15.【閑話】花の会 その2
「セレンディップ殿下、ご機嫌麗しく存じます」
ミネルヴァとその兄ギルバートは礼儀正しくお辞儀した。
セレンディップの周囲を多くの女性が取り巻いている。
青年貴族達もなんとかセレンディップを囲む輪の中に入りたいのだが、令嬢達の迫力に押され気味で、女性陣の外側をうろうろしている。
当のセレンディップは令嬢達の間で、困ったように微笑んでいた。
ミネルヴァはセレンディップとの婚約が噂されている。
婚約者候補の女性に対し、令嬢達を伴って現れるのはまったくもって無礼な仕打ちなのだが、セレンディップは自分の本意ではないのに、むげには出来ないと言いたげだ。
セレンディップは自分の容姿に自信を持っている。
だから女性達にちやほやされるのが大好きだが、狡猾な彼はそれをおくびにも出さない。
そんな雰囲気を周到に作り上げるところもミネルヴァが彼を苦手に思う一因だった。
そしてこの光景は、セレンディップからミネルヴァの立場を思い知らせるメッセージでもある。
婚前からこうしたこのような仕打ちをする男にミネルヴァは『嫁がねばならない』。
そういう状況にセレンディップはミネルヴァを追い込んだのだ。
「病気が良くなったそうだね」
セレンディップは目一杯穏やかそうな声でミネルヴァに問いかけた。
ミネルヴァは深く礼を執ったまま、慇懃丁寧に答えた。
「はい、良い薬が手に入り、完治することが出来ました」
周囲の令嬢は嫉妬の眼差しを隠さないが、多くの者は二人を微笑ましく見つめている。
セレンディップはミネルヴァが病気になる前から求婚し、今も婚約者候補から外していない。
それは彼女を愛しているからだと美談として語られた。
だが――。
(くそっ!)
ミネルヴァの丁寧だが、よそよそしい声にセレンディップは歯がみする。
セレンディップこそが、ミネルヴァを二目と見られぬ病気に陥れ、結婚してやる計画を立てた張本人だ。
セレンディップはミネルヴァが人前に出なくなった後も、ルパート・ガルファに対し、求婚の手紙を出し続けた。
『ミネルヴァがどんな姿になろうと構わない。結婚したいと思っている』
暗に人狼となったことを知っているのだとほのめかす、脅しの手紙だ。
この国で獣人に対する差別は根強く、ミネルヴァが人狼になったことが表沙汰になれば、ガルファ家のみならず、商会自体が危うくなる。
家族思いのミネルヴァは自分の幸福より周囲を思い、セレンディップの求婚を受け入れるだろう。
一年前に仕掛けた罠がいよいよ実を結ぶはずだったのに、まさか完治してしまうとは。
しかし獣人化がそう簡単に治るはずがない。
あれは最上級状態異常解除ポーションでしか、元の姿に戻るすべはないのだ。
すべての材料を手に入れるのは豪商ガルファ家にとっても容易なことではない。
だとすれば、ミネルヴァの獣人化は治ってなどいない。
カチューシャで誤魔化しているが、今も彼女の顔は狼のままのはず。
(大体、何なのだ!? 獣耳カチューシャなどとふざけたものが流行るなんて!)
