108話 職より食
新章――。辺境調査隊長視点
ちっ。隊長の執務室内に苛立ちの交じった舌打ちの音が響く。
「今年ももうこの時期かよ」
書類に目を落とし、思わず悪態をつく。
ちょうど室内に入って来た副隊長がそんな隊長を嗜めた。
「あんまり、あからさまにガッカリしないで下さいよ。今年こそ、まともな生徒が来てくれるかもしれないじゃないですかぁ」
書類の山を抱えた美人副隊長。
口ではそう言っているが、絶対に本人も期待していないことは明白だ。
時期は、王立魔法学園の生徒が中間試験を終えた頃。今年は中間試験の前に厳しい試験があったと噂に聞くが、そちらは退学者を出さずに終わったとも聞いている。
厳しい試験を突破してきた世代か……。その後の筆記試験が中心の中間試験は随分と楽に感じられたことだろう。優秀な生徒が多いなら、うちにも流れてきたりしないか?
もしかしたら、本当に今年こそ……。
いやいや、無い。絶対に無い! と首を振る。
「期待するだけ無駄だ。この10年、インターンシップでうちにやって来た生徒の酷さを忘れたのか?」
思い出すだけでゾッとする。
・命令口調で隊員を召使い扱い
・落とし物を勝手に私物化
・豪華な服を着て来て、完全に場違い
・報告書が壊滅的
・調査先村人への無礼
もう、あげだすと止まらない、止まらない。本当に質が終わっている。
そう、この時期は毎年王立魔法学園の生徒がインターンシップにやって来る時期だ。王立魔法学園の生徒といえば、この国のホープたち。
才能に溢れ、家柄も良いのが多い。
しかし、それは他の部署たちに行く生徒たちのお話。
優秀な生徒たちは決まって、中央省庁、近衛騎師団、魔道具開発局など、花形部署へ行く。成績順にインターンシップ先を指定できるため、そういった部署は真っ先に埋まる。
学生たちも将来のため必死だ。今から中央と繋がりを持てるならそれに越したことは無い。
しかし、ここ辺境調査隊は立派な国の正式機関にも関わらず、まーーーーったく人気がない。
それもそのはず。
辺境調査隊は、この世界にある“黒い魔力”を調べるための組織。きつい、危険、汚いが基本の3K職場。
将来の道を選びたい放題の王立魔法学園の生徒がこんなところを志望するはずもない。しかし、インターンシップ先には枠の制限があるため、毎年嫌々ながらにこちらに配属される生徒もいる。
ああっ。
一度でいいから、天才ワレンジャール姉妹みたいな生徒に来て欲しいものだ。
しかし、噂に聞くワレンジャール姉妹みたいなのが来てくれるはずもなかった。あの年、うちに来たのは本当に酷いやつだった。噂じゃ、2年生の段階で退学したらしいが、よくあんなのが王立魔法学園の生徒になれたものだと思う。
去年も、その前も酷かった。まともなのが来たのはいつ以来か……。もう思い出せない。そんなことが10年も続けば、自然と不信感にも苛まれてしまう。
どうせ今年も酷いのが来るに決まっている。なんたって、ここはハズレ生徒の行きつく先なのだから。
「イリン副隊長、そろそろ出よう。隊を引き連れて、調査に出るぞ。王立魔法学園の生徒とも、どうやら外で待ち合わせらしい」
「はぁ、了解です隊長。今年の子は馬に乗れると良いのですが……」
「それな」
と、ぼそりと呟き、短期調査への支度を始める。
王都郊外。
王都の石畳が尽き、街道に出ると、一面の野草が揺れる平地が広がる。
その中央、荷馬車や魔力計測器を積んだ隊列が半円を描くように並び、色とりどりの隊員服が風にひらめいていた。
ここが辺境調査隊の集合場所——王都の喧騒から離れた、ちょっとした前線拠点だ。
隊員たちは既に慣れた動きをしている。皆鍛えられた良い動きと表情だ。
ここまでは予定調和。
だが。
遠くから、ドドドドドッ! と地響き。
視線を向けると、砂埃を巻き上げて一頭の栗毛馬が突っ込んでくる。
馬の目は血走り、鼻息は荒く、今にも暴れだしそうな勢い——のはずが、その背にいる若い男は涼しい顔だ。
手綱を軽く引くだけで、馬は寸分違わぬ軌道で隊列の横に滑り込み、ピタリと停止。
馬の蹄音が止むと同時に、その男はひょいと飛び降りた。
「えっと、配属先、辺境調査隊であってます?」
「ああ、あっている。お前は王立魔法学園の生徒……ハチ・ワレンジャールであっているか?」
「はい、間違いなくハチ・ワレンジャールです」
ワレンジャール?
あの天才姉妹と同じ家名だ。もしや、分家の者とかなのか?
