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雷はゴロゴロとなっているが、雨はしずかにやんだ。
私は深呼吸をしながら、落ち着かなければと胸に手を当てた。
心臓がうるさい。
先ほどの剣が頭をよぎり、私は感情を乱さないようにと目をぎゅっとに瞑る。
「大丈夫だ。シャルロッテ。大丈夫……」
私を安心させるように、アズール様が優しく背中をさすってくれた。
部屋についた私を、アズール様は優しくソファへと降ろすと、タオルを持ってきて私を優しく拭いてくれた。
私はタオルを受け取ると、被っていたカツラを外し、男の子のような化粧もタオルでふき取る。
それから、涙がぽたぽたと溢れてきて、止められず顔をごしごしとタオルで拭いた。
「すみません……早く、泣き止まなきゃ……」
外は土砂降りとなり、窓に雨が吹き付ける。
シュルトンに来てから、このように自分の感情のままに天候を荒れ狂わせてしまうのは、ここにきて最初の日以来だった。
だめだだめだ。
早く落ち着かなきゃ。
そう思えば思うほどに天候は荒れ狂っていく。
「ご……ごめんなさい。ごめんなさい」
感情を制御しようとすればするほどに上手くいかない。そんな焦る私のことを、アズール様は優しく抱きしめた。
「シャルロッテ。シュルトンは、多少荒れ狂ったところで、別段問題はない」
「……え?」
「元々不毛の大地だぞ? それに、雨は喜びこそすれ、嫌う者はいない」
私はアズール様の胸の中から、顔を見上げると、涙がまだ止まらない中尋ねた。
「……怒らないの……ですか?」
アズール様は一瞬驚いたような顔を浮かべ、それから少しだけ悲しそうに、私の頬に触れた。
「怒るようなことが、あるだろうか……君の心は君のものだ」
その言葉に、ゆっくりと、私の心は落ち着いてきた。
アズール様は私をまた抱きしめると、まるで子どもをあやすように背中を優しくトントンと繰り返す。
私はアズール様の背に手を回し、抱き着きながら、尋ねた。
「……背中、大丈夫ですか? 痛くなかったですか?」
「あのくらいは大丈夫だ。心配かけてしまったか?」
「……はい……怖くなりました」
一瞬の間が空く。
「それは、何に対して?」
私はぎゅうっとアズール様に引っ付くと答えた。
「貴方を失うことが。そして……レジビア帝国の王が……」
その言葉に、アズール様は静かにうなずく。
「私はね、シャルロッテを残して死なない。だから安心してくれ。ただ……レクスについてだが、今後、絶対に油断しないでほしい」
「……はい」
「帝国の王だけあって、一筋縄ではいかない男だ」
横暴さはあるものの、気さくな方なのかと一瞬町では思った。だが、違う。
他人に興味がないのかもしれない。
親しそうに見えても一瞬でそれを覆すことが出来る。それがとてつもなく恐ろしい物に思えたのだ。
「シャルロッテ落ち着いたかい?」
「はい……アズール様。ありがとうございます」
窓の外を見ると、雨がやみ、青い空が戻ってきていた。
私は小さく息をつく。
「すみません。今後は、このようなことがないように」
気を付けると言おうとしたところで、アズール様にほっぺたを優しくぷにっと突かれた。
突然のことに驚くと、アズール様が笑い声をあげる。
「ははは。シャルロッテ。謝らないでいいし、今後このようなことがないようになんて考えなくていい。人の心とは、揺れ動くものだ。私は君に、心のままに生きてほしいのだ」
「アズール様……」
「さて、ただ問題になったな。まさか負けるとは思っていなかった……鍛錬が足りなかった」
「あ、あれはレクス様が短剣を出したから」
「いや、それでも私は勝つべきだった」
「……私のせいです」
「いや。私の修行が足りないからさ。さて、では私は一度レクスと話を付けてこよう。シャルロッテはこ
こにいてくれ」
「はい……」
「酒を飲むだろから、今夜は部屋に帰ってこないかもしれない。だから今日はゆっくり休んでくれ」
「はい」
