第52話 勇気
※
あたしは今、七瀬さんたちと5階の空き部屋に来ていた。
「七瀬さん……どうして5階に?」
尋ねても、その質問には誰も答えてはくれない。
ただ……敵意のような、居心地の悪い眼差しを、みんながあたしに向けている。
「ね、ねぇ……どうしたの、みんな?」
こういう雰囲気をあたしはよく知っていた。
忘れられない……嫌な感覚が蘇ってくる。
(……違う……そんなはずない)
きっと気のせいだ。
あたしは必死に、自分に言い聞かせた。
「ここなら大丈夫なのよね?」
「うん。
舞の記憶だと~、この階は誰も使ってないはずだから」
答えたのは伊野瀬さんだった。
すると七瀬さんがあたしに目を向けて、ニヤッと微笑む。
「そ……。
三枝さんさ……アタシの幼馴染の話、覚えてるよね?」
問われて強く鼓動が脈打つ。
七瀬さんの幼馴染――それは柊さんのことだ。
「……そ、それは……」
「知らないって……言ってたよね? でもさ……3階層で友愛と話したら、三枝さんとは前も同じ学校に通ってたって、聞いたんだけど?」
あの時、あたしは動揺して嘘を吐いてしまった。
本当は柊さんのことを知っていたはずなのに……言えなかった。
もしかしたら七瀬さんは、あたしのことを柊さんから聞いているんじゃないか?
名前や顔は知らなくても、何かの拍子にイジメを受けていたことに気付かれてしまうんじゃないかって……それが怖かったから。
「ごめん……。
その……あたし……」
「ふ~ん。
謝るってことはやっぱり嘘なんだ」
「そ、それは……」
尋問から逃れるように、あたしは目を逸らしてしまった。
返せる言葉がない
だって嘘を吐いたのは事実なんだ。
いっそ――本当のことを話せば……。
「まぁ……でも、仕方ないよね。
だって、三枝さんは嘘を吐くしかなかったんだから」
「っ……」
多分、イジメを受けていたことを柊さんから聞いたのだろう。
「全部聞いたよ。
中学の頃、友愛に酷いイジメをしたって」
「ぇ……?」
思わず耳を疑う。
(……あたしが柊さんを、イジメてた?)
違う、そんことしてない。
でも動揺しすぎて、あたしは否定の言葉を口にすることすらできなかった。
「そりゃそうだよね。
イジメてた相手の幼馴染に、知り合いで~すなんて、言えっこないか」
違う、そうじゃない。
「だよね~。
舞は三枝さんがそんな悪い子だなんて思ってもいなかったよ」
「七瀬から聞いたけどさ、しかもイジメの内容が酷すぎるよねぇ……」
「正直、ドン引き。
あんたさ、心が痛まないわけ?」
みんなの言葉があたしの心に突き刺さっていく。
「ち、違うよ。あたしそんなことして――」
「言い訳してんじゃねえよっ!」
パン――と、頬を張られた。
熱くて、じんわりとした痛みが広がっていく。
たったそれだけのことで……あたしの身体は動かなくなってしまう。
「ははっ、なにこいつ? ちょっと頬を叩かれただけで震えてるよ」
「舞、知ってるよ。
イジメっ子って、意外と責められると弱いんだよね」
おかしくて仕方ない。
そんな風に、みんが笑う。
怖い……怖い……過去の記憶が――トラウマが蘇っていく。
「ははっ、ほらっ! どうしたんだよ? やり返してみろよ!」
頬をもう一度叩かれた。
「や、やめっ……」
「あん? 聞こえねえんだよ!」
今度は髪の毛を引っ張られた。
脅えるあたしを見て七瀬さんは、楽しくて、おかしくて仕方ないみたいに、ケラケラと笑う。
その顔は柊さんと同じだった。
「そうだ。
どうせだから友愛がやられてきたことを、今日から少しずつあんたに全部してやるよ」
「ちょっと七瀬~、あんまりやりすぎちゃダメだよ~」
「そ~そ~。
これじゃ舞たちがイジメしてるみたいじゃん」
「もう懲らしめられたっしょ?」
これで、終わってくれるのだろうか?