いいや、関係ない。
家名に騙されてはだめだ。これまで、なんど素晴らしい家名に騙されてきたことか。
少年からインターンシップ生を証明する書類を受け取る。間違いなく王立魔法学園の生徒だ。
まっ、底辺生徒なんだろうけど。
「一応、聞いておく。なぜうちにやって来た?」
「えーと、辺境調査隊のご飯は特別だと……。いや、辺境調査隊に興味があったからであります!」
まあ、そう言うよな。
至って真面目そうな普通の少年。第一印象は悪くないが、期待するだけどうせ後でがっかりするだけだ。あまり感情移入しないようにしよう。
……しかし、おかしい。
この手の新人は、普通なら馬に振り回されて転げ落ちるか、到着前に息が上がっているもんだ。
なのにこいつ、汗ひとつかいてない。じゃじゃ馬っぽく見える、連れて来た馬も随分とこいつに懐いている。
「乗馬は、得意なのか?」と聞けば、首をかしげて、
「実家が田舎なので、馬に乗る機会は多かったです。昔から自分で買い出しに行くときは馬だったんで。うちの馬、安馬で、だいたい噛むか蹴るか暴れるかするんですよ。気づいたら馬の扱いに慣れちゃって。なので得意と感じたことは無いです」
「お、おう……」
「今回の子もレンタル料が安かったですが、乗ってみたら御しやすい馬でした」
「御しやすい……」
とてもそうは見えない。
あれで得意の自覚がないのか。
もしや貴族じゃないのか?
ワレンジャール姉妹と同じ家名のはずなのだが。
ワレンジャール姉妹が田舎出身って話はあまり聞いたことがない。天才の名ばかりが聞こえて来て、その出自についてはあまり考えたことが無かった。
「ところで、ワレンジャール姉妹とは何か関係があるのか?」
「姉です。よくできた双子の姉です。紹介しませんよ」
「いらん。二人とはよく比べられるのか?」
「ええ、ほぼ毎日」
なんだか少しこいつに同情してきた。
使えない生徒だろうけど、少しだけ優しくしてやるかな? とそんな気になってくる。
「話は以上だ。では行くぞ。ついてこれない場合は置いていく」
「あいあいさー」
馬に指示を与え、ゆっくりと歩き出す。隊全体が動き始めた。
傍に副隊長が寄ってきて、耳打ちしてくる。
「隊長、今年の子は馬に乗れるみたいで随分と楽じゃないですか」
「それもそうだな」
去年のは、初めから最後まで自分の背中に乗せていた。愛馬が機嫌を悪くして労うのに随分と苦労したものだった。
陽はすでに高く、柔らかな日差しが街道沿いの草原を照らしている。辺境調査隊の一行は、ゆったりとした足取りで近隣の村周辺へと進んでいた。
先頭の隊員が小型の魔力測定器を掲げると、針が微かに揺れる。
「ここから先、少し黒い魔力が強くなるな。記録頼む」
後ろの隊員が羊皮紙の地図に印を入れ、その脇に日付と数値を書き込む。
別の者は道端の野花を摘み、花弁を指でほぐして香りを確かめていた。
「花の香りまで調べるんですか?」
ハチ少年が首をかしげると、隊員は笑って答えた。
「匂いも環境の変化を示す手がかりになる。黒い魔力に侵されれば香りも変わるんだ」
「黒い魔力って、あの魔獣とかが纏ってる、恐ろしいあれですか?」
「魔獣? ははっ、そんな大それたもの一生目にかかることないから安心しな。でも、それであってるよ。僕たちは基本的に魔物の魔力なんて呼ぶけどね」
コミュニケーション能力も良し。気づけば隊員たちと打ち解け始めていた。
あれ?
今年のやつ、アタリか?
いやいや、まだ判断するには早い。絶対にアタリ生徒が来るはずはないんだ。
小川に差しかかると、一人が水面に手を入れ、水温や透明度を確認。
「異常なし。魚影も普通だ」
隊員が腕時計型の魔道具をちらりと見て言った。どこも異常なし。平穏が一番だが、少し退屈な調査でもある。
「そろそろ一休みしよう。あの林の木陰でいいな」
まだ午前中の明るい光が差す中、一行は木陰に腰を下ろし、水筒の栓を開けていく。
調査開始から3時間ほど。
例年なら、もうこの段階でインターンシップ生は暗い表情をして、帰りたいオーラを前面に出す。もしくは、体力が無さ過ぎて倒れているかだ。
今年のハチは……。
なんか目を輝かせてこちらを見ていた……。なんだあいつ!?
