124話 非モテは東欧へ行け
移動都市アラ=ファルマのお尻もしくはお尻の穴部分、つまり最後部まで来ると、最下層部へと続く長い階段があった。
そこを進み、階段の先に広い作業場が見える。『砂の加工場』と呼ばれる場所になっている。
長い作業台が何列も並び、その上には魔獣の骨片や鱗、金属片、魔石の欠片などが置かれていた。
それぞれに用途を示す札が付いている。
豊饒のスキルタイプを持った職人たちが、素材を手に取り、削り、割り、磨き、必要な部分と不要な部分を的確に分けていく。
誰も無駄に喋らない。
けれど、作業台の上から音は絶えなかった。プ……プロのにおひ。
ここがどれだけ忙しいか、動いている手の数、慌ただしい足音だけで分かった。
軽い気持ちで、さーせん、なんかお宅の技術凄いらしいっすね。覗かせて貰っていいっすか? って心持で来たのが間違いだった。邪魔したら、殺される。ていうか、無礼すぎて後日自分を責めたくなってしまう。
頬をパシッと叩き、気合を入れ直す。
学ばせて貰う姿勢! それも真剣に! 小物たるもの常に低姿勢!
けれど、急にやってきて何をしていいかもわからずオロオロしていると、職人の中でも格の違う感じの男の人がやってきた。
筋肉隆々で、体は傷だらけ。顔なんて『コロス』って文字が浮き出て見えてきそうな程険しい。
「その英雄の傷……あんたがグランサリオを倒した男か?」
「は、はい……」
なんか存在は知られていたっぽいです。カツアゲじゃなくてよかった。ほっ。
「俺はここの職人長だ。グランサリオ解体の見学かい?」
「見学かつ、学ばせて貰おうかと」
「……歓迎する」
ほっ。
迫力が凄すぎて毎度口を開く度緊張するんだよね。
凄く優しい人だってわかってきたのに、体はまだ恐喝される恐怖に震えている。
作業場の奥に、ほかの台よりひとまわり大きい作業台があった。
その上に、グランサリオの胴体が横たえられている。
近づくと、あらためて大きさが分かった。コンビニの店舗くらいのサイズ感だ。でっけー。
作業台からはみ出しそうで、鱗の一枚一枚が自分の掌より大きい。顔くらいあるんじゃなかろうか。
職人たちが周囲で手を止め、こちらを見る。
「疑う訳じゃないんだが……本当に、あんたが倒したのかい?」
近くの男がグランサリオの腹を指して言う。指で直接触れないのは、グランサリオへの畏怖の念からか、それとも他の理由があるからなのか。
でも疑うのは正しい。ていうか、疑った方が良い。今回は嘘じゃないが、こんな普通は詐欺案件です。小物、通常グランサリオにかなわず。
「はい。俺です」
短く答えただけなのに、周囲の数人が息をのむのが分かった。
「おお……」
「凄まじいな……」
感嘆の声がいくつも上がり、視線が再びグランサリオと自分に向けられる。
声に紛れて、作業部屋の奥から重たい足音が響いた。
先ほど案内してくれた職人長が現れた。
両手に分厚い作業用ミトンをはめ、肩には、ほかの職人が両手で持つような大きなハンマーを軽々と担いでいる。
「準備は出来ているかい?」
短い問いかけだったが、すぐに意味は理解できた。
グランサリオの解体、加工に入るのだ。
「はい」
「よし。じゃあ始めるぞ」
職人長はグランサリオの胴体に近づくと、まず鱗の端へ手を当て、軽く叩いた。
コン、コン、と乾いた音が返る。
次に隣の鱗。
音が少し低い。
また別の鱗。
今度は重い。
職人長は、一枚一枚の音を聞き分けていた。
「お前さん、これが分かるか?」
首を横に振る。音の違いしかわかりませんでした。
「鱗内部にたまったマグ・ノワールの濃度が違うのさ。こいつは何百年と生きた。魚の中でも規格外のものだ。鱗内部にたまったマグ・ノワールは、砂の地下から出た今尚色濃く残っちまっている」
そう言うと、職人長はハンマーを軽く掲げた。
「まずはどこを使うかだ。全部使えるわけじゃない。良い部分だけ選び取らなきゃ、素材として使うときに狂っちまう」
次の瞬間、ハンマーが振り下ろされた。
ドン、と作業台が揺れるほどの衝撃。
だが割れたのは鱗の端の端。
不要な部分だけを正確に切り離したようだった。
周りの職人が淡々と破片を回収し始める。みな職人長と同じような分厚いミトンというか、ありゃもはやごつごつの分厚いグローブだな。それを嵌めている。
職人長は続けて、鱗の裏側にわずかに残った膜をつまみ取り、指先で軽くこすった。
薄い膜がポロリと剥がれ落ちると、体内の黒い魔力がすっと外に流れ出るのが見えた。
「……これも不純物。流石グランサリオ。マグ・ノワールが濃すぎて、使い物にならない部分が多い」
思わず前かがみになる。あまりにも新鮮な光景過ぎて、ついつい好奇心を抑えきれないでいた。
「量が多すぎて、マグ・ノワールがまるで体内の一部になっている……」
「魚のなかでもこいつだけは別格。倒したあんたなら、それを一番理解しているだろ?」
ギロリ。話しながら作業する職人長の視線がいちいち怖い。みんなグランサリオの迫力に恐れおののいているが、俺だけは職人長にびびっていた。
職人長の手は止まらない。
ハンマー、ヘラ、魔力流し用の器具。
それらを使い分け、良い素材だけを残していく。
その手つきは早いのに無駄がなく、素材がどうあるべきか最初から知っているようだった。
「随分と興味を持って貰えて嬉しいものだ。けれど、先に忠告しておく。鱗に残ったマグ・ノワールだけでも人を死に追いやるだけの力はある。触れた手から体内に侵食する」
そう言って、自分のミトンを軽く払うように叩く。
「だから俺らは全員、こうして魔力遮断のミトンをつけてる。素手で触る馬鹿はいねぇ。……普通はな」
思わず自分の両手を見た。
自分は素手だ。あっ、あっぶねー。……いや、待て。そんなこともないのか?
