120話 託す相手を間違えるな
案内された場所は、砂漠に海があるような幻想的な光景だった。
アーレ=ザル砂漠の特定の場所に出現する砂流域。砂漠の地下から絶えず魔力がゆっくりと沸き上がり、地下内部で摺りつぶされた極微細な砂粒を浮上させ、砂の流れが発生している。
そのエリアに足を踏み入れると、瞬く間に足首が飲み込まれて膝まで砂に浸かった。みんなに引っ張り上げて貰わなければ、瞬く間に蟻地獄に落ちた小物状態だったに違いない。
人生でもっとも嫌な死に方ランキング殿堂入りしておられる溺死様よりも怖い、砂漠窒息死という特殊な死に方をするところだった。
遠くではぶくぶくと泡が弾けるような音もする。そこら一帯は魔力の吹き出しがとにかく多く、砂の一族でも容易には近づかないらしい。
一瞬石油か? とか思って気安く近づかなくて良かった。というよりも、そこら一帯全部細かい砂粒だらけなので、簡単には近づけないんだけど。
「本当に……幻想で、でも恐ろしい場所だ」
「そう思ってくれたなら感想としては100点だな。砂の美しさと、恐ろしさ。そして、我らの使命を感じさせてくれる場所だ」
「使命?」
「……すまない。聞かなったことにしてくれ」
何?
俺に秘密のお話?
砂面衆が目配せして、イェラの兄アリドがすまないといった表情を見せる。
なにか、外部には漏らせない情報を口にしてしまったらしい。
ごめんな、たぶん俺のせいだと思う。
この砂流域に来るまでに、彼らが俺を気遣ってくれて小腹が空いていないか? と食べ物を差し出してくれた。
それを全部美味しそうに食べるものだから、そのうち彼らの非常食や、個人的な偏食で持っていたものまで差し出してくれることに。
非常食は乾燥させたものばかりで、彼らも好んで食べないらしい。偏食というのは、この地にいる毒トカゲの肝臓を発酵させた食べ物だった。
匂いが強烈だったが、ぺろりとね。まあ全部美味しく頂きましたよっと。
味と匂いに癖があるだけでなく、この地の人間でも食べ慣れていないと一週間は腹を下すと警告を受けたが、全然そんなことはなかった。普通に二つ目はないか? と聞くほど気に入った。
この地に定期的にやって来る行商人の一隊がいるらしいのだが、もう何十年もこの地に通っている彼らでさえ、今日差し出した物を食べる者はいないらしい。
彼らは彼らで王国から持って来た保存の効く食べ物で砂漠にいる期間は過ごす。だから、王国民は砂漠の民の食べ物を食べないと思い込んでいたらしい。
なので、俺がバクバク普通にこの地の食材を食べる姿を見た砂面衆が、「ハチはまるでこの地で生まれた人間みたいだな」と感想を口にしていた。
その安心感が、アリドが口を滑らせた原因という訳だ。
すまないね。食欲の罪多き事よ。仲間だと思っちゃったよね? ごめんね。俺はただの外の小物です。
それにしても、使命とは……。まるで神みたいなことを言うんだなって思った。
「この場所には砂を泳ぐ魚型の魔物、砂泳魚がいる。長老様や大人たちはただ魚と呼んでいるため、我らも一般的に魚と呼ぶ。砂を水のように感じ、泳ぐためのエネルギー源に魔力を使うため、非常に凶暴で、厄介な相手だ」
「説明ありがとう。でも、そんな脅威は関係ない」
ん? という怪訝な表情を向けられた。
俺が興味あるのは、一点だけ。
「その魚、美味しいのか? 脂身があるタイプ? それともさっぱり歯ごたえのあるタイプ? ちなみに、俺はどちらも大好きです」
ん? という更に怪訝な表情を向けられた。
なぜか、皆少し困っている。
「ハチ、魚は魔物だぞ」
「でも、魚なんだろ?」
「いや、魚型の魔物だ」
「魔物だけど、魚なんだろ?」
はい? と皆が困る。
すまない、困りたいのはこちらなんだが?
「魔物は食べられない」
「魚なのに?」
「魚から一旦離れてくれ。砂漠の民には魚を食べる文化など無いし、魔物はそもそも食べられるものじゃない」
「本当に?」
「ああ、真実だ」
少し時間を貰った。
あまりにも衝撃的な事実で飲み込むのに苦労する。
「……え゛!? 食べられない゛!?」
遅れてやってくる仰天の反応。
魚、食べられないんすか!?
