92 話 繋がっていく点と点
このエルのまるで人間により近づいたとすら言える変化は、翔哉が見ていてもびっくりしてしまうくらいのものだった。
むしろ翔哉はとりわけ、ここまでの生活で一旦ガイノイドとしてのエルの反応に慣れてきていたことで余計にはっきりわかったのかもしれない。
人間に近いあり方と人間のようなあり方の間には、やっぱり大きな差があるわけで、翔哉であってもこれまでは無意識に『アンドロイドとしては』ずっと人間に近いと感じていたに過ぎなかったのだ。
それが『まるで人間のように』なってきたことで、それを驚きとして感じてしまい、まだ自分がエルを無意識のうちに『アンドロイド』として見ていたことを再発見する──。
それくらいの違いがそこにはあったのである。
それだけではなかった。
エル自身が夢で人間であったことを引きずることで、自分を人間のように勘違いして無意識に行動する。
そういうケースがそこには混じってきていた。
翔哉がお風呂から上がってくると、これまでのようにパジャマに着替えずに普段着のままだったエルが突然──。
「あ……。じゃ、私もお風呂に入ってきますね!」
と言って、お風呂に向かおうとしてから「あっ」と気が付く……。
そして、そこから思わず照れて頭をコツンと叩いて笑う仕草まで。
──それらを見ていると、プログラムや演技でやっているものには翔哉には到底見えなかった。
彼女の中から不意に自然に出てきたもののよう思えるのだ。
エル本人はと言うと。
そんな自分と今までの自分が、心の中でせめぎ合っているようでもあった。
エルがパジャマに着替えた後。
今度は一緒に寝室に入ると、この家に来た最初の夜とは全く逆の様相になってしまう。
エルが胸を押さえ緊張気味に身を固くしてしまったのだ。
「なんでしょう、これ。なんだか胸が爆発しそうです……!」
エルには心臓は無いのだが、エモーショナルフォースが『緊張』という感情を感覚化しているのだろうか。
息が乱れているように肩が上下までしている。
「今日は布団を敷いて僕はそっちに寝ようか?」
気を使って翔哉はそう言ったのだが、エルはそれに対して首を勢いよくブンブンと横に振って見せる。
「いえ、あの、そんなの嫌です。私……!」
自分の心の中の感情を乗りこなすのが大変なのだろうか。
エルの目が潤んで涙がにじむ。
「私は……翔哉さんと一緒に……!」
「うん」
必死で意志を伝えようとするエルの髪をポンと優しく撫でる。
翔哉は彼女の意志がはっきり分かればそれで充分だった。
「そっか。じゃあ、今日も一緒に寝よう」
「はい……!」
◆◇◆◇◆
一緒にベッドに入ると、緊張しているかのように細かく震えながらも、エルは意思表示をするようにギュッと翔哉のパジャマの袖を持って離さなかった。
「……緊張する?」
しばらく様子をうかがっても、震えが収まらない様子のエルを見て、翔哉が優しく声をかける。
きっと彼女は、人間になっていた時の夢の感覚をまだ引きずっていて、自分と一緒に眠ることに緊張しているのだとそう思っていたのだ。
しかし意外にもエルはそれに首を横に振ってこう答える。
「ち、違うんです……」
そしてためらいながらポツリと付け加える。
「怖くて」
……と。
エルは一言だけそう呟いた。
それを聞いて翔哉には思い当たることがあった。
「僕が消えちゃうのがかい?」
エルはそれには直接答えず、必死で翔哉にしがみついてきた。
イヤイヤをするように首を何度も横に振る。
その度に翔哉のパジャマがエルの涙で濡れていく──。
「どこにもいかないで……下さ……い……」
エルが涙声で絞り出すようにそう言う。
「うん。ずっと一緒だ。これからも……エルと」
エルが翔哉を潤んだ目で見上げてくる。
もっと近くにいたい。
近くまで来て欲しい……。
彼女がそのエモーショナルフォースの全てでそう翔哉に願っていた。
二人はゆっくりと引き寄せ合うように唇を重ねた。
最初は優しく……そして次第にそれは強くなっていく。
エルは翔哉に全てを委ねるように力いっぱい求めてきた。
お互いに足りないものをまるで補い合うように、そしてその存在をしっかりと確かめ合うように二人は求め合った。
やがてエルの体から震えが消え、安心したように休眠状態に入っていく。
…………。
やっぱり──。
眠りについたエルの横で翔哉は考えていた。
エルはきっとあの時何かを見たんだろう。
死んでしまう……ではなく、消えてしまう……と、エルは言っていた。
それが意味するところはなんだろうか。
もしそれが本当なら。
僕はどうなってしまうのだろうか?
