千葉県船橋市。花見酒。
「それで、わたしの分はこちらですね」
そういってタスッタさんは持参してきた重箱をレジャーシートの上に広げると、和田さんが、
「おお」
と、短い歓声をあげる。
「豚の煮物と、それにこれはドライフルーツかな?
この煮物なんて、作るのに時間がかかったでしょ」
「まあそれなりに」
タスッタさんは具体的な制作時間については言及しなかった。
豚のブロック肉とゆで玉子を土鍋に入れ、醤油ベースの煮汁と一緒に弱火でトロトロと数時間煮込んで作った一品であり、手間はさほどでもないのだが、時間だけは確かにかかっている。
重箱の中では彩りのために入れた茹でたインゲン豆とともに盛りつけてあった。
「こっちよりも、和田さんが作ってきたお弁当の方が手が込んでいるように思います」
タスッタさんは、和田さんが持参して来た重箱の中身を見て、そういう。
和田さんの重箱には、卵焼きと小魚をフライにしたもの、燻製各種、それにびっしりと表面に何種類かのお刺身が並んでいるのは、海鮮丼かそれともちらし寿司か。
新鮮な生の魚をこうして持参できるのは、ご近所の強みかな、と、タスッタさんは思う。
この日、タスッタさんとお隣の和田さんは、住んでいるマンションから歩いていくらもしない、小さな公園にお花見に来ていた。
昼間でもほとんど利用者がいないような、そんな寂れた公園であったが、見事な桜の樹が一本だけぽつんと立っており、お花見をする場所としてはかなりの穴場に思えた。
「それでは、まずは一献」
「そうですね」
タスッタさんと和田さんは、それぞれ持参してきたカップに、タスッタさんが持参してきた日本酒を注ぎ、静かに打ち合わせた。
「乾杯」
「乾杯」
交通量の少ない、細い道に面した小さな公園である。
大声を出して騒いだりしなければ、女二人が静かにお花見をくらいしても、誰にも咎められることはないだろう。
「これは?」
「イチジクですね。
イチジクのドライフルーツです」
「うん、いい」
お酒を口に含んだ和田さんがひとりで頷きながら、そんなことをいう。
「乾燥させると、味がぎゅっと濃くなるのか。
ドライフルーツがお酒のあてになるとは思わなかった。
なにより、種類が多いのがいい」
イチジク以外にも、リンゴやナシ、キウイなど、何種類かのドライフルーツをタスッタさんは用意していた。
「完全に乾燥しているから、軽くて持ち運ぶのにも便利ですしね」
タスッタさんは、そんな風に応じておく。
「こちらの燻製も、和田さんのお手製なのですか?」
「うん。
マンション暮らしだから、あまり大掛かりなものはできないけど」
和田さんが答える。
「まあ、小さいのはかなりお手軽に作れるんだよ。
チップなんか、そこいらのホムセンでも売っているし」
燻製作りは、海釣りを趣味にしている和田さんが、最初は釣果を無駄にせずに保存するために手を染めたという。
「燻製にすると、お魚以外に結構なんでもいける。
練物とかチーズは定番だけど」
「日持ちするようになるだけではなく、立派なおつまみですね」
チーズの燻製を口に運びながら、タスッタさんは相槌を打った。
「これは、お酒が進みますね」
このチーズの燻製などは、もともと市販のチーズを燻しただけのものだそうだが、チーズをそのまま食べるよりはよほど複雑で深い味わいになっている。
「なんにせよ、平日の昼間から飲む酒はうまい」
和田さんはそういって大仰に頷いて見せた。
「格別に、うまい」
「こちらの玉子焼き、いいですか?」
「どうぞどうぞ。
甘いやつと甘くないやつと、二種類を用意しています。
わたしは、そちらの煮豚の方を」
日によって寒暖の差が激しい時期であったが、この日は雲ひとつない快晴で、春らしいいい陽気であった。
絶好の花見日和といえる。
「結構雨とかも降ってましたから、すぐに散ってしまうかな、とも思ったんですけど」
「まだ結構花が残っているから、今がちょうどいい感じかな」
タスッタさんと和田さんは、そんなことをいい合いながら、降り注ぐ花弁に視線をむけつつ、お酒を煽る。
「この煮豚、しっかりと味が染みているなあ」
「このアジフライも。
今まで食べたアジフライの中で、一番美味しいかも」
「そう?
釣ってきてすぐに冷凍していたからかな?
少し前に釣れ過ぎて、冷凍庫に大量に余っていたものを全部揚げて来ました。
あ、ウスターソースとタルタルも持ってきましたよ」
「こちらのお刺身は?」
「ああ、こっちのは、昨日釣ってきたのと、そちらで買ってきたのがチャンポンになっている。
切り身にしたのは今日になってからだけど」
「どっちにしろ、新鮮だということですね」
タスッタさんはイカの刺身に箸をつけて、口に運んだ。
とても、甘い。
「しかし、また見事にお酒が進むものばっか」
「別に打ち合わせたわけでもないのに、ですね」
タスッタさんと和田さんは、そんなことをいい合いながら、また頷き合う。
二人とも、お酒がいけることは以前に確認し合っていた。
「このお刺身は?」
「メバルかな。
わたしが釣ったやつだ」
「どれもおいし過ぎて、お酒が進んで困りますね」
「困りますねえ」
「これはなんの燻製ですか?」
「さつま揚げです。
こちらのカマボコなんかも、結構いけます」
「どれもおいしいです。
燻製、侮りがたし」
「わはは。
侮りがたし」
談笑をしつつ、盛大に飲み食いを続ける二人。
だが、人間が飲食できる量というのはさほど多いわけではなく、しばらくして二人ともふっつりと箸の動きが鈍くなる。
「そろそろシメにいきますかね」
頃合いかな、と判断した和田さんは、荷物の中からお茶碗としゃもじを取り出した。
「なにをするんですか?」
「このお重の底にはですね。
実はご飯が敷いてあります」
そういって和田さんはお刺身のお重にしゃもじを突っ込んだ。
「ご飯が痛むのを避けるため、軽く寿司酢を混ぜていますけど。
これを、お茶碗に盛って、その上に残ったお刺身を乗せて。
さらに、これをがバーっと注ぐ」
最後に和田さんは、魔法瓶を取り出して中の液体をお茶碗の上に注いだ。
「それは?」
「アラ汁です。
こうすると目先が変わるし、しめの一杯には最適」
そういって、和田さんはタスッタさんにお茶碗を手渡し、続いて自分の分も作る。
「残った料理は持ち帰って、各自で始末しましょう」
「お刺身は、早く食べた方がいいですしね」
そういってタスッタさんは手にしていたお茶碗を口元に寄せた。
「あ、いい香り」
「かなり濃い出汁が出ています」
和田さんはそう解説してくれる。
「こういうのはですね。
あまり作法とか気にせず、ざっと無造作にかきこむのがおいしいです」
「なるほど」
タスッタさんは生真面目な表情になって頷いた。
「それでは、頂きます」
海鮮物とご飯、それに磯の香りが濃いアラ汁が二人の口の中に消える。
和田さんが保証した通り、濃厚な出汁と香りが口の中に充満し、桜が舞い散る中、二人は海の幸を堪能した。




