10
◇◇◇
第三婦人の王子として俺は生を受けた。
すでに第一婦人の子の第一王子。第二婦人の子である第二王子と兄が二人いた俺は、第三王子としてはかなり厳しい立場にあった。
第一王子第二王子がいるから、俺が王になれる可能性は低い。
だが母は、俺に帝王学を学ばせ、お前が王になるのだと虐待と洗脳に近い教育を俺に施した。
「お母様……お願いします。許してください。お願いします」
一問間違えれば鞭で打たれ、無知をさらせば一日地下牢に食事抜きで入れられた。
第一王子よりも、第二王子よりも優秀であれと育てられた。
末っ子であったが故か、それとも寵愛を受ける母の子だからか、俺は帝王陛下に可愛がられていた。
だからこそ母も夢に見て、そして、第一妃と第二妃の恨みを買い、毒を盛られて殺された。
あっけないものだった。
泡を吹く母と、楽しそうな笑みを浮かべる第一婦人と第二婦人に、お前もこうなりたくなければ慎めと言われた。
あぁ、ここは生き地獄なのだと、母が亡くなる十歳の時には知り、十五を超えれば女が俺の地位と美貌に群がり始め、時には無理やり寝室に忍び込まれることもあった。そしてそれは帝王陛下からの嫉妬を買った。
帝王陛下はことあるごとに俺を戦場へと立たせようとした。
死と隣り合わせの生活が、全て女のせいに思えた。
女が気持ち悪かった。
そんな時、俺を罵り罵声を浴びせていた第一王子と第二王子が、王位をめぐって争い共倒れした。
なんと愚かなことか。
そしてそれと時を同じくして帝王陛下も病に倒れ、王国は王族を同時期に三人失い喪に服した。
そして王位が俺の元へと転がり込んできたのだ。
因果な物である。
手始めに第一婦人と第二婦人には、愛人がいたようだったのでそこに嫁がせてやり、僻地へと送った。
貴族達は頭がいいので、俺が王として責務を果たせば黙っていった。
自ら転げ落ちた愚かな者達のおかげで、俺は帝国で最も価値のある地位へと就いたのだ。
帝国の利だけを考えて生きることは楽だった。
そして帝王という地位のおかげで嫌いな女を傍に寄せ付けないことも出来た。
なのに……夢の中だけは自分でもどうしようもなかった。
毎日うなされるのだ。
母には鞭で打たれ、義母や兄達には罵られる。
そして女達が地位のある俺に群がってくる。
気持ちが悪かった。
毎夜毎夜うなされ、毎夜毎夜絶望の中で眠りについては起きてそれの繰り返しでゆっくりと眠れぬ日々が続く。
また生き地獄である。
きっと自分が救われることなどないのだろう。
そう思っていたのに……。
【どうか、良い夢が見られますように……悲しい夢が、遠くへ消えますように……】
酒のせいでガンガンと頭が痛む、朦朧とした意識の中で、美しい女神のような人がそう言った。
女など気持ちが悪いとそう思っていたのに……。
その人の手は優しく、とても暖かかった。
けれどなぜか、かすかに見えたその姿が、シエルと重なる。
出会ったばかりの少年だ。何故?
夢の中の俺は、羨ましいと口走っていた。
こんなこと、誰にも言ったことがなかったのに……。
まぁ、夢だからいいか……。
俺は飛び起き、周囲を見回すとそこは私室であり、ベッドの上であった。
窓の外を見れば太陽はとうの昔に上っており、五年ぶりに俺は熟睡していたことを知る。
「あれは……夢? 俺は……何時間寝ていた……」
体が軽い。
頭がすっきりとしている。
五年ぶりの、いや、生まれてから初めてと言っていい程に、体が軽く、俺は驚くしかない。
それと同時に、夢で見た女性と、シエルの姿が重なって頭から離れない……。
「おいおいおい。待て、男だぞ……」
女嫌いであろうとそんな趣味はない。
「……俺は、男が好きだったのか?」
まだ覚醒しきらないせいか、バカなことを考えてしまう自分に顔をひきつらせた。
ただ、忘れないようにとスケッチブックを開くと、夢に見た女の絵を描いた。
「……シエルにそっくりじゃないか」
大きくため息をつく。
「男だぞ……くそ」
破り捨てようとしたが、レクスはその手を止め、ため息をつくと、スケッチブックを閉じた。
◇◇◇
「おはようございます。シャルロッテ様。よく眠れましたか?」
「えぇ。アズール様は?」
「共同私室の方にダリルと一緒にいると思います。昨日の夜おっしゃられたものについては、すでにダリルから受け取ってあります」
「ありがとう。後で読むから机に置いておいて」
私は男装姿で朝一でアズール様の元へと向かった。
昨日は庭で眠るレクス様を騎士に客間へと運んでもらった。
気持ちよさそうに寝息を立てる姿に少しだけほっとした。そしてそれを見送った後、私は決意したのだ。
「アズール様、入ってもよろしいですか?」
「あぁ。シャルロッテ。どうぞ」
アズール様との共同私室に入ると、アズール様が紅茶を飲みながらダリル様と話をしていた。
「シャルロッテ……おはよう。何故、その格好なのだ?」
「シャルロッテ様、おはようございます」
私はアズール様の方へと向き合うと、真っすぐに告げた。
「私、昨日一晩考えて決意しました。レクス様にシュルトンの良さを伝えられるように、私を案内役にしてください」
