突撃 一一月一三日(航海九日目) 一七四〇時
第一〇一護衛戦隊の各艦は南に舳先をむけ、二一ノット(時速三九キロ)で進んでいった。旗艦である駆逐艦〈リヴィングストン〉が先頭につき、九〇〇メートルほどの間隔をあけて〈ローレンス〉と〈レックス〉が続いている。三隻による単縦陣の長さは、ちょうど一海里ほどであった。
月明かりどころか星すら見えない夜空のもと、戦隊は厳重な灯火管制を実施して暗闇のなかへ溶け込んでいた。艦尾でぼんやりと光る識別灯を目印にして、各艦は前を進む仲間たちをなんとか見失わずに済んでいる。〈リヴィングストン〉のみがレーダーを動かして、周囲に電子の目を巡らせていた。
「報告。レーダー、逆探ともに反応なし」
〈リヴィングストン〉の真っ暗な羅針艦橋で、不意に電話員の声がこだました。レーダー室からの定時連絡だ。副長のリチャード・アーサー少佐はそれを聞くと、目前の座席に腰かけた上官へ目をやった。
その上官――艦長のホレイシア・ヒース中佐は電話員に了解とこたえた。彼女はそう言い終えると、副長のほうに振り向く。暗がりのため、その表情は分からない。
「敵は、レーダーを作動さえていないのでしょう」
リチャードは艦長の疑問を察して言った。
「おそらく徹底した無線封止により、艦隊の位置を秘匿するつもりなのです。今のところは事前に得た情報をたよりに、船団を目指しているものと思われます」
「辛抱づよく待つしかないわね」
溜息をついたホレイシアへ、リチャードは慰めるようにいった。
「レーダーをはじめとする電子系装備の技術は、帝国よりも我々のほうが優れております。きっと、こちらが先に見つけられますよ」
「……そうね。ありがとう、副長」
安堵した口調でそう答えると、ホレイシアは正面に目線をもどした。艦橋は波風の吹きつける音を除いて、いっさい何も聞こえなくなる。
(とはいえ、戦力的には私たちのほうが不利だ)
リチャードは口元をわずかに歪ませた。
彼がそう思ったのも、無理からぬ話であった。数のうえでは敵味方ともに三隻ずつだが、帝国側には重巡洋艦が一隻ふくまれている。排水量一万四千トンの大型艦で、二〇・三センチ連装砲四基と一〇・五センチ連装砲六基、そして対空用の機関砲多数と魚雷を装備している。〈リヴィングストン〉ほか三隻の数倍どころでない重武装を誇り、その気になれば単独で相手取ることも可能だろう。随伴する駆逐艦二隻の存在も、当然ながら無視できない。
果たして、そのような敵に勝つことが出来るのだろうか?
リチャードがそんな事を考えていると、艦首のほうで大きな波が打ち上がった。大きな揺れと共に滝のような水しぶきが、〈リヴィングストン〉の船体へ襲い掛かる。
彼はずぶ濡れになった顔を片手で拭い、周囲に視線を巡らせた。配置についた将兵たちはヘルメットを被り、防寒着に身を包んで各々の部署についている。先ほどの波しぶきに動じることなく、与えられた任務を皆が黙々とこなし続けていた。
(いちど実戦を経験しただけで、随分な変わりようだな)
部下たちの成長ぶりに満足すると、リチャードは視線を下げて腕時計に目をやった。蛍光塗料が塗られた文字盤をみると、船団から離れて三〇分経っている。敵艦隊と遭遇するのは、もう間もなくのはずだ。
それから、五分後のことである。
「レーダー室より報告。左一五度、距離二〇海里に大型艦一を探知。敵重巡洋艦と思われる」
電話員がもたらした知らせを聞くと、ホレイシアが肩をピクリと震わせた。電子の目を通してとはいえ、帝国軍艦隊の姿をついに見つけることが出来たのである。探知できたのが一隻だけという点は何も言わない。小型で電波の反射量が少ない駆逐艦を捉えるには、まだ時間がかかるはずだからだ。
レーダー室から続報が届いた。「目標は北――方位三四〇へ二四ノットで航行中」
「分かったわ」
ホレイシアはそう言うと、信号員に各艦へ敵艦探知を連絡するよう指示した。