アズール様は私の額に優しくキスをした。
「では、行ってくる」
「……はい」
アズール様はひらひらと手を振って扉から出ていった。
私は不安に思いながらも、アズール様の言葉に甘え部屋でゆっくりと過ごすことにしたのであった。
◇◇◇
アズールはシャルロッテの部屋を出ると、そこにはローリーが控えていた。
「……ローリー。シャルロッテの傍にいてやってくれ」
「かしこまりました」
「……レジビア帝国の者に、シャルロッテの能力について勘繰られないように」
「ハッ」
うなずきあい、アズールは廊下を歩いていく。
レジビア帝国の王であるレクスとは、まだ王位を継ぐ前に会っているが、あの時よりも雰囲気がさらに冷ややかなものに変わっていた。
あれは普通という概念から外れた男だ。
だからこそ、アズールは気を引き締める。
客間の方へと向かうと、扉の外からでもレクスの低く怒りを含んだ声が響いて聞こえてきた。
「……おい……女、お前、腕を切り落とされたくなくば早々に消えろ」
アズールは慌てて部屋に入ると、頭を下げるダリルの姿と侍女が震えながらその場に跪く姿であった。
その状況を察すると、アズールはすぐにレクスの傍に行くと話しかけた。
「レクス。すまない。女性が嫌いだと言っていたのに、侍女が来てしまったのだな。私が話を通していなかった。申し訳ない」
するとレクスは剣を引き抜き、侍女へと向けた。
「アズール……まぁ、侍女一人くらいいいだろう」
次の瞬間、侍女の腕に向かって剣を振り下ろそうとしたレクスの手を、アズールは掴み止めた。
「申し訳なかった。だが、うちの侍女を切り捨てるのはやめていただきたい」
レクスは腕を動かそうとしても、アズールの腕でしっかりと掴まれ動かない。
「ならば、さっさと出ていかせろ」
アズールは視線で指示し、ダリルは腰が抜けて動けない侍女を抱きかかえて部屋を退出させた。
「……次はないぞ」
「……あぁ。すまなかったな」
「いや。まぁ……今回はお忍びで来ているから、まぁ許そう」
そうでなかったならば許されなかったのだろう。
腕を離し、レクスはソファへと深く腰掛けると尋ねた。
「おい。シエルは?」
「……シエルは、驚き混乱したようだったので、部屋に返しました」
「軟弱だな。だが、約束は約束だ。シエルは俺の案内人だぞ」
「……出来る状態では」
「……シエル本人に明日聞く」
睨み合う二人。
アズールは小さく息をつくと、部屋の戸棚から酒を取り出し、それを机の上にドンと置いた。
「まぁ、飲みながら話をしようじゃないか」
「っは。飲み比べってことか。受けて立つ」
二人は笑い合う。
アズールはダリルに絶対に女性はレクスに近づかないようにしろと命じ、食べ物などを用意するように言づけた。
二人は酒をつぎ、そして乾杯するとそれを一気に飲み干した。
「ほう。美味い酒じゃないか」
「だろう?」
「あぁ」
アズールはどうにかしてシエルを諦めてもらうように話を付けなければと、酒を飲み干しながらそう思った。
そして、酒豪と自負するアズールと共に、レクスもどんどんと酒を飲んでいく。
「シエルは、やらんぞ」
「おうおう。男だろ。いらねぇよ」
「可愛いんだ……シエルはやらん」
「……男だぞ?」
「ふっ……シエルは可愛い」
「お前さっきからそれしか言わないじゃないか」
酒が進むとともに、会話に内容はなくなっていく。
それなのに、たまに真面目な会話も混じるから不思議なものだ。
「シュルトンの生産性がもっとあがればいいんだがぁぁ」
「生産性ねぇ。シュルトンは領土自体もそこまで広くないしなぁ……」
「自給自足はまだまだ難しいし、魔物の援助以外で、他国との繋がりが欲しい。だが、とてもむずかしいな……」
「ふむ。なるほどなぁ……あー。じゃあ、ここにいる間、ちょっと考えておいてやるよ。他人からの意見は大事だろ」
「助かる。中々に行き詰っていてな」
「はっはっは! 世話になるしな!」
二人は笑い合い、夜は更けていったのであった。






