第19話 城内の扱い、霊獣ヨセフと母エステル
玉座の間――石造りの壁が放つ冷気が、肌を刺す。
その中央で、ハンナは正装の裾を整え、静かに膝をついた。
「ハンナ・ロレーヌ、第六王女、ただいま帰還いたしました」
音のない沈黙が広がる。
やがて、重く低い声が空間を満たした。
「……ご苦労だったな、ハンナ」
国王の声。
しかし、その隣に控える第一王子マルコが鼻で笑う。
「どうだ? ミカエルの“試し打ち”は上出来だったか?」
「お兄様……」
「父上から聞いたぞ。魔物五十体を、まるで子犬のように一掃したそうじゃないか」
マルコは薄く笑みを歪める。
「王都であんな技を使われたら、国ごと吹き飛ぶな……ははは」
ハンナは静かに視線を落とし、冷たい床に目をやった。
「お父様……本日お呼びになった理由を、お聞かせ願えますか」
王はゆっくりと頷く。
「ハンナ……隣国リザエルが、昨年の隕石事件に関わっているという噂は承知しているな」
「……はい」
「そして、リザエルの者が国境横の港町ノルディアに潜んでいるという噂がある」
「お前とバビロンは明日からノルディアに滞在し、隣国を牽制せよ」
「次にリザエルが動けば……ノルディアから先に攻め込む。もはや待つ理由はない」
「そんな……!」
思わず声をあげたハンナに、マルコが冷笑を浮かべる。
「反論か? まぁ無理もない。お前は“半分”一般霊獣使いの血だからな。我らとは考えが違って当然だ」
ハンナは唇を噛みしめる。
マルコはさらに一歩踏み込み、わざと同情を装った口調で言った。
「お前も気の毒だな。ミカエルと契約してしまったばかりに……一生この国のために戦い、防衛し、時に他国を滅ぼす駒として生きねばならん。政略結婚もできぬ身分だ」
口の端を歪め、乾いた笑い声を洩らす。
「ハハハ……実に哀れだな」
その言葉は、刃のように鋭くハンナの胸を刺した。
さらに、マルコは芝居がかった声で王に問いかける。
「ところで父上。なぜ私が明日、農業村などに行かねばならないのです? 白霊米の納品の儀式など、下級役人にやらせればよいでしょう」
王は鼻で笑った。
「国民に見せるのだ。王族が常に民の近くにあると示せば、支持は自然と高まる」
「……ハハハ! さすが父上」
マルコは嬉々として笑い声をあげる。
ハンナは黙って視線を落とす。
その胸中に、静かに言葉が浮かんだ。
(……これが王族なのよ、リク)
「以上だ。下がれ」
「……かしこまりました」
ただ、玉座の間には石の冷気だけが残っていた。
───
玉座の間を出ると、長い廊下に冷たい空気が流れていた。
遠くから、ゆっくりと足音が近づいてくる。
黒い翼がふわりと揺れた。
「……久しぶりね、ハンナ」
ハンナの母――エステル。
その肩には、漆黒の羽根を持つカラスの霊獣ヨセフが止まっていた。
つややかな瞳が、まるで全てを見透かすようにこちらを見つめる。
エステルのすぐ後ろには、きっちりと侍女が控えている。
それは母に課された制約――
予知能力を持つヨセフを通じて、夢の中で国の災害を予知する彼女は、
王国にとって何よりも重要な情報源であり、同時に、
その存在は国の機密そのものだった。
だからこそ、母は常に誰かの監視下にあり、
一人で誰かと会うことは決して許されなかった。
暮らしのほとんどは、少さな部屋の中。
側室の妃という肩書きは、ただの飾りにすぎない。
(幽閉……そう言ってしまえば、きっと間違いではない)
それでも、母は穏やかな笑みを浮かべていた。
ヨセフが短く鳴き、その声が静かな廊下に吸い込まれていく。
「……お母様」
「顔を見られて嬉しいわ、ハンナ」
短い言葉のやり取りの奥に、互いの時間と距離の重みが滲んでいた。
「ふふ……ハンナ。あなたに、聖書の言葉を伝えるわ」
「エステル様……」
侍女の表情がわずかに歪む。
「あら、いいじゃない。娘に主の加護を祈るだけよ。心配なら……あなたも一緒に聞けばいい」
「……わかりました」
侍女はしぶしぶ頷いた。
エステルはゆっくりと聖書を開く。
「まずは……マルコ第1章……」
「……あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」
(……これは)
(お母様と私だけの、秘密の暗号……)
「次は……ヨハネの黙示録……」
ページをめくる音が、廊下にかすかに響く。
そして――
「……マタイ25章13節」
エステルの瞳が鋭く、真っ直ぐにハンナを射抜いた。
「『だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから』」
(──!)
(警戒しなさい、ってこと……)
(そう……“3番目に告げられた章節”が、本当のメッセージ)
「……エレミヤ書……」
エステルは最後に、静かにページを閉じた。
「ハンナ、主の祝福がありますように」
(これから何かが起きるのね……お母様、ありがとう……)
「ありがとうございます」
ヨセフが小さく鳴き、母の肩の上で黒い羽根が揺れた。
それは、ただの母娘の別れの合図にしては――あまりにも重く響いた。
続く
この作品は聖書の言葉、人物が良く出てきます。
しかし宗派の事は詳しく知らなくてすみません…。
作者はお寺、神社、クリスマスも祝う宗派です笑