「じゃあ、なんで魚を獲るんだ? てっきり、今夜は焚火を囲んでみなでバーベキューして踊り散らかすのかと」
「すまない。それは変なことを期待させてしまった」
俺がずっと変な勘違いをしていたことにようやく気付いたので、アリドたちは今一度説明してくれる。
「ハチは、魔物についてどれくらい知っているんだ?」
「とても怖い、くらいかな」
じゃあ初めから全部説明だな、と誰かがため息交じりに吐いた言葉が聞こえて来る。
すまない。王国ではそのへんの知識が全然広まっていなくて。
なんだか、砂の一族のことをずっと田舎者だと思っていた自分に気づいた。
彼らは変わったところに住んでこそいるが、全然、文明の発達が遅れている訳なんかじゃない。むしろ、王国民の俺よりも進んだ知識を多く所持していたりする。
もしかしたら、族長様がいるアラ=ファルマと呼ばれる移動都市もめっちゃ発展した文明だったりして……。フラグ立ても完了ですよっと。
砂流域を前に、座り込み、彼らが懇切丁寧に説明してくれる。
「魚は本来、砂漠の生命循環を維持する砂の精霊様たちだ。けれど、彼らはマグ・ノワールを体内に吸い込んで魔物と化している」
「あっ……」
「心当たりくらいはあったか」
その通り。
魔獣が精霊王を器とするんだから、魔物である魚の器は当然精霊たちという訳か。王国ではこういった知識を持っているのは、それこそヘーゼルナッツ博士みたいに研究している人とか権力を持った大物だけだろう。
けれど、砂漠の民は俺と同年代の人間がそこらへんを当たり前に理解していた。
なんだか、世界について何も知らない気分になって、申し訳ないやら、惨めやら。
「もしかしてさ、魚を獲るのって、その精霊様たちのため?」
「その通りだ。魚の鱗や骨は豊饒のスキル持ちたちが加工して物資として使えるが、本来の目的はそれに非ず。マグ・ノワールを体内に吸い込んで苦しんでおられる精霊様たちを解放する。これは砂漠の民が古くから行う大事な仕事である。その危険性ゆえに、今ではこうして砂面衆の名誉ある仕事になっている」
精霊を苦しみから解放する。
そんなこと、考えたこともなかった。
なんか食べるためとか思って、すんごい恥ずかしいです。
今度から腹減っても隠そうと思う。こんな神秘的な理由が秘められている前に、食欲はあまりにも短絡で恥ずかしいからだ。
がっくりと項垂れてしまった。
この砂漠に来て以来、ずっと気分がアゲアゲだったのに。
砂の一族に憧れがあったし、彼らの生活スタイルにも憧れていた。
けれど、彼らの歴史や、その実態なんて当然だが何も知らなかったんだなって。
「どうした、ハチ?」
俺の様子を気にかけてくれて、アリドが呼びかけてくれた。
「なんか、凹んじゃって。俺って、なーんにも知らなかったんだなって。精霊様を苦しみから解放しようだなんて考えたこともなかった。俺はいつも自分のことばかりで精一杯で」
「それは仕方ないことだ。精霊様たちは普段目に見えることが出来ない存在だ。目を閉じ、耳を澄ます他、その存在を身近に感じ取ることは不可能。族長様のように紋章の覚醒者なら話は別だけどな」
「族長様も紋章の覚醒者なのか!?」
「ああ、その通りだ。砂の一族で精霊を見ることの出来るお方はあの人だけだ。しかし、その言いぶりだとハチにも紋章の覚醒者の知り合いがいるのか?」
「友達に1人。しかもイケメン」
長身イケメン。これ大事。
「それは奇跡的なことだ。紋章の覚醒者、すなわち精霊王様に選ばれた者は当然だが、その周りにいる親しい人たちにも意味があるとされている。もしかしたら、ハチにも何か大きな役割があるのかもしれないな」
「そうだろうか」
俺は自分のことばかり考えている小物なのに……。
「それにハチは自分勝手なやつじゃないと思う。前にイェラから送られてきた手紙の内容を思い出した。名前こそ書いていなかったが、イェラが世話になった友人のことを熱く語っていたんだ。人見知りのあの子があそこまで言うとはと驚いていたんだが、今思うとあれはハチのことだな」
「なぜ俺だと?」
「王国によく食べるお節介な友人ができた、と記してあった。イェラは賢い子だが、感情表現があまり得意じゃない。あの子がそれだけ褒めるなら、さぞ嬉しかったに違いない。よく食べるのは、ハチの特徴だろう?」
ふふっ、と少し笑みが零れた。
イェラにそんなことを言って貰えていたのか。
間接的に効く褒め言葉が一番嬉しかったりする。
「ありがとう、アリド。ついでに教えとくよ。イェラが最近……」
といってももう2年半も前のことなのか。
「最も仲良くしているのが、そのイケメン紋章の覚醒者だよ。ということは、イェラにも大事な役割があるんだね」
「……そうなのだろう。あの子は族長様も認める特別な子だから」
俺もそう思う。
特別な人間の周りには、特別な人間が集まるものだ。
英雄譚にもよくいる。
英雄と美女が中心に並び立ち、その周りに格好良い陽キャの戦士や頭脳派の陰キャ。
そして、英雄たちの中になぜか交じっている不純物。少しずる賢い小柄なやつ。たぶん、それが俺。
「でも、なんで砂漠には魔物が多いんだろう? ここの砂の特徴と関係あるのかな?」
この砂漠は魔力を吸う。
もしかして、それと関係があるのかな? と思い視線を向けるが、アリドを初め、先ほどまで気前よく説明してくれていた彼らが揃って口を閉じる。
あれ? まずいこと聞いた?
