第8話 釣り人タロの死闘
「はぁ……はぁ……!」
「これで……二十体は倒したか……!?」
タロの右手は震え、握った釣り竿が汗で滑りそうになる。
「湖の撒布が終わったら……村人たちを連れて、教会に避難だ……!」
ズシン……ズシン……
地響きが迫る。
「チッ……また来やがったか! 三体!?」
タロは叫び、重りを投げ放つ!
ゴウッ! ドォン!
一体目の頭蓋を砕き、二体目も崩れ落ちた――が。
ガギィッ!
「ぐっ……ぁぁ!」
右肩に雷のような激痛が走った。
鈍い衝撃と同時に全身が硬直する。
「うっ……」
思わず手が力を失い、握っていた指の間からこぼれ落ちた。
「……脱臼……かよ……」
右腕はぶらりと下がり、動かない。
「あと……一体なのに……!」
タロは歯を食いしばりながら、ぽつりと呟く。
「なぁ……なつ美……えり……」
「俺は今……かっこいい大人になれてるか……?」
───
釣り人タロは、前世の自分――鈴木太郎の頃を思い返していた。
がむしゃらに働き、残業をこなし、上司のご機嫌取りにキャバクラへ。
休日はゴルフ接待。
その甲斐あって、すぐに出世。
一軒家を買い、新車を手に入れ、娘のえりの学費も貯め終えた。
順風満帆。何もかも計画通りだった。
……けれど。
中学生になったえりは、もう自分を避けていた。
あんなに「パパ大好き」だったのにな……。
思ったより投資も上手くいっていたから、今度は欲しがっていたゲーム機でも買ってやろう。
定年後は、妻のなつ美と旅行にでも行くか。
───
夜、一時。
上司に誘われて飲みに行き、帰宅した時には、家の電気はもう消えていた。
冷蔵庫を開けると、なつ美の特製カレーが静かに入っている。
「今日の夕飯、カレーだったのか……。明日の弁当に持っていくか」
───
翌朝。
洗面台でヒゲを剃っていると、寝坊したえりが慌ただしく駆け込んできた。
「お父さん邪魔! どいて!」
顔も見ずに、朝練へと飛び出していく。
妻のなつ美は冷ややかに言った。
「昨日、なんで“夕飯いらない”って連絡くれなかったの? せっかくカレー作ったのに」
「わりぃ……急な飲みだったんだよ。今日の昼、ちゃんと食うからさ」
「……」
なつ美は怒っていた。
「機嫌直してよ……なぁ、定年退──」
なつ美の肩に手を置こうとする。
「触らないで!」
「……」
(……まぁ、今日の帰りにケーキでも買って、定年後の旅行のこと話そう)
「行ってきます」
「……いってらっしゃい、太郎さん」
どんなに怒っていても、なつ美は玄関まで見送ってくれる。
───
その日。
いつもより早めに職場に着いた太郎は、胸の痛みに顔をしかめた。
後輩の中尾が心配そうに声をかける。
「課長? 汗かいてますけど、大丈夫ですか?」
「……ちょっと横になるわ」
───
目を開けると、真っ白な世界が広がっていた。
どうやら俺は、職場でそのまま心臓発作を起こし……死んだらしい。
そして――さえない釣り人として、異世界に転生してきた。
────
苦笑いを浮かべる。
「なぁ……なつ美、えり……俺は心臓麻痺であっけなく死んじまってごめんな……仕事ばっかりでごめんな」
「……本当は、もっとお前らと一緒に夕飯食いたかったな……」
額を汗が流れ落ちる。
「うぐっ……!!」
脱臼した肩が悲鳴をあげる。
「……でもよ」
左手で竿を握り直す。
「こんなの……家族と別れる辛さに比べりゃ!」
「全然痛くねぇんだよ!!」
タロは叫び、左腕で全力投擲!
ヒュルルルルッ――ドォン!
重りは魔物の頭蓋に突き刺さり、巨体が崩れ落ちた。
だが――
ドスン……ドスン……!
現れたのは、熊型の魔物。
圧倒的な質量と速度で迫る。
タロは竿を構える──が、
バキィィッ!
竿は爪で真っ二つに折られた!
「くそ……ここまで……か……」
タロは歯を食いしばり、両足を踏ん張った。
その時。
「タロを守れぇぇ!!」
村人たちの叫びが轟いた!
ズバァン! 斧がクマの肩に突き立つ!
熊の魔物が咆哮する。
タロが振り返ると、鎌や鍬を構えた村人たちが駆けつけていた。
腰の曲がった老人。養鶏場のマダム。子供を背負ったままの母親まで。
「マダム……!」
「タロさん!」マダムが叫ぶ。
「農家をなめないでおくれ! 若い頃は害獣退治なんてしょっちゅうだったんだ!」
老人が鎌を振るい、叫ぶ。
「狙え! 足を崩せ! 喉仏を突け!」
ザシュッ! ゴスッ!
農具がクマの足を裂き、喉を突き抜ける。
「ぐおおおおお……!」
巨体は大地を揺らして倒れ込んだ。
タロはその場にへたり込み、荒く息を吐いた。
「……農家……すげぇ……」
駆け寄った子供が叫ぶ。
「タロさん!! しっかりして! 米ぬかの撒布終わったよ!」
村人たちは力を合わせ、タロを担ぎ上げる。
「我々は教会へ避難するぞ! タロさんを運べ!」
子供が涙ながらに頷いた。
「……うん!」
「毒は湖に留まってる!」
「村は……守りきったぞ!」
タロはかすかに微笑みを浮かべ――意識を手放した。
「タロさん!?」
「大丈夫だ! 気を失ってるだけだ!」
「早く行くぞ!」
───
タロは夢を見る。
「あなた、カレー作ったわよ」
食卓には太郎の好きなおかずや寿司が並んでいた。
「今日は豪勢だな」
「だって明日は、えりの結婚式よ」
「そうか……そうか、大人になったんだな……」
「お父さん! 一緒にお酒飲もう!」
「父さん……幸せもんだな……」
「なんで泣いてるの?」
「当たり前じゃないか……日常の幸せって、失ってから気づくんだ……尊いものなんだ」
「お前たちの未来を見れて……俺は嬉しい……」
「えり……おめでとう。幸せになれよ」
「お父さん……異世界で頑張るから……」
「またな……」
───
現実へと引き戻される。
村人の背に揺られながら、タロの頬を一筋の涙が伝う。
けれど、その口元には確かに――穏やかな笑みが浮かんでいた。
続く
東海地方に棒の手と呼ばれる農民の護身術から発展した伝統武芸があります。
武芸を観たことがありますが、鎌や棒、傘などで戦う姿はとてもかっこいいです。
「農家、戦闘能力高い!」と当時感動したのを思い出し、今回いつも穏やかなマダムが戦うシーンを入れました。




