東京都渋谷区。ミュージアムカフェの和菓子セット。
台風の影響とかで、鬱陶しい雨が続いている。
梅雨明け宣言をしたばかりなのに、と、タスッタさんはここ最近の天気の不調について、そんな風に思った。
西の方では大雨のおかげでかなりの被害が出ている場所もあるようだったが、首都圏内ではさほどでもなく、ごく普通の雨降りの日、といった印象だった。
ともかく、そんな雨の日に、タスッタさんは東京にいる。
珍しく、どこかに出かけなければならない用事というものがまるでなかったので、タスッタさんはこの日一日をオフであると設定した。
そして、鬱々とした雨が降る中、船橋市のマンションに一日中籠もっているのも気詰まりだったので、タスッタさんは通勤ラッシュが一段落した時刻を選んで電車に乗る。
この時点で行き先は、特に決めていない。
こうしたオフの日にタスッタさんが好む時間の潰し方といえば、だいたい緑の多い公園などを散策することになる。
しかし、生憎のこの天気では、そうした散歩を楽しむ気にもなれない。
どこかの美術館にでも、行きますかね。
ぼちぼち空きはじめた、しかし乗客全員が座れるほどではない地下鉄の車内で、タスッタさんはそんな風に思う。
タスッタさんが借りているマンションがある船橋市の近くにも、いい美術館や博物館はたくさんあるのだが、なんだかんだでそうした近場の場所にはすでに足を運んでいるのであった。
それと、上野近辺と丸の内周辺にある美術館なども、だいたいは制覇してしまっている。
あと行っていない場所といえば。
タスッタさんはスマホを開いてなにやら検索をしはじめた。
目黒とか渋谷方面、か。
あの近くだと、庭園美術館には行ったことがありますけど、それ以外の場所はほとんど行っていませんね。
その周辺の、どこか適当な場所に入ってみますか。
恵比寿駅から降りてしばらく歩いた場所にあるその美術館は、案内によると五十年ほどの歴史があり、日本画を中心とした展示をしているそうだ。
タスッタさんは別に、日本画に造詣が深いわけではなかったが、興味はそれなりにある。
この日は時間があることもあり、タスッタさんはゆっくりと時間をかけて館内を歩いた。
常設展もそれなりに見応えがあったが、ちょうど開催されていた、江戸時代に花開いた画風の一派をテーマにした展示が、なんというか圧巻だった。
花鳥風月を描いた物が多かったが、屏風などに金箔を多用して描かれた物も多く、漠然と抱いていた日本画のイメージよりはよほど豪華で洒脱。
しかもそれが何十幅も一カ所に集まっているので、じっと見て回ると意外に精神が疲弊した。
実際に展示物を見ていたのは、せいぜい一時間を少し超えるくらいの時間だった。
と、思う。
だけどタスッタさんは、なんだか頭が重くなったような感覚を持った。
普段見慣れていない画風を立て続けに、かなり真剣に鑑賞したせいか、頭がオーバーフロー状態になっているようだ。
緻密に描かれた絵画を立て続けに鑑賞するというのは、これでなかなか頭を使う。
鑑賞する側が真剣であれば、なおさら。
ちょっと、一休みしていきましょうか。
と、タスッタさんは思う。
実はタスッタさんは、この手の美術館に併設されている飲食店に入ることも、密かな楽しみとしている。
意外に、凝った物を出すお店が多いからだった。
時間的に、お食事にしてもいいんですけど。
この美術館には、カフェとレストランの両方がある、ようだった。
実際に足を運んでみると、時刻的にそろそろ昼近くになっていたので、レストランの方が混雑している様子だ。
ならば、カフェの方に行きますか。
タスッタさんは、軽い気持ちでそう考える。
起きてからこれまでなにかをしているというわけではなく、特に空腹も感じていなかった。
ただちょっと、どこかに腰かけて休みたかった。
予想していたよりも広い空間だった。
四人がけのテーブルが七セットもあり、すべて庭園を望める窓際に並んでいる。
時間帯のせいかお客さんはほとんどおらず、タスッタさんも「空いている席をお好きに」と案内された。
空いていたテーブルに腰掛け、タスッタさんはまずメニューを開く。
「展示会にちなんだ和菓子セット、ですか」
ざっとメニューに目を走らせたタスッタさんは、心の中でそう呟いた。
わざわざ出入りの和菓子屋さんが、展示会にちなんだ菓子を五セットほど作ってこちらに卸しているらしかった。
それなりに手が込んだ品々であり、飲み物とセットで千円を少し超える程度の値段設定になっている。
少し高めのような気もするが、いや手製の和菓子とこういう場所であることを勘案すれば、妥当な値段というべきか。
同じ品でも、別の場所で出せばもっと高い値段に設定されるのでしょうね。
メニューの写真を見ながら、タスッタさんはそんな風に思う。
たかがお菓子と侮るなかれ。
細かい細工を施された和菓子は、消耗品のお菓子というよりは一種の工芸品かにかのような気品を漂わせている。
写真からでさえそう感じるのだから、実物を目の前にしたら、その彩色と精緻さにもっと目を奪われるのではないか。
とまれタスッタさんは、その展示品にちなんだ五品の和菓子の中から一つを選択し、それと抹茶のセットを注文する。
タスッタさんが頼んだのは「花ことば」と名付けられた一品と抹茶のセットだった。
説明には、
「楓の葉を錦玉羹で表しました」
とあるのだが、タスッタさん自身はその「錦玉羹」がどういう物を指す言葉であるのか、知らない。
緑色のわちゃわちゃした土台に黄色と赤味ががかった寒天状物体で枯れ葉をかたどった物が乗っかっていて、一目見ただけでかなり手がかかっていることがわかった。
かなり繊細な細工ですね。
と、タスッタさんは感心して眺める。
すぐに食べてしまうお菓子に、ここまで手をかける必要性がタスッタさんには納得ができない。
外見を飾ったからといって、味がかわるわけでもないのに。
などとも、思ってしまうのだが、いずれにせよ美しいお菓子であることは確かだった。
付属していた竹のつまみでタスッタさんはその「花ことば」を切り分け、そのうちの一片を口の中に運んでみる。
なんともいえない甘さが、口の中に広がった。
甘すぎるほどに、甘い。
お砂糖と、それに羊羹やあんこの味ですね、これは。
そんなことを思いつつ、タスッタさんは抹茶の器を手に取り、ゆっくりと傾ける。
これもかなり本格的な抹茶で、非常に苦味が強い。
その強すぎる苦味と、甘すぎる和菓子の後味とが口の中で入り交じり、ちょうどいい案配になる。
お菓子と抹茶、どちらか一つだけだと、アンバランスなんですよね。
何度か同じような体験をしているタスッタさんは、そんな風に思う。
お菓子だけでは甘味が強すぎ、抹茶だけでは苦味が強すぎる。
両方がセットになることによって、はじめて本来のおいしさが実感できる。
そういう味であり、文化なのだ。
と、タスッタさんは、和菓子について、そう解釈をしている。
なにより、この落ち着いた空間が。
窓越しに雨が降る庭園の方に目を向けながら、タスッタさんはそんな風に思った。
この静かで誰にも邪魔されない時間が、なによりのご馳走なのかも知れない。