伊野瀬たちは不快な物を見るような目をあたしに向けていたけど、それでも今が終わってくれるのなら、なんだっていい。
だから――
「なに言ってんの? これから面白くなるんじゃん。
便利なのよ、この世界って。傷付けても傷付けても、魔法で治せちゃうんだから」
七瀬さんの顔が狂気に染まっていく。
そして、彼女の手がゆっくりとあたしに近付いてくる。
「っ……」
逃げなくちゃ、逃げなくちゃ……。
そう思っているのに、足が震えて、力が入らない。
あたしは立っていられなくなって、その場に座り込んでしまった。
「た~っぷり、時間をかけて甚振ってやるから」
その言葉は死刑宣告のように、あたしの心に重くのしかかっていた。
恐怖で、助けてという……声をあげることもできない。
この場から今すぐ逃げ出したい。
楽になれるなら、もうなんだっていい。
この地獄から解放してくれるのなら、あたしはなんだってする。
「なぁ、三枝……許してほしいか?」
「ぇ……」
「殴られたり、ばかにされたり、無視されたり、心も身体も、痛いのはイヤだよな?」
床にしゃがみ込むあたしに視線を合わせて、七瀬さんは優しく笑う。
「……い、イヤ……で、す……」
なんとか声を絞り出した。
許してもらえるかもしれない……あれ? 許す……? あたしは許されなくちゃいけないようなことをしたの? わからない。わからないよ……。
「そうか。
だったら……今日からアタシの言うこと、なんでも聞けるって約束できる?」
さっきまでとは全然違う。
その優しい声音に、あたしの心はギュッと掴まれるみたいになった。
でも、ここで頷いたら……あたしは……。
「ねぇ……? 約束、できるよね……?」
「ッ――」
シャツのネクタイを強く締め上げられた。
ああ、そうか――勘違いしてしまった。
あたしに最初から選択肢なんてないんだ。
約束すれば……これから七瀬さんに従って生きれば……あたしは楽になれ――。
『――三枝!』
声が……聞こえた気がした。
大切な――あたしに強くなることを諦めるなと言った彼の声が――自分に負けるなと、背中を押してくれた。
(――あたしは――)
だから少しだけ、勇気を出せた。
「……イヤだ」
「あん?」
あたしは、強くなるって、誓った。
だから、彼との約束だけは、たとえ自分がどうだったとしても、破れない。
だって、もしこれを破ってしまったら、あたしは、絶対に自分が許せなくなるくらい嫌いになっちゃうから。
だから、
「……そんな約束できない」
今だけは――勇気を出したい――。
「あん?」
「あたしは……悪いことなんて、してないから」
「ふざんなよ! あんた、友愛にしたことを――」
「七瀬さん、聞いて。柊さんのことは誤解なの! ちゃんと本当のことを話すから、だから――」
「クソ女がっ! 口答えしてんじゃねえ!」
七瀬さんが手を振り上げた。
また、あたしの心を折るために暴力が続くのだろう。
(……あたし、ばかなことをしちゃったのかな)
あたしは降り掛かる痛みを堪えるために、ギュッと目を閉じた――。
※
俺は音を立てぬよう扉を少し開いた。
気配遮断の効果か、三枝たちは俺が扉の外にいることに気付いていない。
どうやら、魔法やスキルはタウンの中でも有効なようだ。
(……七瀬は3階層で柊に助けられたと言っていたが……その時に、嘘を吹き込まれたか)
そして親友がイジメられた復讐をしていると……。
だが、それだけとは思えない。
明らかな苛立ち……いや、憎しみだろうか?
この世界で積もり積もった感情を、三枝にぶつけようとしているのだろう。
要するに酷い八つ当たりだ。
三枝は、何を言われても否定しようとはしない。
イジメられてきた恐怖が蘇り、そのトラウマが抵抗の意志を奪っているのかもしれない。
(……ここで俺は手を出していいのだろうか?)
正直、見ていられない。
それでも、本当は手を出すべきではないと思った。
これは三枝が自分の力で乗り越えなければいけないことだ。
過去のトラウマを乗り越えるためにも……。
(……だが)
同時に俺は人の弱さも理解しているつもりだ。
努力しても、そう簡単に人は変われはしない。
様々な妨害が世界には満ちていて、楽なほうへと流されてしまうから。
強くなりたいと願ったとしても、自分の誇れる力を手に入れるためには多くの時間が必要になる。
(……もう少し時間が必要か)
迷っている間に七瀬たちの行為はエスカレートしていく。
七瀬は、三枝に向けて悪意ある笑みを浮かべた。
少し前までの――姉御肌で面倒見の良さそうな彼女とはまるで別人のような顔だ。
その変化はあまりに唐突で、違和感を覚えてしまう。
人はそう簡単に変われるものではない。
だとするなら、これが七瀬の本質……だとでもいうのだろうか?