まもなく奥のほうから、カチカチと小さな音が聞こえてきた。マストに設けられた大型の信号灯を、信号員が操作盤のスイッチをつかって点滅させている。
リチャードがその様子を見ていると、海図台の前に立つジェシカ・シモンズ大尉がホレイシアに尋ねた。
「艦長、針路はどうされますか?」
ホレイシアは航海長に答えた。
「針路、速力ともに現状を維持してちょうだい。このまま敵艦隊との距離を詰めるわ」
「分かりました」
シモンズ大尉は頷くと、台上に置かれた海図に現在の情報を書き込みはじめた。そこは艦橋で照明が灯された唯一の場所だが、光量がすくないうえに遮光板が設置されているため、彼女の表情を窺い見ることはできない。だがそれでも、彼女が真剣に作業に没頭しているのをリチャードは実感した。その隣では水雷長の、エリカ・ハワード大尉も食い入るように海図を見つめている。
ホレイシアたちの迎撃計画は、きわめて単純明快であった。突撃を敢行して接近戦にもちこみ、可能であればそれを反復して敵を足止めするのである。闇夜に乗じて一撃離脱へ徹する事ができれば、少なくとも船団が逃げ延びる時間を稼ぐことが可能なはずだ。
(もっとも、俺たちが生き残れるかどうかは別だがな)
リチャードはそう心で呟き、溜息をつくと正面に目をやる。敵が待ち構えているであろう、闇のむこうを彼はじっと凝視した。
それから七分後の一七五二時、レーダー室から新たな報告が届いた。
「駆逐艦二隻を探知、重巡洋艦の前方に横列で展開している模様。敵艦隊は左二五度、約八海里にあり」
ホレイシアは頷くと、発光信号で僚艦に伝達すると同時に艦内へ戦闘準備の号令を発した。甲板上の主砲や機関砲に、最初の一発が装填される。いよいよ始まる――将兵たちはそう実感した。
そして、その時は唐突に訪れた。
「逆探に感あり!」
艦橋に立つ将兵たちのうち、その知らせが意味するところに気づいた者はかすかに体を震わせた。敵艦隊がこちらの存在に気づき、ついにレーダーを作動させたのである。
報告はさらに続いた。
「敵重巡、増速しつつ北西へ変針。駆逐艦群は針路そのまま、こちらへ接近を図る模様!」
ホレイシアは小さく頷いた。敵はおそらく駆逐艦群にこちらを牽制させ、その間に重巡を船団のほうへ直進させるつもりなのだろう。
リチャードは上官に尋ねた。「艦長、どうされますか?」
「重巡のほうを狙いましょう。あれ一隻でも追いつきさえすれば、船団はあっという間に全滅してしまうわ」
「了解です」
副長がそう言って応じると、ホレイシアはよく響く声で命じた。
「現時点を以て、無線封止を全面解禁します」彼女は深いため息をついた。「各艦へ伝達。 敵重巡ヘ肉迫ス。右砲戦用意、我ニ続ケ」
「み、右砲戦用意、我に続け。了解しました」
電話員は息を呑みつつ復唱すると、通信室へ艦長の命令をつたえ始めた。それを確認したホレイシアは、航海長のほうを向く。
「ジェシー、聞いての通りよ。最大戦速――二七ノットいっぱいで敵重巡に近づいてちょうだい」
シモンズ大尉はすぐさま作業を開始し、操舵室へ変針を指示した。
「針路は東、方位〇九〇とします。……とぉりかぁーじ、いっぱい!」
まもなく〈リヴィングストン〉はその船体を傾けつつ、舳先を左舷に転じ始めた。しばらくすると見張り員とレーダー室から、後続の僚艦たちも変針したことが知らされる。針路変更が終わると、シモンズ大尉はつづけて増速を命じた。
合成風力の作用で勢いを増した風を浴び、顔をしかめさせたリチャードはホレイシアに忠告した。
「艦長、敵艦との速力差に注意してください。護衛任務用の本艦と違って、あちらは三〇ノット以上だせるはずです」
「分かったわ」
ホレイシアは副長のほうを見て、こくりと頷いた。敵艦隊が逃げの一手に徹すれば、戦隊に対抗する手段はない。
「本艦速力、現在二七ノットです」
シモンズ大尉から増速完了の報告を聞くと、ホレイシアは座席に備え付けられた受話器を手にした。連絡先は艦橋後部の射撃指揮装置に陣取る、砲術長のサリー・フーバー大尉である。
