103話 見えちゃった、未来
――。テオドール視点
「王子、あれは一体何者ですか」
低く、喉の奥で押し殺したような声になった。
「誰……いや、当然ハチのことか」
話を続けながら、血が滲む袖を引き裂き、自らの手で傷口をあらわにする。痛みはとうに限界を通り過ぎ、麻痺している。だが、視界にちらつく変な光は頭部に受けたダメージの余波から来ているのだろう。
ハチの攻撃が、あまりにも強力すぎた。
その一挙手一投足が、鮮明に思い返せる程に、圧倒的に飛びぬけた力を持つ同級生。まだ緊張感が抜けない。今夜は悪夢になりそうだ。
強い、強い、とは聞いていたが……これ程とは。
隣で脱臼した肩を苦々しげに整えていたギヨム王子が、ふと動きを止めた。息が小さく漏れ、次いで、曖昧な苦笑を浮かべる。
「正直、僕もよく知らない。知り合ったのは入学試験でのこと。君よりかは付き合いが長いが、知っているという程、彼の強さを語れる何かを具体的に知っている訳じゃない」
わずかに目を細めた。ギヨム王子がそう言うなら、そうなのだろう。まだ理解できる程、あの男は見える位置にいる存在ではなかったということか。
「……悔しいな」
入学試験の時に、レ家関係の受験生たちを助けてくれたという者がいた。その者の名はハチ・ワレンジャール。不合格者の中にも一次試験で救って貰った者が多くいて、二次、三次試験でもその活躍は目立つものだったと聞いている。同級生の中に見上げた男がいたものだと感心していた。
いつか礼をしようと思っていた。力になれるなら、なりたいとも。
だけれど、あくまでずっと“下”に見ていたのだ。
レ家の数百年の歴史を辿ってもこんな異才はいないだろう。ハッキリ言ってこのテオドールは兄上や父上よりも遥かに優秀。レ家を最盛期に導いたひい爺様に並ぶ才能と祖父が評してくれていたりもする。
自惚れも少しあることは自覚しているが、それでも僕は自分の才能を疑ったことがない。
これまでに真剣な戦いで負けたことは、対リュミエール王子くらいだった。
遠く離れた東の地に、天才ワレンジャール姉妹がいると伝え聞いてはいたが、その彼女たちにも負けないだろうとかつては思っていた。……実際に会って、すぐに気が変わったけど。
しかもまさか……存在すら知らなかった天才姉妹の弟にも完敗しようとは。それもギヨム王子の手を借りてまで。
「ギヨム王子、覚えておいでですか、あの狩猟祭のこと」
傷に薬草をあてがいながら、少し息を乱しながらも、ふと懐かしい光景を思い出した。
ギヨム王子が顔を上げる。片眉をわずかに上げてから、ゆっくりと頷いた。
「……覚えてるさ。王都近郊の森で行われた、あの年のやつだろう?」
「そうです。我々が、コンビを組まされて。半分は嫌々でしたが……」
言いながら、思わず笑みが漏れた。
あの時は、ギヨム王子をまだ良く知らなかった。ただ自分の力で勝つことを考えて動いていた。けれど、気づけばお互いの優秀さに気づき始め、二人で息を合わせ、どれほどの獣を仕留めたか。
「気がつけば、我々で全得点の半分を稼いでいた。リュミエール様だけでなく、ふふっ。子供だと侮っていたあの時の連中の顔、今でも思い出せます。随分と呆気に取られていた」
ギヨム王子も小さく笑った。戦いのときに見せた厳しい顔ではない。どこか少年のような笑みだった。
「あれは痛快だったね」
「……あの時は、本当に。自分たちが無敵だと思ってた」
その言葉に、ギヨム王子はまた笑った。
先ほど付けたばかりの焚き火の火の揺らぎが、ギヨムの横顔を淡く照らす。王子らしからぬ傷跡も、今は誇らしげに見えた。
「無敵だったとも。レ家の次男坊テオドールが噂に違わぬ活躍を見せて、同級生にこんな怪物がいるのかと心底恐怖したよ」
ギヨム王子がさらりとそう言った。
「違います。一人ではあんな勝ち方はできませんでした。我々のコンビは謙遜など不必要な程に強力で、隙の無いものです」
間違いなくそう思っている。
自分の力だけではあそこまでの成果は出せなかった。
ギヨム王子の優秀さもあるが、何より自分たちが力を合わせたときの爆発力は誰にも止められないと信じ切っていたのだ。
