埼玉県川越市。天ぷら屋の彩り御膳。
この日の昼下がり、タスッタさんは川越大師と呼ばれるお寺の周辺を散策していた。
川越は小江戸と呼ばれることもあるそうで、それなりに観光業も盛んなようであるが、観光目的でこの土地に来たわけではないタスッタさんにしてみれば、確かに古い建物などが散在してはいるものの、それ以外は他の地方都市とさして変わらないような印象を受けている。
目的もなく歩いていても、特徴がない郊外の町が一生懸命史跡などを保存して無理にでもそれをアピールしようとしている風潮が感じられることがあって、通りすがりのタスッタさんとは微妙な気分になることが多かった。
それはともかく、まだ風が冷たく感じることがあるものの、ようやく日差しが初夏らしくなってきたこの頃、この日は歩くのには最適の気候であり、そのおかげかいつもよりも長い距離を散策しているような気がする。
タスッタさんはスマホを取り出して時刻を確認し、
「そろそろいいかな」
と、そう思った。
時刻は一時半を少し回ったあたり。
飲食店ではぼちぼちお昼のピークをすぎて客足が落ち着いている頃合だろう。
初夏らしい日差しの下をしばらく歩き、タスッタさんは一軒のお店に目を止める。
「天ぷら屋さん、ですか」
せっかくこういう江戸情緒を売りにしている観光地に来ていることだし、やはりここは和食のお店に入りたいと、そう思っていたところだった。
それに天ぷら屋と看板を出しているお店には、タスッタさんはこれまで入った経験がない。
丁度いいから、試しに入ってみましょうか。
タスッタさんはそう思い、入り口の引き戸を潜って中に入る。
お店の中に入るとすぐに中年女性の店員さんがやって来てまず人数を確認され、そのあとでカウンター席へと案内された。
ざっと店内を見渡して、
「お客さんの入りは、七割前後でしょか」
とか、確認してしまう。
満員というわけではないが、人数が多い割には店内は静かであった。
客層がいいのかな、と、タスッタさんはそんなことを思う。
落ち着いた、大人向けの雰囲気のお店だった。
店員さんからお茶とメニューを受け取り、タスッタさんはまずはいつものようにメニューを開いてみる。
単品の揚げ物もいろいろとあるのだが、お昼からあまり重い物を食べたくもないし、とか思いつつ、メニューをめくって見ていると、このお店ではランチをやっていることに気づいた。
彩り御膳。
「千円で、これですか」
メニューの写真を見て、タスッタさんは小さく呟いてしまう。
天ぷらの盛り合わせに、煮魚、焼き魚、煮物、サラダ、お新香、味噌汁にご飯の組み合わせ。
盛り沢山な分、一品当たりの量は小さめではあったが、これだけいろいろと出てきてたったの千円というのは、かなり安く感じる。
おそらくは、お店としては夜の営業が本番であり、昼間の営業はお店の味を手軽に知ってもらうための場と割り切っているんだろうな、と、タスッタさんは、そう推測した。
ともあれ、タスッタさんにしてみれば、手軽なお値段で雑多なお料理を一度に味わえるこの御前は、かなりお得に思える。
タスッタさんは店員さんを呼んで、その彩り御膳を注文することにした。
値段が安いランチセットだけあって、一品一品の天ぷらを揚げたてで提供してくれるわけではなかったが、それでも注文をしてから十分もかからずに彩り御前がタスッタさんの前に出てくる。
「わぁ」
その彩り御膳を見て、タスッタさんは小さく歓声をあげた。
想像をしていた以上にボリュームがあり、かなり立派な和食の御膳に見えたのだ。
早速、タスッタさんは箸を手に取り、まずは味噌汁に口をつける。
よく出汁が効いた、しじみの味噌汁だった。
なんとも、ほっとするような味だ。
揚げ物には、こういう汁物の方が似合っているのかも知れないな、と、タスッタさんは思う。
それでは、メインの天ぷらを早速いただきましょうか。
と、タスッタさんは盛り合わせの方に箸をのばす。
小魚とエビの天ぷらは、味が想像できるのであとに回して、まずは色味の薄い、具材がよくわからない天ぷらをいただくことにした。
その天ぷらを一口齧ると、絶妙な、サクッとした歯ごたえをまず感じ、そのあとに独特の風味を感じる。
あ。
タケノコだ、と、タスッタさんはその具材の正体を察した。