「サリー、照明弾の用意は? ……よろしい、三時方向へ発射してちょうだい」
ホレイシアは受話器を戻すと、電話員へ各艦も照明弾を撃つよう伝達させた。
直後に、射撃指揮装置のほうでも動きがあった。円筒形のそれがゆっくりと、ホレイシアが指示した通りの方角へゆっくりと旋回する。内部ではレーダーや光学スコープから得られた情報をもとに、フーバー大尉たちが射撃ポイントを設定しているはずだ。〈リヴィングストン〉の前後にあるふたつの一〇・二センチ連装砲も、しばらくして砲身を右舷側に向け始める。
轟音が艦橋を取り囲むように鳴り響いたのは、それから二〇秒後のことであった。
各砲塔に二つずつ設置されている主砲のうち、実際に射撃を行ったのは各一門――それも一発だけであった。ふたつの砲弾は曲線を描いて飛んでいくと空中で炸裂し、中からパラシュートがついた球状の発光体が現れる。ゆっくりと海面めざして落下していくそれが、周囲を明るく照らしだした。
「敵艦を視認!」
右舷見張り員の興奮した声が響いた。
「駆逐艦群は右五〇度三海里、隊形を単縦陣に変えつつこちらに近づく! 重巡洋艦はその左奥、九海里の地点にあり!」
ホレイシアとリチャードは、双眼鏡を手にして右舷側に視線をむけた。光で目が眩むのを防ぐため、照明弾を直視せぬように気を付けながら洋上を注視する。
報告があった方角では確かに、影絵のごとく二隻の船が浮かび上がって見えた。縦一列の陣形を組み、北西に針路をとって進んでいる。〈リヴィングストン〉と同じ駆逐艦だが大きさは倍近くあり――帝国軍は小型軽量の護衛駆逐艦を保有しておらず、そのすべてが重武装・大型の艦隊駆逐艦であった――、その割には背の低い印象を受ける艦橋構造物が、船体の上に乗せられているのが確認できた。更に観察を続けると、前甲板に背負い式――段差を設けて中央線上に並べられた二基の単装砲も見える。
記憶が正しければ、その口径はこちらの主砲より威力に勝る一二・七センチだ。敵艦はこれを合わせて五基搭載しており、一隻あたりの砲火力で〈リヴィングストン〉らのL級よりも優位にあった(魚雷発射管もL級の四倍、すなわち四連装型を二基そなえている)。遠方に位置するためぼんやりとしたシルエットしか判別できないが、後方には更に強力な武装を誇る重巡洋艦も控えている。
そのうち、先頭を進む駆逐艦で閃光がふたつ煌めいた。見張り員の一人が、叫び声をあげて知らせる。
「敵艦発砲!」
敵弾は〈リヴィングストン〉の左前方、約三〇〇メートルに落下して水柱を上げた。おそらく先頭艦が射線を塞いでいるのか、二隻目のほうは依然として沈黙している。それに気づいた先頭艦は砲撃を続けながら、針路を西へ寄せはじめていた。
「副長、はじめるわよ」
双眼鏡を下したホレイシアがそう言うと、リチャードは無言で頷く。彼女は静かに、だがよく通る声で命じた。
「砲術長および各艦へ伝達。 敵駆逐艦群ヘ牽制射撃。打チ方ハジメ」
おそらくすでに照準を定めていたのだろう。二基の一〇・二センチ連装砲は、さほど間を置かずに射撃を実施した。前甲板で轟音とともに閃光が生じ、右舷遠くを走る敵めがけて砲弾が飛翔する。文字通り戦いの火蓋が切られたのは、一八〇二時のことであった。
〈リヴィングストン〉の各砲はすぐさま次弾を装填し、立て続けに撃ちまくった。発砲の衝撃が船体と、将兵たちの鼓膜を揺らす。
三斉射目が終わったタイミングで、後続する〈ローレンス〉と〈レックス〉から射撃を開始したとの報告がもたらされた。まもなく艦橋でうっすらとした煙が、燃え尽きた火薬の鼻につく匂いと一緒くたになって漂いだす。同じタイミングで、初弾の結果を見張り員のひとりが伝えてきた。
「本艦の第一撃、すべて近弾の模様!」
「さすがに、初弾命中とはいかないわね」
第一〇一戦隊が放った最初の一撃が目標に届かず、その手前に落下したと聞いてホレイシアは溜息をついた。とはいえ、ホレイシアの命じた射撃はあくまで牽制が目的である。相手をひるませることができれば十分だ。