だから、今日の大事な戦いにもギヨム王子に協力を依頼した。
「ははっ。嬉しいな。レ家のテオドール程の男にそんな評価をして貰えるだなんて」
ギヨム王子は少し自己肯定感が低いところがある。
今も褒められて嬉しそうだが、自分にはその価値がないと思い込んでいる。
まあ、今だけは無理もないか。
「完敗……でしたね。ハチにはまだ余力があった」
「その通りだ。入学試験で砂の戦士長と戦った姿を見たことがある。あそこから更に強くなったみたいだし、見てるのと、相対するのとでは全く印象が違う」
「どんな印象でした?」
戦いの前と後で、ハチに対する印象は大きく変わった。
もしやギヨム王子もあれを感じているのではないかと思い、訪ねてみる。
「クマ……」
ぷっと噴き出してしまった。
全く同じだった。
ジャングルを支配するクマであり、王。
戦いのとき、まるで幻覚のようにハチの姿が唸る猛獣、クマのように見えたのだ。
我々は捕食される小さなウサギ。心理的に既に支配された状態では、勝てるはずもなかった。
「私にもクマに見えました。いつものハチより大きくて、何か圧があるような……」
ギヨム王子も笑って、続く。
「そうそう。普通に怖くて、殺されるんじゃないかと思ったよ」
二人してそう思わされるほどの迫力があったのだ。改めて、恐ろしい男だ……。
「まさかギヨム王子と手を組んで負けるとは想定していなかった。なにせ、ハチには全力で叩きのめして欲しいと頼まれていたから、遠慮無しに全力で挑んだというのに」
そう。これは全部ハチの描いたシナリオ通り。
いいや、少し予定外なことはあったか。
ハチはディゴールの目を誤魔化すため、僕たちに負けたがっていた。それでも変に手を抜いては芝居がバレる。
全力で戦って、なんとしてでもハチからポイントを奪っておく必要があったというのに……。
「ハチは一体何をしようとしているんだい? あんな憎まれ口を叩いて、すっかり嫌われ者だ。ハチはあんなに卑怯な男じゃない」
「全くその通りですよ」
ハチは泥を被り、試験の突破口を探している。
計画を聞いてはいるが、ギヨム王子にもまだ話せない。自分がハチの献身的な行動を台無しにはしたくなかったからだ。
「ハチは凄いやつだ。こんな実力を持っていながら、ずっと天才姉妹の影に身を潜めて存在を隠していた。能ある鷹は爪を隠す、とはよく言ったものです」
「まあ、隠しきれてないけどね……。この前、一年生で誰が最強かってアンケートを取っていたんだけど、テオドールを抑えてハチが一位になってたよ」
クスリと笑い、そんなことを告げて来る王子。
自分はそんなアンケートの存在なんて知らなかった。
まあ、王子は姿を消す異端なスキルをたまに寮内で使用しているみたいだし、こっそりとそういう秘密など知っているのだろう。
今回も王子の力のおかげで、姿を消してハチを探り当てた。潜伏中のハチへと、完璧な奇襲をしたにも関わらず、初見の爆発スキルに反応されるんだもんなぁ。あそこから実力の違いを見せていた。アンケートは正しかったということか。
「全く、ワレンジャール家は一体どうなっている。天才姉妹を見た時にこれには絶対に勝てないと本能で思い知らされたというのに、その弟にも圧倒的な差を付けられて負けるとは」
「うん……」
少し微笑んで、頷くギヨム王子。何か言いたいことがあるような様子。
「ところで、ハチは一体何をするつもりなんだろうね」
あまり多くは言えないが、何も言わずにここまで協力してくれた方だ。少しは誠意を見せる必要があると思った。
「……ハチは、一年生全員を救う気です。作戦の全容は聞いていますが、協力はここまで。失敗したときは自分だけ切り捨ててくれとも言われています」
「なるほど。それがハチの本音か。泥を被ったのも争いを抑制するため。なんとなくそうじゃないかって思ってたけど、彼らしい」
ギヨム王子は驚きもせず、むしろそれが当然の意図だろうと言わんばかりに納得していた。少しだけ、こちらが驚かされた。
少しくらいは動揺して、ハチに同情するかと思っていたのに、当然だと言わんばかりの反応。二人にそれほどの信頼関係があったとは。
いいや、あるはずがない。
なのに、どうして?
