたちは途中にドンムル本隊からの使者を捕らえる。


 「愚かにも功に欲をかいた王太子が攻城戦の支度をしている。正午を予定して後方より襲撃し王太子を捕らえて逃げるように」


 震えた声で読み上げる軍門の兵の声を聞き、アーガムは使者を文字通り真っ二つにした。両脇から腕を抑えられていた使者を頭から二つに切り分けた。


 血飛沫が飛ぶ中、アーガムは兵たちに檄を飛ばした。


 「舐められたものだ。このまま駆けて征くぞっ! 目眩ましに用意させた梯子も破城鎚も必要ない。スレイプニルが門をぶち破る。俺が城門の上でちまちまと矢を射るドンムルの小蝿どもを一人残らず叩き潰してやる。お前達は門を悠々とくぐり、ドンムルのクソ野郎たちを蹂躙しろっ! 我が友を侮辱した者達に地獄を見せてやれっ! 」


 総毛立つ程の怒りを見せつけられた公爵家の兵たちは当主にかわり軍を任された若き子息から立ち上がる憤怒の揺らぎに呑まれ、熱風に喉を灼かれたように渇きに声が出なかった。


 だが、その熱風が魂に火を付けた。巫山戯るな、よくも殿下を侮辱したな、赦してなるものか、もはや、言葉は不要であった。進軍の速度は上がり、土煙がもうもうと上がる。

 

 早朝、霞がかる平原に聳える要塞と、その左右に自領を堅持する城壁の上には弓兵が並び、攻城の為に梯子や破城鎚を持つ兵たちは、雨のように降り注ぐ矢の中を決死の覚悟で突貫するのだと、覚悟を決めて睨め付けていた。


 アルバウスが突撃の号令を掛けようとした、その時。轟音を響かせアーガムの駆るスレイプニルが、そしてリリナンブナーシュの精鋭たちが駆けてくる。


 先頭を行くアーガムはそのまま城壁へと両手に馬上槍を持ち、手綱も引かず駆け込んで行く。


 慌てた弓兵が矢を降らすが、縦横無尽に振るわれる槍に、一矢たりとて人馬に届かず弾き落とされていく。

 城壁近くまで駆け込んだスレイプニルは高く飛翔すると、アーガムはその背に足をかけて更に飛び上がった。

 馬も馬なら主も主、凡そ考えつかぬ程に高さを飛んだ人馬の合せ技により、アーガムは城壁の上へと躍り出る。

 弓兵たちは左右から矢を射掛けるものの、かわされるわ、弾かれるわで当たらないどころか、外れた矢が友軍に襲いかかるため、射掛けることを躊躇いだす。

 だが、アーガムはお構い無しと縦横無尽に槍を振るい城壁の上からはたき落として行くために、遂には弓兵たちは狭い城壁の上を逃げ惑い砦の中へと殺到し始める。


 そんな混乱の中、スレイプニルは前脚で大地を蹴り、首を振って嘶く、土煙が上がる中、乾いた汗が湯気となり巨体の輪郭をブレさせる。

 首を下げ、一際大きく地を蹴ると、スレイプニルは猛然と門扉に向けて疾走した。

 極太の丸太を繋ぎ合わせた跳ね扉は20人の男が縄を引き、滑車を用いた外開きの門だ。

 固く閉まった門の底は掘り下げられた土に沿うようにして固定されている。

 そんな堅牢な城門にスレイプニルの巨躯が激突する。軋んだ音を上げた城門は僅かに内側にずれた。

 スレイプニルは後退すると、2度3度と繰り返して門に飛び込んでいく。徐々に内側へと食い込んでいく門扉から、悲鳴のように軋み割れる音が響いていく。

 潰れる音、割れる音、軋む音が連鎖し木霊すると、堅牢であった筈の門が中央から大きく歪んでいく。


 そして、遂には辺り一帯に響き渡る破砕音と共に、スレイプニルは門の内側へと崩れ去る城門を背景に顕現する。


 「よくやったー! 」


 アーガムが吠え、公爵軍はあとに続いて城門の中に突貫する。

 