気まずさに耐えかねて謝罪をすることにした。
「すまない、変なことを聞いたみたいだ。戦士長様に俺の治療がこの砂漠のおかげで捗ったって聞いたんだ。俺の体から吸い出されたマグ・ノワールを砂から精霊様たちが取り込んでいたのなら、俺にも責任があるんじゃないのかなって」
だから精一杯働きます! っていう意味だったのに、ますます彼らの表情がこわばる。
ごっごめんて。もう喋んないから、ゆるしてちょ。
「……我ら砂の民。砂に生まれ、砂に還る。砂の一族では、生まれた者すべてが“砂に帰る定め”を持つ」
「アリド!」
制止するように、砂面衆の誰かがアリドの名を強く叫んだ。
アリドは名前を呼んだ者に視線を向け、「俺が責任を持つ」とだけ言い、残りの言葉を俺に話す。
「己の真の顔を見つけた者だけが、砂の下の真実に触れられる」
黙って聞いていたが、分かりそうでわからないことばかりだった。
「ハチの治療と、魔物についての因果関係はほぼない。俺から話せるのはここまでだ。本来は、砂の民以外に話してはならないこと。けれど、ハチは……なんだか他人とは思えないものがある。この後、戦士長様と族長様にハチに話したことを報告しに行く。罰を受けても、なぜだか話しておきたいと思ったんだ」
ちょっと待ってくれ。
罰とかあるの!?
俺のためにアリドが罰を受けるだなんて、嫌!
それに、小物に変な知識や宿命を託しても無駄だから!
それ無駄に罰を受けるだけだから!
「己の真の顔を見つけた者だけが、砂の下の真実に触れられる」
「戦士長様のような仮面を与えられた者は、“砂守”と呼ばれ、砂の下の声を聞いても正気を保てる存在なんだ。俺たちの憧れだぜ」
「砂の下には何かある。けれど、俺たちはまだ教えられていない」
「話せるのはこれくらいか?」
つらつらと次々に情報が出てくる。
話したのは、アリドじゃない。
他の砂面衆たちだった。
「罰を受けるならみんなで受けよう。どうせもう話したんだ。なら、俺たちが知っていること全部共有しても良いじゃないか」
「お前ら……ありがとう」
アリドを囲んで、感動的なシーン。砂面衆、いいやつらじゃん。
しかも、アリドの次に情報を開示して罰を一緒に受けようと決めたのが、最初声を出して制止した男なんだよね。激熱。
アリドを心配して止め、止まらないのなら一緒に罰を受けようってか?
くぅー、熱すぎ。
泣けてくる程。そういうお前らの友情大好物です。
けれど、一つだけズレている。
その秘密を託す相手だ。回答は完璧だけど、問題に対して回答が全部一個ずつずれているテストくらいやらかしている。それ、実質0点だよ。
「ハチの件とこれは関係がない。だから精霊様に申し訳なさを感じる必要はないし、なによりくよくよせずはやいとこ魚を確保し、解放してやるのが一番精霊様のためになる」
「アリドの言う通りだ。結局そうなんだよな。俺たち砂の民だって全部知っている訳じゃない。目の前のできることをやるだけだ」
「やれんのか? 王国民」
やれんのか? だって?