「あの、隊長さん。休憩ってことは、ご飯もあるんですか?」
「……あるぞ」
当然、あるにはある。
しかし、これもまたうちの人気がない理由でもある。
隊員たちが荷袋を開け始める。
中から出てきたのは硬い黒パン、塩気の強い干し肉、乾燥チーズ、豆の乾物を戻しただけのスープ。
見事に“日持ち”しかしない顔ぶれだ。
「ほら、好きなだけ食いな。調査はまだ続く。しっかり食べて体力をつけるんだ」
目の前のラインナップに固まるハチ少年。
無理もない。
きっと今まで良い物ばかり食べて来たのだろう。
それに、王立魔法学園の生徒は日ごろ食堂で食べ放題だ。俺もあそこの生徒だったからよく知っている。料理長マルグリットのメニューはうまい。それと比べたら、これらは家畜の餌に等しい味だ。
「あのー……」
「どうした? 食欲が出ないか?」
「いいえ、そのー。大鍋は?」
「は?」
少し驚いた。
どこで聞いたか知らないが、少年ハチはうちの伝統行事を知っていた。
大鍋。
この調査期間中に集めた各地の新鮮な食材を使用して作った鍋。
調査の疲れと新しい経験。各地の味わったことのない食材。それらが最高のスパイスとなって絶妙な旨味を出す。その大鍋をなぜか知っていた。
え? まさか、それ目当てで来たの? いや、そんな生徒いる訳ないか。
「大鍋は最終日にやるものだ。今日じゃない」
「なんだ、でもあるんだね。大鍋! では、今日の分を頂きます!」
隊員が食材を渡していく。
ハチは両手で袋を受け取ると、黒パンをひとかじり。
その瞬間、目を見開き——ごくんと飲み込む。
「……ああ、この噛み応え! 噛むほどに広がる小麦の香ばしさ!」
次に干し肉を口に放り込み、しばし咀嚼。
「この塩気……きっと長旅を支えるために計算された塩分量ですね。先人たちの知恵を感じます!」
気づけば、パンと肉とチーズが交互に消えていく。
勢いは留まることなく、豆スープまで一息で飲み干した。
「え? 普通に美味しいんだけど。この保存食、素晴らしいですね! 味、栄養、携帯性……これさえあれば百日は戦えます!」
満面の笑みで保存食を称賛するハチ。
隣で見ていた隊員達が、手に持った干し肉を止めたまま、しばし固まった。
こいつの食欲、どうなってやがる!?
俺たち調査隊ですらなかなか好んで食べない保存食を、もう二回もお代わりしてやがる。
「……もうちょっと貰ってもいいですか?」
まだ食べるの!?
副隊長もドン引きして見てるぞ。
ハチとかいうやつ、どうなってやがる。
そういえば、俺が在学していた頃の王立魔法学園は食事が食べ放題だったが、今はそうじゃないのか?
別に太っている訳じゃない。むしろすらりと痩せた体系。あんまりよく食べるタイプには見えないのに……。
もしやこいつ、苦学生ってやつなのか?
先ほどの乗馬のエピソードのときにも垣間見えたが、あまり裕福な生まれじゃない。
事情は知らないが、こいつ、もしかしたら数日まともに食べてないんじゃ……。
俺がそう考えた時、副隊長も同じように考えたらしい。
自分のパンをハチに渡してやると、めちゃくちゃ感謝されていた。
そちらも良く嚙んで、まるで豪華ディナーでも食べているように喜んで食べている。
なんなんだこいつは……。
ハチ・ワレンジャール? 今年、うちにやってきた生徒は、とんでもなく変なやつかもしれない!
「ふぅー、腹半分ってところかな」
ん!?
――。
選抜試験、中間試験と慌ただしく学園の試験終わり、俺たちに次用意された教育過程はインターンシップ制度だった。
1年生から職場を体験するなんて珍しいなと思っていると、どうやら上級生たちにも同じプログラムがあるらしい。
進級したときにまた同じ場所に行っても良いし、違う場所を経験してもいい。とにかく、社会を学ばせたいんだと。
うちの姉さんたちは王城近衛魔導師団とかいうごつそうな名前の部署にインターンシップに行っている。かなりのVIP待遇だとさ。
俺もそこに行こうかと一瞬迷った。姉さん達と一緒で嬉しいし、VIP待遇なんて人生でなんど受けったって良い物ですからね。
けれど、聞いちゃったんですよ。
昨年、辺境調査隊に行った先輩が、大鍋と言うものを食べて、それが人生で一番美味しい食べ物だったと。
となるとね。
もうこれは悩む必要はないでしょう。
「んじゃ、俺は辺境調査隊にインターンシップ志望を出します」
「え? いいの? ハチ君は今年の成績1位ですよ。どこでも希望すれば行けるというのに、辺境調査隊なのですか?」
受付で対応して下さった職員がとても驚いていた。
なんと俺は、中間試験を終えて、153期の首席のポジションにいた。なんということか。入学前にガリガリになるまで追い込んでいた座学が中間試験であれほど役に立とうとは。世の中に無駄な努力ってないんだね。
俺が希望すれば姉さん達と同じ王城近衛魔導師団にだって行ける。
けれど、やはり食。
職よりも食!
俺は戸惑う職員さんの目を見て、堂々と宣言した。
「俺は辺境調査隊が良いんです!」
「……ハチ君が良いなら、良いのですが」
こうして俺は、辺境調査隊にて一か月間、インターンシップ生としてお世話になることになったのだ。
大鍋~、大鍋~。