 あまりの事に狼狽えるドンムル軍兵士たちをスレイプニルは轢き殺し、踏み殺していく。そして、アーガムは砦内部へと攻め入っていた。


 さて、怒濤の展開に時を失くしていたアルバウスであったが、城門が破壊される音に我に返ると、やや吃りながらも号令を上げた。


 「ぜ、全軍、とっ……突撃っ! 」


 やはり覚悟を決めて、いざ決戦という心持ちから、あまりの光景に夢か現かと呆然と立ち尽くしていた兵士たちは突然の号令に反応が遅れた。


 致し方ないことである。頭が追いつかずに周囲を見回してより、数瞬遅れて、ばらばらと声を返すが、どうにも締まらない。


 アルバウスは苦笑いしながらも、まぁもう勝ちは決まったようなものだと思いながら。


 「気を抜くなよ。あれだけアーガムが戦線を崩壊させてくれたのに、流れ矢で死んでは元も子もない」


 そんな言葉に、兵士たちはそりゃそうだと気を引き締め直して城壁へと駆け込んで行く。


 弓兵が逃散したことで、憂いなく梯子がかけられ、大穴の空いた門から騎馬が走り込む。


 すでに城壁の向こうは地獄絵図であったが、とりこぼしの無いよう、徹底的に潰されている。


 砦内部に潜入したアーガムは中央を目指した。長く取り回しの利かない馬上槍は捨て置き、抜剣した愛刀で次々と斬り殺しては前へ進むアーガムは、遂には目的の人物を発見する。


 この作戦の指揮を執り、この戦争の立案者であるドンムル王国左将軍、ナンバク・ミドテッサ。ドンムル王国軍幹部であるミドテッサ将軍と対峙したのだ。


 「左将軍にして、此度の戦にて全権指揮を拝命したナンバク・ミドテッサだ。これ以上争っても犠牲が増えるだけ、生き残った者は丁重に扱って貰いたい」


 アーガムにたいし、深く頭を下げ、懇願した男は、短刀を抜くと、そのまま横に一文字、そして縦に下から上へと一文字に刃を滑らせて割腹した。


 胸骨の下まで切り上げ開放された傷口から腕を捩じ込むと。


「貴殿はまるで悪鬼羅刹の如くであったな。そなたのような者がいると知って居れば、こんな愚かな策は弄しはしなかった」


 そう言って自ら心の臓を握り潰して絶命したのだ。


 さしものアーガムもあまりに壮絶な死に様に目を見開いたが。


 「勝手な言い様ではあるが、責を取って自ら果てた、その死に様は立派であった。アルバウスを愚弄したことは生涯赦しはせぬが……」


 立ったまま正面を見据えて絶命している将軍の元に歩みよると、豪快に笑ったアーガムは。


 「すまぬな、暫くはここで立っておれ、誰ぞか来て横に寝かせてくれるであろう」


 そう言って外へと飛び出して行く。言葉を交わす間もなく、一方的に自刃し、果てた。勝手な言い分ではあったが、むしろ、自身1人で責任を丸被りした上で、戦場の兵士を守るため、有無を言わせず自決したのは天晴である。


 赦せぬものは赦せぬが、行動として天晴なことは天晴と褒め、その行動に報いてやるべきだ。アーガムはそれはそれ、これはこれと、きっぱりと割り切った上で、城壁の上にて勝鬨を上げた。

 

 首を切って掲げることはしなかった。貶める必要はない。事実として、立派に果てたのだから。


 「ドンムル軍左将軍ナンバク・ミドテッサ殿、敗戦の責を取り自刃し果て申した。この戦いはウェズンディナールの勝利である」


 よく通るアーガムの大音声は、晴天の澄んだ空によく響いていた。

 戦勝の太鼓と銅鑼が打ち鳴らされる。項垂れるドンムル軍兵士たちはあっという間の敗戦の衝撃よりも、悪夢のような怪物から生き延びたことへの安堵にへたり込んでいるようだった。


 王都へと戻ったアルバウスが、アーガムに対して、最初からお前一人で戦えば良かったんじゃないかと言ったのは無理からぬことであった思う。

 流石に1人では勝てんと笑ったアーガムにほぼ1人で勝っていたと思った者は1人では無かった。



 〜〜〜〜


 

 気付けば孫を寝かしつけるついでに、自分も暫し寝ていたようだと、ベットの横に置いたロッキングチェアに凭れていたアーガムは寝惚けた頭を振って、サイドテーブルへと手を伸ばした。

