金沢県金沢市。寿司屋のお任せコース。
今回の金沢行きはかなり以前から旅程が決まっていたので、安心して余裕を持ってお店の予約を取ることが出来た。
別にこのお店だけに限ったことではないのだが、旬の物を扱う北陸のお寿司屋さんはちゃんとしたお店ほど予約客しか受け付けていないことが多く、タスッタさんのような旅行客がふらりと気まぐれに訪れることが出来るようなお店はどこか味がぼやけていたり、あるいは行列待ちで長い時間待たされる必要があったりする。
どうやら金沢近辺では香箱蟹などの名物の美味しい寿司種の旬はだいたい冬になるらしく、春先のこの時期にどれほどの物が食べられるのかと、多少は不安に思いつつも、タスッタさんはその日の宿から金沢市片町にあるそのお店に向かう。
宿の人にもだいたいの道順を教えて貰ってはいたのだが、初めていくお店でもあり、結局はスマホで地図を検索してそれを頼りにして歩いて行くことになった。
今回に限らず、初めて足を運ぶ場所の住所などがわかっている場合、タスッタさんはネット上の地図を活用していた。
現在地も地図上で示してくれるこの手の地図はかなり便利で、未知の場所に足を踏み入れることが多いタスッタさんなどは普段からかなり重宝している。
お店は片町伝馬町商店街の中にあり、すぐに見つけることが出来た。
外壁と戸を縦の格子で統一した外観が風情を感じさせる、なかなか雰囲気のあるお店だった。
ここですか。
と、表に出ている看板と提灯の店名を確認して、タスッタさんはそんなことを思う。
このお店はお昼と、それに夕方から夜にかけての二つの時間帯で営業しており、タスッタさんが今回予約を取ることができたのは午後五時からの時間帯だった。
春とはいえまだ肌寒いこの時期、五時前後といっても外はまだ明るい。
少し早めに着いたタスッタさんは、少し躊躇をしてから入り口を潜った。
すっと戸は開き、タスッタさんは、
「五時に予約をしていた者です」
と名乗った。
「少し早いですが、よろしいでしょうか?」
お店の人がすぐに出迎えてくれて、快く招き入れてくれる。
夕方の営業時間直前ということもあり、お店にはタスッタさん以外、お客さんの姿が見られなかった。
タスッタさんはそのままカウンター席に案内され、熱い湯飲みを出されてから、すぐに大将が、
「このままお作りしましょうか」
と声をかけてくれる。
「よろしければ、お願いします」
そんな短い問答のあと、飲み物はどうするのかと確認される。
今回は純粋に寿司の味を楽しみたかったタスッタさんは、
「お酒は、いいです」
と即答した。
酒を飲みつつあてをいただくのもこうしたお店の食文化であるとは理解していたが、アルコールが入るとどうしても味覚は鈍ってしまう。
そのことを、タスッタさんは惜しんでいた。
それからの大将の手業は流石に慣れたもので、ガスエビとアカエイをかわぎりに、タスッタさんが食べ終わる頃を見計らって絶妙なタイミングで次々と美味しい寿司が出されていく。
ガスエビはあくまで甘く、ここで初めて食べたアカエイはとても柔らかく、口の中に入れただけでほろりと溶けるような食感だった。
最初のこの二品だけで、かなりの満足感がある。
このお店ではガリの代わりにどうやら自家製らしいピクルスが出されるのだが、これも酢飯によく合っていた。
それから、クルマダイの昆布締めと続き、ここで小休止。
ここまで食べ進める頃になると、他のお客さんも次と次とお店の中に入ってきて、あまり広くないお店の中はかなり賑やかなことになっていた。
どうやらこのお店の調理は大将一人で賄っているようだったが、たった一人でも大勢のお客さんを待たせることなく、テキパキと調理をして遅滞なく料理を出している。
カウンターとお座敷だけの小さなお店だったが、大将一人で料理を出すのだったら、この規模が最大限なんだろうな、と、タスッタさんは思った。