セレンディップは胸の内で口汚く罵った。
セレンディップと母の王妃は亜人種などは人と認めぬ人間至上主義者だ。
だがそんなセレンディップの裏の顔をこんなところでさらけ出すわけにはいかない。
セレンディップは柔和に微笑むと、ミネルヴァに言った。
「とても心配していたのだよ。ベールを取り、その顔を見せてはくれないか?」
「……」
ミネルヴァが口を開く前に、ギルバートが妹をかばうように前に出る。
「殿下、妹は病み上がりなので、まだ強い日差しが体に毒となるのです。どうかご容赦を」
セレンディップは胸に手を当て、感無量という風に声を揺らす。
「ああ、だが一年もの間、見舞いも許されなかったのだ。私のはやる気持ちを分かって欲しい」
そこだけ聞けば情熱的な言葉だ。
「しかしっ……」
「兄様」
再度反論しようとするギルバートの腕にそっと手を置き、ミネルヴァはベール越しにセレンディップを見つめて言った。
「殿下にご心配をおかけ致しましたことをお詫び申し上げます」
そう言うと、ミネルヴァは静かにベールを外した。
「おお――」と人々がどよめく。
現れたのは、茶色の髪と緑の瞳、そして病気の後だからだろうか、日差しを浴びていない透き通るような白い肌。
一年経ち、十六歳になったミネルヴァは逆境の後で、美しく、芯の強い大人の女性に成長していた。
ミネルヴァは強い眼差しでセレンディップを見つめながら、言った。
「この通り、私の病気はすっかり治りました」
「本当に完治なさったんですね」
「良かったですわ」
人々はそうミネルヴァに声を掛けた。
セレンディップは非常に驚いたが、疑り深くミネルヴァを睨む。
獣人族の中でも獣に近い者から逆に人間とほとんど変わりない姿の者と、姿形は様々だ。
後天的に獣人化した人狼はそれが顕著で、あまり激しく獣人化しない者がいる。
ミネルヴァもその一人だろう。
そんな者も何故か耳だけは獣化する。
セレンディップは言った。
「ミネルヴァ嬢、そのカチューシャを外してくれないか?」
ミネルヴァは自身の頭の上に乗ったふわふわの狼耳カチューシャに触れながら、尋ねる。
ガルファ商会の獣耳カチューシャは本物と見まごうほどリアルなのが売りだ。
「何故、外さないといけないのでしょうか? これは病気とは関係ありません。そして単なるアクセサリーというだけではなく、亜人の皆様との友好の証であります」
「私が外せと言っている!」
セレンディップは声を荒げた。
穏やかという評判を作り上げてきた王子だが、本当はカッとしやすい気が短い男なのだ。
周囲はセレンディップの様子に少々驚いている。
病み上がりの少女のベールを外させ、今、国王の肝いりカチューシャを外させようとしているのだ。
一貴族がすれば、大きな問題になるような行為だ。
だがセレンディップは王子なので、彼に逆らえる者はこの場にいない。
シンと静まりかえる中、
「ではお外ししましょう」
ミネルヴァは静かにカチューシャを外した。
「取れるのか?」
セレンディップは愕然と呟いた。
ミネルヴァは狼耳カチューシャを手にして頷く。
「はい、もちろんです。私は人間ですから」
「そんな……まさか……」
「これでお気が済みましたでしょうか? 殿下」
兄のギルバートは厳しい声で言うと、そっとミネルヴァにベールを被せなおし、妹を促した。
「行こう、ミネルヴァ」
「はい、兄様」
「妹はまだ病み上がりですので、ご迷惑をおかけする前に、御前失礼させて頂きます。どうかお許しください」
公式行事なら王子に対してこんな無礼は行わないが、セレンディップはお忍びで来ているため、ギリギリ許容される行為だ。
ガルファ家の兄妹は彼らの身分で出来る最大限の抗議を表すと、一礼し去って行く。
取り残された者達は困惑していた。
ミネルヴァのベールを外させた上に、カチューシャまで外せと要求したのは、どう好意的に解釈してもマナーに反している。
やりとりされる言葉も冷たく、本当に二人は恋仲なのか疑わしい。
二人は想いあう恋人などではなく、セレンディップも所詮はガルファ商会の力を利用したいだけなのではと、人々はそっと目配せし合う。
「気分が悪いのだ。どいてくれ」
セレンディップは不機嫌そうに周囲の女性達を蹴散らすと自身の側近に声を押し殺して、命じた。
「おい、シリウスを呼び戻せ! もう一度あの女を人狼にするんだ」