 喉の渇きになんと無しに伸ばした先にはグラスとデキャンタがある。

 誰ぞ使用人が用意してくれていたのであろう。グラスの中の温くなったブランデーを呷りながら、懐かしい夢を見ていたと思いに耽っていた。



 〜〜〜〜〜


 それから、だいぶ時も経ち、竜と称された男も老境に差し掛かる。


 友として数々の難題を共に挑んだアルバウス殿下は、先王陛下御崩御に伴って国王に即位した。子供たちも立派に勤め上げており、アーガムが担っていた要職を後継し、活躍している。

 孫たちは全て自慢の孫だ。よく学び、よく笑い、よく泣いて、よく食べよく寝て、健やかに大切なものを育んで日々大いに成長している。子供たちがちゃんと厳しくしているので、お爺ちゃんお婆ちゃんは甘やかす係だと言っては、子供たちに叱られては笑っている。


 「そろそろ、私も潮時か、なぁ、アデリー」


 王都のタウンハウスの中、日当たりのいいオープンテラスでロッキングチェアを揺らして座るアーガムは、すぐ近くにフカフカなクッションを敷いた椅子に腰掛ける妻に語りかけた。


 「そうねー、もう十分頑張りましたし、あとは全て任せていいんじゃない」


 にこやかに言う最愛の妻の言葉に、色々なものを噛み締めるように空を見上げたアーガムは。


 「そうだなー。領地に隠棲して、アデリーと楽しく過ごすとしよう」


 何も言わず、ただ微笑んでいるアデルと、その気配を心地良く感じながら、空を見上げながら、ふっと目を閉じたアーガム。


 ポカポカとした陽光に包まれて、アーガムは一筋涙を流し、言葉が漏れる。


 「アデリー、君は覚えていないかも知れないが、僕はねー、君に叱られて救われたんだ」


 妻に向けた言葉のようで、独白のようでもあった。

 ニコニコと笑顔の夫人は続く言葉を待って、静かに微笑んだまま傾聴している。


 「まだ、子供だった僕が弱音を吐いた時、叱咤してくれた君の言葉が、真っ直ぐな言葉が、僕を……」


 日だまりに眠ってしまった夫を見ながら、アデルは愛する夫との婚約者時代の想い出へと暫し旅をした。



 〜〜〜〜



 まだ、アーガムも成年前の15歳、それでも、公爵家嫡男として、王女殿下の婚約者としての重責や、第1王子殿下の友としての交流もあり、羨望や嫉妬、様々な思惑に絡め取られ、繊細で多感な時期を過ごす若人にとって、その悩みは深く尽きぬものだった。

 だからこそ、若き日のアーガムは婚約者アデルへと本音を打ち明けたのだ。


 交流のために用意された席で、アーガムは目の前の婚約者へと伏して謝罪した。


 「私は王女殿下の婚約者としても公爵家嫡男としても不出来であり、相応しいとはいえません。顔と家柄のみと揶揄される私の不甲斐なさに大して、アデル王女殿下、アルバウス王子殿下への称賛はその限りがなく、そしてそれは事実として存在しております。

私は父へと奏上し、後継から外れ、一臣下として国のために仕える所存です」


 今では考えられぬが、アーガムは本当に繊細で情緒が不安定な子供であったのだ。いや、それも致し方なかったことであろう。

 筆頭公爵家の嫡男、後々の国王たる第1王子の友であり、第3王女の婚約者、家柄と立場、それに伴う重責とそれに見合うための努力、全てを幼き頃から背負って来ていた。

 そして、アーガムは真面目で誠実で、そして他者への思い遣りと共感性がとても高かった。良いことではあるが、翻って誹謗中傷の言葉に反骨するよりも、受け入れてしまった。


 だからこそ、弱っていた心が耐えられなくなり、誠実ゆえに不出来な自分は引き下がるべきだと、そう思ってしまったゆえの謝罪であった。


 「アーガム様、その謝罪は受け入れません。まずもって、アーガム様は我が兄アルバウスやわたくしに劣ることなど御座いませんし、まして顔だけ、家柄だけなど。良いですか、アーガム様の才能と努力をわたくしはよく知っております。それを否定されるのは、アーガム様を蔑ろにされる慮外者を大切にされ、アーガム様を想うご両親や友人、なにより、わたくしを侮辱することです。慮外者など捨て置けば良いのです。気になるのなら、ただ、わたくしだけを見てください」