中華の方ではお馴染みの食材であったが、なるほど、油とは相性がいいし、天ぷらにしても十分においしい。
なにより、春を感じさせる。
うんうん、とか頷きながら、タスッタさんは味噌汁をまた啜り、続いて緑の、棒状の天ぷらに箸をのばした。
これはなんでしょうね、とか思いつつ、それも口にしてみる。
一口齧り、食感とそれに風味で、すぐに具材の正体ははっきりした。
アスパラだ。
和食らしくはない具材ではあったが、味は抜群。
そうか、アスパラって、揚げるとこんなに美味しくなるんだ、と、タスッタさんは心中で関心をする。
それからタスッタさんはまた味噌汁を一口啜り、今度は焼き魚の乗った小皿に箸をのばした。
これは口にするまでもなく、その正体ははっきりしている。
鰆の西京焼き
しっかりと味が染みた鰆がこんがりといい具合に焼けていて、これで美味しくないわけがない。
天ぷらばかりだと飽きるので、こういうお料理がついてくるのは嬉しかった。
ご飯を食べながら、タスッタさんはそんなことを思う。
その次にタスッタさんが箸をのばしたのは、もうおひとつあった棒状の天ぷら。
ただしこちらは、アスパラの天ぷらとは違い、白っぽい色をして、短く切られていた。
さてこれはなにかな、とか思いながら食べてみて、
「ああ」
と、すぐにその正体に思い当たる。
蕗だ。
フキノトウ、だった。
うん、これも。
と、タスッタさんは感心する。
天ぷらという形で食べたのはこれがはじめてだったが、絶妙においしい。
やはり、揚げ時間の調整がしっかりしているんだろうな、と、素人ながらに、タスッタさんはそんなことを考える。
どの天ぷらをいただいても、どれも油でしっとりとしているということがなく、カリ、サクと軽く揚がっていて、食昼食後に重さをまるで感じない。
これならば、いくらでも食べられるように気がしますね、などとタスッタさんはそんなことさえ、思いはじめる。
そういえばタスッタさんは、これまで天ぷらになにもつけずに食べている。
つゆや塩などをつけなくとも、天ぷらだけを素のままで食べても、十分においしいのだ。
タスッタさんは煮物、筑前煮が盛られた小皿に箸をのばしてから、今度は見覚えのある天ぷらをいただくことにした。
色と形状からして、おそらくこれはたらの芽。
スーパーの惣菜売り場で購入し、いただいたことがあるが、おそらくは同じ料理でありながらもそれとは別物だろうな、と、タスッタさんは想像する。
冷えた惣菜のたらの芽は、油でぐっしょりと濡れて衣が重くなっていたのだ。
こちらのたらの芽は。
口の中に入れてみて、タスッタさんはその想像がやはり正しかったことを確認する。
やはり、カリッ、で、サクッ、なのだった。
ほんのりと苦味を含んだたらの芽の風味が、噛んだ瞬間にばっと口の中に広がる。
ああ。
と、タスッタさんは思った。
天ぷらって、本来、こんなにおいしいものだったんだ。
お茶で口を濯いでからまたご飯と味噌汁を一口ずついただき、そのあと刺身を一切れ摘まんで口の中に入れてから、タスッタさんは今度は小魚の天ぷらに箸をのばす。
これは、おそらく。
口の中に入れて、噛んで風味を確認してから、タスッタさんは自分の予測が正しかったことを知った。
うん。
やはり、キスだ。
定番といえば定番の天ぷらであったが、これもこれまでに食べてきたキスの天ぷらとはやはり別物。
キスの天ぷらって、こんなにおいしかったんだ、と驚いてしまうほどの逸品だった。
そして、最後まで取っていたエビに、いよいよ箸をのばす。
かなり小ぶりなエビであったが、この御膳の値段を考えると妥当なサイズだろう。
むしろ、品数を考えると、この御前はかなり安すぎるように思える。
それはとにかく、肝心のエビの天ぷらも絶品だった。
衣の感触が強いエビの天ぷらとはまた違った、柔らかい食感で、噛むほどに歯を押し戻すようなエビの弾力を感じる。
擬音で表現すると、
「カリッ、サクッ、のプリプリ」
そのあと、じんわりとエビの甘さが口の中に広がり、とても幸せな気分になった。
いいご飯だなあ、と、タスッタさんはそんなことを思う。
ここは、いいお店だ。
今度は機会をみて夜に来て、もっといろいろな天ぷらを味わいたい。
今度はご飯ではなく、揚げ物によく合うビールを片手に。
そんなことを考えはじめるほど、タスッタさんにとってその食事は充実したものになった。