友人としての信頼関係というより、ハチという男を評価しての反応のように見える。
「ハチがこう動くことが当然のように感じている様子ですね。何か、彼の背景と関係があるんでしょうか?」
俯いて、傷の治療を進めるが、ギヨム王子は話すかどうかを考えてくれている。ほんの少し考える時間が必要みたいだったが、頷くと同時に話す決心をする。
「ハチは今回、特に彼にメリットが無いのに僕たち全員を助けてくれようとしている。彼の実力を考えれば、こんな試験なんて、他人を犠牲にして乗り切ればいいのに」
「……それもそうですね。ハチがリスクを負う必要性なんて全くない」
言われてみればその通りだ。
ハチは良いやつ。だから今回のことも、そうやって納得していた。
しかし、考えてみればおかしなことだ。失敗すれば自分は王立魔法学園から退学。ハチの実家は小さな男爵家。失うものはとてつもなく大きいはず。リスクとリターンがあまりにも釣り合っていない。
「ハチの行動は、初代クリマージュ王と同じなんだ」
「はい?」
唐突に話が飛躍した気がして、首をかしげる。全く関係のない話にすら聞こえた。
「初代クリマージュ王が激情の神カナタ様の助けを受けて建国した際、約束させられたことがある。というよりも、カナタ様の願いをもっとも忠実に守りそうな男だったから、王に選ばれたんだ」
建国の王については当然知っている。
貴族にとって義務教育と言ってもいい。
子供の頃に何度も聞いて来た。
初代クリマージュ王は『誰よりも情に厚く、人望があり、人を愛していた』と。その献身性は、時には自らを大きく損させてでも他人を優先する程のものだったという。
ああ、それがハチと同じだと……。たしかに似ているところはある。しかし、それがなんだというのだ?
「初代国王は何があっても国民を、仲間を守るようにカナタ様に言いつけられた。元々そういう気質も手伝って、それを死ぬまで実行してみせたんだ。我々クリマージュ家の者には、幼少期より初代国王に倣うように教育がなされる。今では随分と形骸化してしまっているけど」
「……知りませんでした。そんな意志が受け継がれているとは」
「けれど、こればかりは教育ではどうにも上手くはいかなくてね。リュミエール兄様も、ロワ兄様も好き放題やりたい放題だ。それに、僕も初代国王の様にはなれないと思っている」
しかし、その器になり得る男がいると。そういうことか。なんとなく話が見えて来たけど……。
「ハチは、初代国王と同じ志を持っている。生来のものか、それとも王になるためにそう振舞っているのか」
「王に……? 流石にそこまでは……」
いくらなんでも飛躍し過ぎな気がした。
王国の歴史の中でも、大きな反乱は何度か起きている。我こそはクリマージュ家にとって代わり、王になるのだと反旗を上げた者たちが。
しかし、その反乱は一度として成功はしたことがない。王国は組織が盤石なだけじゃなく、その背後には常に絶大な力を持つ最強の神、カナタ様がいるからに他ならない。カナタ様がいる限り、王国も、クリマージュ家は絶対的に安泰と言ってよい。
レ家がどれほど大きくなろうとも、その背中には一生手が届かない程には遠い。
「ハチはまだ十二歳。いくら野望があったとしても、流石に……。それにカナタ様が認めません。最悪、ハチにそんな考えがあると知られてしまえば消されかねない」
「そうかな?」
確信めいた表情。
ギヨム王子はまだこちらの知らない情報を持っている。聞きたいような、聞きたくないような。
「僕はほぼ確実に、ハチは王になるつもりだと思っている」
「確実に……」
ギヨム王子は軽率な人ではない。むしろ、かなり慎重で、賢明なお方だ。
その人が、ほぼ確実にハチが王になるつもりだと断言している。これが一体どれほどの規模の話か分かって尚言っているのだ。
少し恐ろしくなって、辺りをキョロキョロと見回した。
できれば、目の前の焚火も急いで消してしまいたい程に。
「ハチが王座に興味があると最初に知ったのは、リュミエール兄様の話からだ。ハチは一度、魔獣を討伐している」