 普段はお淑やかで口数も少なかった婚約者アデル王女殿下から、怒濤の勢いで言葉が紡がれたことにアーガムは驚き、そして、その内容に理解が追いつくと、更に驚愕する。


 「王女殿下を侮辱など、畏れ多いことで、その様な意図は御座いません」


 青くなるアーガムを見ながら、心優しく、そして優秀で誠実な彼の心を壊した者達にアデル王女は烈火の如く怒り狂っていた。勿論、権謀術数渦巻く世界に生きて行かねばならない。心の弱さはそのまま弱点であるが、本来の彼はここまで弱くない筈である。自分の婚約者として相応しい人物たろうと無理をし過ぎた上に、悪意ある言葉を聞き過ぎてしまったのだろうと、哀しみと、それ以上の恥辱の思いに猛っていたのだ。


 「良いですか。わたくしのアーガム様を罵るのは、わたくしを罵るのと同義です。わたくしのアーガム様を貶めるのは、わたくしを貶めているのです。ですから、アーガム様ご自身であっても、卑下されるなら、わたくしを貶めていることに他なりません」


 アーガムは混乱していた。勿論、王女殿下を侮辱するつもりなどないし、自分を卑下しているとも思っていない。自身としては客観的に見た上での発言であり、他意はない筈であるが、アデル王女殿下は侮辱しているという。


 「私は決して侮辱などしておりません。ただ、我が身の不甲斐なさと不出来をもって、ご辞退する旨を」


 とにかく、誤解があると伝えようと早口で辿々しく吃りながらも弁明しようとしたアーガムに。


 「わたくしはアーガム様を好いております。好きな人を悪しざまに言われて喜ぶ人がおりましょうか。アーガム様は素晴らしい方ですわ。自信を取り戻しになって、どうか、わたくしを愛することは出来ずとも寄り添って頂きたいのです」


 アデル王女はそう言って涙を零される。


 アーガムは巨大な槌で頭を打ち飛ばされたようにグワングワンと思考が回らなくなったが。

 それでも、好きな人を悪しざまに言われて喜ぶ者はいない。この言葉が胸にストンと落ちたのだ。


 王女殿下は自分を憎からず思い、好意を持ってくださっている。それもゆっくりと理解し、自分を信じて期待してくれている王女殿下にたいして、それを裏切る発言を繰り返していたのだと恥じ入った。

 それでも、見限るのではなく、叱咤激励してくれた王女殿下に、アーガムの心は大きく転換した。


 「このアーガム、王女殿下の御言葉にて、目が覚め申した。父上や陛下、殿下がたの期待に応えるのではなく、足を引っ張る者の言に惑わされるなど、愚かの極み。誠実さや忠誠を履き違えておりました。

真に誠実であることは、何よりも私に対して、慈しみを持って期待してくださる方へ、それにお応えすることだったのです。なにより、私を大切だと仰ってくださる王女殿下を傷つけるようでは臣下失格でありました」


 席をたち、片膝をついて頭を垂れていたが、その口上は迷いなく、真っ直ぐであった。


 「もぅ、とっても硬いわ。ねぇ、アーガム様、わたくしたちは婚約者、いずれは家族となるのです。もっと、気安くお話いたしましょう。わたくしはアーガム様が大好きなのですよ」


 2つ下の少女の筈が、随分と積極的に好きだと言われて、アーガムは真っ赤になってのぼせてしまう。

 ウブなところも可愛いわと思っているアデル王女とどちらが年上かわからないといった状態であるが、総じて、こうしたことは女性の方が成熟が早いのだ。

 周りにいる侍従たちは誠実な青年の紳士な姿勢と、それを手玉にとって手中に収める王女殿下を微笑ましく見ながら、「小公子様は将来、尻に敷かれるな」と満場一致で思っていたのは内緒だ。



 〜〜〜〜



 微睡みから覚めると、アーガムは軽く周りを見渡して、こちらを見て微笑んでいるアデルを見つけて幸せな気持ちを確かめる。


 「すこし寝ていたようだ。嬉しそうだね、アデリー」


 そんな問い掛けに、僅かに頷く妻に嬉しくなる。


 「私は君には勝てないな」


 そんな言葉が口をついたが、アデルは当たり前よといわんばかりに。


 「ええ、ダーリンはわたしには勝てないわ。だってわたしの方が貴方を愛しているもの」


 そう言われるとアーガムは軽く身を起こして。


 「いや、そればかりは譲れないな。私のほうがアデリーを愛している」


 すこしムキになっているアーガムが可愛くて、声を出して笑ってしまったアデルは。


 「いいえ、わたしのほうが先に好きになったもの」


 それを言われると分が悪いアーガムだったが、それでも食い下がると。


 「確かに好きと言ってくれたのはアデリーが先かも知れないが、私だってその前から好意も敬意も持っていたし、好きなところ、良いところをあげれば、私のほうが絶対にたくさん言える」