◆◇◆◇◆
「遊園地でデートするのよ~~っ!!」
次の日。
エルと二人で研究所に行った翔哉に舞花が上機嫌でこう宣言してきた。
「遊園地……ですか?」
「そうよっ。エルのエモーショナルフォース内にあるネガティブなエネルギー。つまり人間でいうところの精神的ストレスは、まだかなーり高いレベルにあるの! それを無理なく解消するにはやっぱり遊ぶのが一番でしょー!!」
偉そうかつハイテンションにそう説明する舞花だが──。
「お前は単に自分の趣味で二人をデートさせたいだけだろうが……」
隆二にいつものようにジト目で突っ込まれる。
「うるさいわねっ! 必要なのは事実よ! 趣味と実益を兼ねてどこが悪いの? これはもう白瀬チーフの許可も降りてるんだからね!!」
なるほどそういうこと。
それでここまで自信満々なんだ。
翔哉が苦笑していると恵が更に説明してくれた。
「蓄積された精神的ストレスというのは、いつも通りの生活の中で解消していくのは難しいし、それだと時間もかかってしまうのよね。そこに日々の環境から離れて旅行をしたりレジャー施設に行ったり、いつもと違う状況を作って楽しむ必要性が出てくるのよ」
「だから、これは理にもかなってるっていうわけ!」
「お前が居直っているってのもまた事実だけどな」
心なしか楽しそうな恵の横で舞花も得意げである。
そして隆二もいつも通りだった。
「それは僕も嬉しいんですけど……」
しかし翔哉には少し気にかかることがあった。
それをエルを心配させないように隠れて恵に聞いてみる。
「また変なのに襲われたりはしないんでしょうか?」
今、翔哉達がこういう生活をしているのは、身の安全の為もあったはずだ。
こんな時に遠くに出かけて大丈夫なんだろうか?
「実を言うとね。この件は昨日の夕方に舞花ちゃんが一度提案して却下されているの。やっぱり危険なんじゃないかって」
そうだったのか……頷く翔哉。
だが恵の口からはここで意外な人間の名前が出てくる。
「でも宗一郎さんが言うには、夜になって委員会の黒崎さんから電話があって……危険なことがあったとしても我々が守るから心配は要らない。そうおっしゃったらしいの」
「危険なことがあったとしても我々が守るから心配は要らない……ですか」
翔哉の頭の中で、そのセリフが不気味な黒崎ボイスで再生される。
「そうは言っても出かける先は、綾雅関連企業が運営母体の遊園地なわけだし。それにいざと言う時には黒崎さんが守ってくれるのならね。そういうわけで今朝になって宗一郎さんのゴーサインが出たということなの」
その黒崎の言質で白瀬も納得したとのことだ。
なぜ僕達なんかに、偉い人がそこまでしてくれるのかとか考えると、ちょっと腑に落ちないところはあるけど……その辺りは深い事情を知らない自分が勘ぐっても仕方がない。
──翔哉もそう思うことにした。
昨日の夜の様子を見ていても、エルがかなり精神的に参っているのは確かなことのようであった。
翔哉としても、出来るだけ早くどうにかして楽にしてあげたいというのが正直な気持ちだったのだ。
こうして。
エルと翔哉の二人は、遊園地──東京ファミリーランドに遊びに行くことになったのである。
◆◇◆◇◆
一方、この日の白瀬は朝からあちこちに飛び回ってまた忙しかった。
昨日の晩に黒崎から連絡があった後──。
今朝は早い時間のうちに、事情が変わったことを研究所でスタッフ達に話してから──。
その後はすぐにゲヒルンの久保田に会って意味深な情報を受け取り──。
そして昼過ぎからはこれからまた村井刑事と落ち合う約束になっている……そんな様相なのだ。
今日はどうやら事態が色々と動く日らしい。
しかし丁度久保田からもらった情報を、村井に知らせたかった白瀬にとってはこれはこれで好都合であったと言えるのである。
最近、村井刑事と会う時はいつもファクトリー駅前のファミレス「マスト」が定番となっていた。
「よぉ、宗ちゃん。例の谷山翔哉傷害事件の犯人が通っていた、病院の非常勤の外来医師の件だけどよ。身元が割れたぜ?」
会うなりそう言ってくる村井。