(……もうこれ以上は、放っておけない)
三枝の心が壊れてしまう前に、俺は彼女を救おうとした――その時だった。
「……イヤだ」
虚ろになっていた三枝の瞳に、強い意志が宿った。
「……そんな約束できない」
三枝は屈することなく声を上げた。
震えていて、目には涙が溜まっている。
決してカッコいい姿ではなかった。
それでも――
(……そうか)
彼女は自分に負けることなく、強くなろうとする意志を示した。
今はもう――それだけで充分だ。
そして、俺は三枝を助けるために行動すると決めて扉を開く。
「……そこまでだ」
室内にいた五人が驚愕の表情を浮かべた。
特に目を丸めていたのは、俺が5階にいると知っているはずの三枝だ。
信じられないものを見るみたいに、彼女は俺を見つめている。
「ちっ――舞、誰もいないんじゃなかったの?」
「ご、ごめん……。
いないと……思ってたんだけど」
「ったく……。
覗きとか趣味悪くない?」
「誰かに暴力を振るうほうが、よっぽど悪趣味だと思うぞ?」
俺の言葉に七瀬たちは顔を顰める。
流石にこの状況を見られたのはマズいと思っているようだ。
「あんた……えっと、名前忘れちゃったけど、最初から見てたんなら事情はわかってるよね?」
「どんな事情があるにせよ、暴力はどうなんだ? もしこれを大弥や九重に報告したら、どんな反応をすると思う?」
伊野瀬や丹村、曾我部――取り巻きの少女たちが不安そうな表情を見せる。
「ふんっ……見てたのはあんただけだろ? アタシらがやった証拠はないじゃん。
それに……もしあんたが何かしたら、三枝が過去に酷いイジメをしてたってこと、みんなにバラすから」
「そ、そうだよ! 舞たち悪くないし! 元々は三枝さんのせいじゃん!」
「だよね~。
うちら注意してただけだし」
自分のたちのことは棚に上げて……どんだけ性格悪いんだこいつら。
「三枝が柊をイジメていたなんて証拠、それこそないだろ? 柊が本当のことを言っていると証明する手立てがないだろ? それと――こっちには証拠がある」
「は?」
「お前たちが三枝にしていたことは全部……録画しておいた」
嘘だ。
俺はスマホを担任に壊されている。
「なっ!? と、盗撮じゃん、それ」
それを覚えていないのか、七瀬は強い動揺を見せた。
「七瀬、こいつ嘘吐いてるよ! ほら、こいつのスマホって確か担任に壊されてたはずだもん!」
「あ~そうそう! 舞も覚えてるよ!」
騙せたらと思っていたが、丹村と伊野瀬は覚えていたようだ。
だが問題はない。
嘘を吐き通して、真実にしてしまえばいい。
「ボスを討伐した特別ポイントで、俺はスマホを購入してる。
ついでにバッテリーもな」
物資購入画面を確認すればわかるが、スマホやゲーム機などを購入することは可能だ。
「う、嘘だ! 舞は信じないもん!」
「信じなくてもいいが、お前らは担任のことも忘れてるだろ? タウンだろうがダンジョンだろうが、あいつらは俺たちをずっと監視してるはずだ。
生徒同士の問題に介入はしてこないだろうが、聞けば証言くらいはしてくれるだろうな」
これも確証のない発言だ。
担任が正直に話してくれる保証など何一つない。
だが……事実を知るものがいないからこそ、これは信じるに足りうる言葉となる。
「っ……な、七瀬~、ヤバいよ。大弥くんも、九重さんもさ……多分、イジメ……っていうか、暴力みたいのは許してくれないと思う」
不安そうな丹村の言葉が伝染するように、他の女子も表情を重くした。
「……黙っててやってもいいぞ」
「ほんと!?」
伊野瀬が表情を輝かせた。
が、七瀬は射貫くような鋭い眼差しを俺に向ける。
「条件は……?」
「話が早いな。
今後、二度と三枝に手を出すな。
それが守れるなら、この件は黙っていてやる」
報復はすべきではないだろう。
隔離されたこの空間で俺たちは生きねばならないからこそ、禍根を残すべきではない。
三枝の安全を確保するためにはこれが最善だろう。
「ふんっ……いいよ。その条件を呑む」
「なら、話はこれで終わりだ。
もう行け」
「ちっ……」
全く反省の色はなく、七瀬はつまらなそうに舌打ちした。
そして、三枝に執着するような不気味な目を向けたが……流石にこれ以上は事を荒立てるような真似をせず部屋を出て行った。
とりあえず……問題は解決されたようだ。
「……大丈夫……ではないと思うが、立てるか?」
三枝に手を伸ばす。
だが彼女はその手を取らず俺を見つめる。
「見て……たんだ」
「……すまない」
どうしてもっと早く助けてくれなかったのか?
そう問われたのだと思ったのだが……違った。
「良かった……。
自分に負けないあたしを見せられたから」
三枝は強がるみたいに笑った。
叩かれた頬は赤くなり、服も乱れている。
第三者が見ていたら、彼女を情けないと笑うかもしれない。
だけどこれは――
「頑張ったな」
ボロボロになりながら自分の心と戦った、彼女の初めての、そして何よりも誉れ高い勝利だと俺は思う。
「うん……。
あたし――がんばった、がんばったの……」
堪えきれなくなったようにポロポロと涙が零れる。
彼女は俺との約束を守ってくれた。
そして、人は強くあることができる。
変わることができると信じさせてくれた。
(……ありがとう、三枝)
そのことで俺は心の穴が埋まるみたいな、ずっと欲しかったものが手に入ったような、そんな気がしたんだ。




