東京都渋谷区。イタリアン居酒屋の釜焼きピザとワイン。
渋谷にあるそのビルは二階と三階部分に二十店舗以上もの飲食店が集まっていて、そのほとんどが肉料理をメインとしているそうだ。
東京の、それも渋谷という若い人が多くいる場所ならではのスペースだなと、たまたまそこに迷い込んでしまったタスッタさんなどはそんなことを思う。
困ったことに、この日に限ってタスッタさんはお肉を食べたい気分ではなかった。
たまたま前日に入った、時間制限あり焼肉食べ放題の店のお肉があまり質のよくないものであったらしく、今この瞬間のタスッタさんは獣肉の脂は遠慮したい気分なのであった。
これは、おとなしくこのビルから出て別のお店を当たった方がいいかな、とかタスッタさんが思いはじめたとき、ふと「イタリアン」とか「釜焼きピザ」という看板が目に入った。
そちらの方に顔を向けて改めて見てみると、行き交う若い人たちの合間からそのお店の店構えが見渡せる。
うん、あれならば。
試しに入ってみてもいいかな、と、タスッタさんは思う。
入ってみて味が合わないと思ったら、すぐに出ればいいだけだし。
このビルの中にテナントとして入っている飲食店は、客層に合わせてか一品あたりのお値段がかなりこなれていると、少しあとでタスッタさんは知ることになる。
お店に入るとすでにほとんど満席に近い状態であったが、まだ時間が浅いせいかかろうじて空席が残っていた。
タスッタさんは空いていたカウンター席に案内をされ、そこでメニューを開いてはじめてそのお店の一品あたりの値段のリーズナブルさに気づく。
飲み物も食べ物も、安い物は五百円から、高くても千円くらいまで。
特にピザは種類が豊富で、一番安い五百円のものでも三十種類以上ある。
タスッタさんは、店で食べるピザというものは、基本的に千円以上するものだと認識していた。
そうしたタスッタさんがにんしきしていた相場と比較すると、格段に安い物値段設定だった。
うむ、これは。
と、タスッタさんは思う。
ひとつ、試して見ましょうかね。
タスッタさんは店員さんに適当なワインとマルゲリータを注文する。
驚いたことに、注文したものは両方同時に、それもかなり迅速にタスッタさんの前に出された。
タスッタさんが注文をしてから、三分も経っていない。
注文をするときに渡されたお通しにさえ、まだ手をつける前だった。
注文を聞いた店員さんが去って行き、戻って来てそのままワインとマルゲリータを置いた、という感じである。
ピザというものは、こんなに早く焼きあがるものだったのか、とそんなことを思いながら、タスッタさんはワイングラスに口をつけた。
ほどよく冷えており、独特の酸味と香りが舌と鼻腔を刺激する。
あまり高価なワインではないのかも知れなかったが、十分においしいワインではあった。
いや、値段から想像する以上の味だと、素直に思う。
次にタスッタさんはマルゲリータに手を伸ばす。
ここのお店のは、分厚くてもちもちっとした生地ではなく、薄くてパリッと焼きあがっている生地だった。
トマトソースと、熱々のチーズと、オリーブオイルの風味。
あ、おいしい。
と、タスッタさんは感嘆する。
とても一枚五百円とは思えない、想像していたものよりもはるかに上等な味だった。
おそらく材料なども吟味した上で、製造法もかなり本格的なのではないだろうか、これは。
最初から期待をしていなかった反動も手伝って、なおさらおいしく感じた。
熱々でパリッと焼きあがっていて、それでいてちゃんと素材の風味がそれぞれに生かされている。
ここのピザはジャンクフードなどではなく、まっとうに完成されたお料理だ、と、タスッタさんは思った。
ワインとの相性もいい。
心地よい酒場の喧騒の中は、タスッタさんは貪るようにしてマルゲリータをワインで流し込む。
それに、ボリュームも、値段以上にある。
このマルゲリータを一枚でも十分にお腹が膨れるほどだ。
決して最上級の素材を取り揃えて活用しているわけではないのだろうが、相応の値段のものを工夫しておいしくして、元の素材以上の価値を引き出しているような感がある。
熱いうちにとマルゲリータをごく短時間のうちに完食したタスッタさんは、しばらくお腹を落ち着かせるためにお通しとワインを楽しむことにする。
うん、ここは。
お通しで出されたクリームチーズの味噌漬けに手を出しながら、タスッタさんは思う。
予想していた以上に当たりのお店なのかもしれませんね。
ちなみに、そのクリームチーズの味噌漬けも、いいおつまみになった。
それから、新たにワインとピザを注文した。
ワインは今度は白で、ピザはバジルとマスカルポーネを。
正直、ピザの方は種類が多すぎて、それこそ目移りするほどであったが、初回である今回は奇を衒ったような具ではなくオーソドックスなものをあえて選んだ。
ボリューム的な意味で、タスッタさんの胃袋ではあと一枚も完食したら、今日はそれ以上に飲食ではできないはずだ。
だからここでは、あえて外しようがない具材を選んでおく。
バジルとマスカルポーネのチーズならば、よほどのことがない限りまずくはならないはずであった。
注文したものは例によってすぐにタスッタさんの元に給された。
タスッタさんは早速熱々のピザをいただき、ワイングラスをあおる。
うん、これこれ。
熱したチーズをそのまま食べているような感触。
それにバジルの風味がいいアクセントになっている。
なんというか、これぞピザ! とでもいいたくなるような味だった。
生地が薄くてパリパリなのは、生地自体よりもその上に乗っている具材の方を強調したいからだろうな、と、タスッタさんはそんなことを思う。
ワインも、いい。
一杯目の赤もよかったが、この白も、十分においしい。
ああ、ここは。
と、いかにも酒場らしい周囲の喧騒に耳を傾けながらタスッタさんは思った。
いいお店だ。
一人でもふらりと入れる気軽な雰囲気と、それに素敵な料理。
こんなお店が、都内とはいわない、この渋谷界隈だけでもあとどれくらいあるのだろうか。
などということも、思う。