「島崎慎二、54歳。東大医学部卒。大学在学中から心理学を並行して学び催眠医学に傾倒。当時から臨床医にも医学会にも興味がなく、大学院からの誘いを断ってアメリカに渡った変わり種とのことだ。そんでもって2014年頃には、米国催眠士協会で28歳の若さで諮問委員会のメンバーもやってたっていう凄腕なんだってさ」
「そりゃ凄い経歴だねぇ」
白瀬も驚いてみせる。
「それが大戦後から、ディストピア的な現体制を嫌って姿を隠したらしいんだ。そん時には既にグリーンカードも持ってたらしいしな。何でも噂じゃレジスタンス的な裏組織を渡り歩いて、ずっと術者のセンセイみたいなことをやって回っていたらしいぜ?」
「そりゃもう真っ黒じゃないの」
村井もウンウン頷く。
「この間の割れた硬化フロントガラス? あれを調べてたら、リムジンの身元どころか色々分かっちゃってさ。そろそろ龍蔵の爺さんも本当に年貢の収め時かもしれんよ、マジで……」
長年追っていた怪盗を捕まえそうになっている某警部のような感じで、村井も少しセンチメンタルの香りを漂わせている。
硬化ガラスの開発元から、関わっていた大学の研究室、そしてその研究に龍蔵が名義を偽って金を出したというような傍証……。
その辺りから始まって、もっと直接的な関与の証拠がいくつか。
──はたまたは、先の島崎が出入りしていたレジスタンス組織との交友関係まで出てきてしまったらしい。
「それでさ。もうここまで来たらってんで。他にも色々聞きたいこともあるからとうとう任意同行をお願いしに龍蔵のおやっさんのお屋敷まで行って来たんだけどねぇ。今はここにはいないってさ。外国にでも高跳びしちゃったのかねぇ?」
その村井に、今度は白瀬が午前中に久保田と会った時にもらった一枚の写真を見せる。
そこには先日の樹海内の風景が写っていた。
「これも村井ちゃんのお役に立つんじゃないかって俺のカンが働いてね。今日久保田君から貰ってきたんだ」
デジタルデータからプリントアウトされたらしい……その一見普通の風景のような写真を見せながら白瀬が説明する。
「これがね? 先日樹海に行った時に、道中エルがずいぶんと気にしていた場所だったらしいんだよ。それで不思議に思ったゲヒルンの久保田君が帰ってから、念のために解析にかけたそうなのよね。そしたらこれって所謂“光学迷彩”って奴じゃないのかって話になったらしくてさ」
その写真には、木と木の間に光の網のようなものがキラキラと写っていた。
この光は、その時の翔哉や久保田には見えていない。
エルのセンサーが捉えた特殊な光なのだ。
そう白瀬が説明すると村井の目の色が変わった。
白瀬から写真を引ったくるように取るとじーっとそれを凝視している。
「なーるほどなあ……」
「ん? どうしたの? 村井ちゃん」
訝しがる白瀬。
「ああー。実はな。さっきの島崎のアンちゃんもそうなんだけど、ゲヒルンから拉致られたんじゃないかっていうあの例の村下教授だっけ。この二人共の普段の足取りがさ。ここん所まるっきり掴めんのよ。もしかしたら……」
村井の目が肉食獣のように細まる。
島崎は東京地区に定期的に姿を現してる。
なのに、その足取りは掴めない。
街中の監視カメラにも捉えられていないのだ。
異なる地区を行き来しているのかとも思ったがその形跡もない。
その一方である時からまるっきり消息不明の村下教授──。
こっちなんかは、世界中の他エリアの情報を全部洗いざらい照会しても、消えちまったみたいにどこにもいやがらねえとくる。
もし生きているとしたらこれは妙な話だ。
そして今回のこのブツ。
樹海内に、こんな大仰な光学迷彩で隠すものと言えば……。
こいつぁひょっとしたらひょっとするか?
「役に立ちそう?」
考えに沈んでいる村井に頃合いを見計らって声をかける白瀬。
夢から覚めるように村井もそれで我に返った。
「おお、立ちそう、立ちそう! 俺たちゃ宗ちゃんみたいに別に考察したり証明したりするのが仕事じゃねえからよ。これだけで充分ってもんだ。後は論より証拠。実際ここに踏み込んで見ればわかるってな!」
そう言って豪快に笑ってみせる。
それから、白瀬に断りも無くその写真をポケットに無造作に突っ込むと、村井は挨拶をするのも忘れて考え込みながら帰っていったのである──。




