東京都中央区。ロシア料理店のつぼ焼きランチ。
寒さも徐々に厳しくなってきたその日、タスッタさんは東京メトロ銀座駅のA2番出口に立っていた。
実はタスッタさんがここ銀座に来たのはこれが初めてであり、さらに珍しいことにこの日は人と待ち合わせをしている。
少し前、不覚にも風邪を引いたとき、お世話になったお隣の和田さんになんらかの形でお礼をしておきたいと思っていたのだが、二人ともそれなりに多忙な大人であったので、日程が合わずにここまで来てしまったのだ。
和田さんは女性ながら一人で海釣りに出たりするワイルドさを持ちながら、普段は新橋にある小さな広告代理店で働いているという。
この日はその和田さんのお勧めの店で、二人してランチを頂くことになっていった。
「やあ、お待たせしました」
その待ち人、和田さんがやって来た。
スーツにコートを羽織った姿だった。
「いえ、まだそれほど待っていません」
タスッタさんの生真面目な返答に、和田さんは笑みを浮かべる。
「お店はすぐそこですから」
和田さんはそういいながら、タスッタさんをうながしてあるき出す。
タスッタさんもそのあとを追うが、実際に「すぐそこ」で歩きだしてから一分もかからずに二人はあるビルの中に入った。
「ここの七階なんですよ」
エレベーターの中に乗りってから、和田さんがいう。
「ディナーもいいんですが、ランチタイムがお得なんです」
時刻は午前十一時を少し過ぎた頃。
和田さんの仕事は、ある程度時間の融通が効くものだという。
「銀座はおいしいお店がいくらでもある場所だけど、ロシア料理というのはやはり少ないわけです」
と、和田さんはいった。
「そこへいくとこちらは、かなり古くからあるお店ですから安心ができる」
「……店名に渋谷ってありますけど」
「最近になって移転してきたんです。
元入っていた建物が取り壊しになって」
そんなことを喋りながら二人はお店の中に入る。
すぐに来たロシア人らしい店員さんに流暢な日本語でテーブル席へと案内された。
まだ開店したばかりだからかお客さんの入りはまだまだで、でも、見ているうちにどんどん席が埋まっていく。
とはいっても、座席のほとんどは予約済の席のようだったが。
「老舗だけあって常連客が多いお店だから」
メニューを開きながら、和田さんがいった。
「で、この時間帯は、コースよりもやはりランチがお得。
それも、シンプルランチではなくランチセットのが品数が多くていいです。
どれにいきますか?」
「ええと」
タスッタさんはメニューに目を落とした。
「このつぼ焼きというのは、いわゆるポットパイみたいなものなんでしょうか?」
「まさにそれ。
ただ、かぶせている生地が柔らかめで普通のパンと同じだと思っていいです」
それでは、と、和田さんのいうランチセットは三種類あり、タスッタさんはそのうちの「つぼ焼きセット」を選ぶ。
三種類のランチメセットはどれもおいしそうだと思ったが、外が寒かったので体が温まる料理が欲しかったのだ。
「では、わたしもそれを頼もうっと」
和田さんは店員さんを呼んでつぼ焼きランチを二つ、注文する。
ランチセットといってもここでは立派なコース料理だった。
まず前菜にサラダセットが来るのだが、カブがピンク色をしていたりして食材からして日本のものとは違う。
赤カブに大根、玉子にサーモン、揚げナス、トマト、クルミなどを使ったサラダが一皿に盛られていた。
「このチーズディップは、サーモンにつけて食べるといいですよ」
そんなことをいいながら、和田さんは慣れた様子でサラダセットをたいらげていく。
チーズディップはサーモンにつけてもよかったが、いっしょについてきたパンにつけても相性がよい。
サラダを食べ終えると、今度はボルシチとピロシキが同時に出てくる。
どちらもロシア料理の代名詞といっていいほど有名な料理だったが、それなりにボリュームのあるサラダを食べた直後にこれが来ると、果たして全部食べられるのだろうかという疑問が脳裏をよぎる。
しかし、まずボルシチを一口食べてみると適度な酸味がありながらも味は濃すぎず薄すぎず、実にすっきりと食べることができる絶妙な加減だった。
「これならいくらでも食べ続けることができるのではないか」
とか、そんなことを考えてしまう。
大きめの野菜がごろごろ入っているのも、嬉しかった。
ボルシチといっしょに来たピロシキもまったく油っこくなくカラッと揚げられており、胃にもたれるということがない。
こちらも具として野菜がかなり多目に入って、食べごたえがあった。
このピロシキは野菜ピロシキ、肉ピロシキ、ゆで玉子とひき肉のピロシキの三種類があり、その中からひとつを選ぶようになっているのだが、タスッタさんは野菜ピロシキを、和田さんは肉ピロシキをそれぞれに選び、その上で一口分を千切って交換して食べ比べたりする。
外のパン生地の部分がいい具合に揚がっていて、表面はカリッと中はモッチリ感を残し、そして、その中身の餡も絶妙な加減でやわらかく火が通っていた。
中の具材に関わらず、どちらのピロシキも絶品といえた。
「どれか一品だけでも十分に満足できますね」
「でも、次々と来てもおいしくいただけてしまうという」
タスッタさんと和田さんはそんなことを喋りながら食事を進めていく。
次に来たのはメインのつぼ焼き、シチューをカップに入れてパン生地で蓋をし、その状態でオーブンに入れて加熱した料理だった。
「こののは、上の部分が固くないから」
和田さんはそういってカップの上のパンを指先で摘んで剥がし、そのパンを千切ってからカップの中のシチューに浸した。
「こうしてから食べるのが、お勧め」
タスッタさんもそれに倣って指先でパンを割いてシチューに浸したあと、それを口の中に入れる。
そして思わず、
「あつっ」
と、小さな声を漏らしてしまった。
熱々のクリームシチューは甘めの味つけで、締めに相応しい一品だった。
そのクリームシチューにパンを浸したり、スプーンで掬ったりしながら食べ続け、二人はつつがなくすべての食事を終える。
「なんか、コース料理って満足感がありますよね」
「完走した、って実感が持てますよね」
そんなことをいいあいながら、タスッタさんと和田さんは食後のお茶を喫する。
食後のお茶は、ジャムが入ったロシア風の紅茶だった。
これまた甘く、熱く、最後に満腹感のひと押しをするのに相応しい一杯。
「寒いときには、こういう体が温まる食事をするのに限ります」
と、和田さんはそんなことをいった。