職人長が作業用ミトンの状態を再度念入りに確認し、グランサリオの胴体の脇へ回り込んだ。
「あからさまに不要な部分はほとんど取り除けたか、じゃあ選別に入るぞ」
残った鱗をはがしていき、軽く持ち上げる。
ほんの一瞬だけ持ち上げただけなのに、職人長は納得したようにすぐに判断を下した。
「これは硬度七。武具用だ。奥の棚へ」
鱗を放すと、「はい」と職人が受け取り棚へ運ぶ。
次は別の鱗。
職人長がつまみ上げ、すぐに降ろす。
「これは重い。戦った傷痕が悪さしている。廃材」
そのまま破棄箱へ。
鱗がはがされていき、次に肉を切り分ける。肉片をミトン越しに持ち上げた。
「こっちは軽すぎる。魔力が完全に抜けてるな。薬用にもならん、捨てとけ。こっちは逆に素晴らしいものだ。族長様ならびに、砂守様たちへお届けする素材だと心得よ」
次々と素材が仕分けられていく。
「流石職人長のスキルだ」
「あの人のスキルは別格だからな」
「憧れるぜ」
と方々から称賛の声が上がる。
ちょっと待って。スキル使ってたの?
え? どこで?
「すみません、スキルって何のことでしょうか?」
「ああ、俺のスキルだ。素材を手に持つだけでその状態、中に流れる魔力量、重さなどが正確にわかるという判別スキル。我ながら、神に愛された豊饒スキルだと自負している」
「……そ、それだけ?」
「ははっ、無茶を言うな。これ以上望んでは、罰があたろうというもの」
……しょぼ。
もっと派手なスキルかと思っていた。
光るとか、浮くとか、切り裂くとか。
でも職人長のスキルは、今やっていることと言えば、ただ持ち上げて重さを見るだけだ。
しかし、俺の印象とは裏腹に、周りの反応はまったく違った。
「すげぇ……。やっぱりあの人が職人長だ……」
「魔力の重みまで一瞬で分かるなんて、憧れるよな」
「生まれ変わったらあのスキルが良い」
思わず職人たちの顔を見回した。
……まじ?
このスキル、そんなに凄いの?
ここの価値観どうなっとる?
あれか?
国内では全然持てなかった陰キャが、海外に行った途端信じられない美女にモテ始めるあれか?
非モテ男子は東欧へ行け。豊饒のスキル持ちは砂の一族に行け。人生変わります。
「これは黒い魔力が沈んでる。捨て」
「こっちは重みが偏ってるな、これもダメだ」
「ここの肉は濁りが強い。使えん」
テキパキと仕分けが進んでいく。
職人たちはその指示を聞いて迷いなく動く。
捨てられていく素材は、
鱗、骨、肉片。体内から魔石も出て来る。
ほとんどがマグ・ノワールの影響で廃棄されている。
うわぁ……。
これ、全部捨てるのか……。
むず痒さがじわじわと胸の奥に溜まっていく。
職人長の技が凄いのは分かる。
スキルはあれだが……その手際と経験は恐ろしい領域だ。
正に職人の中の職人。
でも……でもさ……。
素材がまたひとつ、廃材箱へ放り込まれた時――
「ちょ、ちょっと待った!!」
ついに声が出た。
作業場の視線が一斉にこちらを向く。
職人長の視線は恐ろしく怖いが、勇気を出して一歩前に出た。
「も、もったいないです!! これ、本当に全部使えないんですか!?」
職人長は少しだけ眉を上げて、落ち着いた声で返した。
「使えん。マグ・ノワールが残った素材は、そもそも加工が出来ない。武具にも、道具にも、薬にもならん。残しておけば後で事故になるだけだ」
言葉に迷いがない。
長年の経験と確信がにじんでいる。
それが間違っているとは思わない。けれど。
「でも……見ているうちに思ったんです。職人長がダメになると判断した素材……俺なら……再生できるんじゃないかって」
俺の強い意志の籠った声がはっきりと響いた。
「言うだけなら簡単だ」
近くの職人が口を開いた。
ここで絶対的な立場である職人長に意見したからだろう。声は落ち着いていたが、語気は強い。
「俺たちだって、本当は素材なんて捨てたくないさ。でもマグ・ノワールが残ってる素材はどうやってもダメなんだよ」
別の職人も続ける。
「それに……あんた、スキルタイプ戦闘だろ? グランサリオを倒した強き戦士」
その職人は腕を組み、「悪いが、ここはスキルタイプ戦闘の出番じゃない。加工は加工、戦闘は戦闘だ。三流スキルタイプがしゃしゃり出る場所じゃないんだよ!」
最後の一言だけは、露骨に引っかかった。さ、三流スキルタイプ? スキルタイプ戦闘が?