大将自身のキャパシティまで考慮して、お店の大きさをデザインしたのだと、そう予想したのだ。
それから合間に粉茶で舌を洗いつつ、タスッタさんはマスと炙りカジキマグロの握りをいただく。
タスッタさんがサーモンではなくマスを口にしたのは、多分このお店が最初になるはずであったが、両者はまるで味わいが違っていた。
ここのマスは、なんというか、癖や臭みをまるで感じない。
おそらくは、下処理がとてもいいんでしょうね。
と、タスッタさんは、そんな風に思う。
こういうお店と、そこいらのお店でいただける冷凍物とを比較すること自体が間違いなのかも知れなかったが。
そして、炙りカジキマグロの握りは、なんというか絶品だった。
本マグロとはまた違った、絶妙な脂の乗り具合。
これもまた、回転寿司などでいただく物とは似て非なる一品だった。
ちゃんと素材を生かすように調理されたお寿司というのは、ここまで美味しくなるのか。
と、タスッタさんは驚かされる。
もちろん、素材がいいこともその原因にはなっているのだろうが。
その次に来たのが、のどぐろの蒸し寿司。
寿司とはいっても椀の中に入っていて、あんかけ風のだしをかけた状態で蒸したものだった。
これもお寿司?
暖かいお寿司?
と、タスッタさんは疑問に思ったものだったが、実際に口にしてみると、そんな疑問はすぐに吹き飛んでしまう。
タスッタさんにしてみればのどぐろという素材自体がなかなか食べる機会に恵まれないのだが、それでもこの蒸し寿司の印象は強かった。
これまで食べてきた品の中で、断トツに美味しい。
木製のレンゲでそのお寿司をいただき、だし汁風のあんをいただいたとき、タスッタさんはなんともいえない安堵感に包まれる。
ちょっと、これは。
と、タスッタさんは思う。
なんとも例えようがない、美味しさですね。
それから汁物、あおさと酒粕の味噌汁が出てくる。
酒粕とお味噌って、発酵物同士を掛け合わせても大丈夫なんでしょうか。
などと疑問に思ったものだが、実際に飲んでみると、なんとも安心できる、どこか懐かしい味だった。
いわゆる粕汁とも、違う。
多分、別物だと思う。
これは、かなり洗練された汁物ですね。
と、タスッタさんは心の中で大きく頷く。
それから、アナゴ。
江戸前のアナゴとは微妙に調理法が違うようだったが、これはこれでとても柔らかく食べやすかった。
そして、最後に出てきたのが、菜の花。
もはや魚でさえない。
春らしい、旬のものといえば旬のものではあるのだが。
まさか菜の花がお寿司になるとは、タスッタさんも予想していなかった。
そして、実際に食べてみるとこれが、これ以上はない締めの一品なのだった。
独特の余韻があり、なおかつ、満足感の最後の一押しをしてくれる。
ああ、美味しかった。
熱い粉茶を啜りながら、タスッタさんはそんな風に余韻に浸っている。
東京とかで同じグレードのお寿司をいただこうと思えば、この二倍三倍の値段は平気でするんでしょうね。
とか、思った。
これだけ充実したコースで、一万円以下。
今回タスッタさんはお酒をいただかなかったが、もしもなんらかのアルコールを頼んだとしても、一万円を少し超える程度に収まるはずだった。
流石は金沢、海産物の町。
観光客が大勢来るような土地柄であっても決して便乗して値段をつり上げることなく、こうして良心的な値段で逸品を提供してくれるお店が存在する、らしい。
実は今回、タスッタさんは別のお店にも予約の打診をした結果すべてに断られて、最後にようやくこのお店の席を確保することが出来たのだが、つまりはこのお店と同じレベルのお店がこの町にはまだ何軒も存在しているということになる。
その裾野の広さは、やはり単純に凄いのではないでしょうか。
などと、タスッタさんは思うのだった。