少し間を置いて、敵駆逐艦群が増速したとレーダー室が知らせてきた。ホレイシアは気を取り直すと、敵の先頭艦へ射撃を集中するよう命じる。その時、タイミングを見計らうかのように、〈リヴィングストン〉をまばゆい光が照らしだした。
「九時の方向に照明弾です!」
眩しさに目を細めたリチャードが左舷側を見ると、空中に小さな太陽が浮かんでいた。どの艦が発射したものかは分からないが、これで敵の砲撃がより正確になるのは確かだろう。(いっぽう第一〇一戦隊が最初に放った照明弾は、この時すでに発光が終わりかけていた)
彼の懸念は正しかった。
敵弾の着水地点は徐々に近くなり、そのうえ二隻目の敵駆逐艦も射界を確保して砲撃を開始した。最終的に〈リヴィングストン〉らは続々と立ちのぼる水柱に取り囲まれ、噴き上がった海水が時おり艦上へ降り注いでくる。一〇分ほど前までの静寂さとは打って変わり、一帯は花火大会を思わせる喧噪に包まれていた。その間に、〈リヴィングストン〉は再び照明弾を発射した。
砲撃のそれとは異なる爆発音と共に、艦橋が大きく揺れたのはそのさなかであった。
「損害報告!」リチャードがそう命じると、右舷見張り員のひとりが半ば絶叫するように応じた。
「右舷中央、艦載艇置き場に被弾! 火災発生!」
「応急班に消火させろ、急げ!」
すかさず指示をだす副長の姿を、ホレイシアは不安げに横目で見ている。乗艦が初めて被弾した事に、動揺を隠せないようだ。
「敵駆逐艦群、本艦からみて四時方向、距離二海里! 北へ転舵しつつあります!」
別の見張り員がこちらも大声でそう告げると、リチャードはさっと右舷側の洋上に視線をむけた。二隻の敵艦が砲撃を続けながら、針路を右に修正しはじめているのが見て取れる。第一〇一戦隊のそれと交差するまで、それほど時間はないだろう。距離が詰まってきたため、射程の短い機関砲も彼我共に撃ちはじめていた。
突然、敵駆逐艦群のほうで爆発が生じた。
「敵先頭艦に命中弾!」
「……ようやくね」
やっとの事でもたらされた知らせに、ホレイシアは思わず安堵の声を漏らした。
しかし、喜んでいられたのは一瞬だけであった。近距離の撃ち合いであることに加え、射撃データを適切な数値に修正したため敵味方双方で被弾が生じる。砲弾やその破片がぶつかる耳障りな金属音が、何度も艦橋要員たちの耳に飛び込んできた。
それから二分後。
殴り合いのような砲撃戦の末、敵駆逐艦群は第一〇一戦隊の後方を通り過ぎていった。二隻のうち先頭を進むほうは、ホレイシアが集中射を命じた甲斐もあって少なくないダメージを受けている。船体のあちこちから煙と炎が噴き出ており、艦首にふたつある主砲の片方は、完全にその動きを止めていた。
もっとも、一隻あたりの火力を比較すれば帝国側が優勢であり、〈リヴィングストン〉らの被害も似たようなものであった。
「応急班より報告。被弾は少なくとも艦尾に一、中央部に三、艦尾二〇ミリ機関砲が消失」電話員の声が響き渡った。「右舷艦載艇置き場の火災は、まもなく鎮火する見込みとのことです。乗組員の被害は戦死三、重傷四、軽傷二。戦闘航海に支障なし」
砲火のなかでホレイシアは目を閉じ、亡くなった部下たちに祈りをささげる。彼女は顔を上げて尋ねた。「敵駆逐艦群の動きは?」
「北東に針路をとって、こちらから離れつつあります」
「副長、どう思う?」
ホレイシアはリチャードに尋ねた。
「おそらく、いちど距離をとって、態勢を立て直すつもりなのでしょう」
その直後、各艦の損害報告が通信室から届いた。すぐ後方を進む〈レックス〉は各部に被弾したものの、大きな被害は生じていない。帝国側は前方を進む二隻に射撃を集中していたため、最後尾の〈ローレンス〉は殆ど無傷であるとのことである。
リチャードは報告を聞き終えると、今後の戦闘をどう進めるべきか思案する。しばらくして考えをまとめると、彼はホレイシアにそれを伝えるべく口を開いた。
「艦長、意見具申をよろしいでしょうか?」