 子供の喧嘩のようなことを言い始めたアーガムだったが、アデルは喜んでそれに参戦した。


 「そーですか。負けないわよ。わたしのほうがいーっぱい言えるんですからね。負けても文句は言わせませんわよー」


 そうして、世界一くだらなくて、世界一平和な夫婦喧嘩は幕を開けたのだが。


 それから数刻、息を切らしてお互いに褒め合う祖父母を呆れた顔で見ながら、孫のレンドルフが嫌そうに割って入った。


 「はいはい、御爺様、御婆様、夕餉の時間です。双方どっちもどっちです。以上」


 との名裁きにより、無事に引き分けと相成ったが、負けず嫌いの2人は、次こそは決着をとゆずらなかったため、この幸せな夫婦喧嘩の休戦は、わりかしとすぐに再戦勃発するだろうと、家人たちはすこしウンザリしながらも、どこか誇らしかったのだ。



 

 〜〜〜〜〜


 

 ドンムル王国より、宣戦布告が届いた。

 領地にて隠棲していたアーガムに、公爵家を継いたマルガンから報せがあったのは、アーガムも齢60になろうかといった夏の日であった。


 かつての雪辱を晴らすべく、周辺の部族だけでなく、同盟を結んだ聖バレン教国の神聖騎士軍まで加えての大軍勢をアッシム平原へと差し向ける用意があると伝えて来たという。

 

 「今回は初めから全軍で真正面から激突するつもりか」


 アーガムは呟き、そして思う。

 今回の総指揮はアルバウスの息子、若き王太子ダフトン殿下が執るという。その補佐は自分の次男クルフトだ。

 確かに想定される敵兵力は多いが、混成軍であり、統制は難しかろう。ウェズンディナール軍は、大国の国軍に相応しく規模は大きく、規律も厳しい。だが、長い平和に実戦に乏しく、強大な国家に属しているために、負けを意識していないために士気も低いだろう。


 「ウェズンディナールを打ち倒さんという、勝利への渇望なら、相手のほうが勝っている。数だけならそう優劣も無いとなれば、激戦は必定じゃな」


 難しい顔をするアーガムに、アデルは手に細工の美しい小板を持って横に座ると。


 「これを、どうせ戦場に行かれるのでしょう。最近、目が悪くなって来ましたし、あまり無理はしないでね」


 そう手渡してくる。

 良いのかと、アーガムは聞きたかったが、それは野暮だと呑み込んだ。スレイプニルもだいぶ老いた。これが人馬の最期の戦になる。

 

 「息子だけは生きて返す。国も負けさせはせぬ」


 それだけ言って立ち上がったアーガムに。


 「ダーリン、あなたはアーガム・ドラクル、竜ですもの、人間なんかに殺せはしないわ。お土産をよろしくね」


 そう微笑んで、いつものように送り出してくれる。

 強い人だ。この人がいるからこそ、自分は竜になれる。


 アーガム・ドラクルは竜として公爵家精鋭を引き連れ、アッシム平原を目指した。




 〜〜〜〜



 アーガムの予感は悪い意味で的中していた。

 長年、ウェズンディナールによって下に置かれ、辛酸を舐めて来たドンムル王国と、その周辺は、アーガムが中央から退いたことを好機と、着々と準備をしていた。そのため、士気は高い。