上手に煽ってくれるぜ。
「おいおい、誰に聞いてやがる。ハチ・ワレンジャール。権力と大物の前では逃げに逃げて来たが、セールの行列と無料で手に入るものから逃げたことは一度とてなし」
魚は食べられないと知った。
けれど、鱗とか骨は役に立つ。
ならば、魚はいわゆる無料で手に入る資源だ。獲らない訳ないっしょ。
精霊様を解放します。そして、その糧を我が生活費にさせて頂きます! 無料に感謝いたします。
「ハチ、身体強化は得意か?」
「凄く得意」
「この砂の海に潜る際には絶対に身体強化を解除するな。瞬く間に砂に飲み込まれる。今日は初めてだからな。砂に入って、泳いで戻ってきたら合格と言いたいところだが……そんな任務じゃ満足いかないよな?」
俺の目のぎらつきに気づいたらしい。
試し運転で泳いで帰ってこい?
この無限身体強化の使い手ハチ様に向かって、そりゃあまりにぬるい仕事ぜよ。
「もちろん」
「では、スナリオとよばれる、魚になって間もない幼体の確保を命じる。全長30センチほどで、すばしっこい。生息するのは砂の上層。砂は深く潜れば潜るほど、強烈に魔力を吸い取られる。中層、深層ともなれば戦士長様レベルしか潜らない。間違ってもそこまでいかないように」
「了解した」
「俺も一緒に潜るが獲物は別だ。中層にいるサレーナとよばれる生体。魚になって数十年単位の大物を狙う。2メートルを超すような化け物だが、魚になって長いこともあり早く解放してやりたい」
魔物化して月日が経てば経つほど、それだけ多くのマグ・ノワールを吸い込むのか。そんで巨大化し、更に凶暴になると。
「俺たちの中でも安定してサレーナを狩れるのはアリドだけなんだぜ!」
砂面衆の誰かが自分のことのように嬉しそうに言った。
くんくん。
彼、俺と同じ小物解説役臭がします。くんくん。うん、間違いない。
「そういえば、イェラは旅立ちの前にサレーナを奇跡的に確保して、特別な人間なんだってことを感じさせてくれたなぁ」
「それってもう3年以上も前だよな? イェラはそのときにもうそんな大物を!?」
これには驚くって。ここじゃアリドしか獲れないみたいだし。
「ああ、でも普段はずっとダメだったんだ。旅立ちの前に一度だけな。それでも本当に凄い事だ」
「たしかに、イェラならやってしまいそうなオーラがある」
優秀な砂の一族の中でも、更に優秀なアリドくらいにしか獲れない大物。くぅー、俺もここに滞在させて貰っている間に一度くらいはそんな大物を確保したいものだ。
「では、これより砂に潜る。手本を見せるから、それを真似てくれ。砂の中は視界がほとんど確保できないから、目を閉じて魔力を感じ取り着いて来てくれ」
「おっ、おう」
そうだよな。砂の中だもんね。
なんだか、海の中を想像していたが、濁流のような泥水を想像した方が良いのかもしれない。
身体強化はいつだってしている。
右半身の黒血管紋の部分だけ魔力の流れが悪いが、まあこれくらいなら問題はない。
軽く体をほぐし、覚悟を決める。
アリドが一歩、砂の境目の縁に立った。
砂とは思えぬ滑らかな粒子が流れる心地の良い音が聞こえて来る。
「先に行く」
短く言い残すと、彼は身を屈め、そのまま砂の海へ飛び込んだ。
ぼふん。
水とは違う音が彼の体を飲み込んだ。
泡のような光の粒がいくつも浮かび、魔力の流れが少し淀んだのが分かる。
「うっし、俺も行きますか」
息を飲み、目を閉じる。
次の瞬間、俺も勢いよく飛び込んだ。
体を包む砂の粒子たち。
押し寄せる砂粒のひとつひとつが、微細な魔力を帯びて肌を撫でる。砂嵐の音が常時聞こえて来るが、不快音と言うよりも、リラックス系BGMのような心地よさ。
若干、上下の感覚が怪しいが、感覚を研ぎ澄ませば少し近くにて待機している魔力の塊を感じる。
おそらくアリドが敢えて近寄らず、俺が感覚を頼って動けるようにしてくれているのだろう。
ありがたい配慮に感謝しながら、そちらへ向かって泳ぎ始めた。