すると、ダリル様が嬉しそうに微笑む。
「兄上、私もその方がいいかと思います。レクス殿は女性が嫌いなようですし、シャルロッテ様を欲しがることはないでしょう。それにシャルロッテ様ならばレクス様にきっとシュルトンの良さを伝えてくださいます」
アズール様は私の方を見つめると、小さく息をついた。
「私は反対だ」
それから視線を反らす。
「シャルロッテも昨日見ただろう。レクスは容赦のない男だ。君には短剣を投げつけようとし、昨日は侍女の腕を切り落とそうとしたのだぞ」
侍女の腕を? ……ぞくりと背筋が寒くなる。
けれど、私はもう覚悟を決めたのだ。シュルトンの為に、アズール様の為に私は出来ることがしたい。
「覚悟はできています。お願いします!」
「……分かった。だが、私も一緒だ」
「「え?」」
私とダリル様が驚きの声を上げる。
「あ、兄上もレクス様に同行されるのですか? 鐘が鳴ったらどうするのです?」
「鐘が鳴った時以外に同行する……いいか、俺がシャルロッテの傍にいられない時には、かならず誰かを傍につけるのだ。シャルロッテの安全が配慮されなければ、私は同行は許せない」
「アズール様、それではレクス様の反感を買うかもしれません。私は大丈夫です」
「私が大丈夫ではない」
アズール様は静かにため息をつく。
「……すまないが、私はそもそも賛成できない」
「ですが、シュルトンの為には」
「シャルロッテ……君が私は大切だ」
私はアズール様をじっと見つめるが、アズール様は視線を合わせてくれない。
こうしたことは初めてで、私はどうしたらいいかが分からない。
結局アズール様はその後、ダリル様と話があるそうで私は部屋を出た。
「どうしたら……認めてくれるのかしら」
そう呟きながら私室へと帰り、私はダリル様からの資料に目を通していったのであった。
昼食を一緒に取る時間も、アズール様との微妙な感じはずっと続いていた。
こんなこと初めてで、私はなんだか寂しくなって、どうしたらいいのだろうかと不安に思った。
雨が、ぽつぽつと降り始め、ゆっくりと大地を濡らし始める。
食事を終えて、私はアズール様ともう一度話をしようと声をかけようとした時、部屋がノックされ、レクス様が食堂に現れた。
「アズール。……そ、それに、シ……シエル。ここにいたのか」
なぜか私と視線が合った途端にパッと視線を反らすレクス様。
どうかしたのだろうか。
「レクス。先ほどまでまだ寝ていると聞いていたが、起きたのか」
「あぁ……びっくりするほどに眠った」
「まぁ、昨日は酒を飲んで夜寝るのも遅かったからな……私も、いつ寝たのか覚えていない」
「俺もだ。本当にこんなに眠ったのは久しぶりで驚いている。なぁ」
「ん? どうした」
「……この城に、髪の長い女って、誰がいる? 侍女……って感じじゃない。髪色は……なんか輝いていたような……」
そう尋ねながらも、私のことをちらちらと見てくるレクス様。
先ほどからかなり様子がおかしいような気がする。
アズール様は、静かに目を伏せると紅茶を飲み、それから告げた。
「夢でも見たのか? 何の話だ。それより、シュルトンを視察するのだろう。同行は私がしようと思う」
そこでやっと私はレクス様が昨日のことを覚えているかもしれないのだと気づいた。
かなり酔っていたし、覚えていないと思っていたのだ。
レクス様は、アズール様の言葉に小さくうなり声を立てた後に私を見た。
「案内人はシエルって言っただろう」
「ダメだ」
「アズール様、私ならば問題ありません」
つい話に割って入ってしまった。
アズール様は驚いたような顔を浮かべ、レクス様は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ほら、こいつもこう言っている。というか、昼食を一緒に取る仲……お前ら、一体、どういう関係なんだ? やっぱり、そういう関係か?」
こちらをからかうような視線。私はその視線にどう答えるべきかとおろおろとしていると、アズール様は立ちあがり答えた。
「そういう仲だ」
「ん?」
「え?」
聞き違いかと思いアズール様を見ると、真面目な顔でアズール様ははっきりと告げた。
「シエルと私はそういう仲なのだ。だから、レクス。お前と同行させたくない」
レクス様は、私とアズール様を交互に見た後に、顔をひきつらせたのち、無理に笑みを浮かべるとうなずく。
「な……なるほどな。そうかそうか。俺は寛大だ。秘密にしておいてやる。だがまぁ、昨日の勝負俺が勝ったのに違いはないからな。アズールもついてきてもいいが、案内人はシエルだ」
その言葉に、ぐっとアズール様は何か言いたそうにしたあとに言った。
「……わかった。だが、私もついていく」
「なら三人でだな。それで、俺の朝食は? お前らは食べ終わったようだが、付き合え」
アズール様はうなずき、使用人にレクス様の食事を準備するように伝える。
他愛ない会話をしながら、私やダリル様は、先ほどの言葉、本当にそれでよかったのだろうかとそう、考えたのであった。