 何としてでも勝つ、その想いが、思想や民族を超え、混成軍に奇跡の統制を齎していた。

 対して、ウェズンディナールはアーガムの薫陶を受けた若き王太子殿下と、息子クルフトこそ、この戦を危険と認識していたが、多くの兵は国力差で楽勝だと気が緩んでいた。


 その結果が緒戦の敗北である。アッシム平原の中央でぶつかった両軍の損耗はほぼ5分であったが、元々の戦力差を鑑みれば、5分に持ち込まれたことが想定外であった。


 ウェズンディナールの軍議は紛糾し、援軍の要請が諸侯に向けて急遽行われた。


 「ドンムル軍の士気は増すばかり、対して、我が軍の士気はどん底です。思わぬ苦戦に心を折られ、戦況を正しく認識出来ておりません」


 現場の兵たちは、実際にはまだ戦力的には有利であるにも拘らず、すでに負けが確定しているかのように意気消沈し、絶望が広がっている。

 援軍が間に合わなければ、損耗が小さいうちに全軍を引き上げ、相手との協定を持ちかける必要が出てくる。当然、こちらが降伏を受け入れた上でだ。


 通夜のような雰囲気ではあるが、まだ戦線を維持し戦わねばならない。

 両軍が陣形をつくり、日が昇るにあわせて、またもや突撃の号令が発せられた。


 押されている、このままでは今日にも殿を残し、敗走することになりそうだ。そうクルフトが思っていた時、軍が息を吹き返し、ややにではあるが押し返し始めた。


 「何があったっ」


 叫んだクルフトの耳に嘘のような報告があがった。


 「前リリナンブナーシュ公爵閣下、兵を率いて敵左翼に突撃、敵左翼を打ち崩しております」


 「父上がだと!!」


 戦の報せはしたが、救援など要請していない。それが何故いるのか。

 クルフトは馬を駆った。いくら強いと言えもう老人なのだ。流石と言うべきだろう。敵陣形を崩す戦働きは天晴であるが、早く引いて頂かなくては万が一がある。


 陣形を大きく迂回しながら、クルフトは急いだ。

 その間も敵は左から陣形を崩して押し返されていく。 

 敵味方が入り乱れるようにして大きくうねった陣形の中をクルフトは猛然と進む。


 居たっ。父の姿を確認すると、焦りながらも進んでいく。


 「何故、ここに居るのです、父上」


 激しい戦闘に声は掻き消されるが、実のところはその声はアーガムの耳に届いていた。

 


 両軍のぶつかる中央に向かったアーガムと、その私兵たちは遠目から確認出来るだけでも、ドンムル優勢を確認した。

 だからこそ、一度大きく迂回すると、敵左翼側から紡錘陣形で楔を打ち込むように突き進む。


 手勢は多くない、全員が死ぬかも知れないとわかっていたが。それでも、愛する者が暮らす国へと侵攻を許す訳にはいかなかった。


 楔を打ち込むと、次は広がるようにして、敵を薙ぎ払って陣形を広げていく。

 個人個人の武勇により、少数しかない兵を持って、敵陣形を内から外へと押し広げて崩す。

 矢を弾いて必死に槍を振るうが、体がついていかない。そろそろ引き返せねばならんかと、合図は送ったが、その時、息子の声がアーガムに届いたのだ。

 一瞬の緩み、矢がアーガムの胸に刺さる。


 「父上ーっ、」


 クルフトは敵を払って進むが、矢の当たった筈のアーガムは、呵々大笑すると更に進軍を進め敵を薙ぎ払うでは無いか。


 「戦女神がついておるようだ。竜を殺せると自負する者はかかってこい。竜殺し(ドラゴンスレイヤー)の称号が欲しくば、このアーガムを討ちっとてみよっ」


 その銅鑼声は地響きのように戦地を震わせ轟いた。

 

 「に、人間じゃない」


 矢を当てた名手たる騎馬兵は畏れをなして逃げようとした。

 目敏く見つけたアーガムはスレイプニルを駆ると、瞬く間にその首を刎ね飛ばした。


 敵左翼が完全に瓦解する中で、1人の将がアーガムに対峙する。


 「ドンムル王国、驃騎将軍ムルドラ・ミドテッサだ。一騎討ちを所望する」


 アーガムは思い馳せる。自らの前で、壮絶な自決にて敗戦の将となった男の面影が、そこにあった。


 胸元を見る。鎧の隙間を狙って放たれた矢は確かに刺さっていたが、鎧と鎧下の間で首から下げた御守りに阻まれて、肉に僅かに刺さった程度で止まっていた。 


 御守りで防げるものでは無かった。


 「やはり、女神のおかげか。すまんな、敵討ちであろうが、討たれてやる訳にはいかんのでな。全力で来るといい」


 槍を構えたアーガムはとても老人という姿では無かった。驃騎将軍を拝命した。戦時の臨時の将であり、戦果をあげれば、没落した家を再興し、亡き父の無念を晴らして大将軍への道も拓ける。

 その想いで軍を率いて来たのだ。ムルドラもまた負けられなかった。

 