言い放ってから、職人はハッとしたように目をそらした。
「……悪い。言い過ぎた」
謝罪の声は小さかった。
熱くなりすぎたのが分かる。
俺は怒鳴られたことよりも、他で衝撃を受けていた。
ここじゃ、スキルタイプ戦闘って馬鹿にされるのか……?
深呼吸して、はっきり言った。
「俺……スキルタイプ戦闘じゃありません」
作業場の空気が一瞬止まった。
職人長をはじめ、何人かがこちらを見る。
「え……?」
「じゃあ、何なんだ?」
はっきり答える。それも胸を張って。
すみません、人生で初めてです。自分のスキルタイプを名乗るときに胸を張るのは。
「スキルタイプ豊饒。しかも……修理スキルです」
どやっ。
その瞬間、作業場に声が広がった。
「修理……!?」
「豊饒の中でも超レアっぽいじゃねぇか!」
「戦闘であんな活躍しておいて勝ち組の豊饒!? 意味わかんねぇ……!」
さっきまで冷めていた視線が、一気に憧れと尊敬へと変わる。
素直に嬉しかった。
豊饒でちやほやされることなど、夢にも思わなかったから。
職人長が腕を組み直し、深くうなずいた。
「……修理か。なるほど素晴らしいスキルを持っているらしい。なら、見せてもらおう」
うなずき、捨てられた鱗の一つを見る。俺がなんとかしてやるからな。
右手を軽く握って、意識を集中させる。黒い魔力が、皮膚の下を這うように動く。
右手のひらに、細く黒い線が濃く際立つ。
右手から修理スキルを出せば、いつも修理で使うあの細かい魔力の線が出て来た。けれど、今は少しだけ違う。
修理スキルは真っ黒の線になっており、身体強化だけじゃなく、修理スキルも体内のマグ・ノワールに呼応して新しい状態になっていた。
一応左手で出した修理スキルを確認すると、そちらは今まで通り。やはり右半身だけがマグ・ノワールに染められている。
捨てられた素材が積まれた一角に歩み寄った。
マグ・ノワールに侵食されて黒ずんだ鱗をひとつ手に取る。もちろん右手で。
右手のひらに走る黒い線が、静かに脈を打っていた。
……いける気がする。
さっきから胸の奥にそう確信する感覚があった。
黒い修理スキルを鱗へそっと忍ばせた。
鱗の中で黒いモヤが動いた。
鱗の内部で、マグ・ノワールが揺れる。
右手の黒い線に吸い寄せられるように、じわりと流れてくる。
……あ、これやっぱり引き出せる。
黒い線が鱗へ染み込み、内部の濁りだけを吸い上げていく。
やがて、黒いモヤはスッと指先へ集まり、体に触れると、空気中に消えた。
鱗の黒ずみが薄れていった。
色が戻るだけではない。光沢が増し、銀色の輝きが表面へ広がっていく。
その時だった。
「奇跡だ……!」
誰かの声が加工場に響いた。
「濁りが……消えてる……!」
「嘘だろ、マグ・ノワールが抜けるなんて……!」
今まで見たどの素材よりも、整っているように見えた。
胸が熱くなった。嬉しかった。
「これも頼む!」
「こっちの骨も……!」
「この魔石、救えるか……!?」
気がつけば、ダメになった素材が次々と俺の前へ積まれ始めていた。
数をこなしていくと、 先ほどよりもはっきりと、マグ・ノワールがどこに溜まっているかが分かる。
そこを狙って黒い修理スキルを流す。
濁りは指先へ集まり、消える。
鱗が銀色に戻る。
次。
また次。手が動くたびに、素材の黒ずみが消えていった。
気がつけば、破棄山は半分以上救われていた。
ひと段落ついて、息を整えて辺りを見渡した。
加工場の職人たちが、全員こちらを見ていた。
驚いた顔。
信じられないという顔。
そして、少しの尊敬。
誰かが小さくつぶやいた。
「……あんたって、本当に英雄なんだな」
静かな声だったが、作業場全体に届いた。
少し疲れたので、休憩に入る。右手を見た。
黒い線はもう静かに沈んでいる。
これが……俺の新しい力……。
随分と変な道を通って来たと思っていたけど、案外悪くないじゃん。俺の道。
もうちょっとここで力を磨いていこう。……だってちやほやもされるし。