「魔獣を!? そんな話、聞いたことなどありません」
魔獣討伐など、数千人規模で行うことだ。
決して、一人の勇者が頑張ってどうにかできることじゃない。
それに、もしもそんな偉業を為せば、自然と耳に入るはずだ。
「ハチの希望で情報は伏せられた。褒美も貰わなかったらしい。リュミエール兄様は言っていたよ。この世に、魔力4000台で天を見据えている男がいると」
ハチの魔力量は少ないと聞いたことがある。紋章も豊饒という、この学園では珍しいタイプ。
「……それがハチ」
魔獣討伐……。それが本当なら、あり得るのか? 王座も。
「しかし、しかし……!」
「わかるよ。あり得ないと思うよね。だって、カナタ様がいる限り、絶対に無理だ。けれど、僕は全部見たんだ。尖塔の地下に精霊の世界『界境』へと続く扉があった。そこから、ハチとカナタ様が出て来た。やっぱり二人は既に知り合いなんだ。既に話は付いていると見て良い」
まさか……。そんなことが。
ハチは全く考え無しに生きているように見えるときがある。食堂でご飯をたらふく食べるとき、この世でもっとも幸せそうな表情をみせる。あの無邪気さは……。
それなのに、どでかい野望を胸に秘めていたのか。
「カナタ様と既に話が通っている? もしもハチに初代国王程の適性があったとして。本当に話も進んでいるとして……ギヨム王子、あなたはそれでいいんですか!?」
「僕は良いと思っている」
これまた驚きの答え。しかも即答。
淡々とした返答は、既に以前より胸の内で決めていたのだろう。
「ハチは王になるために仲間を助けるのか。仲間を助ける男だから、王になるようにカナタ様が歩み寄ったのか。それはわからないが、とにかくハチは王座を見ている。カナタ様は王座を渡そうとしている。だから、この試験も無条件に僕たちを助けようとしているんだ。それが王の姿だから」
「ハチの行動の説明はそれでつきますが、やはりまだ全部は飲み込めません」
リュミエール王子、それとロワ王子がこの話を知ったらどう思われるか。とんでもないレベルの事件に発展しそうな予感がする。
ギヨム王子の持っている知識に興味を持ち、なんとしても分けて貰おうとしていた数分前の自分を叱りつけてやりたい。世の中には知らない方が良いこともあるのだ。
こんな話になるとは思っていなかった。
「僕にもハチがどこまで見えているかはわからない。けれど、今日の戦いを経てもう一つ確信したよ」
「なんでしょう?」
「彼が王になった時、僕は喜んで家臣になれると」
「ははっ……」
冗談でしょう、とは言えなかった。
なぜなら、自分も想像してしまったからだ。
戦いの前に、そして先日の下手な芝居の際に、自分が『小物』と呼んだ相手に将来膝間づく姿を。
そして、その姿に、全く違和感がないどころか、膝をつくことにすら心が整う自分がいる。
ギヨム王子の視線がジャングルの中に向く。自分の視線もそちらへと、遠く虚空を見つめていた。
戦いの時、共に見たクマの幻覚。そして、今も同じものが見えている気がした。
――広間の奥、陽の光が射し込む玉座の間。
金でも銀でもない、木製でどこか歪な造りの安っぽい玉座。その上に、背筋も足もゆるんだ、妙にラフな姿勢の男がいた。
王冠は斜めにかぶられ、正装の上からはなぜかエプロンが掛かっている。
そして彼は、両手に山ほどのパンを抱え、もぐもぐと忙しなく口を動かしていた。
笑っていた。あの男は、あの日と同じように。
無邪気で、何の打算もない、心からの笑みだった。
「うんまっ……! まじうんま! まんう! よし、全員分あるからな! あ、そっちの騎士団には先日の褒美に、塩バターパン多めねー!」
そう言いながら、臣下たちにパンを配るその姿は、王の威厳とは無縁だった。
だが、不思議と誰もが膝をついていた。顔を上げずとも、その男に敬意を捧げていた。
そして――その中に、自分たちもいた。
剣を下ろし、頭を垂れ、そのパンくずの落ちる床でさえ、どこか神聖に思えていた。
そんな幻覚を、見ていた。疲れから来るものか、傷の痛みが見せたのか、それとも……ただの未来の映像だったのか。