 アーガムはそっと刺さった矢を折った。引き抜いては妻から貰った御守りごと抜き捨ててしまいそうだったからだ。

 目が悪くなったと心配してくれたな、息子に声をかけられ、油断するとは老いたものだ。そんな事を考え、アーガムは穏やかに笑った。


 その顔に逆撫でされたムルドラは津波の如く攻めた。

 だが、その攻めの全てが風に揺れる柳のように受け流される。剛剣を振るうアーガム、質実剛健にして、勇猛、馬上槍を両構えして縦横無尽に振るうことで、嵐に喩えられた男が、凪いだ湖面のように静かに其処に居続けて、暴風雨のような攻めにも、身じろぐことが無い。


 「戦神だ。あんなものに勝てるか」


 誰ともない言葉にドンムル軍は逃げ惑いはじめた。


 とうのアーガムは限界に来ていた。

 もう腕をふるのも、馬上に跨っているのもやっとだった。

 それでも、自分が倒れれば、ドンムルが勢いづくのはわかっている。

 目の前の男は強かった。さっき射掛けてきた男も上手かった。ドンムルの兵は良く鍛えられているなと、そう想いながら。


 「貴殿の父は立派に果てた。あの死に様は忘れたことは無い。この目の裏に焼き付いておる。願わくば、貴殿とは酒席でその話をしたかった。敵味方ではなく、友の子として会いたかった」


 そう言うと、アーガムは猛攻に疲れ、腕の落ちかけたムルドラの槍を弾き、その胸に深く突き刺すのだった。



 クルフトは父の偉大さに慄いた。もう、武人としては父を越えたと思っていたが、まだまだ、遠い存在であったと、悔しくも誇らしく。ただ、矢が刺さったはずの父を守って供回り連れた者を警護にし、アーガムの私兵とともに撤退した。


 すでに戦の趨勢は変わった。父が変えてしまった。

 この戦はウェズンディナールが勝つだろう。

 だが、ウェズンディナール軍は思い知ることになる。自分たちの不甲斐なさにだ。

 実は援軍は父だけでは無かった。引退した諸侯たちは平和に慣れ、戦を甘くみる子供たちを危惧して、戦の報せに援軍要請の前に私兵を動かし、緒戦の敗北を知って、それ見たことかと敵軍を覆うように配してくれたと、クルフトは後に知る。


 それぞれの動かせる兵は僅かなものだったが、義軍の国を護る護国の精神とその気概は死兵となって相手を脅かした。


 「勝てませぬな父上には」


 そう、泣きながら幕舎に戻るクルフトはいつかは越えるのだとその高い頂を仰ぎ見ていた。



 〜〜〜〜


 

 胸元の御守りは矢を受けて割れていたが、アーガムはその鏃ごと、大切に保管した。

 可愛らしく微笑む女神に何を買って帰るか、アーガムの新たな戦いの幕が切って落とされていた。


 

 〜〜〜〜〜



 だいぶ時が経ち、アーガムは曾孫にまで囲まれて、横たわっていた。もう立ち上がることも出来ない。


 友だった者は大概が天に召された。手を上げると変わらず美しく微笑む妻がその手を握ってくれた。


 「アデリー、すまないな、先に逝くよ」


 ただ一言を遺して、アーガム・ドラクルはこの世を去った。享年82の大往生であった。



 天への道すがら、アーガムはずいぶんと若い頃の姿になったもんだと体を見回しては進んでいた。

 早くアデリーに会いたいと思いながらも、もう少し長生きして、曾孫たちと穏やかに笑っていて欲しいとも思い、複雑な気分だったが、向かいから懐かしい声が聞こえてくる。


 「ずいぶん待たせるじゃないか、妹を置いてきて泣かせるなんて、酷いやつだ」


 懐かしい顔だ。若い頃は一緒に冗談を飛ばし合ったな。そんな思いに拳を握ると振りかぶる。


 「まっ、まて、冗談だ、やめろっ、お前のそれはシャレにならんっ」


 慌てて逃げ惑う友に爆笑しながら、良い人生だったと竜と呼ばれた男は独りごちたのだった。


 「待つ訳が無かろうがー、この痴れ者がー」


 そんな2人の声が聞こえた気がしたアデルが、やれやれと呆れているとも知らずにね。



 

 


感想お待ちしておりますm(_ _)m


思い付きで書き殴りすぎて。とっ散らかるとはこのことなストーリーですが、楽しんで頂けたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
 これが思い付きの書き殴り⁈  とてもじゃないですが敵いませんねぇ。  今回も良い作品でした。
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